学校教育

平均点の比較 引き算だけでいいのかい!

学力テストで学校・学年・学級間を比較することがあります。そして、他と比較して

1点でも2点でも高ければ安心し、若干優越感を持ちますが、逆パターンの場合は

自分の指導力の不足を嘆き焦ります。

しかし、平均点だけで比較してよいのでしょうか。

実は統計学で「平均値の検定」という考えを学びました。要するに、優れているの

か劣っているのかを検定するのです。

例えば学力検査の場合は次の公式を使います。を参照。

http://www.aoni.waseda.jp/abek/document/t-test.html

学力テストの場合、母平均が50点。母分散が10としていますので、

Z=(ある集団の平均点-50)×(その集団の人数)の平方根÷10

有意水準5%であればZの値が+1.96より大きければ優れているといい、

-1.96より大きい(絶対値が大きい)ければ劣っていると判断します

算数の自分のクラス(40人)の平均点が51.2であった場合はどうでしょうか?

Z=(51.2-50)×ルート40÷10

 =1.2×6.32÷10

 ≒0.76

即ち -1.96<0.76<+1.96ですから、差がないと判断されます。

優れていると結論づけるには53.11以上の平均値であり、逆に46.89以下であ

れば劣っているといえるのです。果たしてそうなのか計算してみて下さい。小生は

71歳になって少々ボケていますので確かかどうか疑問ですよ。

貴方のクラスや学校はどうなのか有意差検定をしてみては如何ですか。

なお、二つの集団の「平均の差の検定」はを参照して下さい。

http://www.tamagaki.com/math/Statistics612.html

今回は硬い話になりましたが、学力テストの平均値を比較する場合は、正しい

判断基準に基づいて結論づけなければならないということです。

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実技研修会は 活発ですか!?

どの学校も校内研修会といえば、研究課題に則っての授業研究や指導過程・指導

法などの内容が多いと思います。しかし、それらの研修はなかなか身につきません。

長い間、研究推進に関わってきた私は年度の研修計画を二本立てにしました。

一方は研究課題の推進と他方は現職教育の一環としての実技研修会です。

実技研修会の内容を一部を紹介します。

国語・・・・習字の基本、筆の扱い方、永字八法など。

理科・・・・実験器具の自作と器具の扱い方 プレパラートの作成技術、顕微鏡の

     正しい扱い方、星座盤の作成とOHPの利用、標本づくりの簡便法、

     試薬の作り方など。

音楽・・・・トライアングル・タンバリン・カスタネット・大太鼓・小太鼓の正しい打ち方、

     リコーダーとタンキンク゜指導法など。

図工・・・・絵の見方、版画の技法、透明画法と不透明画法、遠近法など。

体育・・・・マット運動の基本と発展運動、簡単な組体操、スキー・スケートの技術

     初歩的な水泳指導の手順、ハードルの配置と走法、跳び箱とマットの連動

     準備体操・補強運動・整理体操の内容、正しいラジオ体操、スタートの仕方

     楽しい球技運動、棒体操・ボール体操(手具利用による)の種類と内容、

     鉄棒の段階的指導など。

その他・・・新しい教具の使用法、黒板の利用と消し方、黒板消しの使い方、

     ムチの使い方、放送器具の取り扱い方、パソコンの使い方、救急法など。

講師は教科サークル(小・中・高校)員や関係機関に働きかけ、僅かな謝礼で済む

人材を選ぶ必要があります。

また、時には旅費・講師料として予算化できればそれに越したことはありません。

実技研修は教員一人一人の実となり肉となるものですので、蔑ろにしていけないと

思うのです。

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イエロー・シャワー

11月4日の朝。こんな光景を見ました。

Photo

向かいに位置する幼稚園の園児達がイチョウの落ち葉で遊んでいるのです。

Photo

落ち葉を集めてお互いにブッケごっこをしています。

Photo_2

この幼稚園では、「体」「知」「心」を教育目標に掲げ、自然の中での教育活動にも

力点をおいています。この喜び勇んで遊ぶ園児達の姿は実に微笑ましいものが

あります。

園児達はこのような自然の中で、心も体もすくすくと伸びていくような感じがします。

《昨日は友人3夫婦と札幌の奥座敷にある定山渓温泉で1泊してきました。

従って、14:00にブログを更新したのです。応援のクリックくありがとうございます!》

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保健室 格差の縮図?

ある新聞にこんな記事が載っていました。

家計が苦しいため病院に行くのを我慢し、学校の保健室に駆け込む子供

が増えている。道立高校で経済的理由から授業料を免除された生徒の割

合は昨年度、過去最高の15.5%。生活保護で授業料分が支給される生

徒を合わせると、5人に1人が困窮状態という。保健室で接する養護教諭

は、生徒間に学力だけでなく健康面の格差も広がりつつあると心配してい

る。

この記事に首を傾けるのは私だけだろうか?

子どもが朝から熱を出しているのに、

「学校へ行って、保健室で寝ていなさい!」とい姿勢の保護者が結構いるのです。

要するに、勤めを休んで看病するのを拒んでいるのです。学校を託児所の延長的

に考えているようです。

経済的理由で薬が買えないというのは嘘。だって携帯電話を持ち歩き頻繁にメー

ルをしている生徒達なのです。床屋へ行かず美容室へ行く子ども達。しかも、夜遅

くまでTV・DVD、ゲームをして寝不足。おまけに朝食もとらずに登校する生徒の多

いのが実態なのです。

しかも、定員割れをしている高校の多いこと。小・中学校の全国一斉学力テストで

ワースト2の北海道。そのような中で自らの健康管理に留意する生徒がどれほど

いるでしょうか。

いずれにしても「保健室は格差の縮図」という見出しは眉唾ものです。

学校現場は実態を把握し、時には「北風の教育」も必要であると思うのです

戦中・終戦直後の生活体験をした私から見ると、生活保護などの公立学校の就学

援助策によって、授業料は免除、虫歯や中耳炎等の指定された病気の治療費も無

料、給食費や修学旅行費も支給されている実態であるにも関わらず、薬を買う金が

ないという報道は、真実を報道していないように思うのです。

保護者の養育姿勢について反省を促すような報道であって欲しいと願っています。

この内容に対して、若い人からは反論があると思うのですが、過保護・放任主義

で育てられた子どもの姿を知っているだけに、老婆心ながら子育てに対して一言

申したのです いつも応援のクリックありがとうございます!

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労基法と退勤時刻

青森市内の学校を参考にして出来上がった勤務時間の割り振りはこうです。

休憩は授業終了後に一斉にとる。休息は職員をA、Bの2チームに分け、Aチーム

が休息をとっている間、Bチームが子どもの指導や安全管理に当たること。

その代りBチームは職員出勤時刻より15分遅く出勤しても良いことになり、午後

の休息は休憩時間後にとることになったのです。

問題は実働7時間30分後に退勤していた従来の勤務が、8時間45分後に退勤と

なったのです。

                 従 来       改 定 後

     ○出勤時刻     8:30        8:30

     ○退勤時刻    16:00       17:15

この改定により、45分間の休憩時間を自由に使えるようになったため、買い物や

一寸した用事をたすことができるようになったし、この時間を利用してスポース愛好

者による職員体育(主にバスケットとバレー)をすることができたという利点はあっ

たのです。

しかし、汽車通をしている教員は、汽車の時刻との関係で帰宅時刻が8時過ぎにな

ったとぼやいておりました。

現在、給食指導終了後に休憩時間を設定している学校が多いようです。

しかし、子ども達が遊んでいる昼休み中に教員が休憩をとっていて、もし、その間

に子どもが怪我や事故に遭遇した時はどうなるのでしょぅか。

当然、保護者から安全管理面をないがしろにしていると非難され、説明責任も問わ

れるわけです。また、時には裁判問題にまで発展しかねません。

従って、子どもにとっての昼休みを教職員の休憩に当てることは、危機管理意識

からみても問題がありそうであり、法的にクリアできるのかどうか疑問に思うので

す。

いずれにしても、職員の勤務時間の割り振りは、校長が定めることになっているの

ですが、なかなか難しい問題です。

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労基法違反だ! 是正せよ!

教職員の勤務態様は労働基準法に違反するので速やかに正すこと!との指導

が新しく赴任してこられた教育局長からあったのです。

この局長は道消防長から栄転した人物で、学校現場を全く知らないのです。

当時(昭和43年頃)の勤務実態は、45分の休憩時間を勤務終了後にとり、午前・

午後各15分の休息時間を勤務の前後に割り振ってきたため、実働時間

7時間30分。

本来なら勤務時間が8時間45分で休憩時間はお昼休みが一般的なのです。

しかし、学校ではその時間が給食指導の時間であり、担任は全員教室で子どもと

共に食べ、指導にも当たるわけです。

局長の見解に対して北海道教職員組合(略:北教組)の関係支部は、教職員の勤

務は労基法に馴染まないとの考えで猛烈に反対したのです。

しかし、地区校長会会長の要職にあり指導的な立場にある本校校長が、私に調査

研究をしてくれと依頼したのです。

当時、この問題に対して先駆的な取組みをしていたのが青森県とのこと。

この情報を得た私は、たまたま全道教研函館大会で『器械運動の段階的指導』に

ついて発表者するため参加しておりましたが、途中から分科会を抜け出し青森に

足を延ばしたのです

青森市教育委員会の紹介で長島小学校と合浦小学校を視察。宿直の先生から説

明をうけたのです。

夜の9時半近くの連絡船で青森港を発ち、その後、函館駅前の簡易ホテルで仮眠。

翌日、帰校するなり校長に報告。

校長はその報告内容にしたがって、本校の勤務時間の割り振りの原案を作成する

ように教頭と私(31歳)に指示したのです

                                            (つづく)

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模範演技を失敗 研究授業で

「器械運動の段階的指導」という研究テーマで研究授業をした時のことです。

足掛け上がりの授業です。鉄棒は得意中の得意ですので、先ず、模範を示そうと

しました。

ところが、鉄棒のバーに足を掛けることができないのですcoldsweats02。これまでにそのような

ことが一度も無かったものですから凄く慌てました。再度試みたのですが、やはり

失敗です (A;´・ω・)アセアセ。

全校の教員が見ています。失敗の原因は太り過ぎと腹筋の衰えなのです。

急遽「先生は失敗しましたが、皆の中で出来る人はいませんか?」と問うと、数名

の子がB君が上手ですよ!と言うので、模範演技をしてもらいました。

さて、放課後に授業についての話合いがもたれ、指導段階・指導内容が適切かど

うかの検討に入ったところ、年配のT教師が

今日の授業で先生が意図的に失敗し、子どもに模範演技をさせたことは素晴らし

い指導技術ですgood。子どもの意欲をどう高め・・・・・・・。」と褒めるのです

このT先生のコメントが何時までも脳裏に焼きつき、子どもの力を生かして授業を

進める方法を身につけたのです。

その一例は、ピアノが下手であるにも関わらず、3年・4年各6クラスに音楽専科

して3年間教えたのです。勿論、ピアノの上手な子を有効に活用するばかりでなく、

伴奏用テープを使っての授業です。

授業参観日には、全てのクラスに対して音楽の授業を公開しました。しかし、保護

者の誰一人としてクレームをつける人はいませんでした (v^ー゜)ヤッタネ!!

小学校の教師は8教科を教えるのが一般的ですが、全てが堪能ではありません。

時には、子どもの力を借りることも必要ではないかと思うのです。

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神経質な校長に学ぶ

毎週月曜日は全校朝会です。児童数11,000名近くですので体育館に集合する

まで結構時間を要します。全校児童が入場を済ませると壇上にいる週番(1週間、

校内の生活指導をする仕事)の先生が、号令をかけて整列・静粛にさせるのです。

ところが、整列・静粛になった後、校長が登壇し児童が一斉に礼をする間合いが上

手くないとのことで、校長はイライラし週番の先生や生徒指導部の先生に苦情を言

うのです (`ω´*)oプンスカプンスカ!!。

ある時、校長が提案。私が壇上に一歩上がったと同時に、「休め」の姿勢から

気をつけ」の姿勢になり、演台の一歩後方に立ち、その後一歩前に出ると同時に

挨拶をするという具合にしたいので、子ども達に指導して下さいとのこと。

校長の要望に従って、次週の全校朝会でこの行動様式を数回練習したところ、

見事に統制できたのです。この方式が定着するまでやり直しがかかったのは2,3

回のみでした。

この方式は先生の号令が無くても規律ある行動がとれるわけです。早速、私は自

分の教室でこの方式を採用してみました。

即ち、私がドアを開けて一歩教室に入った段階でクラスの全児童が「起立」し、教

卓前に止まり、一歩進んむと同時に礼をするのです。もし、この約束事が守られな

い場合は一旦廊下に出て、またやり直すのです。

数回すると見事に定着し、授業始めの構え(静寂・集中)ができるのです。これも、

神経質な校長の助言のお陰です。

教師の一挙一動(イッキョイチドウ:ちょっとしたふるまいや素ぶり)も教育の一つな

のです。恐ろしいものです。

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子どもにレッテルを貼る?

とかく教師は子どもにレッテルを貼りがちです。もの覚えのよい子は何でも出来る

との錯覚を持ったり、知的理解の遅い子に対しては、”あの子なら無理だ”とか

”どうせダメに決まっている”と決め付け、授業中にお客さん扱いにしがちになりま

す。

そして、無視されている子どもも”どうせ俺は、何をやってもダメなんだ”とか

”私はどうせダメ人間だからなあー!”と自尊感情(自尊心)を失い、何かと問題行

動を起こしがちになっていくことが多いのです。

しかし、そのような子どもであっても、何らかのきっかけで意欲的になるものです。

5年生の社会科『日本の工業』で、小麦の輸入相手国を学習している時です。

最大の輸入国であるアメリカ合衆国について、世界地図のどこに位置するかを聞い

たところ数名の子しかできません。ところが、ブラジル、オーストラリアについては

唯一人M君のみが挙手。

M君は授業中に殆ど手を上げない子です。どうせ当てても間違っているに違いない

と思いつつ指名すると、正しい位置を当てたのです。

私  「凄い!本当にここなんだ!どうして分かったの!?」

M君 (ニヤニヤしながら返答なし)

私  「ねー教えてよ!一寸してテレビ視て分かったの!?ねー、ねー!」

M君 「うん!」

私  「もしかして、兼高かおる 世界の旅 でないかい?」

M君 「そうだよ!いつも視ているよ!」

授業中のこのやり取りを聞いていた他の児童は、驚いて凄いな!との連発・・・・。

このブラジル事件からM君は「地図の王様」との異名をとり、地理に関することは

M君の右に出る者がいなかったのです。

そして、M君自身も学習に対して意欲的になり、おまけに表情も明るくなっていった

のですから不思議です。なお、M君は放映された国や町を地図で確かめたり調べ

たりしていたそうです。

一人一人の子どもには、大なり小なり隠れた能力・才能があるわけですので、誤っ

たレッテルを貼ることは慎まなければならないと強く思ったのです。

[注釈] 「兼高かおる 世界の旅」は1959年(昭和34)12月13日から1990年

(平成2)9月30日にかけて30年10ヶ月の間、毎週日曜日の朝にTV放映された

紀行番組で、取材した国が150カ国に及んだのです。

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こんなに優しい子とは!

      夜寝ていると/ ダダダダ・・・・・・・・と何かの音がする。

         まだ寝ぼけている僕/電気がついている

           ダダダダ・・・・とミシンの音がする。

        寝ぼけながらも/「うるさいな」と言おうとした。

       よく考えてみると/ミシンを使えるのは母ひとり。

              母がまだ内職をしている

       それを考えると/「うるさい!」という気持ちがなくなり

              「おれ、寝ていていいのかな」

              「おれ、手伝ってやろうかな」

               と思いながらも寝てしまう

           また、ダダダダ・・・・・・・・と聞こえてくる。

これは野球好きな6年生のB君の詩です。酒好きなお父さんは材木工場の工員。

狭い町営住宅でお母さんが内職をしながら家計を助けています。

疲れきった顔で授業参観に来る母。個人懇談の折に、この詩を読んでやると、

目を潤ませながら「家の子にこんな優しいところがあったのですね!」と言い

「本当に素晴らしい子ですよ!」と私が応じると「もっと頑張らなくちゃ!」と呟く母。

1968年(昭和43)で、まだ生活保護という言葉を知らない時代。木造長屋で雨漏

りのする引揚者住宅で頑張っている親達だったのです。

いつもひもじさを感じていたため、ハングリー精神が向学心に結びつき、M君は国

立室蘭工業大学へと進学したのです。

現在、国段階で高等学校の授業料を無償化する方向で検討されておりますが、

「やる気」「元気」「本気」で国の基盤を支えていく若者に育って欲しいと願うのです。

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転校生の心情

これは6年の2学期に転校してきたT子の作文です。

北見の駅から札幌行の汽車に乗る。見送りの人達でホームは一杯だった。

これから行くところはA町だ。北見からは随分遠いけれど頑張らなくては。

私は引越ししてから十日ばかりの間、札幌で過ごした。A町に来た時、何

か随分静かだなぁと思った。

学校へ行く時、とても嫌だった。しかし着いて見ると、学校の大きさは前と

同じぐらいで二階があるのかと思った。今度入る教室へ案内された。

そうすると何だか親しげのある教室だった。皆も一度どこかで会ったよう

な人達ばかり。何だか嬉しくなってきた。

その日は、皆よくしてくれた。私もだんだん居心地がよくなってきた。明日

も学校に来るのが待ち遠しくてたまらない。

今は、友達も沢山できた。学校の決まりなども分かった。でも、分からな

いことが沢山ある。それを分かるように努力する。

この町に転校してきて、私達の学級を見て、とても良いことだと思ったこと

がある。それは、クラス皆が仲間だということだ。

北見にいた時は、皆から嫌われていた人がいたが、この学級は嫌われる

人もないし、仲間はずれにする人もいない。とても明るいクラスだと思った。

そして、その後にこんな詩を書いているのです。

あっ 夕焼けだ。  薄暗い空に 太陽が沈んでいく。

大きく、真っ赤になって沈んでいく。

ずっと見ていると、故郷のことを思い出す。

行ってみたいなぁ。

友達はどうしているかな。先生は何をしているだろう。

太陽はもう見えない。

真っ赤な夕焼けが 静かに広がっているだけだ。

私は転校生に対して凄く気をつかうのです。その訳は下記のブログに書きました。

http://kyoikuchou.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-514d.html

現役時代9校の小学校に勤務しましたが、転校生に対する接遇の仕方は変わりま

せんでしたし、教頭・校長になってからも先生方へ強く指導したのです。

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教師の一言が 呼び水

雪虫が飛び交い色とりどりの葉が舞い降りる季節を迎えましたが、この時季になる

と必ず思い出すことがあるのです。

久しぶりに早めに出勤すると、前庭で子ども二人が竹箒で落ち葉を掃いているので

す。私のクラスの女子です。

私  「お早う!お、おゝ!落ち葉を掃いているのね!どうしたの?」

児童 「公務補さんが大変そうだったので、お手伝いさせてもらっているのです。

   先生見て、こんなに集めたのよ!」

私 「本当だ、凄いね!今度、先生もしてみようかなー!?」

児童 「そうしよう!そうしよう!嬉しいなー!」

さて、6年竹組の「朝の会」です。

私  「今朝びっくりしたことがありました。とても嬉しいことがあったのです。何だ

   と思いますか?実は校舎の前で落ち葉掃きをしている子どもがいたのです。

   しかも、このクラスの人です。誰だと思いますか!」

児童 「へえー!だーれ!教えて!」

このようなやり取りの後、

「皆が喜ぶようなことを見つけて実行する人は素晴らしい人です。今日は、朝から

大変嬉しいので良い一日になりそうです。Hさん、kさん、ありがとう

とコメントしました。K子は

「褒めてくれてありがとう!わあー、嬉しいな!」と明るい声で言うのです。

この出来事を契機に、家から箒を持ち出し落ち葉掃きをする子や、児童用の机・

椅子に少し顔を出している釘を打つ人、玄関で外套についている雪を払ってやる

人など、自主的な「善行の輪」が広がり、それが他のクラスにも波及していったので

す。

教育とは恐ろしいものです。教師の一寸した言葉や投げかけが、多くの教育効

をもたらすとは・・・・・・(v^ー゜)ヤッタネ!!

私のこの経験は、その後の教育実践に役立っていったのです。本当に子どもから

学んだことの一つなのです。

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「やんちゃ坊主」な先生

今思うと、何と無分別・無頓着・型破り・ガキのような「やんちゃ坊主」の教員であっ

たかと恥ずかしくなるのです。

それは職員会議中に同僚の教員とこっそり囲碁を打ったということです。

何故そのような馬鹿げた行動をしたと思いますか?

実は、月末に開かれる定例職員会議では、行事予定の他に校務分掌(学校運営

に関わる指導や仕事・事務の分担)毎に提案事項の説明や質疑が行われるので

すが、発言者は各部長や学年主任が中心だったのです。

私は、まだ28歳でしたので要するに無役の一般教員。しかも、いつも発言を独占し

ているY教員が、職員会議時間の半分以上もしゃべり続けるのです。

Y教員は話術に優れ、最初に話した内容と最後の結論が異なっていても、聞き手

は「どこで」「どのように」矛盾した論議にすり変わったのかさえ分らないのです。

ですから、彼が発言した時、最初の内容をメモし最後の部分を聞くと、本音の部分

が理解できるわけです。

このようなことから、大部分の教員は採点業務や子どものノートの点検など、教育

事務をこっそりしているのが実態でした。

私は、採点業務を休み時間等に済ませていましたので、職員会議中の退屈さをま

ぎらすために、隣の男子教員との境に丁度手頃な高さになるように工夫して碁板

を置き、会議の始まる少し前から打っていたのです。

碁板は職員室の正面に座っている校長や教頭から見えない位置ですので、話を聞

いているふりをしながら、相手が碁石を置くとちらっと盤面を見て、次の手を考える

のでした。

私達2人が碁を打っている姿の見える教員は、目配せで「止めろ!」と注意してい

るのも分っていましたし、近くの先生方も小さな声で「止しなさい!」と言うのですが

それを無視してやり続けたのです。

これが28歳になる教員とは・・・ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

職員会議が終了し、5時15分の「職員終会」の後、碁石を並べて盤面を数えている

と、校長が側に来て、

ヘボ碁は止めれよ!」と一喝

人を射るような鋭い眼光にふれ、ただ一言「はい」と縮み上がって言う私だったので

す。

この一喝後は、一切、会議中に不真面目な行動をとることがなくなったのですから、

ヒゲをたくわえた当時の校長の威厳は、たいしたものでした。

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子どもの指摘に 脱帽

授業中のことです。S子が大きな声で

先生!カマちゃんにあててあげて!手を挙げているよ!」と言うのです。

驚きです。カマちゃんは友達と争そったことのないほど気が優しい男の子ですが、

残念ながら知的理解が遅いため、学級内では「お客さん」的存在だったのです。

そのカマちゃんが挙手をして発言の意欲を表しているのに、そのことに気づかない

私でした。

「ご免ご免!気づかなくてご免ね!では、カマちゃん!」と指名すると、カマちゃん

が正解を言ったのです。それを聞いていたクラスメイトが一斉に拍手をすると、

カマちゃんは満面に笑みを浮かべているのでした。

S子はカマちゃんの近所なので遊び友達だったのですが、思い遣りのあるS子が

何かとカマちゃんにアドバイスしていたのです。

この出来事があってから、カマちゃんは授業中に恐る恐る質問する姿が見られ、

私や友達に褒められ少しずつ変容する姿が見られるようになったのです。

1学期末の授業参観後の懇談会で、カマちゃんの母親が

「先生や学級の皆さんのお蔭で、息子が学校が楽しいと言うようになったのです。

本当にありがとうございます!」と他のお母さん達にお礼を言ったのでした。

教育とは恐ろしいものです。たった1回の発言をきっかけにして、仲間や教師の励

ましにより、子どもが変容していくとは・・・・・(v^ー゜)ヤッタネ!!

それにしても、S子の指摘がなければカマちゃんを変容させることができなかった

のです。私はS子に脱帽です。

「これからもいろいろと教えてね!」と言うと、S子も満足そうに微笑み、学級のため

により建設的な意見を述べたり行動をとるようになっていったのです。

教師も「子どもに学ぶ」姿勢が大切であることを言いたかったのです。

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『福祉の心』って?

北海道のある町に道立福祉村というところがあり視察する機会をありました。

この施設は、可なり重度の障害を持っている方々が共同で生活している所です。

障害に応じて、自分の出来る仕事をしていました。

ペンダントを作ったり、葉書の印刷をしたり、木工作品づくりなどいろいろな仕事を。

私は、仕事中のある20代の青年に

「貴方は、体のどこを患ったのですか?」とお聞きしました。彼は、口も少しマヒして

話すのが不自由でしたが、

「私は、4年前まで会社に勤めていましたが、交通事故により脊髄をやられてしま

いました。物をつかむのが一番苦労します。」とのこと。

それを聞いて、私は交通事故の恐ろしさを改めて認識しなおしましたし、不自由な

体でも一生懸命努力して生きている姿に、言葉では言い表すことのできないほどの

感動を覚えました。

また、自分が五体満足であることに感謝し、もっともっと努力しなければならないよ

うな気になりました。

施設の中には、立つことも出来ず、体全体で這っている人もいました。その人は、

小さい時に、脳性麻痺を患ったそうです。

私は、ハンデーを背負いながら精一杯生きている人達の様子をビデオに撮って

教材化し、道徳の時間を利用して、「福祉の心」とは何かについて考えさせ、時に

親子で共同視聴し、その後に話合いを持つような教育活動があってもよいと思う

です。

また、総合学習の時間を活用して福祉施設を見学したり、障害の擬似体験を通し

て相手の気持ちを思いやる心などを育てることが大切と思うのです。

「福祉の心」は、ハンデーを持っている人達に対する大人の偏見を先ず正すことが

大切であり、学校と家庭の両方から指導することも重要と思うのです。

皆さん、「明日は我が身」と思って考えてみては如何ですか!

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障害者に対して 何だその態度!

ここに三つの実話を紹介します。貴方はどう思われますか?

<その1> 小学3年生の知的障害の女の子が、スクールバスの停留所まで母と連

      れ立って来る途中で、登校する他の学年の小学生から指をさされ、あざ

      笑われ、罵られることが続いたそうです。お母さんもその子も、心では泣

      いてしましたが、歯を食いしばって我慢したそうです。

<その2> 小学校6年生の自閉症の子が、下校時、バスに乗るときに定期券をき

      ちんと見せず、運転手の注意に従わなかったことから、途中の停留所で

      襟首をつかまれて無理に降ろされ、迷い子になったそうです。

<その3> 美術館で、若いお嬢さんが私を見ています。じっと見つめています。貴方

      私を「絵」の題材になさるおつもりですか。

      歩行者天国で、不思議そうな顔をして見る人。お前なんか、家でおとなし

      くしていろと、言いたそうな顔をして見ている人。貴方達と一緒に歩きたい

      だけなのに、私、そんなに邪魔ですか。と脳性マヒの子の訴え。

世の中の、どこの親も、我が子がすくすくと成長することを願って子育てをしていま

す。また、してきました。赤ちゃんの時は、「這えば立て、立てば歩めの親心」という

言葉の通り、その日その日の成長を楽しみにしていたわけです。

しかし、時に病に罹り、熱に冒されたり、あるいは事故に遭遇し、脳性麻痺や知的

障害を患ったりもします。あのノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんの長男

「光」さんも、病で知的障害になってしまったわけです。

また、現在びんびんと元気でいても、一寸した不注意で交通事故に遭い障害を持

った子もおりました。

中学校の先生であった星野富弘さんはクラブ活動の指導の時、空中転回の模範

演技で失敗し頸髄を損傷し手足の自由を失い、生きる希望も失いつつも、その中

から這い上がってくる苦難の道を『愛 深き淵より』に記されております。

新版 愛、深き淵より。 Book 新版 愛、深き淵より。

著者:星野 富弘
販売元:立風書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

どの人も自分が好きで障害を背負ったわけではありません。

しかし、自分のハンデーを乗り越えて、血の滲むような努力

によって生きているわけです。それなのに、周りの健常者?

の態度によって、随分悲しい思いをしたり、つらい思いをして

いるのです。学校でも家庭でも「福祉の心」を育てなければな

りません。

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大木になーれ!

コメントで「赤松の大木」があるとの情報をいただき、家から徒歩20分足らずの現

場に来ました。月に2,3回ウオーキングで近くを通るのですが、今まで気づかなか

ったのです。

特別探さなくても歩道のすぐ脇に威厳を保つかのように聳えているのです。

Photo

公園の主のような顔をして子ども達を見ているようです。

「わんぱく公園」と名づけられています。Photo

Photo_9

金曜日の午後4時頃です。数名の児童がボール遊び。

Photo_2

道路を隔ててすぐ正面が「平岡公園小学校」です。約600人の児童数で18学級だそうです。

Photo_11

何やら相談をしている子ども達。

Photo_12

この突き当たりが「平岡公園」で東京の小石川にある東大の植物園の数倍も広い

公園で、野球場、テニスコート、遊具施設、散策路などが整備されているのです。

Photo_13

右手に学校、左手は「わんぱく公園」です。歩道はインターロッキングで街路樹は

ソメイヨシノ(桜の木)ですので、この路は「はるの路」と名づけられております。

この学校、開校15周年と歴史の浅い学校ですが、素晴しい教育実践をしているこ

とがホームページで伺うことができます。

このような環境の下で学ぶ子ども達は、正門前の赤松のように大地にしっかりと根

を張った人間に育っていくのではないかと思ったのです。

画像の挿入に失敗!CPのトラブル発生!最初のUPは登録したのに消去です。

PC依存は恐ろしい結果を招くことの警鐘でしようか? (# ゚Д゚) ムッカー

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父兄会×、父母会×、保護者会○ なぜ? 

全国どこの学校でも学期に2回程度、授業参観後に懇談会が開催されますが、

この懇談会の名称が問題になってきたのです。

父兄会」という名称は昭和40年代頃まで使われていたようですが、「男尊女卑

(ダンソンジョヒ:男を尊び、女を軽視する考えや態度)であるとの指摘から、

父母会」と変わりました。

しかし、離婚家庭が増加し父子家庭や母子家庭の子が目立つようになったり、

祖父母が親代わりで養育するケースも増えてきました。

従って、そのような家庭の子に配慮して「保護者会」となってきたわけです。

また、参観日への父親の出席が少ないことから、「父親参観日」との名称で日曜

日に授業参観・懇談会が開催されてきましたが、これも母子家庭の子に配慮して

日曜参観日」と変更されてきたのです。

しかし、これも、父親が日曜日も仕事をしなければならない家庭の子に配慮して、

「保護者会」に統一されていった経緯があるのです。

このように、「授業参観」ひとつをとってもそれぞれの歴史があるわけです。

さて、今後はどのように変遷するのでしょうか?

まさか、インターネットやTVによるライブ中継へと・・・・・・・・・(ノ∀`) アチャー

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「子供」と「子ども」の違い

ある女教師が、『学校便り』に掲載されている私の記事を見て、「子供」と表記されて

いるところがあるが駄目であるとの指摘。理由は、「供」と言う字に問題があると言

うのです。

「供」という字は「従属させる」という意味と「目下にする」という意味もあるので、

「子どもの人権」を無視するに等しいとのこと

私は、その話を聞いて「供」の語源は分りました。しかし、新聞では「子供」と表記

しているし、ワープロやPCのワードで一番先に書かれているのが漢字表記なの

で、許される範囲内ではないかと主張しましたが、彼女は納得せず、直さなければ

教育者としての姿勢を疑うと抗議するのです。

その後、私は「子ども」と表記するようになったのですが、ある保護者が

「最近、漢字を知らない先生方が増えましたね!」と言って、「子ども」の「ども」も

漢字で書けない先生がいるとの誤解を招くこともあったのです。

学校現場ではやや偏った考え方をする人達が、漢字の使い方について神経質に

なっている傾向がありまいす。その事例を明日UPします。

なお、詳しくはインターネットで「子供と子ども 違い」で検索すとよく分ります。

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要領の悪い先生

傍から見ると非常に熱心なように見えるのですが、要は効率の悪い事務処理をし

ている先生をよく見かけます。一例を挙げるとドリル帳の○付けです。

計算や漢字などのドリル結果を短時間で○を付けることはできません。私が担任し

たクラスの子ども達は、全員○つけ用の色鉛筆を持参しております。

4人グループ内で用紙を交換して(右回り、左回り)、教師の言う解答を聞き○を付

け合うシステムです。間違って○をつけたり納得いかない場合のみ、教師が再点検

することにしていたのです。

このシステムは効率よく、他の活動に時間をまわすことができるわけです。

次にテストの○付けですが、これも実験してみて下さい。方法はこうです。

① テスト用紙を出席簿順に集めます。すると、採点結果を『教務手帳』(児童生徒

  に関する情報や授業計画などを書き込む手帳)に効率よく書き込めます。

② 集めらりれたテスト用紙の左端をホルダーで挟み、めくり易いようにします。

③ 採点は1人の用紙を全問見るのではなく、同じ問題だけを順々に見ていき○

  ×を付けます。

  これは誤答分析に役立ち、再指導すべきかどうかの判断が即座にできるわけ

  です。

④ 集約したテスト用紙の一番上に、誤答を書き込む用紙を1枚おきます。

④ 最後に1人ひとりの点数を書き、教務手帳に写します。

⑤ 全員の寸評を書きます。

⑥ テスト用紙を返すのも出席簿順に取りに来てもらい、いちいち名前を呼ばなく

  ても流れるように処理されます。

この方法の最大の利点は次の2点。

□ 誤答分析が容易である。

□ 採点時間を短くし浮いた時間で励ましの寸評が書ける。

なお、左手に指サックをすると答案をめくるのに役立ちます。この発想はソロバン

の伝票処理(確か2級以上の検定試験内容?)を思い出したからです。

いずれにしても、比較実験をしてみたら如何ですか!

右脳の開発に役立つかもね (・∀・)ニヤニヤ

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家庭学習の処理と 成績の伸び

アメリカの学習心理学者がテストの結果を教師が○を付けて直ぐ返すグループと、

解答を示し自己採点させたグループのその後の成績の伸びを比較実験しました。

その結果は、自己採点グループ成績が伸びていくことを知りました。

私は、学年初めの学級懇談会で、自己採点の導入を保護者に説明し理解してもら

ってきました。計算の答や選択肢に○をつける単純内容が主でしたが、解答に疑

問のある内容については、子どもにの問い合わせに教師が応えるという方法を採

りました。

従って、採点に要する時間を、1人ひとりの子どもに書いている励ましや褒め言葉

寸評を書く時間にあてました。ですから、翌日にはテスト用紙を返却することがで

きたわけです。

この方法は、家庭学習にも適用させました。子どもが取組んできたワークブックや

ドリル帳は、自己採点したページを開いて提出させ、教師は取組み状況を励ます

ために最低週1回は寸評を書き、その他の日は励ましシールを貼ったり、三段階

のゴム印を押すことにしました

また、個々の子どもに返却するのは、お手伝い係りが家庭学習表チエック

号を入れ、教師に代わって返してくれるシステムをとりました。勿論、このシステム

についても保護者に説明し理解を得ており、クレームがつくどころか、忙しいのによ

く取組んで下さると感謝されてきました。

学校現場の多忙さは想像を絶するものがあり、教育事務的な内容はその効率的

効果的処理方法を工夫することが大切です。そして、浮かした時間は授業づく

りに充てるべきであると思うのです。

保護者も同様に創意工夫して、我が子が積極的に家庭学習に取組むようになる

方法を見つけるべきではないでしょうか。

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学級崩壊を作らない 授業例

学級内には、教師の提示した問題の解答に随分時間のかかる子どもがおります。

教師は机間巡視しながら個別指導するわけですが、限られた時間に、個別指導の

必要な全てのこどもに対応することは困難です。

そこで私は、授業中に友達からヒントをもらったり分らないところを教えてもらいた

いと思っている子どもを名乗らせ、誰に教わりたいか(サブティーチャー)を指名し、

指名された本人の承諾を得て何組かのペアを設定しました。

ペア同士は問題解決場面で席を移動し、サブティーチャーが支援を求める友達の

側で指導にあたるわけです。

勿論このシステムは保護者に伝えておきますが、教科によってはペア同士でサブ

ティーチャーが交代することもあり、望ましい人間関係の醸成(ジョウセイ)に役立

ちました。

なお、このシステム導入の際の留意点は、

 ○問題を解ける子は望ましい子。

 ○分らないことを分らないと助けを求める子はより望ましい子。

 ○支援を求められ、それに応えた子は一番望ましい子。

と位置づけ、人間関係に配慮することが大切です。

また、支援を求められた友達がペアの相手と相性が合わない場合があります。

それでも我慢してサブティーチャーを承諾した子は、担任が一目置く、素晴しい子で

あるとの認識を持たせることも大切です。

そして、支援を求めた子も援助した子も素晴しい学習態度であることを褒めること

も忘れてはならないのです。この、このシステムは友達関係の絆を深めるのにも役

立つものです。

現在、算数・数学などの学習で1学級に2名の指導者(少人数指導にわる特別教

員の配置は学校規模による)による協力教授の形態をとっている学校もあります

が、効果は今一のところがあるように思うのです。それよりも、友達同士の教えあ

いの方がより効果的であることが多いようです。

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全国教研 選出の裏話 

各学年で算数を担当している教員で構成される新年度の教科研究委員会算数部

会が発足しました。部員7人の中で算数数学の免許状を持っている教員は、私と

分会長(学校における組合活動のまとめ役)になったA先生の2人です。

A先生は組合の仕事が忙しいとの理由で私を部長に推薦しました。ところが、私は

赴任してきたばかりであり、部会運営については素人なので一応断ったのですが、

部員の強い要望により引き受けることにしたのです。

4月末に研究主題・内容・推進方法などにについて話合いがもたれましたが、結果

的に私の提案通りになったのです。

この実践研究は校内研究会で発表する機会が得(昭和40)、その後、第15次北

教組教育研究支部集会で討議され、最終的に全道教研集会(札幌大会)で発表

する機会を得たのです。

校内では、校長以下全職員が本校の実践研究が全道的に評価を受けたことを大

変喜び、その推進役の私に対しても一定の評価をしてくれたのです。

注釈〕 北教組主催の全道教研の最終日に、各分科会では全国教研にどのレポ

ートを送り込むかを決めるため、正会員による投票が行われることになっているの

です。

ところがその前日に、分科会終了後すぐに、ある正会員が大きな声で伝えました。

数学教育協議会の会員の皆さんにご連絡します。本日○時から△△に於いて、

交流会を開催したいと思いますのでご参加下さいますようお願いします」とのこと。

私と共同発表者のA先生も会員になっていましたが、A先生のみがその交流会に

出席しました。

ところが議題は、我々の協議会から全国大会へ送り込みたい。従って、明日は誰

に投票するか打合せをしたいとのことだったのです。そして、私達が一番で推薦さ

れ都合を聞かれたとのこと。その話を聞いた私は、

「投票前の事前運動なんて汚い。研究は純粋でなければならないから、もし選ばれ

たとしても私は拒否する」

と言うと、A先生も了解して翌日に協議会の幹事にこのことを伝えたのです。

後で分ったことですが、この協議会に特定の政党を支持する会員(ある地域の一

部会員)が入会し、自分達の思想や考え方を啓発するためにこの会を利用しはじ

めたのです。そのことが分った私はその時点でこの会を脱退したのです。

なお、数学教育協議会は数概念や計算を指導する際にタイルを用いて理解を容

易にしたり、水道方式という計算体系を開発した遠山啓という大学教授が長く委員

を務めていた算数数学教育の全国的規模の研究会です。

この協議会の考え方を取り入れて編集された『わかる算数』という本は、一時期、

爆発的な人気を呼び全国各地で利用されていたのですが、各教科書会社もその

考え方を一部取り入れるようになってから下火になったと理解しております。

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北国の子のイメージと 画一化された子

北国→寒い→冬のスポーツ→スキー、スケート・・・連想ゲームではありませんが、

北国、北海道と言えばスキーやスケートを連想するのが一般的です。

その北海道に住んでいながら、スキーやスケートが出来ないとは何事か!降雪の

ため家に閉じこもりがちな子ども達をできるだけ屋外に出し、スポーツを通して強

靭な体力を育てることが大切である。ということで、本校グランドにスケートリンクを

作ることになりました。(確か1967年:昭和42年)

スキーの出来る山が近くにあるにも関わらず、どうしてスケートリンクなのか?と反

対する町民や一部教職員がおりましたが、スキーに親しむ子ども達は以外に少な

かったのです。

その理由は、山まで徒歩で約20分間、スキーを担いで行かなければならないし、

今のようにリフトがある時代ではなかったものですから、山の適当な高さまで

「ハの字」や「ニの字」(スキーを平行に揃えて斜面に対し直角な位置)にして登らな

ければなりません。上まで登ると汗だくになるのです。それを嫌ってなかなかスキー

をしようとしない傾向がありました。

従って、スケートなら市街地の中央に位置する本校のグランドにリンクを設営する

と大変便利であり、可なりの利用者がいることだろうとの予想なのです。

リンク作りの手順はこうです。

① クンリの位置と規模を設計しリンク内と淵の雪を踏み固める。

  (水漏れを防ぐため)

② 星空で氷点下の気温の日(夜8:00頃)、リンク内をホースで散水する。

③ その後、降雪があれば直ちに除雪し、また晴れた夜に散水し氷を厚くする。

このように手順は簡単ですが、寒さの中での水仕事は身体全体が凍てつくような感

じになり、ホースの後始末も速やかにしなければ凍り付いてしまいます。ですから

大変な仕事なりのです。

リンク作りは教育委員会の職員と本校の男職員の協力のもとになされましたが、

余りの寒さのため、作業が終わると近くのホルモン屋へ行き焼酎とホルモンで

毎回反省会をしたのでした。

しかし、リンクが出来ればそれでお終いというわけには行きません。

リンク内の除雪作業が残っているのです。その仕事は高学年が担当し、隔週ごと

の当番制です。ですから当番の時には、雪が降らないようにと願ったものです。

学校では、体育のカリキュラムにスケートを位置づけましたので、1校時が始まる

前に除雪する必要があったのです。当番の時は朝の会を返上したり、時には1校

時の教科指導を取りやめて作業したこともありました。

しかし、そのスケーリンクも24年後に校長として戻って来た時には既に消えうせ、

スキー学習もPTAの協力でスキーが搬出・搬入され、子ども達はスクールバスを利

用するという具合になっておりました。

更に驚いたことは、その5年後教育長として赴任した時には、スキー場の利用が

極度に少なくなり、子ども達は家でテレビ・ゲームビデオなどで過ごすことが

多いという実態だったのです。

もはや、「北国の子」=スキー、スケートという図式は成立しなくなり、画一化され

た子どもの姿が目立つようになってきたわけです。

未来を託せる子ども達にどう育てていくか」。この命題を皆で考えていかなけ

れば大変な時代になっていくと思うのです。

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鼓笛隊の指導

地の利」とは教育の場でも言えることを実感しました。

6ヶ町村の中で一番人口が多い本町は広域圏の中核的な存在であり、その中に

ある本校も必然的に教育活動の中心的な役割を担っていたのです。

その一つが、秋に行われる「A地域鼓笛パレード」なのです。近隣町村の小学校が

パレードに参加するため、普段から毎日練習を積み重ねていたのでした。

鼓笛隊の編成は、立て笛、リラグロッケン(立った姿勢で演奏できる鉄琴)、小太鼓

大太鼓の小編成が主流です。

さて、5月のある時、Y女教師から立て笛指導のお手伝いをしてくれないかとの要

請を受けました。私は、大学2年生の時に立て笛を購入し簡単な曲は弾く事ができ

ましたので快く了承しました。

本校の鼓笛隊は5,6年生の希望者で編成し、週4日間の練習です。一応、簡単な

曲を弾いてもらって審査しましたが、さすが希望するだけあってどの児童も合格。

曲目は基本的な練習曲から始まり、パレード用として『線路は続くどこまでも』『クワ

イガーマーチ』(クワイ河マーチ)『安来節』です。ところが、『安来節』は日本民謡で

すので上手くいきません。何回練習を積み重ねても間合いが取れなく苦労しまし

た。要するに『安来節』を選曲したのが間違っていたのです。

また、どの曲もタンキング奏法が難しく、指示棒が折れるほど指導に熱が入った

わけです

そして、いよいよパレードの日です。近隣町村の鼓笛隊がぞくぞくと本校のグランド

に集合し、開会式後にパレードのスタートです。

コースはグランド→JR駅→総合病院→(折り返し)→高校→グランド。沿道には多

くの町民や我が子の発表する姿を見に来た保護者、そして本校児童など大変な

賑わいでする。

本校の鼓笛隊が前を通ると、一段と大きな拍手がわきます。そんな中、子ども達

はそれに応えるかのように堂々と演奏するのです。私はお手伝いをして良かった

と満足感を覚えました。また、子ども達の感想から本校児童の「聞く耳」が育って

いることも分りました。

驚いたことに、5年後の私は鼓笛指導の責任者にまで格上げされ、指揮の仕方や

簡単なドリル演奏の指導までできるようになっていたのです。

経験の積み重ねとは恐ろしいものであることを悟った教育実践の一つです。

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教師の陥りやすい欠点 その克服

ある非常勤講師が

「担任している子どもが、スーパーで万引きをしたという情報を得たのですが、本

人が絶対に認めようとしないのです。どうしたらよいでしようか?」とのこと。

これに類した問題行動や非行は高学年になるにつれて増えてきます。このような

時、担任はその指導に頭を悩ませながら、子どものことをもっと知ろうとします。

そして、子どもが心を開いて本心を話してくれることを願いつついろいろと聞きます。

その時、次のような姿勢をとることが多いのです。

  ・結論を急ぐ     ・根堀、葉堀聞く     ・興味本位に聞く

  ・相手の沈黙を不安に思う     ・考える間を与えない

  ・原因の追究を急ぐ     ・畳み掛けた言い方をする

  ・疑いを断定する     ・事象から憶測して決め付ける

このような言動で子どもと触れ合うと、子どもは不安感、緊張感、自己防衛の壁

を築き、決して内面に秘めているものを安心して話そうとはしないのです。

私は永年の生徒指導の実践から、問題解決には先ず教師の姿勢を変えることが

大切と思うのです。これは易しいようでなかなか難しいことなのです。

待つ姿勢が基本なのです。若い先生方、たったこれだけのことですが、先ず実践

してみて下さい。

なお、子ども理解の必要性や方法、子ども理解の視点と学級担任の姿勢などにつ

いては、機会をみて後日UPしたいと思います。

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4歳の妹を連れて通学? 万引き常習犯の子が②

さて、いよいよ妹同伴によるB君の登校が始まりました。

登校初日、玄関前で躊躇(チュウチョ)しているB君をクラスメイト数名が迎えに行っ

てくれたし、同学年の先生方もB君の行動を褒めてくれたので私も安心しました。

給食は私の分のパンと牛乳などを妹にやり、私は味噌汁を多めに飲んで済ませま

した。授業時間にオシッコをしたいと言うときには、学習の理解の早い子が、当番

でお世話をしてくれたので助かりました。

実は、B君は万引きの常習犯だったわけです。彼が思い出すまでに列挙した万引

き回数の合計は、数件の店から何と数十回でした。その殆どが食べ物であり、時

々学用品もありました。

もっと恐ろしいことは、高等学校の授業料納入日に事務室の窓口近くによく出没

するので、学校側も警戒しているし、警察のブラックリストに名を連ねているとの

情報を、同じ下宿にいる事務官からもらっていた当事者がB君だったのです。

B君は、私の核心部分の質問には口を閉ざしていました。

私はB君とアンパンを食べながら、自分の小学時代の体験談を話しました。

・先生が小学生の頃、日本が戦争に負けて食べ物に大変不自由し、いつも腹ペコ

 であったこと。

・他所の畑に入ってトマトやキューリ、サクランボ、ジャガイモなどを盗んだことや、

 小さな神社の賽銭箱から小銭を盗んだこと。

・そして、2年生の時、私と同じことをしていたA君が、賽銭泥棒を先生に見つかっ

 て、全校朝会時にステージ上で凄く叩かれたこと。(昭和21年~終戦の次の年)

・その光景を見ていた私は恐ろしくなって盗みを止めたこと。

・人間は、大人になるまでいろいろな悪さをすることがあるが、悪いことと思ったら

 少しずつそれを直していくことが大切なこと。

その話をじっと聴いていた彼は、ポツリと僕もしましたと呟きました。

昭和40年代は生活保護の制度がまだなかったような気がします。兄妹登校は、

田植えと稲刈り時期に限られていましたが、不思議なことに、B君の万引き回数も

次第に減り、万引きした時は素直に私に報告するようになっていました。

B君は、好きな体育面でよく努力した結果、その後、町内陸上記録会の持久走では

3位、ソフトボール大会ではビッチャーとして優勝に貢献しました。

入学してから初めて『あゆみ』(通信箋)に、体育が『5』の評価を貰った彼は、喜び

を隠しきれず、「ヤッター!ヤッター!」と飛上がってました。

6年生になった頃には簡単な宿題もするようになり、授業中ときどき質問もするよう

になっていったのです

体育大会の貢献度から、学級への連帯意識や所属感、自己存在感、自尊感情

(自分を尊重し誇りをもつこと)が高まり、学習意欲も次第に増してきたのです。

私はこのB君の事例から多くのことを学びました。クラスの皆やB君から

教師としての生きがい」や使命感的なことを感得することができたのです。

思い出にふけりながらPCに向っております。いつもクリックで私の背中を押して

下さるお陰でモチベーションもアップしていきます。ありがとうございます!》

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4歳の妹を連れて通学? 万引き常習犯の子が①

1967年(昭和42)の3月末のことです。校長から

「先生、今度5年生の担任になってもらいますから!他の3名の先生は持ち上が

りですが、今度の5年生でちょっと問題のある子どもがいるので、面倒を見てやって

欲しいのだよ!」とのこと。

そんな訳で、私は1年生から5年生の担任にさせられたのです。

校長が指摘したB君は、欠席の多い子でした。母が子連れで再婚・再婚・再婚で3

人弟妹とも姓がみんな異なっているのです。母は飲んだくれの夫と争いごとが絶

えません。

喧嘩をした次の日は、朝食を作らずフテクサレテ寝ています。水田に水が入る時期

には、田植えのアルバイトに行くので、まだ4歳の妹の世話はB君にまかせっきりに

します。

家庭訪問しても両親に会えなく、足の踏み場もないほど乱れた部屋で、B君は妹と

テレビを観ているのです。腹を空かせていると思って、買っていった豆パンと駄菓子

を差し出すと、兄妹は実に美味しそうに食べてくれました。

B君は「学校へ行きたいが、妹がいるからどうしようにもない」と訴えました。

勿論、公立の保育所がまだ整備されておらず、私立へやるお金もないわけです。

地域に児童相談員がまだ配置されていない時代でした。学校へ来たくても来れな

い事情を知った私は、クラスの皆と相談しました。

さすが5年生です。両親が離婚し祖父母に育てられているE子が、

「可哀相だよ!私達みんなで妹のお世話をしますから、学校へ来るようにしては駄

めですか?みんなはどう思いますか?」と訴えました。

給食の時間はどうする?」

トイレに誰が連れて行くの?」

などなど、受入れに当たっての話合いが続きました。

私は、クラスの皆に仲間思いの素晴しい考えを褒めるとともに、妹同伴の登校につ

いて親達の意見を聞いてきて欲しいと頼みました。

嬉しいことに親達も賛成してくれていることが分りました。

早速、私は学年主任に、B君の家庭環境や出席状況、非行を含めた校外生活の

様子、私の考えと学級の動き、保護者の理解などを話しました。主任から教頭を通

して校長の許可をもらうことにしました。

校長はこの措置について喜んで賛同してくれました。今の時代なら、保護者が

業妨害になるとクレームをつけてくることでしようが、当時は本当に良い時代だっ

たと思うわけです。

さて、いよいよ妹同伴によるB君の登校です。一体どうなることでしょうね?

                                            (つづく)

心の通い合う事例の紹介です。いつも応援のクリックありがとうございます》

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こんな人でも先生ですか?

10時過ぎに宿直室の電話がなりました。受話器を取ると

「私はタクシーの運転手ですが、お宅の学校にSと言う先生がおりますか?」

と興奮した声で問うのです。

「おりますが、何かあったのでしょうか?」と聞くと

「あったところの騒ぎでないよ!花町通りから乗せたのですが、わめいたり騒いだり

しながら運転している私を蹴るのです!危なくて運転出来ないので降ろしました!

後はどうなっても知りませんから!こんな人でも先生とは呆れるよ!」

と事の顛末(テンマツ)を説明してくれたのです。

このS先生は「仏のSさん」というあだ名がついており、酒を飲まない時は仏のよう

に穏やかなのですが、一端アルコールが入ると豹変(ヒョウヘン)し、街中を下品

で淫(ミダ)らな言葉をわざと大声で言い続けるのです。しかも夜中にです。

幾度も町民から苦情やお叱りの言葉が学校側に寄せられていましたので、校長は

苦慮しながらもその都度S先生に注意を促すのです。しかし効果が見られません。

そのような時に、この事件です。

怒った校長は直ぐ教育長に相談し、教育長は北海道教育委員会A教育局に出向

き異動させるように申し出たのです。そして数週間後、S先生は帯広市の近くの町

へ年度途中にも関わらず異動させられたのです。

私達が勤めていたA教育局管内では、札付き教員(悪い評判のある教員)は原則

3年間?のたらい回し(順送りにすること)で異動させることが暗黙のうちに認めて

いたのです。

中には問題教員を教員定数外特別配置し、学校では担任を与えず補欠要員と

して使ったり、事務系の仕事をさせるなどして対応した事例が数件あったのです。

もし会計検査院の監査で指摘されれば北海道教育委員会も責任を負わされ、処

分問題に発展するのが明らかなのですが、北教組も含めて暗黙の中での措置だっ

たようです。

この話は昭和40年代のことですが、現在はこのように信用失墜行為は厳しく処分

されることになっております。しかし、問題解決には程遠い実態があるのです。

私は、解雇処分を含めてもっと「厳しい措置をせよ!」との持論なのです。

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夏休みの自由研究 親も悩む

私が小学校の教員であったことを知っているある親から、我が子の自由研究につ

いての指導依頼がありました。

1人は10数年間、海外生活を経験し、1学期にアメリカから帰国してきた小学4年

生で、神奈川県のある市に住んでいるのです。母親の話ではアメリカのサンディゴ

では自由研究なるものが無かったので、戸惑っているとのことです。

他の1人は、福岡から札幌へ転入してきた小学6年生からです。やはり前の学校で

も自由研究なるものが無かったとのことです。

相談を受けた私も困ってしまいました。二人とも全然課題意識がなく、何について

研究してよいやら全く分らないのです。しかも夏休みが後2週間足らずであると焦っ

ています。

そこで私はインターネットで「夏休みの自由研究」と検索したところ、科学実験、

社会科調べ学習、観察・環境調査、工作・フリーアートや自由研究の例などなどの

情報が多岐にたって紹介されているのです。

私は学年の発達段階と取組に要する時間・日数を考慮し、幾つかの例の中から

本人達に選択させました。そして、何故それを選択したのかを動機として書かせ、

帰国子女には私と協同で実験し、その過程や結果をデジカメに撮影し、結果の考

察を自分の言葉で書かせたのです。

この実験は「紙の力」というテーマーで、川に架かる橋を紙にした場合、紙の枚数

や紙の形(三角や円形)によって橋の力にどのような違いが出てくるかを調べるの

です。

材料は紙と重さの測定に使う秤とおもり代わりの鉛筆やボールペンなどです。

短時間の実験で、驚きや感動を覚えた帰国子女は、メモ帳を片手に喜び勇んで祖

父母の家に帰ったのです。

一方、小学6年生の子は迷いに迷ったのです。エコ問題に関わってゴミの分別収

集の実態調べにするか、休み中に旅行してきた北海道釧路湿原の動植物の分布

にするか、「私の夏休み」という題で新聞を作ろうかなどと迷っていましたが、結果

的に静岡沖の地震について調べることにしたのです。

私は、まさか70歳になって夏休みの自由研究について、子どもと一緒に考えると

は夢にも思っていませんでした。しかし、読み・書き・計算が上手に出来ても、自

ら課題や問題点を見つけて、その解決に意欲を燃やして取組もうとする子の少ない

ことを思い出したのです。

東京大学のある大学院教授が嘆いていましたが、ペーパーテストに強くても、卒

業論文に「何をテーマに」「どのように」調べたらよいか、全く分らない学生が年々増

えてきているという実態があるそうです。

即ち、学力低下が指摘され、「読み・書き・計算」中心の狭い学力だけを重視しが

ちな教育現場から育っていった子達の実態なのです。したがって、学校教育の場

で課題意識をどう育てるべきなのかを研究内容の一つに掲げ、取組むことも重要

であると思うのです。

また、夏・冬休み中の自由研究の発表の場を学級・学年・全校へと広げ、子ども

達の興味・関心・意欲が喚起されるような配慮も必要ですし、参考作品を学校

便りで学年別に紹介してあげる工夫も効果的であるように思うのです。

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学校へ行きたくない! 孫の言葉

小学2年生になる孫が本州から遊びに来ました。私が「どーおー学校楽しい?」

と聞いたところ、行きたくないとの返事です。その理由はこうです。

「勉強時間に何回も手を挙げているのに、先生が1度も当ててくれないの!きっと

先生はA子のこと嫌っているの!」とのこと。その後のやり取りはこうです。

私 「へえー、A子すごいねー!いつもそんなに手を挙げているのかい?」

孫 「うん!」

私 「先生が当ててくれないのね。それは喜んでいいことなんだよ!グランパ安心

  したよ!」

孫 「どうして?」

私 「それはね、先生がA子に一目置いているのだよ!A子に当てたら正しい答え

  を直ぐ言うから後回しにして、はじめはあまりできない子に当てていき、誰もが間

  違っていたら最後にA子の出番になるようにしているんだよ。

  A子が理解の早い子として認めている証拠なのだよ! 先生に認めてもらって

  おめでとう!握手、握手!」

孫 「ふーーん!」

隣でこのやりとりを聞いていた嫁に、私の失敗談を話ました。要旨はこうです。

・授業参観に臨んだある母親が、

「私の子が挙手をしているのに先生はさっぱりあててくれない。夫の勤務先の上司

の子には3回もあてているのに。エコヒイキしているので腹が立つ!」と学年主任に

訴えたこと。。

・その話を聞いてすぐ主任と共に家庭訪問をし、「奥さん、Kちゃんは理解の早い子

ですので、先にKちゃんにあてると正しい答えが返ってくることがわかるのです。

理解の早い子を先きにあてていくと、その時点で理解の遅い子が落ちこぼれて行く

ことになるのです。

学習は理解の遅い子の反応を中心に皆で話し合い、一つの結論に導いていくこと

が大切なのです。Kちやん自身も自分が理解の早い子と知っています。私もKちゃ

んに一目置いているのです。

いずれにしても誤解を抱かせまして申し訳ありません。ご主人にもお話しておいて

下さい」と告げると、やっと納得してくれたこと。

・私はこの失敗体験から、その後、どの学年の担任になっても、学年初めの学級

懇談会には、この話をして理解を促してきたこと。

以上のことを嫁に話し「A子が理解の早い子で良かったですね!さすが貴方の子

ですね!」と褒めてやったのですが、果たして嫁が納得したかどうかは分りません。

いずれにしても、担任は理解の早い子や先っ走りする子に対して、発達段階に応じ

た言葉で説明し、誤解を招くことのないように気をつけなければなりません。

そして、時には授業の終わりに、

「○○さんが発表するのを待っていてくれたお陰で、皆で考えを深めることができま

した。○○さんにお礼をいいましょう!」と認めてやる配慮も必要なのです。

このような配慮をしていると、子ども達や保護者からクレームのつくことはまず無い

と思います。

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校内実技研修会で? 

立派な図書室がある学校へ赴任してきて勉強になったことがあります。それは、図

書の補修や製本技術を学んだことです。講師である先輩のK先生は司書教員

免許取得者で、本校(小学校)ばかりでなく、隣接していた高等学校の司書教員を

兼務していたのです。

K先生は毎年、校内実技研修会で製本技術を教えていたのです。その目的は表

紙がとれかかっていたり、傷みの酷い本を補修して利用しようという意図なのです。

現在、学校図書の充実が叫ばれていますが、教育委員会からの配当予算が少な

く、良書を揃えたり、図鑑や集団読書用の冊数を揃えかねていたのです。特に人

気のある物語は傷みが酷くなり、補修しなければ表紙がとれたり、背表紙もなく何

の本なのか判別できなくなります。

少ない予算で学校図書を充実させるには、廃棄する図書を減らす努力も大切な

わけです。K先生は児童会の図書委員にも簡単な補修の仕方を教え、時には教員

と図書委員が合同で作業をしたこともあったのです。

映像文化の影響で活字離れが指摘されてから久しいですが、子どもは本質的に本

が好きなはずです。活字離れは良い本との出合いに恵まれていなかったからだと

思うのです。

教育長になってから、町内のある小さな中学校では、朝に読書の時間を設定し、実

践していましたので、生徒の要望する本を優先的に整備していったところ、読破し

た冊数も多く、全校生徒が読書日記を書くほど本に対する興味・関心が高まったの

です。そして、この実践が北海道の中学校で唯一校だけ文部科学大臣賞に輝い

たわけです。

国では、図書館の充実と読書の奨励を推進しており、それに関わる予算は地方交

付税の中に算入されています。しかし、その地方交付税が相対的に縮減されてい

る現状ですので、文科省の言っている額面通りにはなっていないのです。

まさに数のマジックであり、ごまかしなのです。

要するに、国が唱えている額面通りには予算がつかないということです。ですから、

少ない予算で充実させるためには、図書を大切に扱うことも必要なわけです。

そうした観点から、製本技術や補修の仕方などを身につけ、教育現場で活かすこ

とも重要ではないかと思うのです。

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夏休み中の学習会 

1957年(昭和32)、ソ連が打ち上げた人口衛星スプートニックによるショックから

「教育の現代化」の名の下に学習指導要領が改定され(昭和42年)、算数・数学

の教育内容に「集合的な見方・考え方」に立つ指導法が導入されたのです。

しかし、数学専攻であった私も大学時代に教わったことがないため理解できないの

です。ですから現場の中堅教員や年配の教員が分るはずがありません。

そこで、町内の算数・数学サークルが主催で次のような学習会をもったのです。

・学習内容  「集合」についての初歩的事項の理解

・期   日  8月○日~○日  1泊2日

・場   所  お寺の本堂

・宿 泊 料  無料

・講   師  数学担当教員(今春、大学を卒業した人)

・参加対象  近隣町村の教員も可

この学習会には、北海道教育委員会○○教育局指導主事も参加させて欲しいと

の要望があり、受入れました。数学担当の指導主事も分らなかったのです。

彼は後に旭川市の教育長になり、北海道市町村教育長連盟の会長を務める人ほ

ど何事にも意欲的な人物だったのです。

さて、この学習会で「集合」とは何かについて理解することができたのですが、それ

を数・量・図形などの概念形成にどう利用するのかが話題となりました。結果的に

今後の課題となったわけです。したがって第2回目以降は「集合的な見方・考え方」

について具体的な教材を例に学習することになったのです。

学習会は土曜日の午後から私の教室を使って行われたこともありましたが、やは

り宿泊学習の方が学習を深めることが出来るとのことで、その後は中央公民館の

和室を利用して行われたのです。

この学習会は管理職に言われて開催したものではなく、道や市町村教育委員会か

ら依頼されたものでもなかったのです。算数・数学の指導法を学びたいという人達

の意欲的な学習会なのです。したがって全て手弁当での参加です。ですから学習

の成果も上がったわけです。

私は、この学習会で学んだことを基にして、昭和42年度に「算数教育の中に集合

概念をどうとり入れるかに関する研究」というタイトルで町の教育振興会主催の研

究会で発表したのです。このレポートは私にとって思い出多い研究の一つでしたの

で今でも手元にあり、宝物の一つになっているのです。

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自治体の財政力と 学校教育

同じ小学校でありながら地域によってこんなに違うものかと切実に思ったことがあり

ます。それは学校給食です。新卒で赴任した田舎の学校では勤めて3年目にやっ

と牛乳給食が実施されました。

しかし、転勤してきた学校では完全給食を実施していたのです。パン、おかず、牛

乳の三点セットです。しかも自校給食ですから熱々のうどんや汁物が出るのです。

自炊で偏った物しか食べていなかった私。栄養失調に陥ったことのある私にとっ

て、今度の学校は天国のようなものです。栄養士がバランスの良い献立を考えてく

れるからです。

まだ27歳の食べ盛りのガキのような私です。年配の先生が残したパンを私にくれ

るのです。それを美味しそうに食べていると「若い先生は良いですね!私もそのよ

うな時期があったのですが!」と回顧的に呟くのです。

この頃、完全給食を実施していた市町村は少なかったのです。自治体の財政力

が左右していたのです。また、教材費や消耗品費、施設の営繕費も市町村持出し

です。ですから今以上に学校現場でも大きな格差があったのです。

まもなく64回目の終戦記念日を迎えます。

驚くほど物の豊かな社会になり多くの物を手にしました。しかし、依然として満足感

に浸れない人が数多くいるわけです。人間の欲望には際限がありません。

今を過去と比較し、願望や欲望を小さく抑える心の持ちようが大切ではないでしよ

うか。

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女子教員増の 学校現場

私の二度目の勤務校は、26学級編制で男子教員が20人、女子教員が9人の構

成でした。従って地域の朝野球大会ではA・B2チーム編制で参加しました。職場内

でも試合ができたのです。

ところが24年振りに同一校へ校長として赴任してきた時は、普通学級が18と特

殊学級(知的障害、情緒障害、言語障害)4の計22学級編制でした。児童数が半

しているのに教員の数は31人で逆に2人多くなっていのですこれは1学級

の編制基準が45人から40人になったことと、特殊学級が4学級5定員になってい

るためなのです。

このことは、行届いた教育をする上で定数改善がなされてきた結果であり、歓迎す

べきことです。しかし、女子教員が14名で5人も増えており、男子教員が17人で

は野球チームが1チームしか編制できず寂しい限りなのです。

昭和40年代の本州の学校では、1学年4学級のうち男子教員が1人という実態が

あったのですが、北海道も本州に似てきたように思うのです。男子教員が学年に1

人しか配置にならないと愚痴を言う管理職も結構いるのです。

これは、教員の採用試験に女子教員の方が多く合格するからです。筆記試験も面

接も女子の方が成績が良いのです。このこと自体は特別問題ではないのですが、

小中学校の部活動で野球やサッカーなどの屋外スポーツの指導者が極めて不足

している実態があるのです。

文武両道の精神人づくりをする時、スポーツ活動に興味を示さず、経験もない

子教員が相当数いるのです。この点を考慮して、教員採用試験選考基準

ーツ指導の可否も含めることが必要ではないかと思うのです。

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運動会で 不正を許さず!

運動会の全校種目に『鯉の滝のぼり』という団体競技がありました。松・竹・梅・桜

組の4クラス別の対抗競技です。1年生から6年生まで二列に向かい合って並び、

1年生の先頭から6年生の最後尾まで、干草の入った鯉のぼりを両手で順番に送

るのです。途中で落ちた場合は落ちた人の場所から競技を再開するルールです。

そして最後の子に(二人)鯉が到達したら、その子らが抱えながらスタート地点の前

にある台に置くとゴールになるのです。

いよいよスタートが切られました。スムーズに鯉を送りだす組や途中で数回落として

しまうクラスがあります。ところが、先頭になっていた梅組の鯉が落下しました。

二番手の松組が追いかけてきます。落下させてしまった梅組の子たちが、落下地

点から数メートル先のメンバーに鯉をつかみながら渡したのです。明らかに不正

ですが、一番速くゴールしたわけです。

途中で不正があったことを知らない梅組の子ども達は「ヤッター!ヤッター!」と

小躍りして喜んでいます。

いよいよ審判の私の結果発表です。

只今の競技の成績を発表します。梅組が一番でゴールしましたが、途中でルール

違反をしましたので失格とします。従って1位は松組、2位は・・・・・・・・。以上です」

と判定結果を告げますと、会場がざわめき、優勝した松組の子ども達が総立ちに

なって「万歳!万歳!」と叫んでおりました。

さて、2日後です。同僚のT教師が、

「先生、家内の話だけれど、一昨日の鯉の滝のぼりの判定で不正を許さなかった

先生の態度を見て、胸がスウーとしたそうだ。もし、あのままズルをした組を1位に

していたら、私は抗議しようと思っていたと興奮して言っていたよ!そして、これか

ら私は断然○○先生のファンになるわ!と言っていた。」との報告なのです。

運動会の競技に対して保護者の抗議はよくあることですが、全て判定に対する不

満なのです。審判員も人です。時には違反を見逃すことがありますが、誰がみても

変だと思うような場合は、臆せず毅然とした態度で臨むべきであると思うのです。

特に、教育現場において不正を許すような態度を示すことはあってはならないと思

うのです。

私は、その後もT先生の奥さんの言葉を大切にし、不正を憎む、不正を暴く態度

を堅持し続けてきた積りです。

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チンチンの長さ比べ 教員がスナックで

小規模学校から職員32名いるやや大規模校へ転勤してきて、学校の教員であり

ながら、よくも人前で恥ずかしい行為をするものだと驚いたことがあるのです。

それは、家庭科室で宴会を終え、二次会でスナックへ行った時のことです。

先輩の1人であるH先生がカウンターに上りズボンを下げ始めたのです。何をする

のかとはらはらしながら見ていると、下着まで下げ後ろ向きになって尻を見せ、股

の間からチンチンを挟んで見せるのです。そして、

「どうだ!俺のように出来る奴はいるか?長くなければこんな技は出来ないのだ!

」と得意顔で言うのです。

勿論、お酒に酔っているのですが、どうしたことかチンチンの長さ比べの話題にな

っていたのです。するともう1人の同僚のK先生が、

「ウルサイ!俺だって出来るぞ!」といい、カウンター上で尻を出し摘んでみたので

すが、H先生のようにはいきません。するとそれを見ていたB先生が

「長ければ良いってものではなだろう?私の見てくれ!実に立派なものだろう!」

と言って、その場で見せるのです。

すると、H先生が私を指さして「お前も見せれよ!」と催促します。私は

「自慢できるほどのモノではないので遠慮します!」と言うと、不満顔をするのです。

実は、私は呆(アキ)れていたのです。このスナックのママはまだ30代後半であり、

子ども二人が本校へ通っている母親だったのです。私が下の子の担任です。

スナックのママは商売がら、教員の馬鹿な行い等は見て見ぬ振りをしているの

す。側にいる私は、担任の親に見せてはいけない醜態をさらす仲間がいること自

体、恥ずかしかったのです。

私は中学1年生の時、小樽の祝津の浜で「チンチンに毛がはえたぞ!」と褌の横

から自慢して見せ合うことがありましたが、あくまでも開放的な浜辺であり、まだ子

どもでしたので特別違和感はなかったのですが、大の大人でしかも教員たる者が

人前でこのような行為をすることを許すことが出来なかったのです。注意してもいっ

こうに止めようとしないのです。

私は40年間の教員生活の中で一番恥ずかしい場面として今でも思い出すのです。

この出来事から37、8年経って当時のママさん(約80歳)にお会いした時に、この

話をしたところ、

「そんなことがあったかい?先生方ばかりでなくいろいろな人達が下品なことをして

おりましたよ!教育長さん、よく覚えていますね!今の時代だったら大変な問題に

なっていたでしようね!」と笑いながら話すのです

このチンチンを自慢したH先生は、それから数年して酒気帯び運転をし、停車してい

たトラックに追突し頭蓋骨陥没の重症事故を起こしたのですが、運よく一命をとりと

めたのです。しかし、それから数年してから亡くなりました。確か40代中頃だったと

思います。また、K先生は現在でもある団体で活躍しており、B先生は校長を退職

後に青少年の育成面で活躍しているのです。

こう考えると、ある場面における醜態は許されていいのではと思う方もいると思うの

ですが、教員は信頼を失ったら教育効果が上がらないのです。子どもや保護者の

信頼の上に教育が成り立っているのです。

どうぞ若い先生方、よく考えてみて下さい。

   《関係者が現在も活躍中ですので詳細に書くことができませんでした。

          学校現場にも新聞に載らなかっいろいろなことがあったのです。》

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革命勃発 夏休み中の教員は?

ある校長の話です。その要旨は

① 今年から全職員が出勤し、8時30分に朝会を始められるようになった。

② 一応15:30まで勤務時間としている。

③ 中学校は部活動で殆どの先生が出勤していた実態がある。

④ 出張扱いの研修は、出勤しなくてもよいことになっている。

⑤ 年休行使の先生方が少ないので長期休業期間中にとるよう指導している。

⑥ 勤務評定が導入されたため、勤務成績に応じて勤勉手当に違いがあらわれる

  ことも関係しているらしい。

この話を聞いて私はびっくりしました。まさに、教職員の服務革命といっても過言で

はない出来事なのです。

児童・生徒の長期休業日期間中の教職員の勤務態様にはいろいろな歴史がありま

す。教職員は教育公務員特例法第22条2により「教員は授業に支障のない限り、

本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる。」ことになって

いるのです。このことに関わって、昭和46年に北海道教育委員会と北海道教職員

組合との間に協定書が結ばれ、夏季休業期間中に於ける校外研修(自宅研修)と

独身教員の帰省が認められ、居場所と研修内容の項目のみを校外研修処理簿に

記載さえすれば、自宅にいることができた時代が数年前まであったのです。

また、海外研修も教育委員会の承認を受ければ、長期休業期間中に行くことがで

きるのです。

しかし、教員の研修の実態も地域によって随分温度差があるのです。現在、長期

休業中にも実施されている初任者研修10年経験者研修なども長期休業期間

に開催することを阻止するような指導をする組合執行部もあるのです。

そのような組合活動の強い北海道にあって、今年の夏季休業期間から全員出勤の

態勢のとれた地域が出てきたことは本当に革命的なことと思うのです。

このように書くと、世間一般から「教員は何をやっているのか?」「日教組が教育改

革のガンである!」とお叱りを受けるはずですが、それにしても人間は弱いもので

す。

今まで長期休業中にほとんど出勤することのなかった教員が、勤勉手当との連動

を意識し、これまでの姿勢を変えるとは一体何事か?と残念なのです。

難しい世の中です。ストレスの溜まる教育界です。せめて子ども達の授業がない

休業中は、堂々と年休を行使しリフレッシュするなり、日頃から時間のとれなかっ

子ども達との触れ合い活動に利用して欲しいのです。

6月中旬にポン・デュ・ガールへ行った時です。小学校高学年風の子ども達が先生

に引率されてサイクリングにきておりました。子どもと教師の共通した感動体験

ために、この長期休業期間を利用することも大切なことではないでしようか。

Photo_7

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アイヌの子の額に×印 人権問題

「アイヌ政策新法を」との新聞報道(北海道新聞夕刊:7.29)を見て、こんな事件

を思い出しました。

ある母親が顔色を変えて教育委員会へ。

「教育長に話があるのです。直ぐ会わせて下さい!」との声に圧倒された職員が、

慌てて来客を案内してきました。母親は

「教育長!学校現場でこのような事があってよいのでしょうか?」と冷静さを失っ

ています。

「とに角、お話を伺いますので落着いて話して下さい」と促され、話し始めた内容は

・学校から帰ってきた我が子を見て驚いた。額に大きく×印がついている。

・理由は、忘れ物をしてきたので担任がお前はいつも忘れ物をするダメ人間だと

 言った。

・これから忘れないようにするため印を付けてやる!と言って、油性のマジック

 ×を付けた。

・それを見ていたクラスの子がゲラゲラ笑った

・悪いのであれば頭や顔を叩いてくれた方がましである。

・皆の前で恥をかかせる行為で許せない。陰湿な「いじめ」に相当する。

アイヌの子だと思って馬鹿にしている証拠である。

                                           これは人権じゅうりんにあたる。

・この問題はアイヌに対する差別や偏見から生まれた行為であるので問題視する。

とのこと。

この事件の後、校長と担任に教育委員会へ来ていただき話を聞いたところ、この

子は小学4年生であるにも関わらず、非常に毛深く一見してアイヌの血を引いてい

ることが分かり、友達同士の喧嘩の時にアイヌと馬鹿にされたこともあるとのこと。

ところが、そのような事実を知っていながら担任は何一つ適切な学級指導をしてこ

なかったばかりか、アイヌ問題について深く考えたことがないため、ついふざけ半

分の気持ちで×印を付けたと言うのです。

この問題は、校長と担任が保護者の家庭へ出向き深謝すると共に、教育長として

校長会などを通して、人権問題の一環としてこの問題を報告し、再発防止への

指導を徹底と、北海道教育委員会発行のアイヌ民族に関する指導資料の活用を

図ることを約束して保護者の許しを得たのです。

いずれにしても、先住民族との共生に国民の理解は欠かせません。特に北海道に

住んでいる私達は、先住民族であるアイヌから多くのことを学んできたわけですの

で、学校教育の場でも適切な指導がなされるよう願っております。

同和問題とアイヌ問題は蔑ろにできない問題です。いつも応援のクリックありがとうございます》

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逆境に勝る教育なし

夏休み前の職員会議で、プール利用についてが議題の一つとして取り上げられま

した。本町にはプールが一つしかありません。しかも屋外プールで屋根なしです。

このプールの利用に関して、保護者からの次のような要望が上がっていたのです。

子ども達が折角プールに行ったのに、今日は気温も水温も低いので利用できま

せん、とプールのおじさんに言われて戻ってきたことがあるのです。わざわざ20分

かけて歩いていったのに、泳げない日だったとは、子どもが可哀相です。学校で

とか善処してもらえませんか。」とのこと。

何せ、一般家庭にまだ電話が普及していない時代(昭和40年)でしたので、子ども

達がプールの管理事務所に電話を掛けることはなかったのです。ですから何とか

子ども達に便宜を図ってやろうとの声に押されて、その方法について論議すること

になったのです。そして、まとまりかけたその方法は、

■ 日直(休暇中や日曜日に出勤し来客や問い合わせ、安全管理に当たる仕事を

すること)の先生が8時に出勤し、10時までの間にプールの管理事務所に電話

絡をし、利用の可否を聞いて、もし利用できるのであれば青旗を、利用できない

合は赤旗国旗掲揚塔に掲げること。そうすることによって、子ども達がわざわ

プールまで行かなくても、学校の旗を見て行動することになるから効果的ではな

か、と言う結論なのです。

司会の先生が「この方法で異議はございませんね?」と確認。全教職員が賛成と

声を上げましたその時です。「ちょっと待って下さい!」と私が大きな声を出したので

す。全職員が何事かと言わんばかりに一斉に私の方を見ました。

「早く発言すればよかったのですが、何か変だと思いましたので言わせて下さい。

私は小樽市出身で小学校1年から5年生まで、1週間に2回ほど海水浴に行きまし

た。片道約1時間かかるのです。ところが波が高かったり水温が低すぎて泳がずに

帰ってきたこともありました。行く前に近所の上級生が、今日は風が冷たいし雲が

出ているから、海に行っても泳げないかもしれないな!と予想して行った時は、

ほとんど泳げなかったのです。

小学校6年からは水族館のある祝津町へ転校したのですが、子ども達は空模様や

遠くの岩場の波の状態を見て、灯台の裏側は白波が立って泳げないぞと予想す

るのです。私は本当にそうなのかどうか確かめたくて、約20分ほど歩いて行って

見ると、友達の指摘の通りなのです。

このことから、私は空模様や風の強さなどから海水浴に適しているかどうかを自分

で判断する力が備わったわけです。

本校では、主体的な子どもの育成を重点に掲げておりますが、家庭や学校が子

どもに良かれと思って、何でも手取り足取り、至れり尽くせりの教育をしていって

いいものかどうか疑問に思うのです。私は、子ども達が失敗経験を通しながら主

体的なものの見方や考え方が培われると思うのです。皆さん如何ですか?」

ところが、私の発言が終わるや否や校長が、「うーん!先生の言う通りだ!私も間

違いを犯すところだった!」と言い、生活部長も「私も先生の考えに賛成します」と

言ったものですから、他の職員も私の主張に賛同してくれたのです。

子どもに苦労させないことが子どもの幸せに通ずる」との考えを持っている大

が多いように思うのですが、「逆境に勝る教育なし」(ディズレーリ:イギリスの政

治家、小説家)の言葉を噛み締めたいものです。

私は、「苦」ぬきの教育は「楽あれば苦あり」につながること体験的・実践的に

学んだ者の1人なのです。

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学校で軍隊教育?それとも北朝鮮の真似? 

20分のロングタンム終了のチャイムが鳴っています。しかし、遊びを止めて教室へ

入ろうとする子ども達が殆どおりません。5分後に再びチャイムが鳴ります。この

合図は授業開始なのです。しかし、本校の実態は、チャイムの合図で教室へ入り

学習の準備をしている子どもは殆どおりません。しかし、担任の中には、子どもと

共に遊びチャイムの合図がなり終わるとホイスルを吹き、自分のクラスの子ども達

を整列させ玄関まで誘導するのです。

このように学習への構えが学級によって随分差が出ているのです。そこで、このよ

うな実態を改善するために生活指導部で話合いが持たれました。いろいろ議論し

た結果、次のような行動をとるよう指導することにしたのです。

① 遊びに出る前には必ずトイレで用を済ませる。

② チャイムが鳴ったらその場に立ち、鳴り終わるまで静止している。

③ チャイムが鳴り終わったら、学級の体育委員が掲げる学級旗のもとに駆け足で

  集合する。

④ 体育委員の号令で整列し、整列が終わった順に校内に入る。

このような行動パターンを定着させるために、2週間の指導強調週間を設け全職

員がグランドに出て指導することになったのです。そして、5分以内に校舎に入れ

た学級に赤の布テープを渡します。体育委員が学級旗にその赤テープを結びつけ

教室の入口に掲げておくのです。

教育とは恐ろしいものです。僅か2週間にも関わらず殆どの学級にこの行動パタ

ーンが定着したのです。

なおこの実践は、当時、恵庭市(千歳市の隣)の島松小学校の実践に学んだので

す。この学校は昭和40年から47年度まで毎年継続して公開研究会を開催した

学校であり、その実践がNHKラジオの第2放送で時々取り上げられるほどの

先駆的な実践校だったのです。

島松小では全校集会の時に、学級旗を持った学級委員の下に、クラス全員が整列

して体育館へ入退場していたのです。担任は子ども達の後からついて行くだけで

十分なのです。まるで戦時中の軍事教育(兵隊さんへの教育)に間違われそうな

集団行動に近いのでが、子ども達の自主性・主体性を育てる一場面なのです。

学校を変えるということは、誰にでも分る具体的な行動目標を先ず掲げ、全職員

がその目標達成に向けて取り組める態勢をとることが大切と思うのです。しかも、

どのような状態になった時に目標が達成されたかという評価基準が明確でなけれ

ばならないわけです。

学校現場では学級間の競い合いが行われます。学級間で順位を付けるのではな

く、設定した一定の基準に到達しているかどうかという観点で評価し、子ども達の

変容を皆で確かめ合い、喜び合う仲間づくりが大切なように思うのです。

私は、チャイムの合図で行動するという実践の取組みを通して、学校づくり、学年

づくり、学級づくりの基本的なことを学んだような気がするのです。

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ランドセルで 脊柱側湾症?

PTA総会でのある会員の要望事項です。

「最近、脊柱側湾症の子どもが増加しているとの記事を目にします。これはランドセ

ルを背負うことによって成長ざかりの子ども達に現れた身体的な障害であると考え

られます。従って、教室にお道具箱を設置し、子ども達が教科書等を持ち歩きしない

で教室保管が望ましいと思われます。先進校ではそのような措置をしているそうです。

どうぞ本校でも1、2年生の子どもに対してそのような設置をして下さるよう強く要望

致します。」

答弁に立った事務局長の教頭が、

「早急に調査・検討してまいりますので今しばらくお待ち願いたいと存じます」と言っ

たのです。

さあ大変です。今のようにインターネトのない時代(昭和40年)ですので、どのよう

に調べたらいいかも分りません。結果的に私に大学へ行って情報収集をしてくれな

いかとのことです。しかし頼まれた私も困りました。仕方がないので保健体育の教

官に手紙を出したのです。

数週間して回答が寄せられました。それによると、日本保健体育学会医学学

へ問い合わせた結果、ランドセルと脊柱側湾症との関係についての学術論文

見当たらない。但し、ランドセルを背負っていたため交通事故に遭遇した際に、そ

れがクッションとなって命を救われた事例は数多くあるとのことでした。

この教授の回答を下に職員会議で検討した結果、従来通りの体制でいくという結

論を得、そのことを学校便りに掲載し保護者の不安解消に努めたのです。

なお、脊柱側湾症の中で一番患者の多いのは特発性側湾であり、現在の医学

でも原因が分らないようです。詳しくはインターネットで検索するとよいでしょう。

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会議の多さと 教員の能力差に驚く

新年度が始まってまもなく、校内でいろいろな会議がもたれました。

校務分掌部会と称して教務部会、生活部会、保健体育部会があり、教科部会

(A部会:国、社、算、理 B部会:音、図、体、家)もあるのです。これらの部会は

月初めに開催され、その月の職員会議に提案する運営事項を協議するのです。

また、学年部会(各教科の指導内容と実践状況の確認、学年行事、生活指導内容

と留意点などの協議)が毎週開催されるわけです。

1学年1学級の場合はそのような組織が必要ではなく、殆どのことは月1回開かれ

職員会議で済むわけです。また、学級に関することは全て担任に一任されてい

るのです。

このような学校に新卒から6年間勤めてきた私は、大きい学校になると何かと煩雑

だと思ったのですが、一つの決定事項がそれぞれの学級に確実に定着するとは限

らないということも分ったのです。同じ会議に臨んでいても認識や理解の度合いが

違うわけです。

学級担任の指導姿勢如何で、子ども達の活動に違いや変化が現れてくるのです

例えば

・授業開始のチャイムが鳴っているのに遊んでいるクラス

・全校朝会へ臨む際の行動や話を聞く態度の悪いクラス

・外(グランド)遊びや内(屋内体育館)遊びの決まりを無視するクラス

・給食時間の厳守と食器の後始末がきちんとなされないクラス

・掃除用具を整理整頓できないクラス

・学力検査で他のクラスに比して可なり成績の悪いクラス

・学習の構えがおろそかなクラス  などなど。

したがって、これ等の状況をどのように改善していくかが、学校として大きな問題な

わけです。このことを考えると、教員の力量とは、自分の学級のことのみを考える

学級王国的な姿勢ではなく、全校的な視点で課題・問題を把握し、改善していこう

とする意欲・態度・能力をいうのではないかと、教員になって7年目にしてやっと認

識を新たにした私でした。

やや大きな規模の学校で戸惑う私です。応援のクリックに感謝します》

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新1年生 下校時に交通事故死

5月の連休明けのことです。お昼少し過ぎにある病院から学校へ電話が入りました。

「お宅の学校の1年生のA君が、いま交通事故に遭い病院に搬送されてきました。

しかし、残念ながら亡くなってしまいましたのでお知らせしておきます」とのこと。

ランドセルに記名がしてあったので被害者はすぐ分ったとのことです。私達1年生

担任はびっくりしましたが、年配女性のB担任は一瞬真っ青になり、

「転任早々このような事故を起こしてしまって、私どうしたらよいだろう?あのチョロ

が死ぬなんて!」と戸惑うばかりです。

教頭も慌てた声で

「B先生、早く病院へ行かなくちゃ!私も行くから準備して!」と言い、タクシーを呼

びました。

教頭、学年主任、B先生の三人が病院へ直行しましたが、およそ1時間ほどして戻

ってきました。教頭は校長会へ行っている校長へ連絡し、その後教育委員会へ

に行ったのです。B先生はショックで目を腫らし説明するどころではありません。

学年主任が加害者のトラック運転手から聞いた話を私達に伝えてくれました。

A君は学校から約3kmほどある農家の子で登下校にバスを利用していたのです。

この日は、家の近くの停留所で降り、すぐバス後方から反対車線に飛び出してしま

ったのです。そこへ進行してきたトラックが避け切れずに撥(ハ)ねてしまったという

わけなのです。

学校では1年生の安全な登下校のため、2週間は先生方が分担して交通指導に

努めており、下校時にはバスに乗車していき現地指導もしてきたわけです。

にもかかわらず、このような事故が起こってしまうとは・・・・・・

学校では、早速、臨時職員会議が開かれ本日の事故の報告と再発防止のため、

各担任が学級指導を徹底することを確認しあったわけです

私は、1年生の生活指導担当でしたので、指導の手抜かりを悔い、翌日、1時間目

を学級指導の時間に切り替え、黒板に絵をかきながら道路横断の危険性について

指導しなおしたわけです。

放課後には生活部会が開かれ、交通安全指導の強化とその具体的な策について

討議されたのです。

この事故をきっかけに、本校の交通安全指導は他校から指導計画の提供を求め

られるほどの成果を収めるようになったのです。

注釈〕 昭和40年のことですから国道といえども信号機が1個しか設置されてい

ない時代でした。しかし、国道の交通量が結構多くPTAも交通安全指導に力をい

れつつあったのですが、市街地の離れた場所では手抜かりがあったのです。

現在は交通安全指導員の「緑のおばさん」が複数配置されており、登下校時の指

導をしてくれますし、PTAの方々も当番で指導してくれているのが実態です。

しかし、無謀運転や酒気帯び運転が後を絶たず大きな社会問題になっております。

何事もそうですが、特に交通事故に関して言えば学校の指導にも限界があるという

ことをご理解いただきたいと思うのです。

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大分教委の汚職事件 その温床は?

昭和40年4月中旬。前任校の校長から電話あり。内容は、私が転勤の際に教育

委員会へ挨拶に行かなかったので、教育長がカンカンに怒っている。だから

① 早急に挨拶に出向くこと。

② くれぐれも丁寧にお詫びをしなければならないこと。

③ 手ぶらは失礼だから、何かちょっとした物を持って行くこと。 

とのことです。

私は転勤早々に1年生担任であり、4月6日の入学式までに明るいムードになる

教室環境の設営や出席簿の作成、机の天板や雨具掛けに記名の貼付、入学式

当日の配布物の点検などに忙しい春休みを送っていました。

また、転出の際に教育委員会へ挨拶に行かなければならないことも分っていなか

ったのも事実です。

前任校の校長の指導を受け、早速、土曜日の午後にニッカウイスキーを片手に

教育長(旭川師範出身)の家に出向きました。玄関先に出てこられた教育長は、

「忙しいのにわざわざ挨拶に来られて・・・・。聞くところによると1年生担任だそうで

すが、これまで培ってきた力量を十分に発揮して下さいね!」

とにこにこしながら応じてくれたのです。私が、

「教育委員会へ転出の挨拶にも出向かなかったことを、皆さんにお詫びしておいて

いただけませんか。」とお願いしたところ、

「君の事情は分ったので皆に伝えておくよ!」と言ってくれたのでひと安心しました。

翌日、前任校の校長から

「今朝、教育長から電話があり、君が挨拶に来てくれたと大変喜んでいたよ。転出

する前に私が君に指導しておかなければならなかったのに、つい忘れていて申し訳

ない!」との電話です。これで一件落着したのです。

注釈〕 栄転(小規模校から大規模校へ)、昇任(一般教員から教頭へ)、採用(教

頭から校長へ)などで転出する際は、関係者のところへ挨拶に伺うのが常識となっ

ていました。

一般教員の場合は、教育関係者として自校と転出先の校長、同窓会会長、教育長

などであり、教頭、校長の場合は、校長、同窓会長・事務局長、教育長、北海道教

育委員会の地方事務局(教育局)の学務課長、企画総務課長、次長、局長が対象

です。

挨拶といっても手ぶらではないのです。商品券に菓子箱をセットにしてお礼の挨拶

に伺うのです。このような悪しき慣習は、教頭、校長への狭き門の頃から行われて

きたそうです。これは同窓会幹部からの指導です。

問題は、派閥によって贈呈する額に違いがあるということです。人事に有利になるよ

うにとの下心からの行為なのです。

この悪しき慣習は、官官接待と同じであるとの見解から、北海道教育委員会が平

成7年度に禁止し、各教育委員会や校長会等を通じて金銭贈与、餞別、ゴルフ

等の接待、お中元、お歳暮のやりとりが禁止されたのです。

なお、市町村段階は教職員の転出・転入にあたっての教育委員会への挨拶は日

時を決め、関係者全員が一同に会した中で実施されるようになったのです。

転入教職員の場合は辞令交付式の際に行うのが一般的なようです。

2年前に大分県教育委員会汚職事件が大きくマスコミで報道されましたが、

北海道の教育界もこれに近いことが行われていたのです。

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同じ1年生担任でも こんなに違うとは

在籍児童が僅か13人の学級から今度は1学級45人で4クラスある1年生の学級

担任です。約19倍の規模です。1学年1学級の場合は、教科の進み具合や生活

指導など全て独断で進めることが出来たのですが、今度は違うのです。

松、竹、梅、桜の4クラスであり、学年主任が取りまとめ役となり、「学年部会」と称

して教科の進度、学年行事、生活指導上の留意点など、各クラスが協調しながら

教育活動が展開されるよう協議するのです。したがって、学年を運営するために

1人ひとりの役割分担が決められ、責任を負うことになっていたのです。

私の担当は、算数と体育、そして生活指導面です。これまで田圃の真んの学校で

したが、今度は商工農がバランスのとれた町の学校です。前任地の町には信号機

がありませんでしたが、今度の町には駅前の国道に1つあるのです。ですから交通

指導についても徹底した指導をしなければ、危険この上ないのです。

私は、春休み中に札幌へ出向き、1年生担任のための「入門期指導の4週間」とい

う本を買い求め、指導にぬかりのないようにしました。

1年生の担任構成は男2名、女2名であり、私が一番若くて26歳。学年主任は36

歳。女教員は51歳と42歳のベテランなのです。しかし、ありがたいことに

「先生は若いのですから何事も思い切ってやって下さい」と激励してくれたのです。

学年の先生方が家族のような親近感があり、協力体制がとられていましたので大

変助けられました

私は、やはり大きな学校へ来ると何かと勉強になることがわかったのです。とに角

やりがいのある学校でした。

26学級での奮闘記を書いていきます。応援のクリック宜しくね!》

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変な転勤の条件 

教職員の人事異動が新聞にも掲載され、離任式を終えた私は、これからお世話に

なる学校の校長へ挨拶に伺いました。(昭和40,3,27)

校長室に案内され厳しい顔の校長とのご対面です。K校長は開口一番に、

君、好きな女はいるかい?」   「いいえ」 

所帯道具を持っているかい?」

自炊していたので鍋とガスコンロ、まな板と包丁はもっていましたが、共同自炊をし

ていた仲間に譲ってきましたので、現在は何もありません

女がいて、所帯道具を持っているような教員は本校には要らないのだよ!」

とのこと。そして

君がやりたいと思ったことは、思い切ってやってくれ!失敗しても俺が責任とるか

ら心配する必要はない!1年生担任にしてあるから準備もしっかり頼むよ!」

と鋭い眼つきでギョロット見つめ、威圧するような態度で言うのです。

暫らくして、先輩にあたるY先生が校長室に呼び出されました。下宿を空けてくれた

先生なのです。彼は私に会うなり、

「Yです。先生のお噂はよく聞いておりましたので、お会いできる日を楽しみにしてお

りました。どうぞ宜しくお願いします。早速、仕事のことですが、先生は私と同じ生

活部に所属していただき、力を発揮していただきたいのです。異動で全職員が揃

った時に部会を開きますので、それまで特段用意しておくことはありません。」

と告げ、その後、直ぐに下宿を案内してくれたのです。

この学校は全校26学級で2年生と6年生が5クラス編制です。各組の名が変わっ

ていて松組(1組)、竹組、梅組、桜組、桐組と言い、まるで少女歌劇団「宝塚」の

ような呼び方をしていたので驚きました。

この学校は、29名の教員がいて学芸大学札幌分校出身者7名、旭川分校5名、岩

見沢分校4名、函館分校3名、旧制中学出身者が10名という構成で、お互いに切

磋琢磨しあう職場だったのです。

今回は6人(男5人女1人)の教員が異動してくることになっており、私が一番若いと

のことでびっくりしました。現在私が勤めている学校の全職員に指摘する人数だっ

たからです。やはり規模が大きいといろいろ違うのだろうなと若干心配になりました

が、校長もY先生も同じ大学の先輩ですので心強く思ったのです。

はじめて多級校へ転勤した経験談を書き綴りますクリックで応援くだされば幸いです

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小規模校からの転勤

新卒6年間で全ての学年を経験した私は、当然異動しなければならない時期にき

ていたのです。たまたまある市立中学校の校長からお手紙が届き、本校へきてく

れないかとの依頼文です。

この校長はどうして私を知ったのか不思議でした。同僚の先輩に聞いてみると、

以前に本校へ新米校長として勤めたことがあったとのことでした。

手紙の内容は、数学と体育の二教科を教えて欲しいとのこと。私は早速、自校の

校長に手紙を見せました。すると校長は、

「あんな小さな学校へ行く必要がない。君は大きな学校で、1クラス45名の子ども

達と悪戦苦闘しながら教育の難しさを学んでいかなければならない時期なのだ!

学ぶチャンスを逃してしまったら、後に悔いが残るからね。転勤先の学校は私に任

せてもらうよ!」とのこと。

それから数週間して校長に呼び出されました。

君を引き受けても良いと言う学校が3校見つかった。一校は39学級のマンモス

小学校。この学校は教職員が50名以上で、本校の8倍位の規模だけれど、共産

党員が可なりいるので君は直ぐつぶされてしまう。

また、他の一校は35学級で研究の盛んな学校なので大変勉強になると思うのだ

が、君が力量を発揮するにはまだ少し早いような気がするのだ。

そこで、この地域体の中心校であるA小学校なら26学級であり、君が活躍する

には適正な規模と思うので、その学校の校長と教育長に話を通しておいたから、

その積りでいて欲しい。」と告げられました。そして

「立つ鳥跡を濁さず(人が立ち去るときは見苦しくないようにきれいにあと始末してお

くべきである)の言葉があるが、早め早めに仕事を済ませておいた方がいいよ!」

とのこと。

さて、私の転勤先になる学校は算数の研究会で1度訪れたことがあり、組合活

動や研究部門でも活躍している先生方がいることを知っていました。果たして私の

能力で上手くやっていけるかどうか分りませんので若干不安でした。

しかし、他流試合には絶好の場所であると自分に言い聞かせ、4月1日の発令と

同時に着任できるように準備に取り掛かったのです。

しかし、心配事が一つありました。それは下宿があるかどうかということです。校長

を通して転勤先の学校へ問いただしてくれたところ、先輩が下宿を空け、札幌から

自家用車で通うことになったのでそこに入れるよう話がついているとの返事でした。

私は、この時も札幌学芸大学の先輩にいろいろお世話になったのです。

今も若干そのような事がありますが、昭和50年代までは人事異動に際して各派閥

が強い影響力を持っていたのです。

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学校生活協同組合の不正を見抜く

農村の小規模校には事務職員が配置になっていませんでした。従って、教職員が

学校事務を分担していたのです。この話は昭和38年度のことでが、私の分担は

経理事務です。月給から組合費や学校生活協同組合(略:学協)からの物品購入

代金を差し引きし支払うのです。

ところが、先月支払っているにもかかわらずまた学協から請求書がきたのです。

不思議に思って問い合わせたところ、事務の手違いであるのでお許し下さいとの

こと。

ところが2ヶ月後もまた同じ内容の請求書が届くのです。月賦で購入していますの

で支払額は毎月同じですが、入金の領収書が送られてこないのです。私は、学協

の事務員が不正をしているのではないかと思い、総代会でこのことを指摘し事務

の適正処理について質しました(・A・)イクナイ

すると事務方のトップが答弁にたち、今後そのような手違いが起こらないよう指導

を強化し、この件に関しても速やかに対処するのでお許し願いたいとのことであり

ました。そして、総代会の決算報告は単年度大幅な黒字との報告でしたが、私は

疑っていたのです。

議案審議後に懇親会(慰労会)が開かれれ、ビールやお酒、刺身や天ぷらなどを

盛り付けたオオドブルが幾つも用意され飲めや食えの大賑わいです。

さて、次の年のことです。学協の赤字問題と事務方トップの着服問題が表面化し、

全組合員が注目する問題へと発展していったのです。ところが渦中の人物が行方

不明とのことで、問題解決が伸び伸びになってしまったのです。 

ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

確か学協の理事長は北教組支部の委員長であり、国政選挙の運動資金に学協

のお金が使われたのではないかとの疑いの声が、他の派閥から上がりました。

また、この問題をネタにA市の中心校の校長ポストを我々の派閥に譲れとの人事

問題にも絡めてくる派閥も出現してきたそうです。

この問題学協は北海道学校生活協同組合に吸収合併されて問題解決がなされ

ましたが、私達学協組合員は出資金が没収されたばかりでなく、教頭等の管理職

は確か2万円を強制的にカンパさせられたのです。

この話は余りにも生々しく、その当時の理事長も確か87歳で元気にしておりますの

で、詳細を述べることは差し控えます。しかし、当時のドサクサまぎれに高額物資を

購入し、代金を未払いのままでいた教員がいたり、利率の高い出資金で一時的に

利ざやを稼いだ教職員がいたのも事実なのです。

私は、25歳でこのような問題に出くわしたものですから、教頭、校長時代の会計

業務に対する監査の厳しさには定評があったのです。また、金銭着服疑いのある

事務官が異動してきた折に、前任校の問題解決を図った事例もあるのです。

この問題も当事者が現役ですので触れないことにします。

どの時代も金銭トラブルが多いわけですが、要は危機意識の欠如からくる監視や

監査体制の甘さがあるわけです。校長・教頭は、学級費・教材費・クラブ活動費・

給食費・見学旅行費・PTA会費などを取扱う教員や事務職員に対しても、適正処理

がなされているかどうか絶えずチェックする必要があるのです。チェク体制金銭

事故は高い相関を示すのです。

《70歳を超えたこの私の背中をクリックで後押しして下さりありがとうございます。》

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「赤鼻のセンセイ」 院内学級物語(TV)

昭和38年度のことです。私は教員として初めて1年生を担任しました。僅か13名

の児童なのに単式学級(単一の学年の在学生で編制する学級)なのです。随分少

ないことに戸惑いがありましたが大変楽でした。テストの採点も十数分で済みます

し、児童とのふれ合い活動も十分確保することができたからです。

ただ、知的障害と情緒障害をあわせ持つ児童が一人おりましたが、私になついてく

れましたし授業妨害をすることも少なかったので助かりました。

勿論、保護者も教育熱心で協力的でありましたので、教育効果がめきめきと上がっ

てきました。

ところが、一番理解力があり大人びいた子どもであるH君が、3学期から札幌医科

大学病院小児病棟に入院してしまったのです。病名はよく分らないとのことで曽祖

父母・祖父母・父母(三世代同居家庭)が唯一人の子どもである曾孫・孫・息子に当

たるH君に対して大変心配していました。

私は担任として何とか元気づけようと思い、クラスの友達全員でお手紙をやった

り、絵を送ったり、私や校長が見舞いに行ったりしました。しかし、治療の効果がな

かなか現れてきません。

ここにH君のお手紙を紹介します。

みなさんお手紙ありがとう。みなさんは元気でいいね。ぼくは一月に入院

してから4ヶ月も病院にいるんだよ。病院にも慣れて友達もできたけれど、

やっぱり学校の方が知っている人がぐんと多くていいよ。時々いろいろな

人がお見舞いにきてくれます。もう、病院はこりごりになりました。みんな

と一緒にランドセルをしょって学校へ行きたいです。

病院ですっかり病気を治して退院できるまで待ってて下さい。この間、校

長先生がお見舞いに来てくださって、本をもらいました。学校の運動場に

ブランコと滑り台とジャンギルジムを作ると言いました。僕が退院して学

校へ帰る頃には、もうできているかも知れませんね。

みんな一人一人にお手紙を出したいけれど疲れるので皆で読んで下さ

い。  では、この辺で、さようなら。

  2年生の皆さんへ

                  ※読み易いように平仮名を漢字変換しております。

この時代はまだ院内学級(病弱児に当たる子どもたちが入院中、教育を受ける機

会を提供される教室で、特別支援学校から教師が派遣されて教育的支援にあたっ

ているが、その教師が担当する教室)が設置されていない時代ですので、ご両親な

どは学力問題でも相当悩んでおりました。

私は、月に一度位しか見舞いに行けませんでしたので、ワークブックなどを事前に

渡しておき、学校での学習進度などはお手紙で知らせていました。

H君は肝臓障害でしたが、確か9ヶ月後に退院してきました。もともと知的理解の

早い子でしたし、まだ2年生で学習内容も難しくなかったので、学習面で支障をき

たすことがありませんでした。しかし、体力が可なり衰えているため、休み時間での

遊びや体育の授業には相当に神経を使ったことを思い出します。

現在は、障害児に対していろいろな学級が開設されております。視覚障害、聴覚障

害、知的障害、情緒障害、言語障害、肢体不自由、病弱者への特別支援教育が

制度化されております。各市町村教育委員会が就学指導委員会を開き、各専門

分野の方々の意見や助言を生かして判定することになっているのです。

障害をもたれている保護者の皆さんは、障害児学級開設のため早めに教育委員

会に情報提供することが望ましいです。教育委員会では学級開設に伴う教員の配

置、備品・教材等の整備のための予算獲得のため定例議会や臨時議会で補正予

算内容を説明し、承認を得なければならないのです。

ですから、今日申し出たから数日中に開設されるというものではないのです。ご理

解下さい。

なお、参考までにご紹介しますが、7月8日から放映されたテレビ・ドラマの新番組

赤鼻のセンセイ」が院内学級内における生徒と先生の関係等を面白可笑しく取り

上げています。教員の難しさも理解できるドラマです。

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汽車に乗っての全校遠足

遠足とは歩いて行くものとばかり思っていましたが、新任校長の発案で汽車で行

くことになりました。このことの一部は、「僅か500mで 遠足?」(2008.11.13の

ブログ)で書くましたが、その当時、汽車利用の遠足は画期的な発想であり注目さ

れたのでした。

しかし、汽車利用と言っても学校から駅まで約3km、野幌駅から原始林まで

約1.5km位ありますので、往復で9km歩くことになりますので可なりの距離な

のです。学年の発達段階を考えれば当然無理な距離であり、今なら新聞ダネ

なっていることでしょう。

要は目的なのです。見渡す限りの田圃(タンボ)に囲まれた学校であり、山も林も

ない地域です。小川もなく田圃の畦(アゼ)以外は小道すらないのです。

子ども達の体験を拡充してあげようとの目的と、より多くの感動を与えてやろうとの

考えから実施したのです。

実施後の2年生のある子どもの感想文を紹介します。無謀な遠足だったかどうか、

評価して欲しいのです。

十月に学校で野幌原始林へ遠足に行きました。汽車に乗って行きました。

原始林に着くと皆でチャンバラや丘に登ったり、エビを獲ったりして遊びま

した。お昼になってお弁当を食べました。誰かがのりゆきちゃんのおでこで

玉子を割りました。先生がやるとカンという音がしました。

お弁当を食べていると、雨が降ってきました。だから皆で橋の下で食べま

した。皆入るので、橋の下がびっしりになりました。

    お弁当が終わると、校長先生が火を焚きました。どの学年もごみをたくさん

    拾って燃やしました。そして楽しく過ごしました。(昭和39年 記)

※読み易いように平仮名で書かれている部分を漢字に変換してあります。

※※ 「引用」の操作を間違えてしまい、直すこともまだわかりません。お見苦しい

    点をお詫び致します。

クラス会でも話題になった遠足です。いつも応援のクリックありがとうございます》

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学校が燃えている!

教員をしていた父の口癖は「金と女と火事には気をつけよ!」でした。特に教頭

時代に学芸大学(今の教育大学)に在学中の息子に話すのでした。

お金と女に関する不祥事は首か不意転(希望しない不意の転任)を覚悟しなけれ

ばならないし、火事を起こし御真影(天皇・皇后の写真)や教育勅語学籍簿(児

童生徒の戸籍的な機能を果たす学校の公簿)を消失させてしまえば、間違いなく首

になるとのことです。

終戦と同時に御真影と教育勅語は学校から姿を消してしまいましたが、戦前から

教師をしていた父はいつも上司から言われていたのでしょう。

さて、昭和37年の晩秋の頃です。私達はグランドの端に建っているある教員住宅

の1室でマージャンをしていました。ところが、夜の9時半頃です。サイレンの音が

聞こえてきたので玄関のドアを開けました。すると校舎全体が真っ赤に染まってい

るではないですか。慌てた私は

「大変だ!学校が燃えている!」と声を出し、「学籍簿を外に出さないと大変だ!早

く行こう!」と怒鳴りました。

ところが、若干43歳の校長は一瞬のうちに真っ青になり、

「あゝ駄目だ!俺はもう駄目だ!」との声を連発し、頭をマージャン卓につけたまま

動かないのです。恐らく腰をぬかしていたのではないでしようか。

しかたがありませんから3人で急いで外に出て見ると、様子が変なのです。校舎か

ら煙が全く出ていません。不思議に思って回りを見渡したら、学校の向かい側に位

置する農家の納屋が燃えているのです。その火事が校舎の窓ガラス全面に映って

たのです。

先ずは一安心して戻り校長に報告すると、

「あー良かった!私はもう首になると思ったよ。良かった!良かった!」

とやっと精気を取り戻したのでした。

実は、今夜の夜間巡視の当番は校長だったのです。早速、

「学校の巡視に行ってくるからか。」としっかりした足取りで出向く校長だったので

す。恐らく校長も戦時中に教員になっていましたから、私の父と同様な指導を上司

から受けていたのでしよう。火事イコール首(解雇処分)という図式が一瞬過ぎった

ことでしよう。

私は、今でもサイレンの音を聞くと、幼い時に山火事を起こしたことと、敵機来襲

伴う避難のこと、そしてこの校長の言動を思い出すのです。

現在の学校は火災報知機、熱感知器、煙探知機が設置され、それが消防署と直

結しているため火事の初動体制が速やかであり、防火扉の設置、夜間警備員の

配置などで安全面に万全を期しているのが実態です。ありがたいことです。

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ミルク給食の実施

現在、全国どこの地域へいっても学校給食が実施されており、それが当たり前にな

っておりますが、昔はどうだったかその一部の内容(昭和37年A町教育振興会の

冊子より:私が勤めていた地域)を紹介します。

昭和22年度、本道の一部で小学校の補食食給食が始められてから既に

15年を経過したが、この間に学校給食も、児童の肉体的な発達を助けよう

とする消極的な立場から、次第に学校教育の実践の機会としての積極的

な立場をとるようになり、昭和29年、学校給食法の制定、更に昭和33

年、教育課程の改定に伴い、学校行事の領域に位置づけられた。

その目標はこうである。

1 日常生活の食事について、正しい理解と望ましい習慣を養う。

2 学校生活を豊かにし明るい社交性を養う。

3 食生活の合理化、栄養の改善及び健康の増進を図る。

4 食糧の生産、配分及び消費について正しい理解に導く。

現在、完全給食の普及率は急速に高まり、昭和36年9月の調査によれ

ば、全国の給食人員は900万人に及んでおり、本道もこの全国的な傾向

に対応して逐年実施校が増加している。

A町では、プロジェクト・チームを編制して『学校給食の現状と問題点』を研究し、

PTA会員の意識調査、学校給食推進のあり方について調査研究をしたのです。

当時の国の動向は、文部省において昭和38年度から全国の小中学校の全児童

生徒に対してミルク給食を行うことになり、給食未実施校も6月から脱脂粉乳給

を開始しなければならないようになっていったのです。

私の勤めていた町(昭和36年に村から町へ)は、昭和38年度よりミルク給食が

実施され、児童が大変喜んだのです。なお、農業繁忙休暇中でも実施しましたの

で、わざわざ牛乳1本をとりに子ども達が学校へ来る年もあり、牛乳といえどもそれ

ほどの価値があったのです。

今は、アレルギーの子には与えておりませんが、コーヒー牛乳なら飲むけれど普

通の牛乳を嫌う子がいて、その処理の仕方についていろいろな問題が派生してい

るのが学校現場の実態です。

飽食時代を喜んでいいのでしようか。これも光と影の部分がありますが、要は子ど

も達を健やかに育てるにはどうなければならないかの問題になるわけです。

子育て中の皆さん、食生活のあり方についてもっと真剣に考えていかなければな

らないと老婆心ながら忠告したいのです。

注釈〕 学校給食には完全給食と補食給食、ミルク給食の三種類があります。

完全給食とは給食内容がパンまたは米飯(これに準ずる小麦粉食品、米加工食

品その他の食品を含む)、ミルク及びおかずである給食をいいます。

補食給食とは完全給食以外の給食で給食内容がミルク及びおかず等である給食。

ミルク給食とは、給食内容がミルクのみである給食をいいます。

なお、脱脂粉乳とはスキムミルクともいい、保存性がよく、蛋白質、カルシウム、乳

糖などを多く含んでおり、栄養価が高いことから戦後しばしば学校給食に取り入れ

られたのです。

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複式学級から 東大大学院教授へ

教職員の人事異動にともなって又もや下宿を余儀なくさせられた私ですが、職場

の先輩の奥さんの実家が近くにありましたので、懇願して入居させてもらいました。

この下宿先は昔の地主あり、戦後の農地解放で殆どの田畑は小作人にただ同然

で取られてしまったのです。従って僅かな田畑を小作人に貸し与え、秋に小作料の

代わりに年貢米を貰い、父親は銀行へ勤め、祖父が鶏の雛を育てて売り、小遣い

にするという具合でした。

その下宿の長男坊E君が小学校に入学してきた春のことです。児童会総会が開催

され全校児童(約90名)が集まりました。そして書記局から提案がありました。

誰一人として質問も意見もなく数分過ぎました。すると、E君が挙手をして堂々と意

見を述べたのです。

新入1年生が児童総会で意見を述べたのは、開校以来ではないかと話題になりま

した。

後でE君から聞いた話ですが、上級生から「お前、1年生のくせに生意気だぞ!」と

いじめに遭ったそうです。

このE君は大の野球好きで、暇さえあればグランドで野球ばかりしていたのです。

ある時、お母さんが

「先生、家のEたら野球ばかりしていてさっぱり勉強しないのだけど、ちゃんと覚えて

いるのだろうか?心配だから少し見てやって下さい。」と言うものですから、E君に

国語と算数の教科書を持ってこらせ、質問しました。

ところが、本はすらすら読め、習ったところまでの漢字は全部書けるし、計算も文

章題もきちんとマスターしているのです。要するに授業中に全て覚えてしまってい

たのでした。

お母さんに現状を報告すると、「そうかい、そうであれば好いのだけれど!」と安心

した顔をしていました。

E君達は確か小学4年生まで複式授業(2学年以上の児童生徒をひとつにまとめ

た学級での授業)でしたので、多学級の児童に比べてハンディがあるのです。

しかし、E君には関係なかったのでしよう。中学校は町制になったばかりの地元の

学校へ進み、その後、函館にある私立高校、そしてストレートで東大に合格してし

まったのです。

野球好きのE君は東大でも野球を楽しむかたわら研究に精を出し、最近はNHKの

テレビでも取り上げられるほどの活躍をしているのです。

E君の専門は光触媒学、環境科学、エネルギー変換であり、現在東京大学先端科

学技術研究センターの所長であり、内閣総理大臣賞をはじめ数々の賞を受賞し、

巷ではノーベル賞候補に相応しいとの声が上がるほどの研究成果を収めているの

です。

昨今、学校統廃合で複式学級が減少しましたが、子どもの学力は学校の規模でも

地域でもありません。本人の素質、やる気、努力が関係していると思うのです。

ある町で、複式学級は学力が低下するので学校を統合したいと議会で述べた教

育長がおりましたが、それは大きな間違えであることを指摘したいのです。複式授

業を受けた子どもは、多級校の子どもより自学自習や自主性、主体性が育てられ

ておりますので、素質があれば意外なほど力を発揮するものなのです。

E君の事例は珍しいですが、北海道でも名を上げた人物の中に小規模校や複式

学級で教わった人物が結構いるという事実に注目したいのです。

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薬物混入事件 37後に真相が ②

薬物混入事件の犯人であることを白状したB君が、また立ち上がりました。

B君 「もう少し言わせて下さい。

    実は、あの時、僕は風邪をひいていて鼻の下がヒリヒリするのでメンタームを

    付けていました。だから一寸した悪戯のつもりでしたのですが、町内でも大

    変な話題になり、問題がずんずん大きくなっていったので、恐ろしくなり白状

    することが出来なくなったのです。」

    「それで、罪滅ぼしのつもりで、クラス会の万年幹事をやらせてもらっていま

    すが、毎回、今度こそは白状しよう白状しようと思っていたんです。

    でも、勇気がなくて出来ませんでした。今日、こうやって白状でき、胸のつか

    えが少し下りたような気がします。

    皆さん、本当にご免なさい!」

皆  「B君、よく白状したね。辛かったでしよう?」

    「A君、貴方も偉いはね。よく許してやったね。流石ね!」

女の友 「男の人って素晴しいですね。お互いに許しあえるなんて。私だったら、

    死ぬまで恨んで恨んで、恨み殺すかも知れないわ。」

との声で会場一杯に笑いが起こり、また、ビールやお酒が追加されました。

このことから、疑わしきは罰せず憶測で決め付けないこと重大さを骨身に沁

みて感じました。

昨今、「いじめ問題」が日常茶飯事のように取り上げられています。

被害者の親は、

「加害者を早くみつけることが出来ないなんて学校側の怠慢です。」と攻撃してきま

すが、「疑わしきは罰せず」の原則を守ることの重要性を私は訴えてきました。

学校現場における犯人捜しの難しさ事例です。応援のクリックありがとうございます》

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薬物混入事件 37後に真相が ①

さて、薬物混入事件が発生してから37年後に予期しないことが起こったのです。

私にとって初めての卒業生であるG君達が、社会人としてスタートを切った頃に

クラス会が開催され、5年毎の開催と万年幹事はB君と決定されました。

そして教え子が50歳になった年のことです。

私の教育長就任祝いも兼ねて、故郷にある某温泉ホテルでクラス会が開催されま

した。やがて宴たけなわに近づいた頃、初めて出席したA君が私の側に座りました。

A君 「先生、あのメンソレターム事件の犯人は、今でも僕だと思っているのですか

   ?」と問いました。

A君は俗に言う頭のいい子でしたが、時々教師の目を盗んで結構悪さをしていたの

で、この事件も彼の仕業とばかり、私は思っていたのです。

私  「申し訳ないが、その後、名乗り出るものがいないから、やはり君かと思

    っているよ。」

A君 「そうかい。僕でないのだけどなあー。」

すると、そのやり取りを聞いていたB君が、すっと立ち上がり

B君 「皆さん、ご免なさい。メンターム事件の犯人は僕、Bなのです。A君ご免なさ

    い!ご免なさい!今まで言えませんでした。」

A君 「B!お前だったのか。全然知らなかったよ。よく白状したな。もう謝らなくて

    もいいから。時効だ!時効!時効!もういいから、一緒に飲もう!」

私  「A君、ご免。君の心に取り返しのつかない深い傷を付けてしまい申し訳ない。

    いくら謝っても、許してもらえる問題とは思っていないが、とに角、申し訳あり

    ません。」

A君 「先生、もういいです。疑いが晴れたのですから。でもね、先生!僕はずっと

    恨んでいましたよ!」

またB君が立ち上がりました。

犯人であることを白状したB君は、一体何を言い出すのでしようか?

                                          (つづく)

取り返しのつかない出来事の報告です。いつも応援のクリックありがとうございます!》

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薬物混入事件 保護者の変容

メンソレターム(塗り薬)を混入させたサンドイッチを口にしたG君を卒業させてから

3年後のことです。

私は近くの町の小学校(26学級)に転勤し下宿生活を送っておりました。

ある日の夕方、

「先生、お客さんですよ!」と3階に住んでる私に、下宿のおばさんの大きな声。

急いで玄関に出てみると驚いたことにG君のお父さんが立っているではないですか。

私     「あら、G君のお父さんではないですか。その節は大変申し訳ありません

      でした。」と頭を下げました。

G君の父 「先生、そんなに頭を下げないで下さい。今日は大変嬉しいことがありま

      したので、ご報告に参りました。実は息子がA市の○○高校に合格した

      のです。先生に喜んでもらいたくて、ご報告に参りました。」

私     「それはそれは、おめでとうございます。こんな嬉しいことはありません。

      本当に良かったですね。玄関先ではなんですから、どうぞ中にお入り下

      さい。」

G君の父 「いや、そんなわけにはいかないのです。先生を交えて息子の入学祝を

      家族皆でしたくて、家内が料理を作って待っているのです。

      先生、今日は泊りがけで我が家に来て下さい。お願いします。馬そりで来

      ましたので乗っていって下さい。明日、また馬そりでお送りしますから。」

G君の父の申し出に従って、私は約1時間半シャンシャンと鈴のなる馬そりに揺ら

れて、大平原を進んで行きました。沈み行く真っ赤な太陽と茜色に染まった雪原を

ぼんやり眺めながら、これまで味わったことのない安堵感に浸っておりました。

G君の家に着くと皆が歓待してくれ、特にお父さんは私に対して辛く当たってきたこ

とを深く詫びたのです。お互いに杯を交わしながらこれまでのワダカマリが消え失

せ、和気あいあいの時を送ったのです。

翌日馬そりで送ってもらいながら、純朴で純真な人の心に触れ、いつしか涙がこぼ

れ出ていた私でした。

しかし、それから37年後にこの薬物混入事件の真相が明らかになったのです。

                                            (つづく)

人の心で我が心が清められたことを書きました。いつも応援のクリックありがとうございます》

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薬物混入事件 学校現場で勃発 ②

私は新卒4年目。6年生担任の2月で感冒の流行っている時期でした。

家庭科の調理実習でサンドイッチ作り時に起きた事件です。学校は農村の

複式学級のある全校で5学級しかない小規模校でした。

家庭科室もなく水道もない学校で、調理実習は教室で行い、皿や包丁・まな板

などを洗うには教室から一番遠い水飲み場(井戸水をポンプ・アップして汲み砂・

小石・シュロの葉など泥炭混じりの水をこす所)へ行かなければなりませんでした。

私は包丁による怪我のことばかりを気にして、教室と水飲み場を数回移動しながら

指導しておりました。

ですから、まさか玉子のサンドイッチにメンソレターム(肌荒れなどを治す塗り薬)を

混入させるなどとは、夢にも思っていませんでした。

このクラスは、新卒で受け持った3年生の時から既に『いじめ』がありましたが、

私は学力向上を最優先し(標準学力検査で主要4教科は全国平均より5~15点も

上回った)、いじめに関わっての生徒指導は余り深刻に考えていませんでした。

事件後、誰が犯人か、23名の児童一人一人に問いただしました。

しかし、名乗り出る者はいなく、白状する子もいませんでした。私は、ずる賢いA君

を犯人と思っていましたが、A君は

「僕でないよ!僕でないってば!」とガンと否定するばかりでした。

問題が未解決のまま、私はその学校に2年間留まっていました。

私は地域の信頼を回復するために何事も精一杯に取り組みました。そして2年後

に電車で二つ目の駅に当たるB町立小学校(25学級)へ転勤になりました。

PTA主催で送別会を開催してくれましたし、部落全戸数がPTA会員でありますの

で、一軒一軒お礼の挨拶に伺いましたが、G君の家だけには行くことができませ

んでした。何故ならまだ私を許してくれていなかったからです。

G君の家だけが餞別をくれなかったし、挨拶を交わすこともなかったのです。

しかし、それから3年後この事件は意外方へ展開していったのです。

                                           (つづく)

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薬物混入事件 学校現場で勃発 ①

「先生、大変な事件が起きたことを知っておりますか。」と校長に呼ばれてこう問

われても、何のことだかさっぱり分らずただポカンとしている私。

「G君の父親がPTA会長さんや教育委員会へ行って、先生を直ぐ首にするようにと

訴えたのだよ。」

G君のサンドイッチに薬物が混入され、一口食べたら口中に凄い違和感が広が

ったので、そのまま家に持ち帰ったそうだ。あれがもし農薬なら、家の息子は死

んでいたかもしれない、と大変な怒りようなんだ」と、校長があらまし話して下さっ

たので、やっと事件の大筋が理解できたものの、どうしたらよいか戸惑うばかりで

した。

とに角、校長に言われるままG君の家へ謝罪に行きました。

「絶対に許すわけにはいかない。もし首にならないようなら先生の排斥運動を起こ

す。」と強い口調で罵られるばかりで、為すすべもなく玄関先で頭をたれているだけ

の私でした。

校長は教育委員会やPTA三役の方々と対応策をいろいろと検討したそうですが、

その話は後で分ったわけです。

事件が起きてからG君の親や姉達までも、道で出会っても挨拶を返してくれないし、

地域でも大きな話題になりました。

あまりの辛さと自分の指導力のなさに嫌気がさし、異動させて下さるよう校長に

お願いしました。ところが、校長は

「問題が起きる度にそれから逃げていたのでは、これからの教職は勤められない

よ。保護者や地域の信頼を深め、君に担任して欲しい、異動させないで下さいと言

われるような先生になるよう頑張ってくれ。期待しているよ。後の責任は私がとるか

ら。」と涙の出るような言葉でありました。

さて、どうしてこのような事件が起きたと思いますか

                                        (つづく)

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NHK教育番組利用 初期の実態

昭和35年、私の勤務校にテレビ一台が寄贈され、試験的に利用してみたのです

が、頭書は利用の機運がまだ高まらず、たまに見せる程度に止まっていました。

しかし、やがてテレビのよさを認め合い、今後継続的に研究していこうという意欲が

盛り上がってきたのです。

それで昭和36年の年度頭書に、学習にテレビを利用するための研究体制を作り

上げ

・日課表をどうするか。

・教科課程と番組の関連はどうするか。

・教科書の進度と時間数の不足をどうするか。

等の課題克服のために研究実践が始まったのです。

そして昭和37年度に、「テレビ学習をどうすすめるか」というテーマの基に、年度

頭書の職員会議で次の決定をみたのです。

① 理論的なものは一切後回しにして、先ず見せることに意義があるとして、全学

  年2教科(社会、理科)を利用する。

② 日課表を思い切って番組の時刻表に作り変える。

③ 全職員の共同研究とし全員が推進委員のメンバーとなり、研究分野をそれぞ

  れ分担する。

④ 全職員に学校放送(テレピ)のテキストを購入配布し、利用の便宜をはかる。

以上のことを踏まえて研究推進してきた結果

・教科の中に放送教材を如何に位置づけ利用したらよいか。

・視聴ノートの扱い方はどうあるべきか。

・効果の測定はどうあるべきか。

等の課題が浮き彫りとなりその課題解明に精を出したのです。

本校のこの取組み内容は高く評価され、管内(小中学校約350校ある地域)や全

道の教育研究大会で発表の機会を得たのです。

また、NHKも本校の実践に注目し「番組内容」に関わってのモニター校としての

委嘱をうけ、2年間にわたって意見を反映したことがあったのです。

現在はDVD、CD、ビデオが普及しており各教室に一台テレビが設置されておりま

すので、担任の考え一つで自由に利用できるようになったわけですが、NHKの学

校放送の導入初期には、いろいろな苦労があったわけです。

それにしても、時代が大きく変わったということは視聴覚教具の面からも言えるこ

とです。一人一台のPCが設置されインターネットが学習に活かされようとは、あの

時代は全く考えることも出来なかったのです。

しかし、どの時代であっても課題山積の感があります。インターネットの光と影の

にメスを入れ、教育の効果をどう高めていくかが問題です。

多くの先生方、そして家庭にPCを設置している保護者の皆さん、真剣に考えていこ

うではありませんか。

テレビが学校に導入されてきた時代の話です。応援のクリックありがとうございます》

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テストを出し 解答が分らない教師

ある先輩教師が「この算数のテストの答えを書いてくれませんか?」とのこと。

内容は6年生の「線対称な図形」です。私が数学専攻ですので聞きにきのです。

教科書の定義では「ある点を中心に180°回転させたときもとの図形とぴったり重

なるときこの図形を点対称な図形という。またこの点を点対称の中心という。」とあ

るのです。

実は大学でこのような対称図形について勉強した経験がなかったのです。単なる

点対称な図形かどうかを判別する程度であれば、直観的に分るのですがAに対応

する頂点は何であり、ABの辺に対応する辺は何かとの問題になると困ってしまう

のです。

恥ずかしいながら、テストを出した担任と同様に私も確信を持って正解することが

できなかったわけです。

この恥ずかしい経験をもとに家に帰って考えてみました。180°回転するというこ

とはどのようなことなのか。

そこである点を中心として点Aを10°、 45°、 90°、 180°、 200°、

270°、 360°回転させると点Aはどのような位置になるのかを調べてみました。

即ち、四角形ABCDの各頂点を180°回転させた頂点をA’B’C’D’とすると

四角形A'B'C'D'はもとの図形の四角形ABCDに一致することがわかったわけです。

しかも対応する頂点は対称の中心から反対側の等距離上にあることが分るわけ

です。担任も私も180°回転するという概念が備わっていなかったわけです。

翌日、担任にこのことを説明し再度子ども達に補足説明をしてもらったのです。

私はこの失敗経験をもとに、点対称な図形の指導では、理科の星の学習を想起さ

せ、星Aが1時間経つとA’の所に移動したときこの星は何度移動したといえるかと

の設問を出し、その後、45°、90°・・・・・という具合に作業をし、180°回転する

とはどういうことかを子ども達にまとめさせたのです。

そして、等距離の測定にコンパスを利用することも合わせて指導していったのです。

この指導展開により、約90%以上の6年生が理解することができたのです。

教師だって分らないことがあるのです。ですから授業の前に教材(教える内容)研究

をしておくことが重要なわけです。特に小学校の先生は全教科を教えるのですから

大変です。でも、ウソは絶対に教えてはいけないわけです。

このことは、教材研究の基礎基本であることを肝に銘じておくべきです。

失敗経験に学ぶ事例を書きました。応援のクリックありがとうございます!》

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校長が変われば 学校も変わる

新卒4年目の春の人事異動で新しい校長が着任することになったのです。

まだ43歳で北海道教職員組合(北教組)の役員経験者であり、30学級の中学校

の総務(昔は教頭職にあたるポスト)経験者です。

着任当日、貸切バス1台に50人以上の職員と先輩に当たる教育長も付添人とし

て同伴です。テーブル一杯に並べられたオードブルに度肝を抜かされました。

北教組の役員経験者だけあって、弁舌爽やかであり堂々とした風格に威圧感さえ

感じました。

私は、新卒として採用してくれた校長に2年間お世話になり、体育館や音楽室、教

員住宅の新設、開校60周年記念に汗した校長の姿を見てきました。

その後、58歳で異動し心臓病で1年足らずで退職してしまった校長の2人に仕え

ましたが、これといった印象に残る指導を受けた記憶がありません。

しかし、新任校長からはいろいろなことを学びました。その幾つかを列挙します。

① 学力向上に向けて、漢字、計算の自作検定試験の実施と、級別練習カード

  の作成。

② 放送教育研究指定校と研究会の開催、他校視察。

③ 人間関係の大切さと地域との親睦活動の実施。

④ 忙中閑あり(忙しい仕事の合い間にも、ほっと一息つく時間はあるということ)の

  実践と囲碁、マージャンの手ほどき、親睦活動の実施。

⑤ 会議では、必ず一人一発言の実践と話合い結果を「まとめた内容」の発表。

⑥ 北教組本部・支部議案の輪読と学校班の意見の取りまとめと確認。

⑦ 休み時間や放課後は子ども達と遊ぶこと。

⑦ 職場におけるユニホームの統一(まだジャージがなかった時代です)

などでした。

なお、昭和39年度の国際労働機関(略称:ILO)の条約批准まで、校長も組合員で

あったのです。

いずれにしても、小さな田舎の学校であっても、校長の示す学校経営方針や具

体的な実践目標の共有化によって、職員一人一人が生き生きと意欲的になり、

それに応えるかのように子ども達の教育活動も活発になっていったのです。

各学校には、教育目標があり、それを具現化するための具体的な目標が掲げられ

ておりますが、要は一人一人の教師が具体的な実践目標を意識して日常の教育

活動に取り組んでいるかどうかが、子どもの変容に直結するのです。

このことを私は新任校長から学んだのです。

やる気のある校長はやる気のある教師を育て、やる気を起こす子ども達に

変容させるということでしよう。

《南フランス旅行からの時差ぼけがあります。いままでのペースが乱れています。

規則正しい生活に戻そうと思っています。いつも応援のクリックありがとうございます。》

  

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不用意な発言で 部落民怒る

学校でお弁当を食べている時のことです。職場の女教師がつい不用意な言葉を吐

いてしまったのです。

この米、前より美味しくないね。どこの米かしら?」と呟いてしまったのです。

その一言が子どもの口から親に伝わり、遂に部落全体へ広がっていったのです。

早速、PTA会長が学校へ来て、

今まで当番で米を先生方の所へ運んできましたが、これからは出来なくなりまし

た。また、米の値段も政府の買い上げ以下にすることもできません。あの先生があ

んなことを言わなければ、何も問題がなかったのですがsign01」とのこと。Σ(・ω・ノ)ノ!

実は、部落民が当番で先生方の食べる米を格安の値段で売ってくれ、家まで配達

してくれていたのです。私達はその厚意に感謝していたのですが、女教師の一言

で部落民を怒らせてしまったわけです。

米は同じ部落内であっても河岸近くのところと沼地や場所によって土壌が違うた

め、同じ品種であっても微妙に味が違っているのです。そんなことも知らないで、

相手の厚意を逆撫でするような言葉を言ってしまったのですから、謝っても理解して

くれませんでした。感情的になってしまったわけです。

田舎は人情深い人達が多いのですが、1度失態をしたり信頼を裏切るような言動を

とると、修復できないほどの反発が返ってくることがあるのです。

教育も同じです。子どもや保護者の信頼を失くしてしまうと、効果的な教育活動を

推進することができなくなるわけです。即ち教育が成立しなくなるわけです。

これからの若い先生方に伝えておきたい大切なことがらです。

旅行中です。いつも応援のクリックありがとうございます!

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風呂の水汲み 学級の当番活動 

今のご時世なら新聞ダネになり、報道関係からバッシングを受けることは

間違いないのですが、大らかな世の中でした。と言うのは、教員住宅には各

戸に風呂が設置されていなかったため、共同風呂を利用していたのです。

私も教員住宅に入っていましたので、風呂焚きの当番の仕事をしなければならな

いのです。私とH先生は独身でしたが他の先生方は子持ちの人達です。ですから、

1週間に1回の当番ですが、16時頃に風呂焚きをしなければ最後の家庭は21時

過ぎに入浴しなければならなくなるのです。

学校の勤務は16時15分頃でしたので、風呂にポンプで水を容れ石炭ストーブに

火をつけるとなると、勤務時間中に準備しなければならないのです。そこで、私は

子ども達に協力してもらうことにしたのです。学級会活動の一つに風呂焚き当番

を組織し、1組3人で水汲み、石炭の搬入の仕事です。勿論、昼休みにです。

不思議なことに嫌がったり、文句を言う子どもはいなかったのです。親達も批判し

ませんでした。なぜなら、先生方が普段から不便を強いられていることを知ってい

ましたし、こんな田舎の学校で勤務してくれていると思い、感謝していたからです。

学校と地域が一体であり、同じ部落の仲間という所属感・仲間意識があった良き

時代の話です。

昭和36年の話です。応援のクリックありがとうございます!》

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教員住宅へ入居 自炊始まる

新卒として勤めた2年目の初冬。2棟4戸の教員住宅が新築され、校長以下4人

の教職員が入居しました。所帯を持たない私とH先生は依然として下宿生活です。

ところが、これまで校長が住んでいたレンガ造りの一軒家が空きとなったので、

私達2人で入居するようにと校長に言われました。

私は新卒として赴任以来、僅か2年足らずで下宿先を3度も変えなければならない

羽目になり、もう転居するのが嫌になっていました。そのことを校長に告げると、

年度替りの4月には絶対に入居して下さい。教育委員会からそのような達しがあ

るのですsign03」と厳しく言われました。

仕方がありません。3月末に旧校長住宅へ移転しました。1人1部屋を使ってもま

だ1部屋が余っており、居間は8畳で台所も広いのです。そこで共同自炊が始まっ

たのです。

H先生は、ガスコンロと石油コンロ、電気炊飯器、鍋などの炊事用具は一通り持っ

ていましたので、特別私が買わなければならない物はなかったのです。またもや、

H先生に助けられたわけです。

炊事は当番制にしましたが、食材が近くの店にないため、弁当のおかずはサカマ

の缶詰と油揚げ、魚のソーセージが中心で時々ほうれん草を入れることがありま

した。

学校給食のない時代であり、食材を購入するには3.5キロメートルある駅近くま

で自転車で買いに行かなければならないという不便な状態だったのです。

ですから、このような状況の中でいつの間にか栄養に偏りができ、大変な問題へと

発展して行ったのです。

                                           (つづく)

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グランドにスケート・リンク

沼でのスケート学習が一冬限りのものになり残念がったのは子ども達です。

何とかならないものかとPTAの方々も頭をひねりました。たまたま学校の近くに住

んでいた消防団の団長さんが、グランドにリンクを作ることが出来ないものかと相

談に来られたのです。

渡りに船です。12月に入って雪が数十cm積もったころを見計らって、3年生以上

の子ども達で雪踏みです。コースの設計はH先生。1周60m足らずの短いコース

ですが、約3メートル幅です。踏み固められたコースに水を入れるのですが、淵か

ら漏れてしまったら氷を張らすことができません。ですから、丁寧に雪を固めなけれ

ばならないのです。

そして、凍てつような寒さの、消防のホースを用水路に入れ水を汲み上げ、

コース内に入れるのです。凹凸だったリンクの表面が見る見るうちに凍りついてく

るのです。全職員と消防団の人達は良い出来栄えを喜び合っているのです。

リンクの水入れが終わったら、消防用のホースを廊下に運び水抜きの仕事です。

その後、職員室で焼酎で乾杯しスケート・リンクの完成を祝ったのです。

このリンクづくり、その後、十数年続いたようですが、これも時代の波に押されて

消えうせていったのです。

田舎の連帯意識の強さの紹介です。応援のクリックありがとうございます》

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沼でスケート学習

見渡す限りの水田地帯。山のない村ですので子ども達はスキー学習をすることが

できません。そこで思いついたのがスケート学習です。

北海道では帯広市や苫小牧市などは平野でスキー学習には適していませんのでス

ケート学習を取り入れています。この時代は、まだ、ゲレンデ・スキー場もリフトがあ

りませんから山スキーが中心です。

北海道に住んでいながら、冬季間の体力づくり何でしたらよいのでしょうか。

学校では真剣に討議しました。結論は学校から1.5km行ったところに沼があり、

12月上旬頃から氷つくのです。そこを天然のスケート場として利用しようということ

になり、先生方が現地調査に出向きました。

先輩のH先生は教員になる前は札幌の中心部に居住し、ススキノの奥に位置する

中島公園の池でスケートをした経験があるのです。その先生がスピード用のスケー

トを持ってきて、先生方の前で模範的な滑りを見せてくれたのです。

手を後ろに組み、足を交互に入れてコーナーを上手に滑るのです。

校長も私達も、こんな素晴しい所で子ども達にスケートをさせたらどれほど喜ぶだ

ろうと思い、早速、体育の指導計画に位置づけ授業を始めました。

子ども達は雪スケートを持っていましたので用具は心配ありませんでした。

しかし、氷の上は雪と違ってエッジを磨がなければ横滑りして転んでしまいます。

H先生は器用な人で、スケートを磨ぐことができたのです。お陰様で私もスピード

用のスケートを買い、椅子につかまりながら子ども達と一緒に練習をしたのです。

このスケート学習は3学期は無理になりました。なぜなら氷の上に雪が積もり、

除雪しなければ滑ることができないのです。除雪の労力は大変です。結果的に、

除雪をしてまで沼を利用することは効率が悪いということで、僅か一冬で止めてし

まったのです。

この件は、その後、どのような展開になっていったと思いますか?

                                         (つづく)

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テレビ1台を全学年で利用

昭和35年のことです。開校60周年を記念して協賛会(PTA、同窓生で構成)から

学校へテレビ1台が寄贈になりました。全校5学級で1台ですので特定の教室に

セットしておくわけにはいきません。それで、普段は職員室に置き各学年別に教育

番組の始まる時間に教室へ持ってくることにしていたのです。

テレビは結構重かったので教室へ搬入するのも大変です。高学年は児童4人で運

搬できすが、低学年や中学年は無理です。それで校務補さんにお願いしてキャスタ

ー付きの移動用台を作成してもらいました。

NHKの教育放送は社会、理科番組が編制されていました。しかし、放送の時間

帯が学校の時間割に合わないため、休み時間から視聴しなければならない羽目に

なったのです。しかし、水田地帯の学校ですの何かと教育活動に支障をきたして

いまししね子ども達の経験不足が目立ち、知らない、見たことがない、やったこと

がない等、ないないづくしの状態です。

従って、直接体験の不足をテレビ視聴による間接体験を拡充してあげようとの

配慮で、学校教育に放送教育、特にテレビ利用を考えていこうということになった

のです。

テレビの時間は、各家庭にまだテレビが十分に普及されていない時代でしたので、

視聴時の子どもの目の輝きが違うのです。テレビに食い入るように集中します。

どの程度のことを覚えているか、番組内容の再認調査を行ったところ、殆ど全員

の子ども達が90%近く再認できたのです。従って、現在教科書で学習している内

容でない番組でも、後で学習する際に以前の番組内容を想起し学習を進めること

ができたのです。

テレビの教育効果は凄いものがあります。現在、どこの、どの地域の学校でも、各

クラス毎にテレビが設置さております。その他にPC教室では1人1台の割合で利用

できますし、VTRやDVD、プロジェクターなどメディア機器が整備されております。

僅か、20年間にこれほどまでの機器が開発され整備されるなんて、考えも及ばな

かったのです。しかし不思議です。素晴しい教育機器やメデイア機器を駆使して学

習活動が展開されているにも関わらず、学力が芳しくないとの指摘があります。

全てのものに光と影があります。メディアによる受動的学習ばかりではなく、能動

的な学習をどう組織化・活動化するかが問われているのではないでしょうか。

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人目を忍び 「ブンパ」で泳ぐ

夏休みなのに海へ行けない子ども達。村にも学校にもプールはありません。川は

遊泳禁止です。それでは、何をして25日間を過ごせばよいのでしようか。余りにも

可哀想な田舎の子ども達。

私は泳ぎたいという子どもの夢を適えてやろうと思ってある決心をしました。それは

ブンパと呼ばれていた農業用水路で泳がせることです。事故があったら大変です

から事前調査にとりかかりました。

場所は校区外で以前に下宿をしていた近くです。用水路の幅と深さと水の流れが

問題です。道路脇から余り目につかない場所を選定しました。水泳パンツに着替

え実地調査です。

選定した場所は、深さ1.2メートル位で楽々と平泳ぎができる幅です。初めは用

水路の中を流れに逆らって歩いてみました。足がぬるぬるして気持ち悪いですが、

田植えと同じ感覚ですので我慢しました。

次に、用水路の傍にある木を目印にして泳ぎ始めました。水の流れに逆らって泳

いでみたのですが余り進みません。今度は流れに乗って泳ぎ始めました。アメンボ

のようにすいすいと進むのです。プールで泳ぐより速く進むので泳ぎが上手になった

ような錯覚におちいります。

確かな手ごたえを得た私は、数日後、グランドに遊びに来ているクラスの子どもに

声をかけ、「学校に内緒で泳ぎに行くから一緒に来ないか?」と誘い、数名の子ど

も達に着替えのパンツと手ぬぐいを持ってくるように指示したのです。

誘いを受けた子ども達は小躍りして家へ帰り、水筒持参で戻ってきました。いよい

よ秘密の場所での水泳です。自転車で十数分行って農道に入り、事前視察した場

所へ案内しました。

先ず私が泳いで見せました。子ども達は速い速いと驚きながら、

先生、僕達も早く入りたい!ねー、まだー!まだー!」と催促します。

そこでルールを決めました。スタートはこの木の所。先生が立っている方に向って

一人ひとりがスタートの合図で泳ぐこととしました。

子ども達は順番が待ち遠しいかのように泳ぎ始めました。泳ぐというより水に流さ

れて来るのです。でも泳げたような気になり満足そうです。

遊び疲れた頃を見計らって帰りの着替えです。子ども達は「先生、また来ようよ!」

と訴えましたので、

機会を見てもう1度来てもいいが、絶対に友達同士で来てはいけないよ!それが

守れたら、また連れてきてやるよ!」と告げ、まだ日は高いのですが家路につい

たのです。

注釈〕 私はプールが設置されていた学校へ赴任したのは、昭和46年の時です。

この学校は37学級の大規模であり市内の中心校でした。ですからプールも設置さ

れていたのです。それから、50年代に入って都市部の中心校にプレハブのプー

ルが出来るようになり、現在は田舎の学校でもプールが設置されているのです。

ただ残念に思うことは、少子化とテレビやゲームの影響を受け、泳ぎに来る子ど

も達が激減し、閑古鳥の鳴いているプールになっているのが現状のようです。

また、現在は温水プールを利用しての水泳教室が普及していますので、学校プ

ールの存在そのものが問われる時代になったのです。

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遊泳禁止場所で カラス貝採り

夏休みが近づいたある日のことです。1人の男の子が

先生、A君とB君の2人がC川でカラス貝を採ったと言ってたよ!C川に入ってはいけ

ないことになっているよねsign01」との情報です。

この川は一級河川であり、学校の校外生活では遊泳禁止の措置をとっている場

所なのです。

慌てた私は、早速、2人の家へ家庭訪問するため自転車にまたがり、A君の家に着

きました。玄関先に出迎えたお母さんが、

「先生、折角の日曜日ですのにご苦労さんですね。どうぞ中にお入り下さいsign01」と言

って、茶の間に案内し

「今日は随分暑いですね。今、美味しい飲み物を作りますので、ちょっと待っていて

下さいね!」とのこと。

数分してからお盆にトマトジュースを載せ、

「自家製の美味しいジュースです。さあ、お上がり下さい!」と勧められたので一気

に飲んでしまったのです。

ところがその後、数分してから顔がかっかとほてってくるではないですか。実は、

トマトジュースの中に焼酎が入っていたのです。喉が渇いていたことと美味しさの

ため、焼酎に気づかなかったのです。不覚でした。結果的に本論の話に入ったと

きには、余りにも顔が赤いためA君のお母さんは私の顔を見て気の毒がったり、

可笑しがって真剣に話に耳を傾けようとしないのです。

次にB君の家へ行く予定でしたが、こんな赤い顔で訪問したら不謹慎極まりないと

思い、断念したわけです。

翌日、1時間目に学級指導で水の恐ろしさと水難事故について話をしました。

子ども達の話によれば、高学年でもC川でカラス貝を採っていたとのこと。

このことを職員終会で報告し、校外生活の危険防止指導の強化について、確認し

あったわけです。

私は、小樽の祝津町の浜で毎年のように水難事故の話を聞いていましたので、水

の危険性については非常に敏感になっていたのです。その点、保護者は事故が起

きれば騒ぎだしますが、普段は水難事故にたいする危機意識が誠に薄く、校外生

活の指導に関しても学校まかせのところがあったのです。

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校歌作成

私が教員のスタートを切った学校は、開校60周年を迎えることになったのですが

校歌がありません。この慶事を節目として作成してはとのPTAの強い声により、作

成することになったのです。

早速、歌詞・作曲を誰に何時までに依頼したらよいかと話合いが持たれましたが、

誰も経験者がいませんのでらちがあきません。

結果的に、隣の小学校に勤務している細田義行先生が短歌をたしなみ、宮中歌

会始に選考されたことがあるとかの風評が伝わっていましたので、その先生にお願

いしました。

作曲は私や先輩のH先生が教わった、北海道学芸大学札幌分校の音楽科の教官

である千葉日出城氏に依頼することになったのです。

校歌はその学校の教育理念を表したものでなければならないということで、学校

の校訓である「正しく」「清く」「仲よく」の言葉を生かして、作詞して欲しいとH先生が

4月に細田先生の所へ依頼に行きました。5月末までに作詞してもらい、それを千

葉教授に作曲してもらう手はずなのです。

何せ、11月下旬に体育館と音楽室の落成記念開校60周年記念を会わせて

式典を行うことになっていたのですから時間に余裕がなく大変です。

しかし、関係者の努力によって校歌が出来上がりました。

はるかにかすむ/山脉(ヤマ)青く/ポブラの道に/風かおる/

正しく清く/一心に/明るく学ぶ/○○の/

私たちは/よい子ども   (一番) 以下略す

なお、作成は昭和35年仲秋とあります。

学校では飲兵衛のA先生の指導のもと、やっと記念式典に間に合ったことを

思い出すのです。

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修学旅行 教師の不祥事

修学旅行の補助教員として同行することになりました。養護教員がまだ配置されて

いない小規模学校ですので、養護の仕事もしなければならないのです。

行き先は洞爺湖と登別温泉です。

温泉宿に着くと、児童はお風呂に入りその後夕食をとるのです。先生方は児童が

部屋に入り布団の上で枕ぶつけなどに興じている時間の9時過ぎから、夕食が始

まるのです。

旅館から特別お酒もだされます。6年生担任のA先生はお酒好きで有名で、酔っ

払って時々トラブルを起こすことがあったのです。そのことを知っていた校長は

A先生、今日はお酒を控えめにして下さいよ」と指導したのです。

ところが、子ども達が寝静まった11時頃、A先生は、校長が部屋へ戻ったことを幸

いにPTA会長さんと一緒にお酒を飲み続けていたのです。

さて、早朝のことです。朝の打ち合わせ時間に校長とPTA会長が宿泊している部屋

にA先生が現れないのです。校長と私が探しに行くと、女子の部屋にズボンをはて

たまま寝ているのです。私は子ども達に聞こえないように

「A先生、打ち合わせの時間ですよ。起きて下さい!」と耳元で数回言いました。

やっと起き上がった先生を見てビックリ仰天です。ズボンが濡れているのです。もし

やと思って布団を巻くってみると、失禁したあとが付いているのです。

早速、校長が部屋から浴衣を持ってきて着替えさせました。校長は女中さんに

お酒をこぼしましたので摘まみ洗いしましたので、乾かしてアイロンをかけてくれ

ませんか?また、子どもの1人がオネショウをし布団を汚してしまいました。申し訳

ありません。洗濯代を出しますのでお許し下さい」と廊下で頭を下げているのです。

A先生は自分の仕出かしたことがやっと分り、「すいません」とぺこんと頭を下げて

いましたが、傍に寄ると酒臭い息が漂っていたのです。

この不祥事は内密にしておりましたので誰にも見つかることはなかったのです。普

段は優しい良い先生ですが、酒に飲まれてしまい別人のようになるのです。

私の父も飲兵衛でしたが、このような醜態をさらすことがなかったわけです。しかし

酒に命をとられ、43歳の若さで逝ってしまったわけです。

酒を飲んでもいいが飲まれるなsign03」と言うことを痛いほど分った不祥事でした。

私は、それ以来A先生の世話役に徹し、お酒での過ちを犯さないようホローしてい

ったのです。しかし、その後、このA先生にも大変な悲劇が襲って来るのでした。

後日、紹介致します。

なお、修学旅行の引率者は夜分であっても勤務なのです。ですから、飲酒すること

は服務違反を問われ、懲戒処分になります。この飲酒事件は昔のことであり、服

務に対する考え方が相当ルーズなところがあった時代だったのです。

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全道教研 恩師の激励

新卒2年目、持ち上がりの4年生担任です。私をスカートに来られたH先生が、教

育研究集会に君の専門分野で何か発表しなさいと強い要請を受けました。

専門分野といっても数学であり、大学では代数学、初等整数論、微分方程式、解

析幾何学など全く小学校の算数とは関係ない学問をしていたのです。ですから何

に焦点を合わせて実践研究していいか分りません。

ある日曜日、札幌にある富貴堂という老舗の本屋で『新しい算数指導』いう図書を

求めることができました。この本で分ったことは、算数教育の中で図形指導ほど未

開拓な分野はないということ。また先生方がその指導に非常に悩んでいることや、

児童の図形に対する理解も他の教材(文章題を除く)に比べて不十分で興味も伴

わないことなどが分りました。

そこで、これは何に原因があるのか考えてみることが大切であると思い、先ず

形教材についての実態調査をすることにしました。その結果、

①低学年に於いてはいろいろな図形の色、位置、大きさ等の多様性にとらわれず

的確に図形を弁別することが困難であり、また、用語と正しい図形とがともなわない

ようであること。

②特に図形の位置関係による弁別がどの学年でも悪いということ。

③中学年に於いては、与えられた図形に対しての性質を理解していてもそれを正し

く表現することが困難のようであること。特に、作図能力が劣るようであるが、これ

は高学年に於いてもいえることである。

等のことが明確になってきました。

これらのことを踏まえて、4年生で指導する「平行と垂直」の概念指導のあり方を、

従来の静的な扱いから動的な扱いによる指導を試み、その実践研究をまとめて発

表したのです。

発表は村の教育研究会にはじまり、5町2村の教職員団体で構成されている支部

教育研究集会で発表したのです。幸いなことに算数数学部会の支部代表として、

『第10次全道教育研究集会』(略:全道教研)で発表する機会を得たのです。

札幌市で行われた全道教研の算数数学部会は、傍聴者も含めて教室に入り切ら

ない程の教職員が参加しております。

私は支部代表ですので正会員として緊張しながら発表しました。休憩時間に分科

会の助言者になっていた大学時代の恩師である宇喜多義昌教授が傍に来て、

よく頑張っているねsign01

と肩をポンと叩きながら励ましの言葉をかけてくれたのです。

この教授の励ましと、年賀状に書かれていた寸評が、私の研究への意欲づけにな

っていったのです。

それにしても、新卒2年目にして全道教研で発表するということは、学校としても名

誉なことであり、学校新聞にも紹介され、PTAの方々にも喜んでいただけた時代だ

ったのです。

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新卒一年を顧みて その②

教室に1人の憂うつそうな子を見て、その子はどうして憂うつなのか、その理由や

原因を徹底的に理解しようとするが、私にはそれほど深い知識を持ついとまもなく、

ありあわせの粗末な知識を基本にして、手探りで教育の仕事に取りかかる。

初めは大学で習いおぼえたガイダンスのテクニックを用いてみたりするが、しかし、

そんなテクニックが万能であるはずがない。そこには、やはり非科学的でつかみど

ころのない愛情や微笑がものをいうのである。

教育という仕事は、医者や技師の世界のようにハッキリした技術がなく、どの方法

が良いか悪いかをハッキリ断定できないところに困難な問題があるのではないか。

とに角、いろいろな問題を子供とともに苦しんで考え、子供のなかに隠されていた

ものを導き出し、子供の新しい考え方を育てていくよう努力していきたい。

先輩諸氏の忌憚のないご指導・ご助言を求めて止まない。         (以上)

注釈〕 私の「村娘」について書いた投稿記事の反響の大きさに驚きました。この

会報は教職員にしか配布されていませんので知るはずがないのです。ところが狭

い村です。村人と懇意にしいてる教員の誰かが見せたのでしょう。それが口コミで

広がったのです。青年団の女性や中には教え子のお母さん達から嫌味を言われ

ましたが、悪意に満ちたもので無かったのでほっとしました。

教育委員長をしている教え子の祖父が

先生、思い切ったことを書きましたねsign01あのような事を書けるということは、若い

証拠です。若いということは良い事ですねsign03羨ましいですhappy01

とコメントしてくれましたが、村にはハットするような美人もいたのです。私の認識不

足を露呈した一件でした。

その後、執筆記事は必ず他の人に1度見てもらうようになっていったのです。現在

UPしているプログ記事は、事前に見てくれる人がいないため、時々、誤字脱字や

表現のおかしな所があり、数日経って気づく有様です。

過日、小泉元首相が「奇人変人と言われた私も総理になれたし、漢字の読めない

人でも総理になったのですから・・・・・・。」とのジョークを飛ばしていましたが、文章

や言葉というものは恐ろしいものだということを痛感しております。教師の一言

子どもの成長に多大な影響を及ぼすことを新卒教員は肝に銘じて欲しいのです。

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新卒一年を顧みて その①

新卒で赴任した村には「教育振興会」という組織があり、村全体の教育をどう高め

るかという目的でつくられたそうです。年度末に会報を発行しており、私の投稿記

事も掲載されておりました。紹介します。

期待と不安に胸に抱きながら、昨年の4月小樽市からこの村に赴任して来たが、

来た早々風と酒に悩まされた。聞くところによると、村の名前はアイヌ語で「大い

なる風」という意味だそうだが、さすがにひどくポプラ並木が全部北の方に傾いて

いることも、その風の強さを物語っている。

しかし、晴天の日ほど素晴しい景色の所もあるまい。特に、朝日・夕日の美しさ、

見渡す限り黄金の大平原。そこを往来する若き娘たち・・・・・・・・。若い娘で思い

出したが、こんな事もあった。

或る夏の日、パラソルをさした美しい姿の娘が私の目にとまった。さぞ顔も美しい事

だろうなと思い、ついふらふらと自転車に跨りそっと顔を覗きに行って驚いた。

姿に似合わず真に不細工な顔をしている。

一般に「○○村娘」は、歩く姿は美しいがその割りに顔は美しくない。それに比べ

私の出身地の小樽の娘は、いつも坂道を往来するせいか、足を真っ直ぐに伸ばし

て歩かず横から見ると誠にまずい。しかし元来、青森や秋田方面から来ている者

が多いせいで、なかなかの美人が多い。しかし、彼女等が時々非常に面白い言葉

を使うのを見受け、興ざめする事が多々ある。

所で学校の方であるが、来た早々色々な仕事や役を賜り、担当学年の事は全て

まかされ、能力のない私の頭を非常に痛めつけたが、その様な状態のまゝ教壇に

立ち、子供の教育にたずさわるに当たって、色々な問題にぶつかり、時にはそれ

を解決する事が出来るが、容易に解決出来ない問題が大半である。どんな小さ

い問題でも、教育的に深く掘り下げていくと、誠にきりがない。

                                            (つづく)

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新年交礼会 『君が代』斉唱

米作農家100%である校区は保守一辺倒でした。元旦には小学校を会場に

新年交礼会』が開かれます。主催はPTA。PTAは全部落民で構成されておりま

すから父と子、PTA役員、区長、村会議員が集まります。いわゆる公的色彩の強

い儀式です。

はじめに『君が代』斉唱です。学校で教えていましたので全校児童が歌えます。

伴奏者は勿論教員です。当時、既に北教組(北海道教職員組合の略称)は

『君が代』反対を唱えておりましたが、組合の指示通りに行動していればアカ(赤旗

を転じて共産主義者や共産党を指す軽蔑語)呼ばわりされ、白い目で見られてしま

うのです。ですから、当時、北教組の組合員であった校長や私達教職員も

郷に入れば郷に従う」(ある土地に住むようになったら、その土地の風俗や習慣

に従うのがよいとのこと)のが当たり前と思っていたのです。

交礼会は主催者を代表してPTA会長の挨拶、来賓として区長、村会議員の祝辞と

年男・年女の児童代表の決意と続きます。しかも、出席者全員着飾ったいでたちで

厳粛な雰囲気です。部落の元老(その分野で功労のある老人)と呼ばれる方々も

出席しますので大切な行事です。国に対しての米価や補助金、水害対策への要

望や農民団体の結束強化と新生活運動の推進による農家の生活改善を訴える

内容の挨拶が主でした。

私は例年、年末休暇を利用して小樽へ帰省しますが、年を越した元旦早々、急い

でこの『新年交礼会』のため、学校へ戻らなければならなかったのです。その内に

実家に戻るのも面倒になり、札幌の深夜劇場で年を越し、また直ぐ学校へという年

もありました。年越しぐらいは親元で過ごす余裕すらなかったのです。

それに比べ現在は、市町村単位の『新年交礼会』であり、元旦を避け官庁の仕事

始めの日の午後日程で行われ、会場も市民会館や公民館、文化センターなどであ

り、教育関係の出席者は教育長と各学校長のみに止めているのが北海道の実態

ではないでしようか。ですから教職員は全く関係しませんですので、随分楽になった

ものだなあと思っております。

最近、学社融合とか学社連携という言葉で学校と社会教育のあり方が論じられて

おりますが、学校と地域社会との関係の乖離(カイリ:離れること)が問題になって

おりますが、『新年交礼会』の復活とは申しませんが、青少年の健全育成に向っ

て学校と社会がスクラムを組んだ活動を推進・活発化させることが重要ではないで

しようか。

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盗難事件③ 思わぬ展開

先生、この度は大変ご迷惑をおかけしました。まさか甥(オイ)が泥棒するなんて、

恥ずかしくて恥ずかしくて外にも出られないのsign03」o(`ω´*)oプンスカプンスカ!!

このまま先生を下宿させておくと、世間から何と言うわれるか分らないは。ですか

ら家に泊めておくわけにはいかないの!まだ家に来て半年足らずで申し訳ありま

せんが、そうしてくれませんか?」

と下宿のおばさんから、又もや退去命令なのです。

驚きました。今の下宿を探すのに大変な思いをしたのに、また、退去命令とは・・

・アワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ!!

早速、このことを校長に報告すると

本当に困ったことになったね!PTAの方々と相談するから、暫らくの間、そのま

ま今の下宿にいて下さい」とのこと。

それから数日して、夜分に職員室でPTA三役会議です。勿論、私の下宿の受入れ

先についての相談です。しかし、これといった解決策が見当たりません。

校長は

来年の秋になると教員住宅が2棟4戸新築され、今、私が入居している校長住宅

はそのまま残ることになりますので、どなたか1年間だけお世話してくれませんで

しょうか?」と何回も何回も懇願したとのことです。

結果的に、現役員の中で二世帯同居でない副会長宅が一番受入れ易いのではな

いかということになり、会長をはじめ他の役員方がこぞって説得したのです。

副会長宅は学校から500mの近くにあり、どちらかと言えば裕福な農家なのです。

誠実な人柄であり寡黙(カモク:ことばかずの少ないようす)な人ですので強引な説

得にタジタジとなり、止むを得ず引き受けざるを得なくなった副会長だったのです。

そのような訳で、私はこの田舎に赴任してきて僅か9ヶ月で下宿を3回変えなけれ

ばならない事態になったのです。しかし、その後も教職員構成と教員住宅数によっ

て転々と居を変えなければならないという運命を背負っていたのです。

現在は車社会ですのでこのような問題は起こりませんが、50年前は一教員ですら

このような苦労に耐えていかなければならなかったのです。

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 盗難事件① 犯人逮捕に絶句 

私が新卒で赴任した村の子ども達は、中学校を卒業すると地元にある村立高校

(農閑期のみ開設の季節制農業高校)か隣の市町にある道立高校へ進学するの

です。

たまたま、その市にある高校より盗難届が出されたのです。マイク、テープ、擬音

レコードなど放送関係の備品のみ。警察署では私の学校から出された盗難届が

テープレコーダーでしたので、犯人の目星がつきました。本村からA市へ通学して

いる高校生に間違いがないということで友人関係などを調べ、確証を得てから本人

の任意同行を求め尋問しました。その結果あっさりと自供したとのことです。

早速、校長と私がA市警察署へ出向き、盗難届けが出ている物品に間違いがない

かどうかの検分をしたのです。正しくそうでした。

驚いたことに、犯人は本校出身で小学校時代に放送部をしたことのある子だった

のです。彼はいつもにこにこしながら時々恩師に会いに来るし、成績や人柄もよく

児童会の役員をしたことのある好感度満点の子だったのです。私以外の先生方

は全員その子のことをよく知っていましたので大変驚き、信じがたいと口々に話す

のでした。そして

学芸会前だったら大変だったよねsign01遊戯の練習など出来なかったよねsign01

とのこと。

学校側では、前途ある高校生でもあり立ち直る機会を与えようとの考えから、犯人

氏名を公表しないことにしていたのです。しかし、この事件に付随して次から次

へと大変な問題が起きていったのです。

                                          (つづく)

注釈〕 A市にある道立高校は、各市町村立小中学校の成績評価が4,5段階の

子でなければ合格できないという、いわば広域圏の進学校として有名な学校だった

のです。従って、小規模校から進学するとなるとクラスのトップ級でなければなりま

せん。

窃盗犯である生徒は、自宅から駅までの約6キロメートルを夏場は自転車、冬場は

徒歩です。駅からA市まではジーゼル列車で通学し、吹雪で列車が不通となった時

は、友人宅に泊めてもらっていたのです。

たまたま盗んだテープレコーダーを友人宅に置いていたことから足がつき、犯人逮

捕となったとの警察官の弁。

盗難品を引き取りに行った校長と私は、縦30cm、横40cm、高さ15cm程度の可

なり重いテープレコーダーを持って警察署から学校まで持ち帰ったのです。

しかし、59歳になった校長に持たせるわけにはいきませんので、私1人で持ってき

たのです。約3.5kmの道程を。まだタクシー利用が習慣化していない時代(昭和

34年)だったのです。

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泥棒侵入 学校へ

学芸会も無事終了し一安心している秋のことです。学校に泥棒が侵入したことが

判明。被害は職員室に設置されていた公衆電話の料金箱がこじ開けられ、数十枚

の10円硬貨と、職員室前の放送室(一坪)に保管していたテープレコーダー(ソニ

ー製)です。

昨夜の9時に校内巡視をした先生の話によれば異常なかったとのこと。そうなると

犯行時刻は午後9時以降なのです。これまで学校の盗難事故は一件もない平和そ

のものの田舎ですのに、一体誰の仕業なのでしょうか?

職員室と放送室の入り口には南京錠がかけられているのに、職員室のみ錠が壊

されており、放送室の錠は鍵で開けられていたのです。その鍵は職員室の壁にか

けられているのです。警察はこの点に着目し、鍵の置き場所を知っている学校職

員か卒業生で放送係をしたことのある人物ではないのかと捜査範囲を絞ったわけ

です。

公衆電話の使用料金は月額約2,3百円ですので大した痛手ではないのですが、

テープレコーダーは相当な金額で購入したものであり、今後の教育活動の推進に

支障をきたしますので本当に困ってしまいました。

校舎内の東端に居を構えていた校務補さんは、犯人の侵入に全然気づかなかった

ことを悔やんでいましたが、教室の窓は施錠していないため犯人は何所からでも

侵入することができたわけです。従って、学校側の危機管理意識にも問題が潜ん

でいたわけです。

この事件があってから、夜の校内巡視は気持ちが悪いということで妻子のある男

子教員は奥さん同伴で巡視することもあったのです。

果たして犯人を逮捕することができたのでしょうか?

                                        (つづく)

注釈〕 学校には一般的に日直・宿直(日直当番、宿直当番とも呼ばれていた)

制度がありました。日直職員の勤務内容は、①校内巡視、戸締り、施錠、電源管

理、火気の始末等学校管理に当たり、 異状を発見したときは適切な処置をするこ

と。②施錠時刻になったら、教職員の責任者がいない場合、児童生徒の居残りは一

切認めないこと。③勤務終了後学校管理当番日誌に状況を記入すること。

また、宿直は日直当番職員から引継ぎを受け、翌日の日直に引き継ぐ時間まで

の学校管理をまかされていたのです。従って、学校の宿直室に泊り夜の10時頃と

早朝に校内巡視を行うのが一般的でした。

しかし、小規模校で校地内に教員住宅がある場合は、宿直は夜の校内巡視のみ

に止めてもよいことになっていました。

宿日直勤務には手当がつき、日曜日全日と宿直は全日当であり、土曜日午後

勤務の日直と校内巡視のみの宿直は半日当が支給されていたのです。

なお、宿日直手当額は勤務1回につき500円程度(昭和43年頃)支給されたわけ

です。

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1人3役? 学芸会

全校5学級の学芸会。私は小規模校の学芸会を小樽祝津小学校6年生の時に経

験済みですが、教師という立場で学芸会に携わるのは初めてです。とに角、1人の

教師が音楽(歌・器楽)・劇・遊戯と三種目を教えなければなりません

音楽は普段から学芸会を意識して数か月前から練習します。ところが、劇と遊戯は

そうはいきません。夏休み期間中に札幌の本屋で劇の本を買い求め、単純で面白

く、しかも出演児童が15,6名の脚本を選んだのです。確か『ころころ地蔵』」という

劇と、遊戯は講習会で習ったものを行い、器楽合奏は教科書に載っていた「

(空も港も夜は晴れて・・・・の歌)なのです。

器楽で困ったことは、一番簡単そうな大太鼓の子が、慣れてくるとリズムが速くな

のことでした。指導に当たっては、どの子が休んでも誰かが代役を務めることが

できるように留意。指導時数は約12時間。当然、放課後に残しての練習です。

総練習の前日に舞台作りがあります。何故なら、体育館のない学校でしたので

1,2年の教室前方に即席ステージを作り、3年生との教室の仕切りを取り払って

観覧会場にするのです。高学年の机を何脚か並べ、その上に舞台用として保管し

てある板を敷きます。ガタガタする所は「小使いさん」(校務補、業務主事、用務員

などと呼ばれていた人)が薄く小さな板を挟んで微調整します。

学芸会も運動会同様、部落総出の観覧で、やはり午後3時近くまで続くのです。

お昼休みはたっぷり1時間とり、母親が作ったご馳走を家族や親戚の人達が歓談

しながら食べるのです。勿論、男衆は酒を飲みますが運動会とは違って静かです。

農協婦人会に所属しているお母さん達の演ずる舞踊もありましたので驚きました。

そしてプログセムの最後は恒例になっている「全校劇」です。1年生から6年生まで

各学年から2,3名ずつ選ばれた子が演ずるのですが、選出された親御さんは鼻

高々です。

慰労会は校長住宅で行われ、奥さんの手料理と焼酎です。酒に弱い私は、自転車

に乗って下宿まで帰らなければなりませんので、付き合い程度しか飲みません。

酒の席が9時過ぎまで続いたのですが、私は舞台係の1人でしたので、バックを張

ったり大道具のセッティクグなどで疲れていため一寸横になって休んでいる内に、

完全に寝込んでしまったのです。

とに角、運動会以上に疲れた初めての学芸会でした。

なお、孫の住んでいる埼玉県では学芸会というのが無いようですが、これは北海

道独特の学校行事なのでしょうか。情報を下されば幸いです。

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教員と夏休み 今・昔

新卒教員にとって初めての夏休みです。今でも一般の人達から「先生方は夏休み

があってよいですよね!」との声を聞きますが、実は私もそう思っていました。

しかし、残念ながらそうではなかったのです。

先ず、日直として夏休み期間中でも5日間出勤しなければなりません。また、子ども

達の生活指導と学習指導を兼ねて、教員がペアを組んで五つの部落巡りが2回。

全校の一斉登校日が1日なのです。ですから、結果的に年休を行使できるのは僅

か5日足らずというハードな夏休みです。

しかも部落めぐりでは、「紙芝居」をしたり「夏休み帳」を中心とした学習指導の個

別指導をするのです。私は3年生の担任ですから1~3年生を担当し、もう1人の

先生が4~6年を担当します。何せ、テレビを持っている家がクラス23名中、僅か

3名という時代でしたので、夏休み中、子どもは退屈しており紙芝居を楽しみにして

いたのです。

紙芝居を見ている子ども達の瞳はみんなきらきらしており、感動を素直にあらわす

子ども達でした。あの純真な子どもの瞳が懐かしいです。

注釈〕 教職員は教育公務員特例法第20条により「授業に支障のない限り、

本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる。」ことになって

いるのです。このことに関わって、昭和46年に北海道教育委員会と北海道教職員

組合との間に協定書が結ばれ、夏季休業期間中に於ける校外研修(自宅研修)と

独身教員の帰省が認められ、居場所と研修内容の項目のみを校外研修処理簿に

記載さえすれば、自宅にいることができた時代が数年前まであったのです。

また、海外研修も教育委員会の承認を受ければ、長期休業期間中に行くことがで

きるのです。

私が残念に思うことは、長期休業期間に子ども達や保護者との交流活動を1度も

行わなく、本人のみが自由を謳歌している教員がいるという実態です。教職員の

意識変革を強く求める者の1人です。

なお、現在、長期休業中の日直は完全になくなっており、校長・教頭が勤務し学校

管理に当たっているのが実態です。昔とは随分違うことがお分かりいただけたと

思います。

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社会見学 大河を海と?

小規模校では社会見学を学年単独で実施することは困難です。何故なら、バス

代金の一人当たりの負担が大き過ぎるからです。従って、私が赴任した学校では

3年間に1度、1,2,3年生が合同で行い、2年毎に4,5年生、そして6年生の

修学旅行は毎年実施というふうに、変則的な実施計画だったのです。

さて、1~3年生は小樽水族館でした。自家用車がまだ普及していない時代(昭和

30年代)でしたので、海へ行くとなると大変な時間と経費がかかります。当時、水

稲の小作農家は一戸分3.5町歩か4町歩(4ha)でしたので豊かではありません。

ですから、今のように家族総出で行楽地などへレジャー旅行するという家庭は皆無

といっても過言ではありません。

学校もPTAも、子ども達に海を見せてあげたいという願望でした。貸切バスを借り

て63名の児童が、校長以下5名の教職員とPTA会長、副会長(女1名)、それに

校務補をまじえた8名の引率者によって出発しました。

バスは田園地帯を約30分進んで国道に出ました。数分後、1人の児童が突然大

きな声で「あゝ、海だ!海だ!」と叫んだのです。全児童が右側の車窓に近寄り、

口々に「海だsign01海だsign03」との叫び。

違うよ!あれは海ではないんだよ!海はもっともっと広く水も青い色をしているん

だよ。」と私が説明し納得させたのです。石狩川を見て海と勘違いした子ども達が

無性に哀れに思ったのです。

今、この子達は57,8歳になったわけですが、100年来の大不況を何とか乗り切

っていくことのできる精神力を持ち合わせた大人になっているような気がします。

注釈〕 平成30年代は北海道の国道はまだ舗装化が進んでおりませんし、高速

道路も整備されていませんでした。従って、見学旅行で小樽へ行くとなると、今より

約3倍の時間を費やしました。しかし、海を見た子ども達の感動は言葉に表すこと

のできないほどのものがあり、唱歌に出てくる「海は広いな大きいな・・・」の意味

やっとあの時の見学旅行で分ったとクラス会で語る教え子達でした。

現在、少子化にともなって学校の統廃合が進んでおり、小規模校は極めて少なく

なってきております。それらの学校の見学旅行や修学旅行は2~3校合同で行わ

れております。

また、北海道では平成22年度から中学校の修学旅行に飛行機を利用しても良い

ことになったそうです。随分世の中も変わったものだなあとつくづく思うのです。

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有線放送電話の利用

昔の田舎には”有線”とか”有線放送”と呼ばれていた定額型の地域内電話があ

りました。私が赴任した学校にも設置されており、30回線の1番です。農業共同組

合が運営しており全村一斉放送もできますし、指定した回線内にも一斉放送がで

き、緊急連絡には大変便利なものです。

例えば、豪雨による農道の冠水や吹雪による臨時休校措置や一斉下校、行事日

程の変更などの連絡には大変な威力を発揮します。

農協主催で「学校教育における有線放送の利用」について各学校代表の出席

のもとに、協議会が開かれ利用についての協力体制がとられていました。

学校に関係した放送としては、「学校だより」という番組があり、各学校のニュース

やトピックス、子どもの作文の朗読、学芸会の様子などを放送するのです。

また、「夏休み帳」「冬休み帳」の指導も、各学校に担当学年が割り当てられ、

15分間の指導内容を録音したテープを農協の有線放送本部に提出しなければな

らないのです。

僅か15分の放送ですが、指導内容・方法を決めるまでに数日を要します。そして、

いざ録音するためにマイクに向うと、誰も見ていないのに緊張して滑らかに話すこ

とができないわけです。結果的に何回も部分修正しますので可なりの時間を費や

します。と言う具合で学校側の負担が過重になりますが、便利さといえば電話以上

です。

しかし、弱点もあるのです。同じ回線内であれば受話器の前で盗み聞きすることが

できるのです。ですから、今の電話のようにプライバシーを守ることは難しいわけ

です。

電話名簿が各家庭にありますので、「○回線の○番さん」と電話交換手が呼び出す

と、知っている家の回線番号であれば、何かあったのかとつい聞きたくなるのです。

また、こんな事もありました。ある農家の納屋に米泥棒が入ったのです。軽トラック

に積んで逃げた車の音に気づいたご主人が有線放送本部に連絡しました。本部は

直ぐに一斉放送です。

緊急連絡します。緊急連絡します。只今、○線○号のAさん宅に米泥棒が入り、

軽トラックで逃げました。何か情報がありましたら至急本部へご連絡下さいsign01」と。

放送を聞いた殆どの農家は一斉に明かりをつけて、道路にライトが見えるかどう

か確かめ、関係部落の消防団や青年団が出動して、見事に犯人を逮捕したので

す。これも有線放送のお陰です。そう言えば、この田舎では戸締りをする家が一軒

も無かったのです。本当に平和な村でした。

なお、地域外と通話する一般電話は学校だけしか無かっため、部落の人達が村

外の親戚への連絡や、近くにある小さな店の主人が品物を注文するため学校の

電話を利用しておりました。

要するに学校の電話は公衆電話の働きをしていたわけです。なお、地域によって

は平成初期までこの有線放送を利用していたのです。

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朝刊が昼刊 田舎の学校

村の中心街と周辺の部落とでは生活に大きな違いがあります。中でも一番驚いた

ことは新聞です。

学校は駅から3.5kmキロメートル、役場から4kmあり、しかも車社会ではありま

せん。おまけに農家は300間(約540m)おきにポツリポツリと建っており、部落

全体の戸数も110軒程度でしたので、新聞配達の効率が悪いのです。ですから

配達員は農家兼業のアルバイトであり、昼過ぎに自転車で配達していたのです。

私の下宿は中心街にありましたので朝刊は朝に配達されますが、学校をはじめ教

員住宅や部落民は昼過ぎでなければ新聞を見ることができません。また、学校に

もテレビが入っていない時代でしたので、情報に疎くなっており「情報の田舎」とも

言える状態だったわけです。

校長はグランド脇にある公宅で昼食をとり(学校給食未実施の村でした)、学校へ

戻って来ると直ぐ新聞に目を通します。私達が5時間目の授業を終えて職員室へ

煙草を吸いに来ると、いつも新聞を広げながらこっくりこっくりとうたた寝をしてい

る校長の姿があったのです。

何事もない長閑(ノドカ)な学校の昼下がりの情景です。

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