学芸会に出るな!
3年生の時の学芸会のことです。私は合唱に出ることになった
のです。そのことを母に告げると、
母 「先生は何番目位に呼んだの?」・・私 「分からない」
母 「真ん中から前なの?後なの?」・・・私 「後だよ」
母 「ふーん、練習だけは、していてイイよ
」
変なことを言う母だなあと思っていましたが、学芸会当日、理由
が分かったのです。
母 「アポチャン、お母さんと一緒に丸井(老舗デパート)さんへ
行こう。馬(遊具)に乗せてあげるから。」
私 「だって今日、学芸会でしょう。合唱に出るのだよ。」
母 「そんなのいいのよ。どうせ最後の方に呼ばれたんだから。
少し先生を困らせてやろう( ゚皿゚)キーッ!!」
私は、遊具の馬に乗れるため学芸会をサボってしまったのです。
4年生(昭和23)の学芸会ではスケアダンス(フォークダンスの
一種)にでることになりました。私は、休み時間も体育でもスケア
ダンスをやらされていたので、出たくないと思っていました。
そのことを父に話すと、
父 「男と女が手をつないで踊るダンスなど出なくていい
」
とのことです。翌日、担任に父も反対ですので、私もでません
と報告すると、何故か、担任は素直に認めてくれました。
「男女7歳にして、席を同じゅうせず」という考え方で育ち、
また、教育してきた父ですので分かるような気がしましたが、
母の行為や態度はかなり問題があると今でも思っています。
[注釈] 「オンリーワン」より「ナンバーワン」の教育をめざした
私の母親は、合唱の美しさなどよく分からなかったのです。
また、分かろうともしなかったようです。合唱より独唱を優位と
考えていたようです。一月前に故人となった兄(長男)は、声が
綺麗だったので学芸会ではよく独唱に出たということが分かり
ました。そのことを聞き、母のこだわりが分かったような気がし
ました。明治生まれの母の時代は「生きること」「子育て」が
人生の目的であり、趣味、娯楽、旅行などは遠い世界だった
のです。
なお、戦後直ぐの、何のレクリエーションもない時代でした
から、男女が一緒に踊る「スケアダンス」は瞬く間に広がって
いき、当時の文部省も国の施策としてフォークダンスを各都道
府県の教育委員会を通じて広めてきたわけです。
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