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2008年11月

2008年11月30日 (日)

学芸会に出るな!

3年生の時の学芸会のことです。私は合唱に出ることになった

のです。そのことを母に告げると、

母 「先生は何番目位に呼んだの?」・・私 「分からない」

母 「真ん中から前なの?後なの?」・・・私 「後だよ」

母 「ふーん、練習だけは、していてイイよsign01

変なことを言う母だなあと思っていましたが、学芸会当日、理由

が分かったのです。

母 「アポチャン、お母さんと一緒に丸井(老舗デパート)さんへ

行こう。馬(遊具)に乗せてあげるから。」

私 「だって今日、学芸会でしょう。合唱に出るのだよ。」

母 「そんなのいいのよ。どうせ最後の方に呼ばれたんだから。

   少し先生を困らせてやろう( ゚皿゚)キーッ!!」

私は、遊具の馬に乗れるため学芸会をサボっしまったのです。

4年生(昭和23)の学芸会ではスケアダンス(フォークダンスの

一種)にでることになりました。私は、休み時間も体育でもスケア

ダンスをやらされていたので、出たくないと思っていました。

そのことを父に話すと、

父 「男と女が手をつないで踊るダンスなど出なくていいsign03

とのことです。翌日、担任に父も反対ですので、私もでません

と報告すると、何故か、担任は素直に認めてくれました。

男女7歳にして、席を同じゅうせず」という考え方で育ち、

また、教育してきた父ですので分かるような気がしましたが、

母の行為や態度はかなり問題があると今でも思っています。

[注釈] 「オンリーワン」より「ナンバーワン」の教育をめざした

私の母親は、合唱の美しさなどよく分からなかったのです。

また、分かろうともしなかったようです。合唱より独唱を優位と

考えていたようです。一月前に故人となった兄(長男)は、声が

綺麗だったので学芸会ではよく独唱に出たということが分かり

ました。そのことを聞き、母のこだわりが分かったような気がし

ました。明治生まれの母の時代は「生きること」「子育て」が

人生の目的であり、趣味、娯楽、旅行などは遠い世界だった

のです。

なお、戦後直ぐの、何のレクリエーションもない時代でした

から、男女が一緒に踊る「スケアダンス」は瞬く間に広がって

いき、当時の文部省も国の施策としてフォークダンスを各都道

府県の教育委員会を通じて広めてきたわけです。

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2008年11月29日 (土)

60年前の 私の宝物?

私には皆に自慢できる宝物があるのです。兄からプレゼント

された物です。昭和23年のことですから、今から丁度60年前

のことなのです。

お兄ちゃんは、既に小樽にある大きなゴム会社に勤めていまし

た。雪のない季節は自転車で通っていたのです。小学校4年生

の私は3年生の時から、お兄ちゃんの自転車の掃除をしたり、

お布団を敷いてやっていたのです。その行為に対するお礼とし

ていただいた物です。

Photo_2 ハーモニカなのです。

←《写真の上の方》

トンボのUNICAです。

FULL CHROMATIC

HARMONICAと書いて

あり、22穴で2オクター

ブまで弾けるのです。また右のレバーを押すと、半音を下げたり

上げることができるとのことですが、使ったことはありません。

それからのアポチャンは暇さえあれば練習に励むのです。

しかし、まともな旋律でないため皆に五月蝿(うるさ)がられ

ました。しかたがないので、外で練習したり、布団の中に入り

音が余りもれないように注意していたのです。

初めは日の丸きらきら星おうま」「などでしたが、

数ケ月後には結構レパートリーが広がっていったのです。

3月3日に全校規模で『ひな祭りの集い』が開催されました。

私は、4年2組を代表して、ハーモニカ演奏をしたのです。

曲目は「故郷」「草競馬」の2曲です。

教室に戻った時に、友達や先生が褒(ほ)めてくれるし、家では

姉からアポチャンの出来栄えを聞いた父母や兄・姉がやはり

褒めてくれたわけです。

ですから、このハーモニカは良い思い出の源であり、大切な宝

の一つになっているのです。なお、プレゼントしてくれた

お兄ちゃんは、平成20年10月に80歳で黄泉(よみ)の国へ

旅立たれました。大好きだったカーペンターズの曲による

音楽葬だったのです。

[注釈] 老若男女(ろうじゃくなんにょ)を問わず、人々の欲望

は尽きません。あれも欲しい、これも欲しいと望み、それが

達成されると幸福感に浸れるのですが、際限がありません。

物の溢れている時代の今、子どもにとって一生の宝物となる

ような物の与え方をしているのでしようか。

皆が持っているから私にも買って、とおねだりされると、つい親は

買い与えてしまいます。辛抱してやっと手に入れた物は宝物に

なるようです。

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2008年11月28日 (金)

失礼な!私をウラナリ・カボチャとは 

学校中で一番怖い先生。それは3年生の担任だったY先生です。

毎週月曜日の全校朝会で、壇上(だんじょう~ステージ)から

アンナコト、コンナコトをしてはいけないと注意する係の先生です。

皆に嫌われるのは当り前ですよね。

ある日の休み時間、中庭の草わらで遊んでいると、珍しいことに

先生も気分よさそうに私達と戯(たわむ)れているのです。

その内、一休みしているアポチャンの側に近づき、

お前は、本当にウラナリ カボチャのようだな」と視線を

頭からつま先まで移し、あざけって言うのです。

ウラナリとは「末成り」と書き、未成熟で弱々しい状態をいうの

です。末成りカボチャは甘みがなく小粒なので鶏の餌にする

カボチャなのです。

アポチャンはクラスの男子の中では2番目に背が低く、栄養

失調に近い状態だったので、Y先生も上手くたとえたものと

今は思うのですが、報告を聞いた母は

何て失礼なことを言う先生なんだろうangry馬鹿にしやがってsign01

と真剣に怒るのです。Y先生は父が長橋小学校に勤めている

時の同僚ですので、我が家の困窮状態をよく知っているのです。

生活が貧しいのに、よくもあんなに子どもをつくるものだと

内心馬鹿にしていたのではないでしようか。

母は、「やはり師範(教育大学)出でない先生は、駄目だね」と

つぶやくのでした。

なぜか、アポチャンは母の言葉を通して、Y先生は立派な先生

でないというイメージをその後も抱いていたのです。

[注釈] 福沢諭吉や伊藤博文など、明治の偉大な人材を多く

世に送り出した吉田松陰は、次のような人づくりのコツで臨ん

だようです。

①弟子が自分に自信を持てるようにした。

②一人ひとりの得意分野を聞いて、それを伸ばした。 

③「つき合う人すべての長所を見つけ、褒めなさい」と教えた。

④「良いと思うことは直ぐにやりなさい。悪いと思うことはすぐに

 止めなさい」と教えた。

⑤どんなこともプラス発想をするように教えた。

教育は時間の長短ではなく、短期間であっても子ども達に

対して強烈な影響を与えるもであると思っています。

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2008年11月27日 (木)

食材持参の 学校給食

確か、昭和23年のことと思います。脱脂粉乳による牛乳給食

の他お汁の給食が始まったのです。しかし、まだ食料難は

続いていましたが、食材は各児童が持参することが前提なの

です。一人ひとりがお椀(わん)にいもやカボチャ、にんじん、

大根などをきざんで持って行き、教室に用意されたバケツに

入れて、炊事場へ持っていくのです。

アポチャンは姉も持っていくので、お椀に一杯持って行くことは

できませんでしたが、一応、恥をかかない程度の用意は

できたのです。

誰が炊事すると思いますか。お母さん達が当番を決めてする

のです。アポチャンのお母さんは当番に当たると、妹二人を

連れて来なければなりませんので大変だったようです。

このシステムは一年中するのではありません。農作物の収穫期

から冬季間の限定ですが、4時間終了と同時にお母さん達が

温かいお汁を教室へ運んできてくれるので、楽しみにしており

ました。

50人の児童が一列ごとに並び、先生が均等に配分してくれる

のです。ですからオカワリはできません。勿論、好き嫌いする子は

一人もいませんし、おしゃべりして食べる子もいなかったように

思います。アレルギーの子がいるという話は聞いたこともあり

ませんでした。

[注釈] PTAの協力でお汁の給食を実施した小樽市立長橋

小学校の取組みは先進的なものであったわけです。貧しさの

中に咲くお母さん達の連帯の美しい輪。

物の豊かさが心の貧しさを招いていると指摘されている

昨今ですが、嘆いてばかりいれません。

子どもが学校を休んだ時に、「給食費を払っているのだから

家に給食を届けろ」とか「義務教育だから給食費は払わない

とクレームをつける親がいるわけですが、心が病んでいるの

です。精一杯生きているのに思うようにならない苛立(いらだ)

ちがそう言わせているのでしよう一方的な批判をするのではなく、

その人の悩みや不満を聞いてやれる、心のゆとりが求められ

ているような気がします。

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2008年11月26日 (水)

忘れ物をしない 秘訣!

忘れ物をしないアポチャン。その秘訣は何だと思いますか。

時間割を調べたことがないのです。かばんの中には学校で

使う用具が全て入っているのです。教科書、薄くなったノート、

鉛筆2本、クレヨンが1ダースなのです。習字道具は姉と共有

ですので、習字の時間は、休み時間に借りに行くのです。

簡単な事ですよね。

ですから、忘れて先生に怒られたことがないのです。

どうですか?合理的な考えではないですか(v^ー゜)ヤッタネ!!

でも、今の時代ならアポチャンのような事はできません。だって

持ち物が多すぎるのです。ドリル帳、算数セット、理科セット、

水彩道具、彫刻刀、鍵盤ハーモニカかリコーダー、習字セット、

地図帳、副読本、作文のスキルブックなどなど。

5年生からは、裁縫セットが加わります。アポチャン方式なら

リックサックに入れて通学しなければいけないことになります。

しかし、時代が代わりました。教室内にお道具入れボックスが

各自に用意されているのです。極端に言えば、学習道具を家に

持ち帰る必要がないのです。

ある地方のある中学校で、学習道具を家に持ち帰らない

スタイルが流行しました。だって、予習・復習をしない生徒達

ですので、必要性がないわけなのです。学力向上なんて考える

る必要もないのです。

少子化時代を迎え、一流高校以外は定員割れ状態ですので

余程、向学心に燃えた生徒以外はどうでもよいのです??

有名大学以外も似たような状況が見受けられます。

昔、「4当5落」という言葉がありましたが、完全に死語になり

ました。「4当5落」とは、睡眠時間を4時間にして勉強すれば

合格するが、5時間では不合格になるという意味なのです。

今や受験戦争とか受験地獄という言葉も、死語になりつつ

あります。学歴偏重社会の打破は良いことですが、学習放棄

pout(・A・)イクナイ・・・・・・。

[注釈] 「お母さん、忘れ物をしたから持って来てsign01」と子どもが

学校から電話しています。母親が慌(あわ)てふためいて、

持って来ると「何してたの?随分遅いじゃないの」と抗議する

のです。「ご免ね!ご免ね!」と謝る母親の姿。教育現場で

よく見かける光景です。私は、親子共々叱(しか)りつけました。

忘れ物は子どもの責任。母親は持って来ないことを強く指導

したところ、今度はタクシーの運転手に持ってこさせる母親が

おりました。残念ながらこの子は、健やかに育ちませんでした。

警察のご厄介(やっかい)になったことが多々あったのです。

保護者の皆さん、

子どもに負けず一本筋を通して欲しいのです

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2008年11月25日 (火)

びっくり! オランダの教育

九州ぐらいの広さに約1,600万人が住むオランダ。

国土の4分の1が海面より低く、世界で最も人口密度の高い国

の1つになっています。首都の玄関口であるアムステルダム駅

から真っすぐ進むと、五つの運河を渡ることになるのです。

Photo

同じヨーロッパなのに

イタリアやフランスと

はまた違った街並で

す。アンネの日記の

主人公も、この近くの

屋根裏部屋に住んで

いたのです。この街を散策しながら不思議に思ったことがあったのです。

それは、運河沿いに落下防止の柵(さく)が殆どないことです

このような状態でよく子ども達が転落しないものだなーと???

Photo

ところが、ビックリです!

ここ数十年前までは、

子どもが運河に転落し死亡するという事故が、年間数十人・・・・・・

それで小学校教育で水泳を重視し、指導時間を多くしたそうです。

学校の指導だけでは無理ならば、スイミング教室に通うのだそうで

す。しかし、このようにしていても、年に数人、転落死するそうです

が、保障問題など起こりません。全て自己責任なのだそうです。

登下校の安全管理も保護者の義務なのです。

この話はオランダに35年間住んでいる元旅行会社の添乗員

(女性の日本人)から、昨年、直接聞いたものなのです。

国が違えば考え方も違うものですね。

[注釈] 子どもが通学する途中にある川や用水路に、転落

防止の柵を作って欲しいとの要望が一部保護者の人たちや

小学校のPTA補導部の方からありました。子どもの安全を

守るのは教育委員会の仕事であるというのです。

親が我が子の安全を思う気持ちは痛いほど分かるのですが、

子どもの周辺から危険を全て取り除くことは、教育的にみて

正しいのでしようか。 

・危険な所に近づかない

・危険な行動をとらない ・危険に遭遇した時の心得

などを、発達段階に応じて指導していくことが大切である

と思うのです。

今日、事故の責任を他に転嫁する風潮がありますが、今一度、

自己責任について考えてみては如何でしようか。

なお、オランダの運河沿いに高さ2,30センチの鉄柵が

あります。それは、毎年かなりの数の自家用車が運河に滑り

落ち(冬期間はみぞれが降り、路面が滑りやすい状態になる)、

それを引き上げるのに膨大な経費がかかるということで

保険会社が設置したものだそうです。車庫を持てない都市部

の工夫の跡がしのばれます。

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2008年11月24日 (月)

鉄棒から落下

2時間目終了のベルが鳴りました。喜び勇んでグランドに飛び

出す子ども達。相撲をする子、かけっこ、鬼遊び、縄跳びなど

どれも群れをなして遊んでいるのです。

アポチャンは鉄棒にぶら下がり、ブランコのように身体を前後に

振って喜んでいます。ところが、青い空を飛ぶような気持ちに

なった時、一瞬、手が離れてしまったのです。落下したのです。

強く背中を打ったせいか、息ができなくなり、そのまま気を失っ

しまったのです。

帰りの遅い我が子を心配した母が、学校へ迎えに来たのです。

保健室(昔は衛生室)のベットに横たわっているアポチャンを

母と先生が呼んだり揺り動かしているのです。

やっと気づいたようですが、ここは何処なのか、なぜ寝ていた

いたのかさえ分からないアポチャンでしたが、目まいと吐き気

もよおしながら、母に手を引かれて家路に着くのでした。

[注釈] 握力不足で鉄棒から落下した私ですが、今でも腰の

一部に青いところがあります。子どもが学校にいる時の事故は

学校側が責任を持って処理するわけですが、昭和23年のこと

でもあり、学校の近くに精神科病院しかありませんでしたので

この程度のことは、ただ保健室に寝せておくのみでした。

現在は、救急車→病院に搬送→レントゲン検査等→保護者に

連絡→医師からの説明等、実に素早く対応されるわけです。

このように、学校と医療機関・保護者との連携が密になって

いるのですが、一方、不審者の校内乱入や登下校中の犯罪

など、昔より児童生徒の安全管理に難しさのある時代になった

わけです。

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2008年11月23日 (日)

上級生を 椅子に乗って殴る

小さいくせに口だけ達者、とよく母に注意されていた私ですが、

上級生から見ても小生意気な態度をとったのでしょう。

下校時、同じ方向へ帰る上級生に呼び止められ、

お前、生意気だぞsign03」と凄まれ、小突(こづか)れることが度々

ありました。面白くないので、パチンコ(Yの字の木の枝にゴム

を付け小石を飛ばす遊び道具)で撃って仕返しをしようと試み

ましたが、的中(てきちゅう)させることが出来なく、悔しい思いで

おりました。

Photo ←《当時の我が家の近く

この話を二番目の兄

に話したところ、

よし、俺が仕返しさ

てやるから、その

子が誰なのか教えろよ」と頼りがいのある返答なのです。

数日して機会がめぐってきました。例の上級生が来るではない

ですか。「来た!来た!あの人なのsign03」と小走りに近寄りました。

兄は「オイ、お前、俺の弟をいじめているというのではないかsign02

話があるからチョットこっちへ来いpout」と怒鳴りました。

上級生が玄関で頭を下げています。

もうーいじめませんと、土下座して誤れsign01アポチャン、こいつ

ほっぺたを殴ってやれ!・・・・・オイ、いいな?

「何回殴ったら気が済む」との兄の問いに、20回と言ってしま

ったのです。

いよいよ殴ることになりましたが、残念なことに小柄なアポチャン

ですので、手が上級生の頬(ほほ)までとどかないのです。

仕方がないので椅子を持って来て、その上で調子よく叩きだし

ました。始めは力を加減していましたが、「もっと力を入れろ」と

兄が一喝(いっかつ)するので、力一杯に殴りました。

でも、上級生は一言も発せず我慢している姿を見て、申し訳な

いような気になりました。

この事件以来、上級生が『いじめる』ことがなくなりましたし、

アポチャンの上級生に対する態度も良くなったのです。

[注釈] 終戦直後まで体罰は日常茶飯事でした。中学の上級

生が川の反対側の道路を歩いていたのに、下級生たるものが

敬礼(敬意を表して礼をすること)をしないとは何事かと、わざ

わざ橋を渡って来て殴るのです。乗合自動車(バス)に乗ってい

る上級生に歩いている下級生が敬礼をしなかったので、

次の日に殴られる人がよくいたということも聞いていました。

時には連帯責任ということで、自分が悪いことをしていなくても、

クラス全員が往復ビンタ(顔を左右、平手で打つこと)されるこ

ともあったのです。

アポチャンの二番目の兄は、父に断りもせずに、小学校を卒業

すると同時に新潟市にある『陸軍少年飛行兵学校』へ志願し、

強い兵隊になるための教育を受けていたのです。第二次世界

大戦の終結があと数週間遅れていたら、二人の兄は戦死して

いたはずです。

愛国心、同胞愛、郷土愛、兄弟愛、師弟愛、家族愛などの

言葉が戦争と結びついて語られることがありますが、

アルベルト・シュバイツァー博士の人類、民族、国家を超えて、

私達一人ひとりの意識に、普遍的平和の希求に応えるべき、

生命の尊厳と生命への畏敬(いけい~うやまうこと)、そして

生命活力をもって、個人の内面に平和をもたらすことを願って

止みません。

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2008年11月22日 (土)

身に応えた 体罰?

授業中のことです。何て行儀の悪いアポチャンでしよう。

身体をのけ反り足を机の上に乗せているのです。普段から注

意散漫などを口やかましく指導されていたのですが、

余り効果がなさそうです。

この時間は、私語を慎む代わりに足を乗せているのです。

先生は「何ですかお行儀の悪いpout そのままずーと足foot

上げていなさい(・A・)イクナイ」と一喝(いっかつ)sign03

休み時間になりました。勿論アポチャンの足は机の上なのです。

その内に授業が終わり掃除の時間になりました。何が何でも

そろそろ許してくれるだろうと思っていたのですが、許してくれ

ないのです。ずんずん足が痛くなりました。

オシッコしたい!と訴えた時だけ許してくれ、トイレから戻る

と、また同じ姿勢で机上に足なのです。

友達みんなが帰り、アポチャン一人だけが居残です。

先生も職員室へ行ったきり戻ってきません。

ついに泣き出してしまいましたweep

どのくらい時間が経ったのでしようか?先生が来られ、

もうしないね。いいねsign02

との声に、うなずくだけのアポチャンでした。

[注釈] この体験が教員になってから生かされるとは私自身

思ってもいなかったのです。それは、5年生を担任している時に

男子生徒3人がよくトイレ内で遊ぶのです。終りの会で友達

から批判されても、なかなか直そうとしないのです。

そこで私が

君達はあのトイレが好きなようなので、気の行くまま遊んで

いてもいいよsign03今から直ぐに行きなさいsign01

と送り出しました。

私は、少年団のミニバスケットの指導に出向きました。

その後、6時半頃に教頭から電話があったのです。

「校内を巡視していたら先生のクラスの子がトイレで泣きなが

ら立っているので、事情を聞くと担任に言われたからというので

すが、時間も時間ですので帰しました。子ども達が帰ったら

先生に怒られるとの理由で躊躇(ちゅうちょ)していましたが、

私から担任に謝っておくからと言ったら帰りましたheart

この報告があるまで忘れていたのです。直ぐに3人の家に

電話をかけ謝罪しました。保護者は「家の子が悪いですので

時には懲(こ)らしめることが必要なのですよ。」

と許してくれたのです。20年前のよき時代のことです。

今なら、この事を報道機関へ連絡すると、面白可笑しく報道さ

れること間違いなしです。ちなみに、これは『学校教育法第11

条』の規定により体罰に当たるわけですので、推奨できません

が、時には教育的効果が抜群発揮されることもあるのです。

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2008年11月21日 (金)

入浴は男が先に

我が家では長男だけを「お兄ちゃん」と呼び、他の兄弟姉妹に

対しては名を呼び捨てにするのです。男尊女卑(男を尊び、女

を軽視する考えや態度)と家長制度を重んじていました。

食卓に座る場所も正面が父、両脇が長男と母、次に次男、

長女という具合です。お風呂に入る順番も父、長男が先で

女子は男子の後なのですweep

母はよく「女のくせに股をあけて座るなんてangryとんでもないsign02

と注意していました。男尊女卑ですね。

この考え方は戦前からの古い思想ですので打破する必要が

あります。しかし、幼少時代からそのように育てられた者にとっ

ては、今の変りように驚くことがあります。

学校の出席簿は男、女、男、女・・・という具合に混合ですし、

卒業証書も男女交互に授与する学校もあるわけです。

古い教育のもとに育った私には、今浦島(時代に取り残された

人)の感を強く抱くわけですヾ(*゚A`)ノ・・・・・・・。

それにしても、電車の昇降口でアグラで座っている高校生が、

オラがしゃべりまくっているのに、平気で授業していやがるsign02

あのセンコウ馬鹿でないのかsign01」と辺りかまわず話している姿

に出くわしたことがありますが、誰が馬鹿なのか腹が立って

きましたangry

子どもの「しつけ」のツケが現れた1場面です。

[注釈] 硬い話になりますが、子ども達をしっかりした大人に

育てるためには、今一度「自由」と「規律」について考えてみる

必要があるのではないでしようか。

戦前・戦中は「規律」一辺倒であったのですが、終戦と同時に

「自由」一辺倒になったようです。どちらも極端すぎます。

両者を調和した中で教育することが大切ではないでしようか。

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2008年11月20日 (木)

あった! 見つけた! 黒ダイヤ  

寒い冬が終わりを告げようとしている季節になるとアポチャンは

いつも思い出すことがあるのです。

ブリキ(スズをメッキした薄い鉄板)のバケツを片手に、線路沿

いにかた(硬い雪)の上を歩いているのです。20~30m

歩いては何かを拾っているのです。

Photo

実は石炭なのです。

真っ白な雪の上に

黒ダイヤ(石炭を貴重

品と見立てた言葉)が

ぴかぴか光っている

のです。

上等の塊炭(かいたん~石炭のかたまり)なのです。

なぜ、線路の側に黒ダイヤが光っているのでしようか??・・・。

それは石炭を積んだダイシャ(屋根のない貨物列車)がゆれる

たびに、山のように積まれた石炭が落ちるわけです。こぶし

ぐらいの大きさのもあれば、その半分以下の物もあるのです。

探し所は、カーブなのです。

列車がカーブで大きく揺れるからです。

往きは左側の線路脇を進み、帰りは反対側です。

バケツに半分も拾えば上出来です。小柄な体のアポチァンの

腕が痛くなりますが、収穫量?の多さにとっても満足している

いるからルンルン気分なのです。

家へ着くと、母が

「おお、随分たくさんとったわねsign03これでお風呂に入れるわsign01

と喜んでくれ得意顔になるアポチャンです。

[注釈] 明治、大正、昭和の40年代までは、一般家庭の

エネルギーは石炭が中心でした。一軒で一冬に約4.5トンを

消費しますが、我が家では5トン買っても11人家族全員が

入浴するのに数時間かかりますので、それだけ石炭の消費

も多くなるわけです。ですから、入浴は週3回でしたが、時には

近所の親しい家もらい湯(他所の家の風呂に入れてもらうこ

と)に行ったりしました。また、兄達は火を焚(た)かずに勉強

をしていたわけです。

なお、石炭は種類によって値段が異なるのです。一番高い

のは塊炭であり粉炭(ふんたん)は安いのです。

学校でも1日1教室の分量が決まっていて、火の勢いがかぼそ

くなると、煙突に手を触れても特別熱くないのです。

今は灯油や電化時代であり、一般家庭では石炭という単語は

死語になりましたが、当時は大変貴重な物でした。

寒冷地手当の一部に「石炭手当」が含まれていますが、現在

それを廃止するという案が国段階で検討されているそうです。

寒い地方では深刻な問題ですね。

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ストーブの中に 通知箋を? パート3

翌日、父がN子に声をかけました。

お父さんと一緒に街へ行こうsign01何かご馳走するから!!」

父と一緒に歩いたことのない姉は、びっくり仰天しました。

バスに乗って、小樽駅に着きました。

Photo

父は待合室の横にある

食堂へ案内し、

「何を食べたいsign02 好きな

ものを言ってごらん」と

優しく声をかけるのです。

しかし、姉はただ緊張して座ってい

るのです。これまで、父と対面して座ったこともありません

それに外食の経験のない姉は何を注文して

よいやら、かいもく検討がつかなかったそうです モジ(((*´ε` *)(* ´З`*)))モジ

再度注文を促された時、かぼそい声でうどんと言ったのです。

しばらくして、湯気のあがったうどんが前に置かれました。

父は「N子!よく家の仕事をしてくれてありがとうsign03

人それぞれ、みんな違うのだよ。N子も自分のよさを伸ばす

ことだねと励ましてくれたそうです。

姉は嬉しくて嬉しくて、「うどん」の味はさっぱり分からなかった

そうです。

それから数日して、長女が姉と同じクラスに妹のいる友達から

冬休みの課題の書かれている生活表を借りてきて、新しく作っ

てくれたとのことですgood

[注釈] 通知箋を失った姉は、3学期の始業式で担任の高津

先生に正直に話したのです。先生は、

今度からもっと頑張るのですよsign01」との一言。

この一言が、姉にとって一生忘れられない言葉なのです。

ところで、この「通知箋事件」は小学3年生の私にとっても

シュッキングなことであり、その顛末(てんまつ)を知りたくて

70歳になった私は、72歳の姉に電話して分かった内容なの

です。やはり父は教育者だったんだと感心したと同時に、

次の俳句を思い出しました。

草いろいろ おのおの花の 手柄かな』 芭蕉

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2008年11月19日 (水)

ストーブの中に 通知箋を? パート2

父の帰宅後、母はことの一部始終を話しました。

「N子の成績が余りに悪いので、いじめてやったのsign01」と。

するとどうでしよう。父はこれまでに見せてことの無い剣幕で

怒ったのですangry

世の中、出来物(才能・人格の優れた人)ばかりいたらどう

するのだ。出来物ばかりいたら労働者はいないよ。世の中、

いろいろな人がいて成り立っていんだ。それぞれの人が自分

のよさを活かしていくことが大切ではないのかsign02

それにお前はN子ばかりを使って、何ということをしたのだangry

と母を厳しくとがめたのです。

姉は小学校4年生から朝起きし、朝食の準備をさせられてい

たのです。大きなお釜にほんの僅かな米を入れ、イモや大根

の葉をきざんでお粥(かゆ)を作るのです。長女は夜遅くまで

勉強し、母も仕立物の内職で忙しかったのです。

可哀想な姉だけが勉強する時間がなかったのです。

母はN子に申し訳ないことをしたと思ったそうですが、素直に謝る

ことはなかったのです。

さて、翌日のことです・・・・・・。

                              (つづく)

[注釈] 父の言っている労働者とは、肉体労働者をさして

いるわけですが、けして軽蔑して言っているわけではあり

ません。ところが母の見方には偏見がありました。

「勉強しなくてもいいよsign02 どうせ煙突掃除夫や汲み取り人夫

(便所の大小便を汲み取る仕事をする労働者)になればいい

のさ。」とか、線路工夫(線路の点検や復旧作業等の保線

活動に従事する人)か馬車おい(荷馬車のぎょしゃ)、それとも

オンボヤキ(火葬場で働く人)をするんだろうと軽蔑するような

言葉を吐くことが、その後もありました。

母の職業に対する偏見は根強かったのです。

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2008年11月18日 (火)

ストーブの中に 通知箋を? パート1

二学期の終業式当日のことです。

「どうだったの、二学期の成績は??」と二つ年上の姉に問う

母です。恐れ恐れ出す姉の通知箋に目をやるやいなや、

何だのこの成績はangry アヒルばっかりじゃないのsign02 

こんなの燃やしてしまいなさい (#゚Д゚)y-~~イライラ」

と母が言ったところ、側にいた長男が本当にストーブの中に

放り入れたのです。

「どうして燃やしたのweepどうしてsign03 先生に叱られる。

どうしよう・・・・・・・どうしよう??」と泣きじゃくる姉。

実は、通知箋(今の『あゆみ』)の他に、冬休みの宿題を書い

た生活表も一緒に燃やされてしまったのです。

姉はどうなったのでしよう??・・・・・。

                              (つづく)

[注釈] 終戦頃の通知箋(通信簿、現在の『あゆみ』と言わ

れている成績票)は四段階の絶対評価で評定していました。

学校によって違いはありましたが、小樽の長橋小学校では優、

良上、良、可でした。母の時代は甲、乙、丙(へい)、丁(てい)

だったのです。

乙は普通を意味しますが、字体がアヒルの格好に似ている

ところから、「アヒルばかり」とは今風に言えば、オール3

を意味します。

よく優劣をつけるということを表すのに『甲乙をつける』という

言葉を用います。

その他、評定の言葉は、秀、優、良上、良、可から優、良、可

の三段階にしたり、「大変良い」「良い」「普通」「やや良い」

「要努力」やら、5、4、3、2、1の相対評価に変遷してきまし

たが、2000年から絶対評価が取り入れられるようになり

ました。どちらの評価法をとっても長所・短所があるのです。

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2008年11月17日 (月)

くさったご飯のプレゼント

「今晩は!あのー、これ少しいたんでいるかも知れませんが、

よろしければ食べて貰いませんか?」

隣の人が、白米のご飯を持ってきてくれたのです。

母はていねいにお礼を言い、居間に戻るやいなや、

「みんなよくお聞きangry 馬鹿にするのもほどがある (・A・)イクナイ

いくら貧乏だからといっても、よそ様に腐ったご飯を持ってくる

とはsign02何て常識のない、教養のない人なんだろう・・・・・・。

悔しいったら、ありゃしない!人を見くだしてbearing

あのような人にならない為にも勉強しなければいけないよ。

教育程度の高い人はこんなことをしやしないよ。いいかい

       どんなに貧乏でも、教育さえ受けていれば

                      生きていけるのよsign02

と薄っすらと涙を見せ、そのアメッタ(北海道弁で腐った)

ご飯を裏庭に捨てに行ったのです。

母のこの言葉は、小学3年生だった私の心に、強烈に焼き

ついたのです。

[注釈]  昭和5年に教員になった親父の初任給は月給

約60円でした。この額は古い家を一軒買える程でしたが

戦中、戦後には目減りして可なり安いものでした。

現在の初任給は、198,120円ですが給与月額等の縮減

措置により179,070円になっています。約3,300倍に

なっておりますが、比較する基準が無いため高いのか安い

のかが分かりません。

何れにしても、私の家は11人家族でしたが、終戦時は長男

が経済専門学校(現小樽商大)、長女が庁立女学校(現小樽

桜陽高校)、次男、三男は旧制中学校、次女と私が小学生で

その下に妹が3人(含む:一人死亡)もいたのです。

しかし、ニシン中心に魚が豊富でしたので、栄養失調にもな

らずに生きてこられたわけです。 

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2008年11月16日 (日)

天国へ召された妹

真冬なのに蚊帳(かや)をつっています。

蚊帳とは蚊を防ぐために寝室に下げる網状のおおいです。

その中に七輪(しちりん~土製のこんろ)を入れ、金属性の

洗面器から湯気が上がっています。

実は5女にあたる妹が肺炎を患い父母が看病しているのです。

木造の古い家。すきま風を防ぐため全ての窓は目張り(すきまに

紙を張ること)されています。

室温と湿度を上げるように医者に指示された父が考え出した

方法です。しかし、今思うと一酸化炭素中毒によくならなかった

ものだと不思議に思います。

昭和22年のことですから、病院数が少なく近くの町医者が往診

してくれてましたが、入院させることも出来なく、ましてペニシリン

(肺炎にきく抗生物質)は余りにも高価すぎてうってもらうことすら

できないのです。だって、その時の我が家は11人家族であり、

父の安い給料だけで生計をまかなっていたからです。

父母の手厚い看病のかいもなく、妹は生後僅か3ケ月で亡くな

ってしまったのです。小学3年生のアポチャンは初めて骨拾い

を経験しました。火葬された人骨は足の方から拾い出すこと、

箸は長さに違いがあること、肺炎を患うと火葬しても肺が緑色

になり完全に焼けないことなどを学んだのです。

やんちゃざかりのアポチャンでも、肉親との別れはやはり

辛かったのです。

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2008年11月15日 (土)

運動会 教室で昼食

「待ちに待ちたる 我が校の 運動会は 今日なるぞnote・・・note

応援歌が屋外体育館に響きわたっています。

 【写真】旧長橋小のグランド(3年前に正面の草むらに

   熊が出没)down

Photo

今日は、学校の4大

行事の一つである運

動会。どの家も父母、

祖父母などが応援に

駆けつけています。

これは時代を超えて

変らない光景です。

しかし、私の今日の運動会は1,2年生の時と違うのです。

父母の応援がないのです。父は勤務校(手宮西小学校)の

運動会とぶつかったから仕方ないのですが、母は来ません。

妹(5歳、2歳)を連れて参観してもよさそうですが??

姉も私もそんなに速くなかったからでしょうかsign02 期待に応え

成果を挙げなければ冷遇する母なのです。

だって、母は学生時代の短距離の選手で他校リレーや青年団

の選手として活躍していたので、我が子も自分に似て速いのは

当然と思っていたのでしよう?・・・

この子たちはどうして??・・・・。落胆していたのです。

昼食時、ほとんどの児童が父母と一緒ですが、私も姉も父の

作ってくれたパン持参で教室で食べるのです。しかし、5、6人の

友達も一緒でしたので寂しいことはありません。

終戦から3、4年間は年に2度も開催されました。

勿論、春と秋ですが、秋の運動会では景品に野菜がでるのです。

大きなカボチャやジャガイモ、トウモロコシなどです。

食料難の時代背景が運動会にも現れていたのですね。

[注釈] グランドのことを屋外体育館と呼んでいました。

グランドという言葉は敵国語であるとの理由で戦時中は使用

できなかったものですから、それが定着していたのです。

100メートル徒競走で3位まで入賞するのは大変なことなの

です。1学級60人で4クラス編成でしたので、一度に12人も

走るのです。現在は少子化時代ですので、3クラス編成では

6人で走るのが多いのです。しかも、男女混合が一般的に

なりつつありますので、私には理解できません。

これもジェンダーフリーの影響でしようか?

昼食時も変ってきました。前庭の芝生で焼肉をする親子。

寿司の出前を頼み、本部席に業者が来て○○さんを放送で

呼んでくれとの光景も見られます。

時代も変ったものだと傍観していてよいのでしようか。

ネットで意見交換も面白いのではないですかsign02

なお、他校リレーとは他の学校の運動会リレーに参加し、

学校間で速さを競うことです。

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2008年11月14日 (金)

懐かしい校歌

『春爛漫の 桜花 秋りょうりょうの 星影に ゆく手の望み

示しつつ 我が長橋の学びやは ???』

これは長橋小学校の校歌で~す。桜や秋の山並みを

見るたびに、つい、口ずさんでおりますnotenote

集団登校→ご真影へ敬礼→楽しい休み時間→・・・・・・・

思い出はつきませんhappy01

Photo

不確かな部分の歌詞

を知りたくて調べて

みました。

←<今の長橋小>

『春らんまんの 桜花

 秋さわやかなる 

星影に ゆくての望み かかげつつ 

わが長橋の 学びやは ゆるぎもあらず とわにとわに』

と変っていたのです。

旧校歌は昭和8年につくられ15年間愛唱されましたが、

昭和22年に詞も曲も作り直されたそうです。

校歌はその学校の教育理念が凝集されたものと思われます。

従って、時代と共に変らなければならないと思いつつも、何か

一抹の寂しさを覚えます。

私も『君が代』論争で苦労しましたcoldsweats02  どちらの言い分も

理解できますが、新しい日本の建設に大いに議論することは

良いことだな~と思っているので~す。

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2008年11月13日 (木)

僅か500mで 遠足?

時代が変れば遠足のもたれ方も随分違うものです。

私の小学校時代は低学年~約4Km、中学年~約6Km、

高学年~約8Kmの距離を歩くのが一般的でした。

しかし、驚きです。ある小学校の低学年は、学校からスクール

バスに乗って駅につき、そこから目的地の公園まで徒歩。

距離は500m弱です。高齢者の散歩より短い距離です。

要は距離の問題ではなく、何を目的にするかなのです。

平野のど真ん中に位置し周りは田んぼだけのある小学校は、

若い校長の発案で野幌原始林に行き、高低さのある林の中を

走りまわったり、川エビ獲りを体験させたいとのことで、電車を

利用することにしたのです。

北海道では斬新的な取組みと思われます。しかし、本州では

当たり前のように感じました。

川崎市の、ある小学校の遠足当日、3年生の児童が

「電車で湘南海へ行くのhappy01」と喜んでいる姿に出会ったことが

あります。

次に、お弁当ですが、一般的なのは「おにぎり」と「ゆで玉子」

1個が定番でした。しかし、食生活が豊かになってくると、母親

手づくりのバラエティーに富んだおかず持参が目立ちました。

ところが最近、コンビニの弁当を買って持ってくる児童が増えて

いるわけです。

年に一度しかない遠足ぐらいは、保護者の心がheart02一杯つまった

お弁当を持たせてはと思うのですが、如何でしょうかsign02

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2008年11月12日 (水)

『いじめ』かな?

「ま~こ 窓から 尻出して 蜂に刺されて え~んえんnote

遊びつかれたアポチャンは、帰り際に幼馴染のマコちゃんに

浴びせる詞なのです。

マコちゃは、「アポチャンのバカsign03」と言うのが何時ものパターン

なのです。

ところが、ある日、マコちゃんのお母さんが抗議にきたのです。

「家の子がもらいっ子(養子)だから、バカにしてpout」と凄い剣幕。

対応した母は「よく言い聞かせますので、お許し下さい。」と

丁重に謝罪しました。

私は、マコちゃんをいじめる積りではなく、ジョークのような軽い

気持ちで言ったはずですが、深刻に受け止めていたのです。

帰宅した親父は、妻から報告を受けるや、直ぐに兄二人を

奥の部屋に呼び、

お前達がついていながら、なぜ弟にそんなことを言わせて

いたのだpout」と叩き始めたのです。

二番目の兄は本箱の角に頭をぶつけられています。

その光景を見て、私が悪いのに兄達が怒られるとは??・・・・

恐縮し小さくなって座っているアポチャンでした。

[注釈] 「いじめ」の定義は一般的に、

『本人が「いじめ」と感じれば「いじめ」である。』と言われる

場合があります。そして、文科省は

     ①自分より弱い者に対して一方的に

     ②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え

     ③相手が深刻な苦痛を感じている

の三項目を満たした場合を「いじめ」としています。

ところが「いじめ」に関して厄介な問題があります。子ども同士

のある場面で、この行動が「いじめ」なのか単なるいさかいや

小競り合いなのか、また「いたずら」「悪ふざけ」等なのか

判断できないことがあるということです。

見過ごしたり、たいして気に留めていない時に限って、実は

陰湿な「いじめ」であったということがしばしばあるわけです。

従って、「いじめ」であるかどうかは、教師や保護者の眼力や

洞察力が問われるわけであり、一人一人の教師や学校側も

絶えず実態を踏まえていることが大切と思います。

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2008年11月11日 (火)

線路での出来事

アポチャンの家から百数十メートル行った所に、函館本線

走っています。時々警笛が鳴りますが、事故発生の際は

連続して早く鳴ります。

Photo_3

←<長橋中学校の方>

その度に、アポチャンは音に誘われるように飛び出してdash

行くのですrun勿論、汽車は急停車し乗務員が線路上にいます。

人が轢(ひ)かれたのです。轢(れき)死体を探しています。

ややしばらくして、白衣を着た人達がやって来ました。

ゴム手袋をつけ線路上や線路下の草むらから何かをつまみ

箱に入れているのです。

「側に来たら駄目sign03」と注意されても無視してついて行くのです。

と、突然、草むらに腕が一本千切れて落ちているのです。

気持ちが悪くなったので家に帰ると、母が塩を用意し手や身体

を清めるよう促すのです。

食いしん坊のアポチャンは食が進みません。なかなか寝付か

ません。瞼に死人の腕や肉片が浮ぶのです。

母の言うように事故現場へ行かないようにしようと、その時

思うのですが、やはり野次馬根性抜けなかったのです。

Photo_4

←<長橋小学校の方>

それから1年後のことです。

アポチャンは線路のレールと石の隙間にめんこ(子どもの遊び

道具の一種)を隠しているのです。ポケットに入っていた

約30枚を隠し終わって、線路脇の小道に戻った数秒後に

汽車が物凄い勢いで側を通って行ったのです。

後6,7秒遅れていたらアポチャンの命はなかったのです

[注釈] 函館本線(函館から小樽、札幌、岩見沢、滝川等

を経由して旭川に至る)は当時は北海道を代表する幹線で

あり、長橋小、長橋中の間は人身事故の多発地帯でした。

また、子どもの置石事故も多かったわけです。

上の写真は現在の線路周辺のものですが、当時は農家が

三戸あるのみで、後は山並みの見える里山風景でした。

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2008年11月10日 (月)

初めての見学旅行

終戦二年目にして社会見学旅行とは驚きです。

何せ62年前のことですので途中曖昧(あいまい)なところが

ありますが、小樽駅を出発したのは鮮明に覚えています。

Photo

この姿は1934年

(昭和9年)に改修

された3代目の駅舎

です。

名前も明治36年に

小樽中央駅→高島駅

→小樽駅(大正9年)と改称されてきました。

さて、目的地は札幌の中島公園です。大きな池でボートを漕い

でいる人の姿があり、旧NHK放送局の前で説明を聞いた後、

お昼は豊平川の堤防で昼食をとったのを覚えています。

Photo_2

今思うと、長橋小学

校は随分進んだ

教育内容を取り入れ

ていたものと感心し

ます。特に2年生で

札幌までとはsign02

しかし、その後、5年生まで社会科見学へ行った

記憶がないのです。

墨をぬった国定教科書を使用した後は、藁半紙(わらばんし

~稲藁を原料に作成された半紙)に印刷された教科書を

使用していた時代なので不思議で~す。

また、見学旅行費はどう工面したのかも定かでありません。

教員であった親父の給与と長男が社会人になったので、多少

余裕がでたのでしょうか。

[注釈] 終戦後しばらく行われていた学習指導要領(学校で

行う教育内容を決めたもの)は、手引きという立場であり、

各学校での裁量権が大きかった時代です。

教育内容は「教科」と「教科以外の教育活動」の二本立てで

ありましたが、大ざっぱなものでした。

なお、経費については、現在の制度では

経済的理由で就学が困難と認められた家庭に対して、

学校で必要な学用品などの経費を援助する」ことになって

いるのです。勿論、修学旅行費、給食費の全額、学用品等

の費用も援助されます。

素晴らしく良い時代になったものですね。

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2008年11月 9日 (日)

ボーテン騒動?

これも小学2年生の時の話です。

Photo ボーテン(親指サイズの蒲鉾~

かまぼこ)20本を買ってくるように

頼まれたアポチャンは、急いで家を

飛び出しました。

dashrun

買物を済ませての道中、大きな

ポプラの木の下に座ったのです。

新聞紙に包まれているボーテンを見ながら・・・・・・・・。

そのうち一本を取り出して、端の方を数ミリかじりました。

また、考えています。今度はもう一方の端を

同じようにかじりました。

何かを感じたアポチャンは、次から次へと残り19本

ボーテンを、最初かじったのと同じ長さに合わせて両端を

食べているのですdelicious notes

なにくわぬ顔で帰ってきたアポチャンは、しばらくしてから

母に怒られていますpout

男の子のくせに度胸がないangry食べたかったら一本とって

堂々と食べなさい(・A・)イクナイ 汚いったらありゃしないdanger

どうして分かったのかなと不思議がっているアポチャン。

算数の好きだった私は、基準量と比較量についての考え

(概念)を持ち合わせていたのだなsign02と自画自賛しているの

ですが、ボーテンの端の色が全体の色と異なっていること

に気づかないほど、未発達で幼稚な子だったわけです。

[注釈] 男の子のくせに」とか「男らしさ」「女らしさ」という

言葉は、ジェンダーフリー(性による社会的、文化的差別を

失くすること)の運動をしておられる方にお叱りを受けそう

ですが、アポチャンのような行為は許すことはできませんね。

昨今、見つからなかったら何をしてもよいという風潮があり

ますが、腹立たしく思うのは私だけでしようか?

人生にはミスや失敗がつきものですが、

ウソやゴマカシには憤りを覚えます

母の一言が、いい教訓(教えさとすこと)になったのです。

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2008年11月 8日 (土)

たんこぶ 五個も

アポチャン達の火遊びによる消防車出動事件は、

親の知るところとなりました。

帰宅した父親は、しばらくして私を床の間の部屋へ呼び出し、

山に火をつけたのは、お前だなsign02  angryangry」と言うか言わぬ

うちにゲンコツが飛んできました。痛いのなんのcoldsweats02・・・・・。

親父は高等科(今の中学2年生まで)を教えていましたので、

よく生徒を殴っていたのです。だって、戦時中、体罰は認め

られており、悪いことをしたら殴る、殴られるのが

当たり前だったのです。

アポチャンの頭には大きなタンコブが五もでき、でこぼこ

な頭になっていましたが、冷やすこともしません・・・・・・・。

次の朝、登校する時には学生帽をかぶることすら

出来なかったのです。

親父のゲンコツが言葉による叱責(しっせき~過失などを

しかりとがめること)に勝る教育的効果をもたらしました。

[注釈] 子どもの火遊による火災発生件数は結構ある

ようです。小樽市では昭和31年(1956年)に色内小学校・

石山中学校が焼失し多くの市民が被災しました。

原因は色内小学校の石炭置き場に子どもが入って、火遊び

をしたからでした。小樽の当時の教育長は、学校火災の責任

をとって辞職したのです。

私の身体には、サイレン=山火事=ゲンコツ 

という方程式が沁(し)みこみ、その後、火遊びをしたことが

なかったのです。

親父のゲンコツがずっと生かされた事例の一つです。

なお、当時、生徒や学生は学生帽をかぶる規則になっていた

のですが、現在は私学を除いて全く見ることがありません。

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2008年11月 7日 (金)

消防車 5台出動

二人の子どもが防空壕に近づいて行きます。

手にはカンテラ(携帯用の照明器具)代わりにする新聞紙を

数枚丸めて持っているのです。

かび臭い防空壕の入口から数メートル奥は暗闇。年上の

子どもが、アポチャンの手にする新聞紙に火を点けました。

周りがぼんやりと明るくなり、人影が壁にゆらゆらと

映っているのです。その内くすぶりだした新聞紙を広げると

メラメラと燃え出し、やがて燃えきってしまいました。

「チェ!つまらないね `;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!! 笹に火を点けて

みようよsign03」と言われて、ついて行くアポチャン???

防空壕の上にある栗林に来ました。一部を開墾した畑の

ふちには笹が生えているのです。

それに火をつけるとバチバチと音を立てて燃えています。

二人は「やったsign03やったねgood」と手を叩いて喜びhappy01・・・・・。

ところが、火は予想以上の速さで広がり出しました。

二人は山火事になったら大変だと思い、泣きながらcoldsweats02

踏み消しsweat01始めました。しかし手遅れです・・・・・。

「ヤバイsign01逃げようsign03」と一目散に逃げ出すdash二人。

しばらくして、くぼ地に伏せているアポチャンたちの耳に

サイレンの音。

恐る恐る覗(のぞ)いて見ると、消防自動車が5台も・・・・・。

声をこらし、歯をガタガタさせながら泣きじゃくっています・・・。

どのぐらい時間が経ったのかは分かりませんが、周りは静まり

かえっています。

仲間(小学6年生)に誘われ、見つからないように遠回り

して帰ったアポチャンの身に

何も起こらなかったのでしようか?

                              (つづく)

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2008年11月 6日 (木)

敗残兵狩りのアメリカ兵

昭和20年、小樽での話です。

アメリカ兵数人が、機関銃を乱射しながら防空壕(ぼうくうごう)

の中に進んで行きます。日本人の敗残兵(戦に負けて生き

残った兵隊)狩りをしているのです。

Photo_2

場所は海運王

《板谷商船》所有の

栗林がある、旧国道5号線沿い

小さな崖に掘

られた二箇所ある

防空壕の一つです。今は、様相が一変しています。

そこは長橋小学校の近くにあるので、

小学生がカクレンボウの場所に使ったり、探検ごっこをして

遊んでいた場所なのです。

アポチャンと遊んでいた数人の子ども達は、物陰からその

光景を目(ま)のあたりし、震え上がりましたwobbly

もし、自分達があの防空壕で遊んでいたら

殺されていたと・・・・・・・・・・・・。

アメリカ兵がジープで立ち去っても、まだ震えが止らない

アポチャンでしたが、それから7,8ケ月後にとんでもない

事件を起こししまったのですdown

                            (つづく)

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2008年11月 5日 (水)

変な習慣

アポチャンの変な習慣とはこんな事なのです。

それは、教育長になってからお通夜、集会、懇談会へと出向く

ことが多くなったのですが、そんな折には欠かさず悪い方

を履いて出かけるのです。

ある時、妻が

ええ、そんな靴を履いて行くの?教育長をしているのだからpout

もうちょっと良い靴を履いて行ってはsign01」と抗議するのです。

私は「盗まれたらどうする?」と言うと、

今どき、靴を盗む人なんかいないんじゃないの

と呆れた顔で言うのです。

妻の説得に負けた私は、上等の靴を履き葬儀に出席しました。

ところが、終了後、私の靴が無いのです??

ヤラレタのかなdown 履き間違えられたかなsign02 そうだ、皆が

帰るまで待つことにしよう・・・・・・・・・。

数十分して判明したことは、葬儀関係者の靴を除いて

残った靴は1足。可なり傷んだものでしたangry

気持ち悪いので、スリッパを借りて自宅に戻りました。

妻に事情を説明すると、

へえ??品物があふれている時代なのに盗む人が

いるんだね」とモヒャ━━((゜Д゜Uu))━━!!!!!!

アポチャンは直感しました。犯人は終戦時の物のない時代を

経験した人だと・・・・・・・。

このことがあってから、お通夜などでお寺へ出向く時は

欠かさず悪い方の靴を履く習慣に戻っていたのでした。

[注釈] 終戦後しばらくは、銭湯で衣服や履物が頻繁に

盗まれるというのは日常茶飯事でした。ですから、盗まれても

いいような衣類をきたり、やや傷んでいる靴などを履いて行く

ことを親に厳しく「しつけ」られていたので、

それが習慣化されたのです。

幼少時代に躾(しつけ)られたことは、高齢者になっても

現れることの一例です。

なお、昭和24,25年頃まであらゆる盗みが横行しました。

一例を挙げますと

・教室の窓ガラス ・洗濯物 ・スコップ ・石炭などなど

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2008年11月 4日 (火)

テレビタレントの パンツの話?

テレビタレント(故人)の話です。

北海道出身でお笑い番組の人気者の一人であった

A氏の小学校時代のことです。

学校では毎年4月に行われる身体検査では、男女を問わず

全員パンツ(下着用)いっちょうになるのです。

A君は検査が終ると急いでトイレに駆け込みました。

下痢をしていたわけではありません。弟が待っていたのです。

兄弟二人はウンチ用の個室?で下半身丸出しになりました。

実は兄のパンツを弟が借りているのです

何故だか分かりますかsign02

A君の家は貧農であったため、兄弟二人に下着のパンツを

与えることができなかったのです・・・・・・・・・。

この出来事は誰も知らなかったわけですが、何年かに一度

開催されるクラス会で、タレントになったA君が

担任のB先生に話したわけです。

この話を同僚のB先生から聞いたアポチャンは、

銭湯での出来事を思い出したのです

ある日、兄達と銭湯に行き服を着ようとしたらパンツが盗まれた

らしく見当たりません?・・・・・・・  ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ。

もしやと思ってゲタ箱をのぞいてみると、やはり

ゲタもありません。下足札(ゲタ箱の鍵札)は脱いだ衣類を

入れる篭(かご)の下の方に入れていたのですが、

ゲタ箱にかかっているのです。完全にやられました。

アポチャンの不覚ですangry

このような事件がよくあったので、アポチャンには変な習慣

身についていたのです。

それはどんなこと???・・・・・・

                            <つづく

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2008年11月 3日 (月)

早退して トマトを失敬

先生!子守をしなければなりませんので早退していいですか

と、3時間目が終了した時に申し出るアポチャン。

「大変ね!気をつけて帰るのよ!」と労いの言葉をかける先生。

ところが、アボチャンは校門を出て300m近くにある他所の家の

トマト畑にいるのです。友達と登校する際に、トマトが赤く

色づき食べ頃なことを知っていたのです。

下校時は皆がいるので失敬する(盗み)チャンスがありません。

見つかる心配の少ない昼少し前に、単独犯行に及ぶのが

得策であると考えていたからです。

道路ぶちから中の方へ進み、赤く色づきはじめたトマトを

見つけては、口一杯にほおばるアポチャンでした。

勿論、誰にも見つかりませんでした。

なにくわぬ顔で家へ帰ると昼食が用意されていました。

弁当を持って行くことのできないすぐ上の姉が戻ってきました。

配給で買ったサツマイモです。

喉(のど)つまりをしながら2個も食べ、満腹感でhappy01です。

姉は急ぎ足でまた学校へ戻りました。

昼下がり、アボチャンは4歳下の妹と楽しく遊んでいるのでした。

[注釈] 学校給食もなく、弁当を持参していくことのできない

我が家では、私と姉は昼食をとりに家に戻ったのです。

弁当を持っていかざるを得ないのが5人もいたのです。

学校給食明治22年山形県鶴岡町の忠愛小学校(私立)で、

十分に食事の出来ない子ども達に昼食を食べさせることから

始まりました。

その後、昭和7年全国各地で国庫補助による給食が始まり

ましたが、昭和18年戦争で食べ物が少なくなり中止され

ました。昭和21年東京・神奈川・千葉の3都県で

新しい学校給食が試験的にスタートしたのです。

昭和22年2月、アメリカから無償で与えられた脱脂粉乳

給食が都市で開始されました。

今のような完全給食(パン・お汁や煮つけ・牛乳の三点セット)

が始まったのは可なり後になってからです。

過日、千葉県舟橋市の小学6年生男子が給食のパンを

のどに詰まらせて窒息死するという痛ましい事故が起きま

した。食べ物窒息死は全国で4千人を数えるそうです。

しかし、高齢者がほとんどで、10歳から14歳は

一人だけです。若い世代の人は、学校側の落度であるとか

担任の指導が不足していたとか批判しますがangry???・・・

昨今、食べ物をゲームに使ったり、早食いや大食い競争をして

楽しむという風潮がありますが、私は教師をしている時には

絶対に許しませんでした

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2008年11月 2日 (日)

盗人を捕らえてみれば 我が妻なり

近頃、畑泥棒が頻繁にあるので佐藤さんの家の人が警察に

お願いに行ったそうです。

数日後、警察官と佐藤さんのお父さんが夜に見張りをしてい

たところ、向こうから人影が近づき畑に座り込み??・・・・・・。

二人は忍び足で近づき逮捕することができました。

犯人は袋にジャガイモを入れていたのです。

警察官が月明かりに照らして、犯人の顔をのぞき込んだ時

あなた、私です。許して下さいsign01許して下さいsign03

と犯人の叫びcoldsweats02

実は、アボチャンが居住している地域担当お巡りさんと

その妻のことなのです。

母が佐藤さんの奥さんから聞いた話を子ども達に聞かせて

いるのでした。

この時、アポチャンは小学2年生でしたが、同じようなことを

したことがあったのです。しかし、父母は知りません。

自慢できる話ではありませんが、畑泥棒はオチャノコサイサイ

(簡単ですぐ出来る事)でした。

父、すぐ上の兄、私も教員で指導的立場にありましたので、

過去の悪事を紹介するのは好ましい事ではありません。

しかし、食料事情や治安が最悪という時代の中で、

生きるがためのギリギリの行為であったことをお察し下さり、

公表することをお許し頂きたいのです。

戦争」は「」と「飢え」を生むのだということを

我が子や孫達に語り伝える使命があると思うからです。

70歳を迎え先を考えた時に、今からでも間に合うとの思いを

新たにしたアポチャンです。

[注釈] 終戦から3,4年間は想像を絶するような生活を

余儀なくさせられました。警察官であっても配給量は同じです。

家計をやり繰りする母親達は、自分の着物を食料と交換したり

して、飢え死にしそうな我が子のために必死だったのです。

しかし、物々交換をする物も無くなり、お金を持っていても買う

ことができない状況の中で、このような悲劇が起こったわけです。

近所では、夏休みに入ると子ども達が群れをなして海水浴に行き

ます。その時は大きな鍋とマッチだけを持って行き、

途中で畑の芋を頂戴するというのがよくありました。

また、塩も配給でしたので塩水で炊きましたが、全然煮えなく、

はんこ煮(生煮)のを皆で分け合って食べたものでした。

今は賞味期限が切れれば廃棄処分しますが、終戦当時を

思うと、何かがあたるような気がします┐(´д`)┌ヤレヤレ

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2008年11月 1日 (土)

警察が近づくずく気配に・・・

辺りが静かになり、コッコッと足音が近づいて来ます。

すぐ後から太い男の声が聞こえます。

「これは何だsign02中身を見せなさいsign01

「よし、お前のその包みは何だsign02」と怪しい人への尋問です。

「はい。実家で頂いたお土産の餅ですcoldsweats02」との母の声。

「実家は何処だ?」「何と言う名前だ?」と警察官は聞き

何も言わないで、また次の人に聞いているのです。

警察官が隣の客車に移動していった時、

「米を持っていることが分かれば取り上げられ捕まえられる

のよ。危なかったわねwobbly」と胸をなでおろす母でした。

母の説明を聞きながら、盗みもしていないのに何故駄目

なのか不思議がるアポチャンでしたthink

[注釈] 戦後数年間、配給される食糧だけでは、どこの

家庭も充分ではなかったのです。当然「やみ米」を求めて

農家へ買出しに行くことになるわけです。

やみ米の売買は違法行為だったので、警察は駅や客車内

で取り締まり摘発していたのです。

従って、ランドセルを隠れみにした買出しは、アポチャン

家の常習手段であり、もし尋問されても黙秘することを母に

教わっていたのです。

多くの大人が摘発を恐れて、調達した米を汽車の窓から

放り出し、後から取りに来るわけですが、先に盗まれていたり、

袋からこぼれ出、雨に打たれて線路上に散らばっている

米をていねいに拾う姿も見ることがあったのです。

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