学校教育

新型インフルエンザ 学級閉鎖

2009,11,24(火)AM10:00。嫁さんの携帯にメールが。

内容は新型インフルエンザの流行にともない25日から三日間の学級閉鎖とのこと。この措置により児童は土日を入れて五日間の臨時休業になるのです。

児童の中には学校が休みになるので「やったね!」と喜ぶ子も出てきます。従って学校では宿題を出したり、人混みの中には行かないこと、外出後の「うがい」「手洗い」について指導するのですが、実践しない児童もいて効果があまり上がっていないという実態もあるのです。

それにしても、年間授業日数が不足しますので、学校側としては冬季休業期間や年度末休業期間の短縮措置を検討せざるを得ないのではと思うのです。

何れにしても、学校側の考えを事前に早く知らせておくことが肝要です。

何故なら保護者の中には海外旅行等を計画している場合もあるからです。短縮措置の場合、飛行機やホテルのキャンセルをしなければなりませんし、遅れればキャンセル料も高くなり、学校側にクレームをつけにくる保護者が絶対にいると思うのです。

学校側の危機意識が新型インフルエンザの場合にも問われるわけです。特に管理職の意識が問題になりますので、速やかな対応を願う者の1人です

なお、学級閉鎖の連絡を携帯電話のメールで一斉に知らせたことは、非常に効率的で感心します。

今度は、児童の行方不明情報も警察と連携をとりながら、担任から保護者へとのシステムを構築する必要があるように思います。

たまたま、23日の17:00頃に警察署のスピーカーで人探しのお願いをしておりました。この情報も家の中ではテレビ等の音に消されて伝わりません。

ですから、児童生徒の生命に関わる情報に関しては、警察署と学校側が情報提供協定を結び安全・安心な生活づくりに留意すべきです

学校の教員とは恐ろしいものです。

埼玉県の某市には僅か五日間の滞在でしたが、児童生徒の通学状況や安全確保に向けた保護者の動き、授業日数や学校側の対応のあり方、陸上部のトレーニングの仕方などが気になってくるのです。

約47年間、教育界に身をおいていた哀れな高齢者の独り言です。

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クリスマスイブの出来事

冬季休業の初日である12月25日、親睦会主催の校内マージャン大会をしている時です。A市警察署から私に電話とのこと。

急いで受話器を持つと、「○○先生ですね。今朝、先生のクラスの子を保護しました。午後○時のバスで帰らせますので、一応連絡しておきます。後の指導は先生にお任せします!」とのこと。

一体、何をしたのかと聞くと、A市のデパートで綺麗なクリスマスツリーが飾られていることを聞いたK君は友達を誘い、弟の3人でA市へ出向いたのです。

デパートには珍しいものが沢山売っており、きらびやかな飾りなどに目を奪われ、エレベーターに乗ったり降りたりして楽しんでいたのです。

気が付いた時には、既に外は真っ暗。バスで帰ろうとしたのですがバス賃が不足です。 仕方がないので歩いて帰ろうとしたのですが、途中で無理と判断し、駐車している車の中で施錠していない自家用車を見つけて、車中で一泊することにしたのです。

厳しい寒さの中、お腹も空いているのですがどうすることもできません。3人は車中で抱き合うような格好で寒さに耐えていたのですが、いつしか眠りについたのです。

北海道の年末は氷点下10度以下になるのが普通です。そんな中で3人は凍えもせずに生きていれたのは、たまたま夜に雪が積もり、三人が寝ていた車も雪をかぶり、放射冷却現象を免れていたのです。

朝方、車の止めてあった近所の人が除雪をしている時、車のドアから子どもが雪をこぎながら降りようとしている姿を見つけて、警察に連絡してくれたのです。

この話を聞いて、凍死しなくてよかったことと、クリスマスイブであるにもかかわらず火の気の無い車中で一夜を越したとは、何て無謀であり腹立たしく思ったのですが、可哀想でもありました。

K君と弟とは異父兄弟であり、保護者の1人である父親とはどちらも血が繋がっていないという複雑な家族だったのです。勿論、経済的にも貧しくK君達はいつもひもじい思いをしていたのです。

また、我が子が行方不明であるにも関わらず学校への連絡も怠り、警察へ行って捜索願を出すという行動もとらない保護者なのです。

このように保護能力のない家庭であることを知っていた私は、保護者に話しても問題解決にはならないので、K君に直接会って無事でいたことを喜び、君達も恐ろしかったろう!と感想を聞いて終わったのです。

このように厳しい事後指導をしなかったにも関わらず、その後二人とも問題を起こすことなく、卒業したのです。

クリスマスイブには多くの家庭が食卓を囲んで楽しいひと時を過ごします。そう考えると、この子達が不憫(フビン)でなりませんでした。

現在、格差社会が問題になっておりますが、今以上に格差の大きい時代が過去にもあったのです。いずれにしても「生きる力」とは何なのかを考えさせられるこの頃です

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教員住宅は 子どもの遊び場

教員住宅へ転居してからのことです。

「先生、先生のお嫁さん綺麗なんでしょう!赤ちゃん可愛いでしょう!どんな顔しているの!」と女の子が時々聞くのです。

「そんなに気になるのなら、一度見に来るといいよ!」と言ったのです。

すると、天気の良い土曜日の午後になると、数名の女生徒が自転車に乗って遊びに来ます。

オマセな子は私の耳元で「先生、恋愛ですか見合いですか!」と聞き「綺麗な奥さんですよね!」と囁くのです。

また、ある子は「先生、赤ちゃんを抱いてもいいですか!?」と言い、私の同意を得て抱くのですが、その手つきのぎごちなさにハラハラです。

翌日、学級の女子仲間(6年生)で妻や長女のことが話題となり、私達も見に行こうという具合に、休みの午後になると子ども達が遊びにきたのです。

普段、授業中におとなしい子でも、我が家で見せる言動は想像できないほど活発であったり、飲み物を出した後にコップを自主的に洗う子など、自然体の子どもの姿を観ることができ、子ども理解に役立ったのです。

教育長として数十年ぶりに戻って行った時、何名かの教え子が当時を懐かしがり、狭くオンボロな教員住宅でトランプやマージャン、まわり将棋、はさみ将棋などをして遊んだことを語ってくれるのでした。

妻は愚痴一つ言わず、いつも子ども達を笑顔happy01で迎え入れてくれたのでgood助かりました

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言葉による「いじめ」と初期対応 ②

「海坊主」という言葉による「いじめ事件」の翌日のこと。

帰宅すると「A君の母親が、昨日の出来事を息子から聞き、先生が皆を叱り、息子の味方になってくれたとのことで嬉しくてたまらない。私も夫も感謝していることを先生にお伝え下さい。」とお礼に来られたことを妻から聞き、私は安堵しました。

その後、一学期末の学級懇談会で、ある保護者が「家の子も海坊主と言ったそうです。ご免なさい!許して下さい!二度と言わせません!先生にも大変ご迷惑をおかけしました。」とのこと。

この言葉を聞き、私の心の叫びがA君やクラスの子ども達、そして保護者にも伝わったことを知ったのです。

この事例は、文科省の「いじめの定義」にある                            □自分より弱いものに対して                                    □(身体的・心理的な攻撃を)継続的に加え                           との条件を満たしていなくても「いじめ」に相当するし、道徳的にも許すことのできない事柄であったので、私のとった指導は適切であったわけです。

しかし、今思うとやはり若かったのでしょうね。間髪を容れず子ども達に指導?説教したのですが、「何時から」「誰に」「どのくらい」言われていたかどの実態を把握してから指導するのが一般的であると思うのです

私の悪い癖は、感情を抑えきれず善いと思ったことは、誰が何と言おうとお構いナシに言動に移すところなのです。

ですから、時には誤解を招くことが多々ありましたが、結果的に子ども達や保護者、仲間から理解を得ることができたのですから、得な性格なのです。

ありがたや!アリガタヤ! でーーす。

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言葉による「いじめ」と初期対応 ①

ロングタイムの休み時間が終わり3校時が始まった時のことです。

A君が机に頭を伏して泣いているようでした。理由を聞いても話してくれません。すると友達の1人が「K君がA君のことを海坊主とバカにしたら泣いたのです」と話してくれました。

A君は学業成績がクラスでトップであり、運動能力も抜群で、100メートル走では学年で一番速い小学3年生の子です。

しかし、残念なことに生まれた時から頭の毛が産毛状態であったわけです。

両親は治療のため全国各地の病院を訪ねたけれども、治すことができなかったということを私と盃をくみ交わしながら、涙ながらに訴える父親(職場の同僚)の姿が目に浮かんできました。

3校時は社会科の時間でしたが、急遽、学級指導の時間に切り替えました。

A君が生まれながら頭髪がよく生えないこと。全国各地の病院へ行ったが治らなかったこと。両親の悩みの状況等をクラスの子ども達に話しました。

そして、人の身体的な欠陥馬鹿にしないこと。もし馬鹿にしたら、先生は絶対に許さないし殴ってやる。殴ったことで親が文句を言ってきたら、私は先生を辞める。先生はA君の味方であること。

また、A君も悔しいと思うが歯を食いしばって我慢し、心の強い子に育って欲しいこと等々、感情をむき出しにして説教しました。

私は家に帰っても気になっていました。

皆の面前で触れて欲しくない身体的欠陥についてふれたことについて、デリケートなA君がどう受け止めたかが心配でした。

                                            (つづく)

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跳び箱からの落下事故  

6年生の体育で「閉脚跳び」の指導中です。女子のSさんが跳び箱の前方に手をついたと同時に滑り落ち、勢いあまって身体がエビのような状態に曲がったのです。

一瞬息が詰まり立ち上がれないのです。慌てた私は彼女の重い身体を抱え込み、体育館の隅に横たわらせ安静にしているように指示したのです。

数分してまたSさんの傍へ行き「大丈夫かい!」と声をかけたのですが、彼女は青い顔をしながらただ頷くだけ。

チャイムが鳴り体育の授業が終了。Sさんはふらふらしながら私と友達の肩につかまりながら歩き、そのまま保健室のベットへ。

当時、本校は一部教科担任制で、私は4クラスの体育専科なのです。Sさんは私のクラスの児童ではありませんので、クラス担任の先生に事情を説明し、放課後に保護者に迎えにきてもらったのです。

母親に付き添われてSさんは病院で診てもらったのですが、別に骨に異常もなく圧迫による筋肉痛のようなものであるとのこと。

私はこの報告を聞いて安心したのですが、その後、何か後遺症が出るのではないかと時々心配になることがあったのです。

さて、彼女が中学に入った時、保護者が私に英語の家庭教師をして欲しいと懇願しました。私は、跳び箱の件で後ろめたさがありましたので承知したのです。

週に2度の指導です。彼女が自転車に跨り我が家に来て勉強している姿を見て、大事にならなかったことの喜びを味わう私だったのです。

しかし、それから約40年後、彼女と再会。例の跳び箱の件を話すと、寒くなると時々腰に痛みがあることを告げられ、「ご免ね!」と言ったところ

先生が謝る必要はないのよ!私の運動神経が鈍かったからですよ!」と笑いながら話し酒を注いでくれたその味は、格別美味かったのです。

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絵画と二人の教育長

A市の絵画ホール・M画伯記念館の外壁改修塗装工事がまもなく終了するとの新聞記事が目に留まりました。

私にとってM画伯に関わって強烈な出来事があったのです。

E市の新採用校長になって2年目。出張でA市に出向いた折、絵画ホールに立ち寄ったのです。

ホール入口にM画伯の略歴が掲示されており、読むとM画伯が現在私の勤めているB市の学校近くで出生したことが分かったのです。

館長にお会いしたところ、M画伯は故郷に数十点の作品を寄贈したいとの意向を持っているとのこと。

翌日、私はB市のF教育長にお会いしM画伯の意向を伝え、寄贈して頂くことにしてはどうか?と打診したのです。

するとF教育長が「何を言い出すのか!絵をもらったら管理しなければならない。お金が結構かかるはずだ!変なことを言わないでくれ!」とのこと。

私が「各学校へ数点ずつやり、廊下等に展示しておくと情操教育にも役立つのではないですか!またとないチャンスですので校長会で検討させて貰えませんか!」と懇願しました。

ところがF教育長は「余計なことをしないで欲しい。私がダメだと言ったらダメなのだ!この話は無かったものとする モムーリ!o(゚Д゚)っ」と怒り出すのです

一方、同じ支庁にあるG村のH教育長は、人脈を生かして絵画を収集し、教育委員会の玄関や廊下の壁に展示したのです。そして学校統合によって出来た新設の小中学校にその絵画を掲示させたのです。

ところが、教育美術展や全道子ども美術展にこの小中学校から5、6名の入選者が出るようになったのです。

H教育長は「立派な絵画は先生以上の指導者だhappy01!」と喜び勇んで言うのです。

私は、フランスやオランダへ行って驚いたことの一つに、両国の人達の絵画・彫刻などの芸術に関する興味・関心度が日本と全く違うということです。

パリでもアムステルダムでも親子で絵画等を鑑賞している姿をよく見かけました。保護者が子どもに解説をしたり子どもの感想を聞いたりしているのです。

残念ながら日本ではあまり見かけない光景です。皆さんはどう思いますか?

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トイレの花子さん?

1969年(昭和44)のある雨の日の休み時間。教室の片隅で女子達がヒソヒソ話です。

「ちょっと!聞いた!気持ちわるーい!」「イヤー!恐ろしい!トイレに行けなくなるじゃない!」と口々に声を発しているのです。

体育館の横にある女子トイレの3番目を3回ノックして入ると、「花子でーす」とかすれた声が聞こえてくるという噂話 ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

古い学校には幽霊が出るなどの怪談話がつきものです。「トイレの花子さん」の話は後に映画やアニメなどにもなりました。

それは1994年頃ですから、本校の花子さんの話は25年も前の話なのです。

この花子さん騒動は学年全体に広がり、一人でトイレへ行くことを怖がったり、我慢する子が増えたのです。

誰が、誰から聞いて流布したかは定かでありません。

職員室でも話題になり、臭気抜きの換気扇がスムーズに回らなく、擦れた時に発する音が聞き手の子どもに「花子でーす」と聞こえるという結論に達したのです。

早速、クラスに戻った私は皆と共に問題のトイレへ行きました。「花子さーん!出て来てー!」と呼んだのですが、返事がありません。

誰かが、「こんなに全員に呼ばれたので、花子さんは恥ずかしくて顔を出すのをためらっているのよ!」と言うと、皆は「そうだよね!」と同調するのです。

換気口からの音について説明をし、恐怖心をぬぐい去ろうとした私の意図は、見事に裏切られたわけですangry

この花子さん事件から、宿直でこのトイレの奥の方にある非常口の施錠を確認に行く時は、何故か背筋に寒気が走るのです。

教師の私も怖い感じがするのですから、子ども達が恐ろしがる気持ちが分かるような気がしたのです

学校のトイレはどちらかと言えば、陰湿な感じがしますが、そのイメージを払拭するため子ども達のアイディアで明るく居心地よいトイレhappy01に変えた学校があるそうです。

その学校は埼玉県戸田市のある小学校。

たまたまトイレ改修にともない児童の考えも採り入れたところ、壁や戸には今風のアニメの主人公などの絵が描かれ、トイレ内にベンチも置かれたそうです。

トイレが小さなコミュニティに変身したそうです。子どもの発想は面白いものですよね!

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つぶやきで綴る 1年間 ②

8/21  二学期始業式。「よく算数をこんなに復習したな!」「標本つくりさぞ大変

     だったね!」「歴史年表も凄い!」夏休みの学習を見て驚く。

9/20  体育の「足掛け上がり」。膝裏が真っ赤だ。痛いだろうな!でも随分上手

     になったものだ!

9/27  校内陸上大会、総合優勝。「よくやった!特に持久走は頑張った。」

     「作戦が成功した!」

10/5  篠原公園にて。「ゴミ一つないや、感心、感心!」

10/21 学芸会総練習。短期間でよくここまで出来るな。さすが6年生だ。

Photo_2

11/8  学級対抗ソフトボール・ポートボール大会。

      「動きが少し拙いな!もう少し練習させるんだった。」「昨年優勝したので

     少し過信したかな?」

11/29 学力テスト。毎朝分数計算をしたから、さすが技能テストは良いな!

      Bさんは凄い。町内一だ!

12/5  テスト三教科。みんな真剣だな。だけどかわいそうだ。これからもっと

     苦しむぞ!

1/24  Kさん転出。内気だから向こうで友達ができるだろうか。もっと話しかけ

     てやればよかった。すまないな!

1/30  理科実験「モーター作り」。「誰だ!何時まで回しているのは?何故回る

     か原理をよく考えるのです」

2/5   T君転出。おしい人が行っちゃったな。せめて卒業までいれないのかな。

2/7   風邪で臨時休業。誰だの?臨休になるって喜んでいるのは!授業が遅

     れると卒業式が延びるんだよ。

2/19  Sさんが転入。T君、Kさんが居なくて寂しかったが、1人増すのでみん

     な喜ぶだろう。良かった!良かった!

2/24  中学校へ授業参観。「やけにそわそわしているぞ!さぞ複雑な気持ちだ

     ろう。」

3/9   お楽しみ会。「いつの間に練習したのだろう?なかなかセンスがあるや。

     それにしても、いつまでも子どもと思っていたが、どうしてどうして!」

     「記念品どうもありがとう!何時の間に相談したのかな?全然知らなかっ

     た。気持ちだけで十分だったのに・・・・・・。すまないことをした!」

3/10  後九日間で卒業式。みんな元気で頑張ってよ!

                          (1968.3.19  6年竹組  担任)

この文集は8人の子ども達が編集に携わったのですが、既に1人がガンで他界し

他にクラスメートの1人が交通事故で命を失っているのです。ご冥福を祈ります。

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つぶやきで綴る 1年間 ①

1968年(昭和43年)、教員になって2回目の卒業生を送り出したのです。

当時はまだPCやワープロ、複写機がなかったのでガリバンで手書きの文集です。

Photo

ロウ原紙を鉄筆でつぶして帆船を描いたのですが、濃淡をつけるのに結構な技能

が必要。しかし、実技研修会に参加して身につけた技術が役立ちこのような表紙に

なったのです。

この文集の最後に「思い出のつぶやき」と題して、私のメモが載っていました。

6年生の教育活動と担任の心情などがあらわれていますので紹介します。

4/6   六年生のスタート。86個の眼が輝いている。最高学年になった自覚、

     意欲がひしひしと感じられる。

4/13  Tさんが転入。仲間が1人増え男女共に22名。転入生に不便をかけな

     いように誓い合う。

4/15  児童会長にYさん、副会長にG君、整備部長にBさんが選ばれる。こん

     なに竹組から役員が出ていいのかな。でも嬉しい。

4/18  身体検査。随分大きくなったものだ。特に女子は凄い。身長が6cmも

     伸びた人がいる。

5/10  よく家庭学習をしてくる。この調子で頑張って欲しい。

5/11  クラブ活動始まる。みんな喜んでそわそわしている。

5/24  「ガヤガヤ・・・・。シー。誰か来る!」 光風園(洞爺湖のホテル)。

     夜11時。「困ったものだ。明日疲れるのに!」・・・・・「こらっ!」と怒鳴る。

     嬉しくて嬉しくて堪らないのだ。仕方がないや。

6/9   運動会近づく。フォークダンスの練習。「そんなに照れなくてよい!」

     と叱る。エヘヘヘ・・・・。とは言うものの本当に照れくさいものだ。

7/6   登校するとTさん達が校舎の前面を掃いている。何て素晴らしいことだ!

7/19  陸上競技大会。「A,S,Tガンバレ!」。役員をしながら声を大に叫ぶ。

7/26  1学期終業式。楽しい夏休みを過ごしてね。「あゆみ」の成績は気にす

     るな。やる気になればまだまだ伸びるのだ!    

                                            (つづく)

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