組合活動

10.21のスト破り 犯人は①だ!

初めての全国統一半日ストがあった10月21日。

その夜、ストを回避せざるを得なかった私を慰めてやろうと、同僚3人が下宿に来

たのです。しかし、私は可なり疲れていたので誰が来ても会いたくないと思い、懇意

にしている向いのラーメン屋さんで時間をつぶしていたのです。

10時過ぎに部屋へ戻ると書置きがあり、葡萄や果物も添えられていたのです。

友愛と信義の日教組。ご苦労さん!慰労に来たのですが会えなく残念!ゆっくり

お休み下さい!」と。涙が出そうなぐらい嬉しかったですが、仲間を裏切ったようで

自責の念にかられたのでした。

その後、数週間してスト破りの犯人は①(マルイチと呼び北師同窓会を指す俗称:

札幌師範学校から第一師範学校に校名変更による)であるとの憶測が流れたので

す。確かに支部の役員も①。市町村教育委員会教育長部会の会長も地域の校長

会や組合の支部長も確か①だったと思うわけです。その幹部等が結託してスト破り

行為に出たとの噂なのです。

しかし、客観的に見ると①でなければ教員でないと豪語していた時代であり、北海

道の教育界を牛耳っていたのです。勿論この噂は③や②などが流していたようで

すが、真意のほどはよくわかりません。

中でも、元道学連委員長を務めたことのある先輩のA教員が北教組E支部の書記

次長(専従)であり、教委連会長とも近しい関係にあったため、彼がスト破りの主犯

格だとの噂です。

この噂に耐えられなかったのかどうかは定かではありませんが、その後、A教員は

東京都の教員として転勤していったのです。確か74歳になるA教員は現在も埼玉

県のある私立高校長として活躍しており、数冊の本を出版しNHKのTVにも出演す

るなど凄腕の人物なのです。ですから疑いを持たれたのも当然です。

いずれにしても、派閥問題を抜きにして北海道の教育を語ることができない状況だ

ったのです。

しかし、その教育界も世代交代により様変わりしてきており、若手教員の同窓意識

は希薄になってきておりますが、各同窓が互いに切磋琢磨して教育活動に取り組

む姿勢が余り見ることができないのは寂しい限りです。派閥の功罪、光と影の部分

を抜きにしてのことですが・・・・・。

なお、派閥については下の過去ブロを参照して下されば理解が深まると思いま

す。

  <ストレス 酒びたり 早死に>

http://kyoikuchou.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-6c6e.html

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10.21スト 非難続出

1966年10月21日午後3時半。緊急分会長会議が召集され、10.21ストに対す

る各分会の対応についての報告です。各分会の主張は

「本校では参加体制が確立しており、午後からストに突入することになっていた。

しかしA校(私の学校)がストを回避したとの情報が11時過ぎに入ったので、組合

員が動揺し、結果的に突入することができなかった。A校がこのような行動に出

なければ、無理なくストに突入できたのに非常に残念である。従って、この闘争の

一番のガンはA校であるので、分会長の見解を聞きたい!」

という趣旨の発言が全体を支配していたのです。

私は、スト体制の確立のため数度に亘る分会会議を重ね相当努力してきたが、

管理職の強烈な切崩しと各組合員の人事面を中心とした利害関係が禍して、結果

的に皆さんに多大なご迷惑をお掛けする結果になったことを深くお詫びする旨を説

明したのです。

ところが、そのような態度でいたら今後予想される組合活動への展望が開けない

と、再度、我が分会を批判し始めたのです。

他分会の本校分会への攻撃に終始している分会長会議に、私は腹が立ってきまし

た。

「本当に闘う力量のある分会なら、例え本校がストを回避したとしても率先して突入

すべきではなかったのか!本音はキリン闘争(長い首で相手方の出方を探り

分の行動を律する態度をやゆして言う言葉)であり、本校が脱落する情報を得て

としたのではないか!本校だけを攻めるのでは筋が通らないと思う!」

と開き直り語気を強めて主張したのです皆は私の勢いに押されて黙ってしまっ

たのです。

その後、各地の情報が入り、隣の町では支会長(市町村単位の組合の責任者)が

雲隠れして情報が入らないとか、私の学校がいち早く脱落したとの情報により、

他の支会もストを回避したとのことでした。

私は、結果的に本校の動向が近隣地域に影響を及ぼしたことを知り、本校に課せ

られた役割の大きさを再認識させられた闘争でした。

なお、日本労働組合総評議会(総評)が呼び掛けたこの統一ストを契機に毎年

10月21日を国際反戦デーとして記念すべき月日に位置づけられたのです。

また、この日は奇しくも1943年(昭和18)に学徒出陣壮行会が開かれた日で

あり、私の誕生日なのです。ですから、誕生日になると必ずデモ行進の動員がか

かったわけです。

あれから43年。振り返ると、感慨深いものがあります。

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10.21スト 当日の状況

10.21スト当日の朝です。職員室で分会会議が開かれています。管理職は隣の

事務室で心配しながら成行きを注視。

分会長の私が、

「本日のストに関わって、参加体制を確立するために組合員1人1人の意志を再確

認します。1年ブロックから順番に表明して下さい!」と促しました。

ところが、学年主任の5名と同じ町内に勤めているある学校長の娘が不参加を

表明。そのことを知った教員の1人が、

「何ということですか!あれほど分会会議を重ね、本闘争の意義を理解し参加体

を確認してきたにも関わらず、一夜明けて脱落者が出るとは情けない!私は仲

間として誰を信用していいか分らなくなりました。残念ですが私も脱落します!」

と言うや否や机にひれ伏し泣いているのです。

現段階でストの不参加者は9名に膨れ上がっているのです。組合員29名に対して

約3割が不参加なのです。それを知った組合員の1人である学年主任(台湾から

の引揚者)が、これまで参加すると表明していながら態度を変えた理由を私達に分

るように述べて欲しいとか、共稼ぎの女教師(2名)に対して、

「あなた方は共稼ぎでいわゆる二馬力です。経済的に余裕があるからストに参加し

ないのではないか!?私達の経済状況も理解し共に闘おうではないですか!」

とまた説得し始めるのでした。

このようなやり取りを繰り返しながら、3時間目の終了近くの時です。4年生のある

児童2人がドアをノックして職員室へ入るなり、大きな声で

「○○先生、E君が机の角に頭をぶつけて血が出ています!直ぐ来て下さい!」

との報告

私はこの報告を聞いて直ぐ立ち上がり、

「非常に残念ですが、これまで長時間を要して話合いをしてきましたが、。状況は誠

によくありません。しかも、子どもに怪我を負わせてまでストをすることは許されるも

のではありません。私は分会長という名のもとに、現時点でこのストを回避すること

北教組A支部へ報告します。

従って、先生方は速やかに各教室へ出向き、子どもの安全確認と授業を行うようし

て下さい。なお、支部オルグを要請しますので来られたら放送で連絡します。

以上、宜しくお願いします。これで分会会議を終わります。」

と通告し、事務室から支部に経過報告し、オルグを要請したのです。

結果的に本校における10.21ストは回避され、怪我の児童もおでこを少し傷つけ

た程度であり、保健室で消毒と簡単な治療で済んだのです。

しかし、早朝から延々と分会会議を開き、授業も約3時間つぶすことになったのです

が、これもストと同じではないかと思うのですが、何故か校長は

「良かった!良かった!先生、どうもありがとう!」と繰り返していたのでした。

要するに一部授業カットされても、全国統一ストを回避できたことに対して、

安堵の気持ちと職責を果たすことができたため喜んでいたのでした。

では、他の学校はどうだったのでしょうか。

                                          (つづく)

注釈》 この時代、教頭昇任は選考試験はなく校長の指名制だったのです。

ですから、学年主任や教務主任(部長)は一番教頭になるための重要ポストであっ

たのです。従って、ストの不参加者は教頭職を狙っている人達や校長に逆らわない

で、異動の際により有利になるようにと考えていた教員等は、管理職の説得に応じ

たのでした。

私はまだ27歳でしたし転勤してきてから2年目ですので、人事面は全く関係なかっ

たのです。ただ、本音を語らない組合員や目先のことだけを考える仲間に腹がた

ったのです。

ストをすると行政処分がくる事は分っていましたし、たかが戒告処分で昇給が3ヶ月

延伸される程度で、10月昇給が1月に伸びるだけです。人事院勧告の4月実施が

10月に延ばされると、戒告以上の実害があるわけです。

こう考えると、ストを決行し政府に強い圧力をかけることが必要である、と私は真剣

に考えていたのですが、その考えも度重なる分会会議や仲間のエゴ的な言動を

目の当たりにし、次第に挫折していったと言っても過言ではありません。

いずれにしても、統一ストに対する構えを変えざるを得ない出来事でした。

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10.21スト 前夜の密約

この話は、当時の同僚がまだ21名生存しているものですから、以下の密約をバク

ロしてよいものかどうか戸惑ったのですが、組合闘争史の裏情報の1ページとして

公表しておくことも必要ではないかとの判断からするものです。

10月20日、夜9時ごろ校長からの電話です。要旨は下記の通りです。

① 明日のストは違法行為なので公務員として絶対にしてはいけないことである。

② 過日、教頭が説得に行ったはずだが、先生は頑として拒否したとの報告を受け

    ている。

③ 今日の段階でストに参加しないと表明している先生は誰々か。

④ 教育長も先導的な役割を果たす本校の動向を注視している。

⑤ 私はA地域校長会の会長であり、教育長はB管内市町村教育委員会教育長

  部会の会長である。君も人事でお世話になったと思うが、その教育長が

  「私は本町のスト切崩してみせる!」と教育長部会で啖呵(タンカ)を切ったと

  のこと。顔を立ててやってくれ。

⑥ 私は、教育長の指示を受けて電話をしているが、どんな形でもいいから協力し

  てくれないか。

⑦ 今晩も教頭が学年主任や教務部長の家を訪問し、ストに参加しないように説

  得活動をしている。

以上のような話を聞きながら、私は最終的な結論を述べ、校長の協力を仰いだの

です。それは

□ 明日、勤務時間に食い込む分会会議の開催を認めよ。

□ 校長や教頭の説得に応じてスト参加者が急増したことが判明したら、その段階

  で私はスト体制の確立のため、分会会議を続行する。

  例え、時間が2、3時間要しても。

□ 組合員の動揺と混乱が予想されるので、その段階が全組合員に宣告する。

  「非常に残念なことではあるが、僅か1日でスト不参加者が急増するとは何事

  か!このような状態でストに突入した場合、職場に亀裂が走り、今後の教育活

  動に禍を及ぼす。従って、私の責任においてこのストは回避すると表明する。

  なお、北教組地区役員によるオルグを要請し、できれば体制の再確立を図り

  たい」と。

□ 分会会議のため職員室の使用を認めてくれること。

以上の要求に対して校長は教育長と連絡・協議して、間もなくOKとの回答を寄せ

たのです。しかも、「学校現場における責任は、全て私がとります!」とのありがた

い教育長のコメントが添えられたのです。

私は、自分の一存で決めたことに対して多少不安が過ぎりましたが、後はケ・セ

ラセラ(成るように成る)だと腹を決め、眠りについたのです。

一体、明日の10.21スト(戦後初めての?半日スト)はどうなったのでしょうか?

                                          (つづく)

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10.21ストに対する 組合員の意思

1966年(昭和41)10月21日。総評傘下の組合が下記の四つの闘争目標を掲

げて統一ストを計画。

 ① ベトナム戦争反対         ② 全国一律最低賃金制の実施

 ③ 人事院勧告の完全実施     ④炭鉱の合理化と首切り反対

このストは労働組合が「戦争反対」をかかげてストを組織した初めての闘争だっ

たのです。この時、私は学校班の代表である分会長だったのです。

ですから、校長、教頭を除く全教職員を如何にストへ参加させるかの使命を帯びて

いたのです。

私は民間に比べて賃金の安い教職員に対して、スト権を与えない代わりの措置と

して人事院があるにも関わらず、その勧告を政府が毎年のように値切り、4月実施

を10月実施にするとは何事か!そのような暴挙は許されないとのことで、口角泡

を飛ばしてトス参加に協力するよう訴えたのです。そして、数回にわたる分会会

議を開き、組合員1人ひとりの説得と意思確認を始めました

ところが、私の学年主任であり同窓である先輩が、

公務員の争議行為地方公務員法第37条第1項で禁止されているのだから

絶対にしてはいけない。後で後悔することになる。また、分会長だからと言ってスト

を煽ることも法に触れるので、皆冷静に考えストに突入しないでくれ!」

逆説得をするのです。

この意見に同調した組合員は元校長(結核で休職した後、復職した教員)と元教

頭経験者1名、女教師1名でした。従って、組合員29名中4名がスト反対を表明し

たのです。

この反対者を説得するために、その後数回にわたって分会会議を開きました。

しかし、スト反対者を説得できないまま、スト決行の前日にあたる10月20日を迎

えたわけです。スト参加者の最終確認と明日の行動について説明し、明日の勤務

時間前に再度分会会議を開き、全組合員が同一行動をとることを訴えて、分会会

議を閉じました。

そして、その晩です。

                                            (つづく)

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道徳教育はダメ 支部執行委員会で

北教組主催の第14次全道教研の支部代表として、誰を正会員にするかの議題で

執行委員会が開かれました。各教科・問題別分科会別に選考していき、生活指導

に関するレポートの審議の時です。ある執行委員が、

「この内容は道徳教育ではないか!こんなの討議する必要がないですよ!」と。

今まで執行委員会で意見を述べたことのない私(25歳で一番の若手)が、勇気を

持って発言したのです。

「ちょっと待って下さい!本部の運動方針では確かに特設道徳反対となっていま

すが、道時教育そのもの自体に反対しているとは思えないのです。徳目主義を中

心とした戦前・戦中の修身のような指導内容や指導方法に問題があるのであって

道徳教育は人づくりにとって大切な教育内容だと思うのです。内容の良し悪しを

問わずに、道徳という名だけで切り捨てるのは、余りにも了見(考え)が狭いのでは

ないでしょうか?そのような態度で組合員を指導していったら、組織離れの人達も

出てくるのではないですか。私は、このレポートが全道教研の場で堂々と論議され

ることを望みます。」と一気に主張したのです。

委員長をはじめ他の執行委員もビックリした眼差しで私を見つめ、一瞬静まりかえ

りました。すると、情宣部部長のC先輩が、

「よし、分った!よく意見を言ったな!このレポートを全道につなげていいですか?」

と問うと、全員が「いいです!」と認めてくれたのです。

それから14年後、私が勤めている学校へC先輩が着任してきました。依然として

組合活動の闘士で名を売っており、地区労働組合委員長を務めてる人物なの

です。

このC先輩が卒業式にキューバのカストロ議長が着ているような服で出勤してきた

わけです。卒業担任の私が、

「C先生!そんな服装で卒業式に臨んで欲しくないのですけど!何故、背広姿で来

なかったのですか。着替えて下さいよ!!」と抗議しました。

辺りにいる先生方はビックリです。若造の私がC先生に対して言える言葉ではな

いと。

その忠告を聞いたC先輩は、にこにこしながら

「なかなか言うね!」と軽く受け流したのです。結果的にC先輩は卒業証書授与式

には教職員席に座らず、保護者席の後方に座ってくれたのです。

式典が終わり、最後の学級指導を終え、子どもや保護者に挨拶を済ませた後、

グランドに出て学級歌を歌いながら学級旗を焼却し最後の別れを惜しんだのです。

「蛍の光」に送られ、全職員と全卒業生と別れのセレモニーを終えたあと、職員室

に戻ってきたC先生に対して、

「先輩、今朝ほどは大変失礼なことを言いました。お許し下さい」と陳謝したところ、

「気にするな!俺とお前の仲ではないか!でも、良く言えるようになったな!」

と許してくれたのです。

そのやり取りを聞いていたある女の先生が、

「先生とC先生とはどんな関係があるのですか?」と訊ねましたので、

「十数年前に支部の情宣部長と副部長の関係だったんです」と言うと、

「どおりで変だと思ったわ。普通なら喧嘩になってもおかしくないことなのに」と納得

してくれました。

私は、組合活動に対して絶えず疑問を抱きながら取り組んでいましたが、C先生の

言動に対して職員会議の場でも時々批判するようになっていたのです。

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一晩で心臓病に

北教組本部総会において私達の所属していた前支部長が本部副委員長に再選

され、その祝いがパーラー石田屋で開催されました。豪華な鯉のあんかけ料理

などを食べ、その後、書記長の親戚が経営している「すすき野」近くのホテルで、

北師同窓会の仲間だけで二次会が催されました。

酒に弱い私は、まだ、先輩達とは親しい人間関係ができていませんでしたので、酒

は少し飲み煙草ばかりをふかして緊張しながら話を聞いていました。

そして、宴会終了後、情宣部長のE先輩が「一緒にお風呂に入ろう」との誘いにのり

入浴したのです。

しばらくして、いつもより胸の鼓動が激しいのに気づき、早めに部屋へ戻り疲れた

ので先に寝てしまいました。

ところが、翌朝目覚めると心臓が激しく鼓動しているのです。時々息がつかえるよう

な感じなのです。急いで脈を数えてみると約120。そして時々速くなったり26拍目

に1度の割合で止まるのです。要するに不整脈になっているのです。

数日後、隣町の病院で診てもらったところ『心室性期外収縮』とのことで、飲み薬

をもらいました。この病気は安静にしていてもなり、丁度100mを走った後のように

息苦しくなることがあるのです。

しかし数年後、余り気にしなくなった30代前半に自然に治っていたのです。しかも

薬を飲んでいなかったにも関わらずです。再発もしないから不思議です。

今思うには、酒の酔いがまだ醒めていないにも関わらず、お風呂に入ったのが

接的な原因でしようが、極度の緊張と煙草のふかし過ぎと強いストレスが起因し

いたのではないかと思うのです。

このことも、物事を「ケセラセラ」(為るようになる)と楽観的・楽天的に考えるよう

になっていったきっかけの一つではないかと思うのです。

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支部情宣部副部長となる

よく組合員はよき教師」として頑張らなければならないと思っていた矢先に、北海

道教職員組合(略;北教組)本部役員を経験し、若干43歳で新採用校長となった

T校長の勧めで、北教組A支部の執行委員となり情宣部副部長をおおせつかった

のです。

副部長といっても部員が一人もいなく、部長は書記次長が兼務なるです。仕事は

組合活動の様子を「組合便り」にして伝えることなのです。

A支部は幾つかの町村の組合員で構成され、支部長、副支部長、書記長、書記

次長は支部代議員による選挙で決定するのです。その他の執行委員は各町村よ

り1名ずつ選出される仕組みになっていました。私はまだ25歳の未熟者でしたの

で、何事も前向きに取り組まなければならないと思いながら取組んでいました。

さて、執行委員になったのはいいのですが、執行委員会で論議される内容や組合

用語があまり理解できません。そうこうしている内に札幌市の大谷ホールで本部

総会が開催されました。私は情宣部ですので審議内容や議決事項等を記録して

支部内組合員に速報として配布しなければならないのです。

2階の傍聴席で緊張しながら速記します。各支部の代議員がうちわを振りかざして

発言を求める姿や、堂々々とした質問者や答弁する本部役員の姿に感服してお

りました。

家に帰り5mmの原紙に鉄筆でガリをきるのです。見出しやリード文をどう記述する

か悩みましたが、素原稿を校長に見ていただき訂正願って速報を作ったのです。

校長が組合員であり、しかも北教組本部の役員経験者でしたので、指導助言を仰

ぎながら情宣活動に精を出すことができたので大変助かりました。

この時の経験が素地となって、後に「学校だより」の編集に携わったり、一晩で原

を5枚きるほどの技能がいつの間にか身についていたのです。

仕事は「やらされるのではなく、やらせてもらう」との考えで取組むと、それが、

いつの間にか力になっているものであることを、約47年間の教育界で培ったこ

となのです。即ち、能動的な取組が大切であるということなのです。

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「良き組合員は良き教師」の実践

日教組が「良き組合員は良き教師」と言っており、さらに「教師の倫理要綱」という

ものがあって、団結の重要性を唱えた文言が堂々と職員室に掲示されていた時代

のことです。当時は校長も組合員で役員を務めている地域が多かったわけです。

日教組の組織は、頂点に日本教職員組合(略:日教組)があり、その下部組織に

都道府県教組(各支部を束ねた組織)、支部(市や幾つかの支会を束ねた組織)、

支会(市町村毎の組織)、分会(学校班)となっています。まるで軍隊のような組織と

言っても過言ではありません。

学生運動の動員をよくエスケープしていた私が、教員になってから組合員の校長

の姿勢や優秀と言われていた先輩達が、北海道教職員組合(略:北教組)の役員

や教育研究団体の会長や事務局長、教育研究所所長・所員、北海道教育委員会

の指導主事、市町村教育委員会教育長などで活躍している姿を見ておりましたの

で、私もゆくゆくはそう有りたいとの願望を強く抱くようになっていたのです。

それで、新卒4年目に分会推薦を受け支会の執行委員になり、厚生部を担当する

ことになりました。所謂、教職員の福利厚生面の事業を企画推進するのです。

先輩のH先生の助言を受けながら、次の三事業を企画し推進しました。

1 石炭を特別価格で販売・斡旋する

 ・4月中に希望を募り5月10日まで代金を支払うと市販より3割程安く販売できる

  こと。

 ・代金は校長会長名義で信用金庫より融資を受けて一括業者に納入し、寒石炭

  手当てが支給されたときに一括、校長会へ返還する。

2 親睦事業の推進を図る。

 ・登山の実施。

 札幌岳(標高1,293m)登頂後、定山渓温泉(渓泉閣)で1泊する。

 ・キャンプの実施

  目的地は支笏湖モーラップでキャンプし、ファイヤーを囲みながら親睦を図る。

以上の事業内容でしたが大変好評を博し、次年度以降も継続されることになった

のです。

イデオロギー闘争とは違い、組合員の生活に直結する事業や活動の展開は、多く

の組合員の賛同を集めることができたのです。こんな内容も組合活動の一つだっ

たのです。

注釈〕 石炭価格については、炭鉱の山元に5月上旬までに代金を払うと、割戻

金が還元されることと、売炭所への入荷は台車で山積みになって運搬されるので、

約1割近く量が多く入荷されるとのこと。それに、信用金庫から借りた石炭代金の

利息を計算して、石炭の種類別に斡旋したのです。昭和37年の頃で、良質な塊炭

が1トン5,200円だったと記憶しています。しかり随分安いとのことで、教職員仲

間の奥さん達にも喜ばれたのです。

現在、北海道のある支会では、灯油、ガソリンを販売する業者を指定し、組合員で

あれば特別価格で売ってもらえるよう協定を結んでいるところもあるのです。

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