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2009年1月

2009年1月31日 (土)

教諭がいす投げ 2年生男児けが ①

1月30日の朝刊にこんな記事が掲載されておりました。

「福岡市西区の・・・・・教務主任の男教諭(46)が授業中、教室を静かに

させようとして投げたいすが二年生の男子児童に当たり、児童は顔を約

二㌢縫うけがをしていたことが二十九日、分かった・・・・・・・・・・・・・・・・。

教務主任は"うるさかったので大きな音を立てて驚かせ、静かにさせよう

と思った"と説明しているといい、市教委は不適切な指導方法だったとして、

懲戒処分も検討している。・・・・・・・・。新人教諭が研修で不在だったため、

代わりに教務主任が国語を教えていた。何度か注意したが、この児童が

私語をやめなかったとして、近くにあった児童用のいすを床に向かって投

げたところ、はね返って児童に当たった。」とあるのです。

この記事を見て、今から27年前のことを思い出しました。

それは、転勤先の小学校で2年生の学級担任になった時のことです。

教職経験22年のベテラン教師になっているにも関わらず、授業が成立

しないのです。いわゆる学級崩壊したクラスだったのです。5分間も授業に

集中できない状態なのです。

初めは静かに!と大声で注意を促しても効果がありません。ホイスルを吹

た時は、その時のみ教師の方を向くのですが、また直ぐ勝手なお喋りが

まるという具合です。

この学級は1年生の時、担任が体調を崩し入退院を繰り返したわけです。

担任不在の時は、授業の空いている先生が補欠授業に入るため、1日に

数人の先生方が出入りする状態でしたので、子どもの基本的な学習態度

育てられていなかったわけです。

そこで機会をみて、子ども達に次のような話をしました。

「馬や牛や犬などは、人の言うことをきかなかったらムチで打たれたり、足

で蹴られたりします。あなた達は人間ですから叩かれたり、蹴られたりしなく

ても、きちんと人の話が聞けるようにならなければ、馬や牛のような動物と

同じです。

皆はまだ小さな人間ですので、3回注意してもお喋りが直らなかったら、

を与えます。種類は次の三つで、どれがいいか自分で選ぶのです。

一つは、神様の棒(リコーダーの清掃に使う白いプラスチックのムチ)で頭を

     一発打つ。

二つ目は、スッペ(指2本で相手の手首を打つ)3回。

三つ目は、頭ケシケシ(髪の毛を消しゴムで上から下へなでる)です。

そして、罰を受けるときには「先生お願いします。○○をして下さい」と言う

のです。この罰は先生が神様に代わってするのですが、本当はしたくないの

です」

と告げておきました。

授業中、無駄話をしていれば名前を告げて、警告1回を指で示すわけです。

そして、罰を与える時には「神様、神様、この子をお話の聞ける子にして

下さい」と呪文を唱えます。

さて、その後の子どもや保護者の反応はどうだっのでしょうか?

                                    (つづく)

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2009年1月30日 (金)

オバマ大統領の演説

The Goverment of the people, by the people, for the people」という懐か

しい言葉が耳に入ってきました。オバマ大統領の演説のニュースからです。

この言葉は、アメリカ合衆国国民に最も愛された大統領の一人である

エイブラハム・リンカーンがゲティスバーグの戦いでの戦死者を弔うために

新しく建設する国立戦没者墓苑の墓地献納式においての演説の一節であり

民主主義の本質を語ったものとして、世界的に知られている言葉です。

即ち、「人民の、人民による、人民のための政治」と訳されております。

私にとって、どうしてこの言葉が懐かしいのか不思議ですよね?

実は、中学3年生の英語のテキストである「Jack and Betty」にリンカーン

大統領の伝記が載っていたのです。ケンタッキー州の貧しい農家の、戸口

が一つ、窓が一つ、そして暖炉の煙出しがあるだけの粗末な丸田小屋で

出生し、大統領になるまでのエピソードが語られていたのです。

この伝記を小樽市内の中学英語暗唱大会に出場するため、夏休み中に

暗記しておくようにと教科担任に言われていたのです。

従って、中学3年生の夏休みは殆どこの課題をクリヤするために費やし

ました。そして、大体の目処が立ったので久しぶりに海水浴に行ったのです。

ところが偶然に英語の教科担任に会いました。先生は、

「どうだ、全部暗記し終えたかsign02」と質問したので、私は謙遜して

「いいえ、まあまあのところです」と言ってしまったのです。

二学期が始まって数週間経っても大会出場の話がないばかりか、暗記の

程度を調べようともしないのです。私は不満な日々を送りました。このことを

作文に書くと、担任が「英語の先生に聞けばいいのに。聞きずらかったら

私が聞いてあげてもいいのよsign01」と優しく言ってくれましたが、昨年も出場

しているのでおこがましいと思い断ってしまったのです。

結果的に親友のK君が出場しましたが、残念ながら入賞することが出来な

かったわけです。私にとっては「出場する」「出場しない」の問題ではないの

です。私の努力の過程や結果を認めて、多少なりとも労いの言葉をかけて

くれることを期待していたのです。それが全く無いのです。

そのような事があってから、私はこの英語の教科担任に不信感を持ち、

授業もあまり面白くありませんでした。しかし、リンカーンの英語で書かれた

伝記から、彼のことについてもっと多くを知りたくなり、図書館で伝記を借り

読んだわけです。何れにしてもリンカーンのあの言葉は辛い思い出と共に

何時までも脳裏に焼きついております。

注釈> 教育現場では「児童・生徒理解」とか「人間尊重」という言葉を

よく耳にし、口にする機会が多いのですが、実際に子どもを正しく理解する

営みを実践しているかといえば、必ずしもそうではなく、むしろないがしろに

されていると言っても過言ではなさそうです。

なぜなら、子ども理解は言うは易く行うは難しなのです。

教師の受容的、共感的な態度によってこそ、子どもは心を開き本心を

話すようになり、自分の考えや気持ちを我がことのように感じ取ってくれる

教師に一層の親しみと信頼を増し、深く人間的なふれあいを求めようと

する気持ちになると思うのです。

昔風に言えば、このような師弟関係、要するに教師と子どもの人間関係は

教育の基盤であり、子どもと教師の濃密な関係が今の教育界に求められて

いる重要な部分であるということを訴えたかったのです。

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2009年1月29日 (木)

先生と名のれば 許された時代

今朝のことです。朝刊(2009.1.29)に「密漁の教頭ら教員6人を処分」

との見出しに目が留まりました。内容はこうです。

「道教委は二十八日、昨年六月にホッキ貝など貝類七個を密漁したとして

漁業法違反などで罰金刑の略式命令を受けた渡島管内の小学校教頭(54)

を減給10%三ケ月とするなど、六件の懲戒処分を発表した。」とあるのです。

この記事を見て驚きました。私は祝津の海で夏休み中は1日3、40個ずつ

ホッキ貝を獲って密漁であると咎められたことは無かったのです。それほど

浜の人達はおおらかでした。しかし、鰊(ニシン)漁が寂れてきたあたりから

浜の様子が変わってきたのです。

それは、中学3年生の時、担任が浜に遊びに来てくれたので嬉しくて嬉し

くて、アワビでもご馳走しようと思って獲り始めました。するとどうでしよう。

監視人が来て

密漁行為は禁止されているのです。」と厳しい顔で言うのです。傍にいた

担任が

「この生徒は私の教え子です。私にアワビをご馳走すると言って潜ったの

です。厳しく注意しますからお許し下さい。」

と告げると、監視人は

「えーえ先生かい!分かった!」と許してくれましたが、私達の水中眼鏡は

没収されてしまいました。この監視人は祝津の人ではなく、アルバイトで

雇われた人だったのです。しかし、先生であると名のっただけで許してくれ

るほど当時は先生という職業に一目おいていたようです。良き時代でした。

今回の密漁事件は外に裏があるような気がします。たかが貝類七個で

懲戒処分とは酷です。減給ばかりでなく昇給が六か月延伸するのです。

大変大きな処分です。校長採用の道もとだされます。

しかし、法を犯したのですから仕方がありませんが、何かしっくりしない事件

です。

この事件を含め、教職員が不祥事を起こして処分される報道を毎月のよう

に目にします。教職員の質が問われています。教育は信頼関係の上に成

立っています。このことを一人ひとりの教職員は肝に銘じるべきです。

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2009年1月28日 (水)

子供貯金と修学旅行

中学校3年間で一番楽しみにしていた行事は何と言っても修学旅行では

ないでしょうか。連絡船に乗り津軽海峡から初めて本州へ行くからです。

当時、北海道の人は本州方面を「内地」と呼んでいましたが、未知の世界

なのです。

殆どの生徒は旅行費用が凄くかかるということで、中学1年から子供貯金

で積み立てしていたのです。貯金日は毎月1回で幾らかの金を袋に入れて

持っていくわけです。お年玉も少し残し貯金しました。姉は小額であれば恥

ずかしいと言って貯金することが少なかったようでしたが、私は10円であろ

うが20円であろうが、お構いなしに貯金したので母に褒められていました。

いよいよ修学旅行がせまり学校から実施要領が配布されました。一番の

関心事は私の積立金で旅行費用を賄うことができるかということでしたが、

残念なことに可なり少ないのです。しかたがありませんので諦(アキラ)め

ていました。ところが父が「行っていいよsign02貯金で足りない部分は出してや

るから」と言うのですhappy01。びっくりでーす。兄、姉も経験したことのない修学

旅行に私が行けるとは・・・・・・・・・・。

修学旅行当日です。父がサンタク(オート三輪に客室を架装したタクシー)

を呼んでいれ、雨具にしなさいということで透明なビニールシートまで渡し

てくれたのです。こんなに優しい父を見たのは初めてでしたので驚きました。

小樽駅から夜行列車に揺られ函館から連絡線に乗りました。友達はイルカ

を見つけ喜びいさんでいました。青森駅から弘前へ。そしてバスに揺られて

蔦温泉に着いたのですがバスに酔ってしまったのです。温泉にも入らず

夕食ぬきで寝ていました。

朝になり、心配していた担任の先生が散歩にでも行きましようと誘ってくれ

林の中にある遊歩道を散策しました。お陰で気分は上々です。

その後、十和田湖を見学し、秋田県の大館から列車に乗って帰路に着き

ました。お土産は「りんご飴」と父には津軽の清酒(二合瓶)1本です。

担任が「これまで何回も修学旅行に来たけれど、お土産にお酒を買って行

く生徒は貴方が初めてよsign01」と驚いていました。

この酒を美味い美味いと飲んだ父の顔が懐かしく思い出されます。

なお、私の修学旅行が実現したのは、母の応援があったからでした。私が

こつこつと小銭にも関わらず子供貯金をする姿を見て、父を説得してくれた

ということを後になって知ったわけです。感謝、感謝です。

注釈> 昭和25年に6年生になった私は「子供銀行」の出納係をしま

した。転校前の学校にはなかったのですが、小樽祝津小学校へ来て初めて

経験したわけです。おそらく社会科教育の一環として取組まれたと思います。

出納帳の合計と実際の金額が合わなければ何回も点検しました。一時間

目がそれで費やされることもあったのです。金銭教育の一つとして意義ある

取組みだったと思います。

子ども貯金は今でも実施とされていますが、地域の郵便局の職員や銀行員

などが学校に出向き窓口業務をしていました。しかし、それも下火になり現在

は取組んでいるところは殆ど無いように認識しています。

それにしても、子どもの金銭感覚には問題が山積しております。小・中学

生にも関わらず携帯電話の費用が月に1万円前後かかると嘆いていた

保護者がおりましたが、保護者の姿勢にも問題があるのです。しかし、

そのことを指摘すると逆に怒り出す人もおりますから、困ったものです。

金銭教育は家庭で行ってくれることを願っています。

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2009年1月27日 (火)

十代の性教育

友達の遊郭で遊んできた話を聞いて関心を持っていた私は、ある日の朝刊

に目が留まった。「売春防止法またもや廃案」との見出しで、国会議員の

神近市子などの女性議員によって提案された法案が、廃案になったことが

掲載されていたのです。

私は、売春する女性も悪いがそのようなことをする男も悪いので、当然法律

で禁止すべきである旨を作文にしたわけです。勿論、クラスのM君のことに

も触れてあったのです。ところが、その作文を担任の女性教師が私の許可

もなくホームルーム指導に役立てるため皆に読んで聞かせたのです。

しかも私の名をあげ、勇気ある主張であり社会問題に関心を示すことは、

非常に大切なことであるとコメントしたのです。

その後、男友達の一人が

「おい、格好つけるなよsign03」となじりましたが、その後、私は母から聞いてい

た性病の恐ろしさについて話すと、友達はあっさり納得してくれました。

気が荒くやんちゃな私を怒らせると、また取っ組み合いの喧嘩になりお互い

が傷つくことを知っている仲間でしたので、おとなしく引き下がったとも思わ

れます。

当時、学校では性教育などしておらず、保健体育の時間に女子だけが

純潔教育の一環として初潮指導などを受けていたようです。ですから、性交

による妊娠、出産や避妊方法など習っていなかったのです。

長橋小学校時代のクラスメートの一人が高校2年?の時に妊娠し、それを

苦にしてオタモイ(小樽の断崖絶壁のある海岸)で投身自殺をしたという話

を後になって聞いたわけです。

時代が変わっても「性に関する問題」について、真剣に考えていかなけれ

ばならないと思っています。

注釈 十代の性環境について、文科省学校保健教育課の岩崎容子専門

官が札幌で講演しました。(平成17年10月27日)

彼女は全国高等学校PTA連合会や厚生労働省の統計資料(全国高校生

一万一千人を対象)をもとに、概ね次のような内容を報告しているのです。

①高校三年生は3~4割の生徒が性交経験がある。

②経験人数は男女とも一人が最も多かったが、次いで多かったのは4人

 以上で、二極化が進んでいる。

③過去3ケ月のコンドームの使用状況は、毎回使用している割合が男女とも

 半数にとどまっている。

④性感染症が増加傾向にある。

⑤人工妊娠中絶率は全体的に右肩下がりだが、二十歳未満は逓増(テイ

 ゾウ:次第に増す)している。

更に彼女は次のように訴えています。

①性情報の氾濫、性犯罪の増加など十代を取り巻く環境は大きく変わって

 いる。

②学校に於ける性教育の重要性が増している。

 しかし、行き過ぎた性教育は問題である。例えば、中学生にバナナを持参

 させ、コンドームをつけさせた実習があったとの報道を聞いた。教育現場で

 は何ができて何ができないか困惑しているので、文科省としては、安易な

 性交渉は不適切だというスタンスに立って指導内容を検討しているとのこと

 でした。 (5年後までに)

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2009年1月26日 (月)

パンパンと公娼

七夕祭りで遊郭(ユウカク)と呼ばれていた所へ行った時、綺麗な和服姿

の女性が団扇(ウチワ)片手にベンチに座っておりました。傍へ行くと白粉

(オシロイ)の匂いが漂っていたのでした。一体この人達はどのような職業

についていたのか全くわかっていない私。

ところが、中学3年生になってのことです。ある休み時間に、学年で一番

体格のいいM君の周りに多くの男子友達が集まり、真剣に話を聞いてい

るのです。私も何だろうと思って聞きに行くと、遊郭にいる女に誘われて

部屋へ上がり遊女と戯れた話なのです。凄く好い気持ちになったから

オマエラ(貴方達)も一度経験してみれと得意顔で説明しているのです。

料金は200円?でもいいそうだとのこと。

友達は一番関心のある事を身近なクラスメイトから聞いたもですから、

機会があれば一度挑戦してみようと名乗る者もおりました。その気になれ

ば挑戦できる料金であり、イカ釣り漁船に乗ってアルバイトをしていた友達

もいましたから、後は本人の決断次第なわけです。

その遊郭は学校から1kmたらずの所にあり、M君の家の直ぐ近くにある

のです。私も男ですから機会があれば挑戦してみたかったのですが、小さい

時から母がよく話しているのを聞いたことがあるから恐ろしかったのです。

それは

「近所のおじさんが女遊びをし、梅毒(バイドク:性感染症の一種)に罹り

顔面が歪(ユガ)んだり、歩行困難になっているから、もう4期に近い」

などと話していたからです。また、母に連れられて一緒に銭湯に行った時、

妹に

「湯つぼの水で顔を洗ったりしたら梅毒がうつり目がつぶれてしまうよ」とか、

「タイルにべったり座るとオチョンチョン(女性の性器をさす方言?)から梅毒

などうつるよ」

などと注意をしていたのを思い出したからです。

また終戦まもなく、近所の娘さんがアメリカ兵相手のパンパン(売春婦)に

なり黒人の子を身ごもった(妊娠した)そうだ。これから一体どうしたらよい

のかお母さんも悩んでいるとの話などをしていたからです。

今思うに、年頃の男の子が3人もおり、もし不純異性行為(セックスや

エッチすること)によるトラブルを恐れた母は、常日頃から大人の男女が

淫らなことをすることは罪悪であるという先入観を植えつけるために、

意図的に繰り返し繰り返し話していたのではないかと思われるのです。

注釈》 パンパンは1945(昭和20)年以降の占領統治下の日本で外国人、

主に在日米軍将兵を相手にした売春婦(私娼)をさす言葉であり、パンパン・

ガール、パン助とも呼ばれていた。食料難や物資の乏しかった当時、金の

無い日本人相手より米兵の将校を相手にすると可なり儲かったとのこと。

特定の将兵を相手にする娼婦のことをオンリーとも呼んでいた。

一方、遊郭は公許の遊女屋を集め周囲を塀や掘などで囲った区画にあっ

たが、小樽では南郭(色内地区:今は観光地)、北郭(手宮地区)の二箇所

が有名で、大きな館に遊女(娼婦)を多数雇っていた。

公認の遊女定期的に性病検査などが義務付けられていたようだ。

しかし、昭和21年にはGHQの政策により公娼制度が廃止されるが、カフエ

や料亭などと看板を塗り替えて、実態は遊郭と同じように営業する業者が

多かったとのこと。通称「赤線」と言われていた。性病の流行も私娼の流行

と高い相関があるように思われます。

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2009年1月25日 (日)

英語暗唱大会 その2

月曜日の全校朝会前のことです。英語の教科担任が教室に来て

「今日、全校生徒の前で発表してもらうことになったのでその積りでいてね」

とのこと。

私は、大勢の前であがってしまって、もし忘れたら困ると思い、ワイシャツの

下に教科書を入れて朝会に臨みました。

山本校長が

「皆さん、今日はよい話があります。土曜日に行われた英語暗唱大会におい

て、本校2生代表の○○君が全市13校の中で、見事3位を獲得したのです。

このことは本校の名誉であり大変嬉しく思います。そこで早速、○○君に、

ここでその成果を発表してもらいますので、よく聞いて下さい。」

と促しました。

緊張してステージに上がり発表していくにつれ、友達の顔や先生方の顔も見

えてきました。クラスメイトはにこにこして聞いています。英語の教科担任は

微笑みながらうなづいています。

全部発表をし終わった時、今までに味わったことのない充実感が込み上げ

てきたのです。

クラスに戻ると、友達が私の周りに集まり

「よくやったなーsign01格好よかったぞsign03」と褒めてくれるのです。特に、祝津小

学校から来た同級生は、「外の学校に勝ったよな!いかったなあーhappy01

と我が事のように喜んでくれました。

家に帰ると、中学3年になる姉が

「アポチャン、格好良かったよ。私も友達から弟さん凄いわねと褒められ、

鼻が高かったよ」

とのことでした。私は有頂天になっていたのです。

注釈》 私はこの出来事から英語の実力は相当にあるものと過信しており

ました。まして通知票の外国語の欄には

・理解しながら読む能力 5  ・話す技能 5  ・書くことによって自己を

表現する能力 5  ・話された言語を理解する技能 5

とあるからです。この評価も落とし穴でした。なぜなら殆ど復習する習慣の

なかった私でしたので、既習した単語のスペリングがかけない状態だった

のです。ですから小樽桜陽高校での英語の成績は、第1学年70,60点で

総合評価は3であり、2学年は47,56点で3、3学年は45,62点で3とい

う状態で全く良くなかったわけです。高校は絶対評価、中学は相対評価

したので簡単に比較することはできないわけです。

いずれにしても、自信を失うと学習する意欲が減退し、ますます悪い状態を

呈するようになっていくものです。

今、改めて考えてみれば、中学時代は高校進学率の低いなかでの相対評

価ですから「5」や「4」をとるのは簡単なわけです。回りの友達が殆ど勉強し

ていないからです。ところが高校へ行けば全員が大学へ進学することを目標

に勉強するわけです。ですから評価される生徒のレベルも違うし評価方法も

異なりますので、学力が低下したと勘違いするわけです。このことちも落とし

穴であり学習意欲に関係してくるわけです。

そんなことに知恵のまわらなかった私でしたので、大学でも英語には大変

苦労をし、大人になっても夢の中で英語の単位がとれなく悩むことがしばし

ばあったわけです。

過信は災いを生む元凶である」と痛切に思い知らされた出来事でした。

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2009年1月24日 (土)

英語暗唱大会 その1

どうしたことか、中学2年生の思い出が殆どない中で、唯一鮮明に残って

いるものがありました。それは下記のように書かれていたA4の紙1枚です。

               CERTIFICATE

   THIS IS CERTIFY THAT ○○○○○○・・・・・・・・・・○○○

HAS BEEN AWARDED THE THIRD PRIZE AT THE FIFTH ALL-OTARU

INTER-JUNIOR HIGH SCHOOL ENGLISH RECITATION CONTEST

SPOONSRED BY THE OTARU UNESCO ASSOCIATION AND SUPPORTED

BY THE HOKKAIDO ENGLISH EDUCATION ASSOCIATION AND THE

PTARU MUNICIPAL BOARD OF EDUCATION.

                                                                                   JUDGES:

NOVEMBER 15,1952

 E.Kiso K.Wachi S.Kitamura Cana Maeda J.S.Machod

戦争中、敵国語として使用禁止されていた英語が、終戦後間もなく復活

され、暗唱大会まで開かれるようになりました。その大会に私が北山中の

2年生代表として出場することになったのです。どうして (・_・)エッ....?

さあ大変です。教科書の「Jack and Betty」に載っている「三人の巨人」の

物語を暗唱しなければならないのです。それまであまり家で勉強したことの

ない私は、夢中になって覚えました。二番目の兄が発音やイントネーション

の指導です。勿論、中学校の英語の先生も、放課後に特別指導をしてくれ

ました。その先生は英語の通訳二級の資格を取得していた実力者です。

いよいよ大会当日です。各学校の選手と引率教諭で広い教室もびっしりで

す。確か1年生から?順に発表していったと思います。そしていよいよ2年生

の番です。司会、進行は全て英語で行われ、私の発表する「三人の巨人」

の題材での発表は既に2名おりましたが、発音やセンテンスの区切は私と

違うことに気付きました。

いよいよ私が呼ばれました。胸がドキドキしていましたが、演台の前に立ち

”Long long ago,there was the queen.”と声を出し始めたら後は覚えていた

通りに話すことができました。

そして成績発表です。ラッキーにも私は3位入賞。最後の審査員の講評など

耳に入るわけがありません。賞状の薄い紙1枚と大きな青インク瓶と大学

ノート一冊を副賞としていただき、バスに揺られて日がたっぷり暮れたなか

を家路に急ぎました。

母が玄関まで出迎えにきて「アポチャンどうだったsign02」との声。

「3位になったよsign03」と弾んだ声で言うと、母は茶の間の方へ「3位だとさ、

3位だとさsign01」と言いながら小躍りしておりました。母は数日前から発表時

に着るための学生服を縫ってくれるほど力を入れていたのです。

帰宅してきた父や兄達も凄く喜んでくれたことが懐かしく思い出されます。

そして、次の日の全校朝会のことです。               (つづく)

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2009年1月23日 (金)

複数の人に 襲われた時

「もし、4、5名の人に襲われたらどうする」と兄が質問してきました。

「逃げる」と答えると、「何処へ逃げる」と再度の質問です。返答に困ってい

ると、「もし、近くに家があったらどうする」とのこと。

そのような時には、家で直角になっている所に逃げ込むとよいのだと言い、

部屋の角に連れて行き、

「角を背にしていると後から襲うことが出来ないし、前の方はせいぜい2名

しか来れなく、他の人はその2名の後にいることになるので、戦う相手は

自分の前にいる2人だけなのだ。その中の1をターゲットにし、頭を低くして

組み付くと良いのだ」と教えてくれました。

その話を聞いて実践してみたくなった私は、休み時間に、

みんな、俺をやっつけることができるか? ちょっと4、5名で俺に

かかって来いやsign02

とタンカをきったのです。友達は「面白いことを言うなsign03よーし、いくぞ!」

と言って追いかけてきました。私は兄に教わった通り、体育館の角に逃げ

込み、私の前に立ちはだかった友達1人の胴を抱え込み、ピッタリ頭を

付けたのです。後にいる友達は私を叩こうとしても前にいる友達が邪魔に

なって手を出すことができないのです。蹴ろうとしてもやはり友達が邪魔に

なります。結果的に5名もいながら私を降参させることができなかったわ

けです。その戦い方がクラスで話題になり得意顔で説明する私でした。

兄は逃げ込む場所に直角がない場合は、壁を背にして戦うこと、家が近

くにない場合は、電柱や木立を背にして戦う後方から攻められる心配

がないことと、戦う相手は自分に一番近い人をターゲットにして、相手が

悲鳴をあげるほどの打撃を身体の一部に加えること大切であると

説明してくれました。

また、相手にやられて血が出ても怯(ヒル)まず戦うと、相手が恐れをなし

戦闘意欲が喪失するとも教えてくれました。

喧嘩は素手で戦うこと、急所を攻めないこと、相手を不具者(障害者)

しないこと、参ったと言ったら手をださないこなどをこれまで教わっ

てきましたが、複数と戦うときの方法は非常に参考になりました。

[注釈] 少子化時代を迎えて、子ども達の放課後や休日は、学習塾や

習い事、スポーツクラブなど学校以外の様々な教育機関に通うようにな

りました。また1人でも遊べる様々な遊具が開発され、メディアの発達に

よって遠くにいながら子ども同士コミュニケーションができるようにもなっ

たのです。しかし、異年齢集団で、年長者がリーダーシップをとり、時に

は暴君となって年少者を従え、守り、支配されて、子ども達は自ずと年

齢の異なる子ども達との関わり方を学んだわけです。

しかし、そのような経験の乏しい子ども達は、部活動での「しごき」に戸惑

ったり、先輩や後輩との望ましい人間関係を築くことができなく、いろいろ

なトラブルが起きても、自らの力で解決できない子が多いわけです。

「生きる力」とは学力だけの問題ではないのです。このことを教育関係

者は強く訴えていくことが大切であると思います。

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2009年1月22日 (木)

遠泳に挑戦

素敵な海の町、小樽市祝津町へ来て2年目の夏休みを迎えました。

今年の目標は潮に逆らってての遠泳。一人では危険です。友達が一緒に

泳いでくれることになったのです。しかし、安全面を考えてボートもついてき

てくれることになりました。

Photo

右手に見える岩はトド岩と呼ばれておりますが、ニシンの漁場として一番

良い場所であり、この辺は網元の青山家が権利を持っていたのです。

左手前の小さな岩場からトド岩までは、直線で二百メートルしかないので

す。ですから簡単に泳げると思ったら大間違えなのです。と言うのは、潮の流れが

河のようになっているからです。

そんなこととは知らずに、手前の岩場から直線的に泳いで行ったりボート

で漕いで行っても絶対に目的地のトド岩に着かないのです。慌てて岸に戻

ろうとしても、どんどん右側の沖合いに流されて行き、結果的に遭難状況に

なり海上保安庁の巡視船に救助をお願いするハメになるのです。

そのようなことを友達から聞いていた私は、手前からトド岩めがけて泳ぐの

ではなく、水平線に向かって泳ぎ出しました。勿論、潮の流れに逆らって

泳ぐことになるのです。

ところが、いつの間にか潮に流され放物線を描いたような進路を進みながら、

やっとトド岩に着くことができたのです。

泳いだ距離は500メートルぐらいになっていたと思います。

途中、青々とした海底を見ながら泳ぐのですが、時々クラゲが身体に触れ

ると気持ちが悪くなり、電気クラゲではないかと心配したものでした。

また、手足が疲れてくると仰向けになり力を抜いてただ浮いていると、回復

してきます。これも海浜学校で教わった技術の一つです。

トド岩からの帰りはもう泳ぐ力は残っていません。友達が出してくれた磯舟

に揺られながら、こっくりこっくりと眠り出す始末でした。

この経験を通して、小学校の校長が言った「海を恐れるな!しかし、海

侮(アナド)るな」と言った意味が体験的に理解できたわけです。

[注釈] 知らない海で泳ぐ場合は、岸から沖の方に歩いていき、胸近くの

深さの所から岸に向かって泳ぐことが鉄則です。そして、潮の流れをつか

んだ後に、背の立つ所を岸に平行に泳がなければ危険です。

また、子どもが浮き袋につかまっているから安心だと思わないで下さい。

浮き袋は潮に流され易のです。そうとも知らずに親が助けに行くと、

どんどん流れていく浮き袋に追いつくことが出来ず、結果的に溺れてしまう

という事故が起こるのです。

私は、この祝津の海で4年間、貴重な体験をし海に対する危機意を抱く

ことができるようになったのです。

これから親子連れで海水浴に行くようになったら、最低この程度のことぐらい

は守り、互いの安全確保に努めて欲しいものです。

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2009年1月21日 (水)

金偏景気で潤う私

1950(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争中(朝鮮動乱とも言った)、朝鮮

半島へと出兵したアメリカ軍への補給物資の支援、破損した戦車や戦闘

機の修理などを日本が大々的に請け負ったことによって、日本経済が大

幅に拡大されていきました。

特に、戦車や戦闘機の修理、兵器作りなどに金属が必要であるため、

金偏(カネヘン)景気と言われる状況が起こったのです。

中学生になった私は、学校から帰ってくると、他所の家の裏庭や物置近く

をたむろし、くず鉄拾いに精を出しました。針金や釘、鉄板の煙筒など金気

(カナケ)の物は何でも拾ったのです。見分けるのは簡単です。要は磁石

につく物であれば心配ないのです。集めた古鉄類は雑品屋(ザッピンヤ:

今の古物商)に持っていくと、数十円から数百円になることもあるのです。

ところが、ある日のこと、我が家の物置小屋で古鉄を探していたところ、銅

の湯沸し器があるではないですか。少し色あせ淵に青さびが付いていたの

で、てっきり使い古しで廃棄するものと思ったのです。それを持って雑品屋

へ行くと、何と600円も手に入れることができたのですhappy01

当時、銅はアカと呼ばれ非常に高い値が付いていたのです。

さて、今までこれ程のお金を手にしたことのない私は、家に帰っても誰にも

言わず、自分の小遣いにしていたのです。それでアイスキャンデーや飴、

カリントウ、サイダーやラムネ(炭酸飲料水)などを買って一人で喜んでい

ました。

秋が近づき、家ではストーブの取り付けが始まりました。父が湯沸し器を

探し始めたのです。物置小屋に置いていたのにないと気づくや、

「あっぽちゃん、ちょと来いsign02」と怒鳴るのです。

「湯沸し器を持ち出したのは、お前だなangry」(# ゚Д゚) ムッカー

と言うや否や、思い切りこぶしを振り上げたのです。又もやゲンコツです。

私は、「錆(サビ)がついていたから、もう使わないと思ったのsign01

と、か細い声で言いました。

それにしても、さすが父です。私がいつもくず鉄を集めていることを母から

聞いて知っていたのです。私はくず鉄ばかりではなく、瓶(ビン)も集めま

した。一升瓶が10円、ビール瓶が8円で引き取ってくれるので、父の晩酌

の酒瓶などは空になると直ぐ酒屋へ持って行き、換金したのです。

お陰で数か月は小遣いに不自由しなかったことを思い出すのです。

まさに朝鮮戦争、さまさまでした (v^ー゜)ヤッタネ!!。

[注釈]  1950(昭和25)年から1953(昭和28)年まで朝鮮戦争中、

我が国は朝鮮特需によって経済が大幅に拡大し、1955年から1957年

に爆発的な好景気が続き、「神武景気」と呼ばれていました。

これが、日本に於ける高度経済成長期の幕開けとなったわけです。

即ち、安価な製品を大量生産するため、低賃金で長時間働き、技術を習

得してくれる中学卒業者は、企業にとって「金の卵」と呼ばれる貴重な戦力

だったのです。就職する者にとっては「売り手市場」です。

春になると東北・北海道などから多くの中学卒業者が就職のため汽車に

乗って上野駅へ向かって出発して行ったのです。

プラットホームでは我が子との別れを惜しむ父母の姿や友達の姿で混雑し

た様子が、映画のニュースなどで取り上げられる時代へ進んでいったので

す。

一方、学校では就職係の先生が校務分掌の一つとして位置づけられ、

求人状況に関わる情報を生徒に提供するばかりでなく、時には、就職した

子ども達の実態把握のために企業訪問もしたのです。

今はアメリカのサブプライム問題に端を発した世界的な大不況の大波が

各国を襲っており、我が国も企業倒産、リストラ、失業など大変な事態を

呈しておりますが、国民の知恵と力を結集してこの難局を乗り越えて行っ

てくれることを願っています。

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2009年1月20日 (火)

「飯ごう」持って通学

今日1月20日は暦の上で大寒であり、1年で最も寒さの厳しい時期に入

るとのこと。私の住む札幌では、今日から3学期の始まりです。今、街灯に

きらきらと雪が舞い降りています。おそらく30cm位積もっていることでしょう。

この寒い時期になると思い出すことがあるのです。

私は祝津小へ転校してから弁当持参で登校できるようになりました。

なぜなら、昭和25年頃からヤミ米が入手できたのです。しかし、我が家では

弁当の必要な人が父と兄3人、姉と私、妹で7人。大学に通っている兄2人は

学生食堂を利用したようですが、それでもまだ5人分必要なのです。

それで、私の場合、中学へ行くようになってから通学距離も長くなり成長期

でもあるので、ご飯の量を多くしなければならないと母が考え、兄のお古の

飯ごう」を使うことになったのです。

勿論、北山中学校では誰も使っていなかったようでした。中学1年生で身長

129.1cmしかないチビッ子が飯ごうをぶら下げて歩いている格好は、

まるで映画にでてきたチャップリン(米国の俳優:世界の三大喜劇王)のよう

だったかも知れません。

しかし、そんなことに無頓着な私は、ふかふかな銀シャリ(白米の御飯)

「飯ごう」一杯に入っていることだけで満足していたのです。

おかずは煮付け物が主流でしたが、好物の「油揚げ」を持っていくことが多

かったので、いつの間にか「コックリさん」と言うあだ名がついた程です。

ところが、不思議です。私の「飯ごう」の弁当を一度試食してみたいと思っ

ていた友達が数人いたのです。それでお互いに「おかず」の中身を知らせ

ないでばくりっこ(交換)することにしました。私のおかずは、相変わらず

「油揚げ」の煮付けです。友達のはバラエティーに富んでいるのです。

一番裕福な家庭の子である貴公子の弁当には、卵炒めやソーセージ、

そして青菜が添えてあるのです。ソーセージは初めて口にする食材でした

ので私は大満足なのです。彼の弁当だけは、今になっても思い出します。

平成2年、クラス会で38年振りに貴公子に会い、弁当交換の話をしたと

ころ、彼も覚えていて「あのほかほかな飯は美味かったよ!」とのこと。

「ストーブを焚く時期になると、三時間目の休み時間に君はいつもストーブ

の廻りに張られた針金に飯ごうを吊るしていたもね。あの当時羨ましく思って

いたよ」と懐かしそうに話してくれました。

昔から「食い物の恨みは怖い」ものと言われてきましたが、衣食住の中で

一番関心のあるのは食ではないでしょうか。

私の本箱にこんな本があるのです。『あの時 あの味 あの風景』という題で

「食と味、あの話しこんな話し」と副題がついています。1996(平成8)年

3月12日にスカット出版から発行されているのです。著者は100人の共同

執筆。その中の一人が私の教え子であり、彼から贈られてた本なのです。

その前書に、

「今から30数年前、私が北大の恵てき寮で2年間体験した食卓は貧しいが

ゆえに仔細な演出が感動を生む場であった。御飯はドンブリにたっぷり食べ

ることができたが、それは三色御飯であった。日本の米と外米と麦である。

この三色御飯に味噌汁とタクアンが付いて朝食の全メニューであったから、

新入寮生の歓迎会などに生タマゴが一個付いていたときの感動は未だに

忘れられない。

現在、子供達の世界で”いじめ”が大問題になっているが、”いじめ”も含め

て心の傷を癒す最も効果的な解決療法は食卓の感動体験である。それは

優しさの土壌に花開く。それは単に心の傷を癒すだけではなく、人が誰でも

潜在的に持っている創造力を育てる土壌でもある。母や父の優しさが食卓を

通して子供達の心に宿る優しさに気付かせ、彼等の心の想像力を自在に飛

躍させていくのである。こうして自分の心に宿る優しさに気付き、人や自然の

優しさに感動する繊細な感性を磨いた子供達に”いじめ”など出来るはずが

ない。」

と金子佳弘(当時:北海道企画振興部経済調査室長)が訴えています。

今、「食の乱れ」と共に「心の乱れ」を思わせるいろいろな問題が指摘されてい

ますが、朝食抜きやコンビニの味が体に染み渡り、孤食・個食の多い子どもが、

心豊かに育つはずがないと思うのです。例え経済的に貧しくても、親の愛情が

一杯つまった食卓になるよう努力してくれるよう世の親御さんに訴えたいので

す。

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2009年1月19日 (月)

びっくり? ヨットに試乗

小樽商大に通っている兄がヨットに乗せてやるからということでついて行き

ました。祝津町には商大のほか、北大、小樽朝陵高校、小樽桜陽高校など

の艇体がヨットハーバーに停泊しているのです。

Photo

上の写真のヨットは昔の物より大きく頑丈に見えますが、昭和26年頃のもの

はまだまだ小さかったような気がします。

帆を二枚張って2人で操るヨットをS級と言い、一枚帆を一人で操るのをA級

と呼んでいました。

早速、兄が操るヨットに乗ったのはいいですが、風の向きに応じて、座る

場所を左右に移動しなければならないのです。マスト(センターポール)が

大きく倒れかかると、身体を逆方向の船べりから海に投げ出すような格好

で力を加えると、やがて安定した状態に戻ります。しかし、衣服は波しぶき

を被りぬれてしまいます。

体に当たる風の爽快感や周りの風景を楽しむどころか、波の大きさや風

の強さに絶えず神経を使わなければならないので、乗った心地がしません

でした。

凪(ナギ)であれば風がないためヨットは進むことができなく、風が強すぎる

ともの凄いスピードで進みスリルがあるわけですが、時に突風に出くわすと

チンする(ヨットがひっくり返る)ことがあるので、とっさにナイフでロープを

切ることがあると聞きびっくりしました。

Photo_2

この写真のような海面なら凪ですので何も心配ありません。ヨットは少々の

風では転覆することのない構造になっているのです。それは、艇の底に数

十キロ?ある板状の鉄(センターボード)がついており、起き上がりこぶしの

原理になっているからです。

それにしても、海に浮ぶヨットを見ていると、風を受けてすいすいと何の

苦労もなく進んでいるようですが、実際に乗ってみると艇体の傾きに応じ

て体重移動をしているとは、経験者してみなければわからないことです。

これも海の町、祝津へ来て学んだことなのです。

人間は経験を通していろいろなことを学ぶわけですが、その経験も自分の

五感を駆使した直接経験なのか、書物や映像から学んだ間接経験なのか

によって学びの質が変ると思います。今の子ども達は何でも知っているよ

うに見受けられますが、それはテレビ等から学んだものであり、実は何も

知っていないことに気づくことがあります。企業のリーダーが現場主義と

よく言いますが、まさに直接経験・体験が血となり肉となることを実践的に

学んできたからではないでしょうか。

なお、私は兄のお陰でヨット競技の駆け引きやスタートの難しさなどを教え

てもらったため、何年間に1回かテレビで競技の様子が放映されると釘付

けになるのです。ちなみに、兄はS(スナイプ)級が専門で、国体やイクター

ハイで3位入賞が最高の成績でしたが、その陰にはそれなりの努力をして

きたのだなあと思えるようになったのです。

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2009年1月18日 (日)

バンカラ スタイル

08年12月6日に97歳で大往生を遂げた義母のお通夜の日のこと。

儀式が滞りなく執り行われ、親戚一同が宴を開いている時のことです。

高校2年生になる甥が黒の喪服からラフな服装に着替えて参加しました。

だぶだぶのズボンをだらりと垂らし、ベルトは尻の近くで今にも滑り落ちそ

うなスタイルです。髪の毛は想像におまかせしますが、とに角、今風なの

です。

そのスタイルを異様に感じた高齢者達は、「あの子、誰の子」と非難する

ような眼なのです。私の傍にいた義兄が、親もきちんと指導しなければい

けないのに、一体何をしているのだ (-_-X) と口にしたのです。

その言葉を聞いた娘が、今、パリで若者のスタイルとして一番流行ってい

るスタイルなのに、変に思われたら可哀想にねsign02

と、フランス旅行から帰ってきたばかりの弁なのです。

私はその時、自分の中学時代の服装を思い出していたのです。黒の学生

服の上にマントを羽織り、高下駄を履き、ズボンの腰から手拭をぶら下げた

いわゆるバンカラスタイルで通学していたのです。マントを羽織っていた友

達は全校で3人です。あのニシン漁の網元である青山家と茨木家の息子と

私。いずれも旧制中等学校に兄がいた子で、二重マントなのです。

昭和26年のことですから、既にオーバーは売っていたのですが、我が家

では経済的理由から兄のおさがりの一重のマントを羽織っていただけなの

です。しかし、私以外の2名は経済的に裕福であったので、ハイカラぶって

羽織っていたのではないでしょうか。

ちなみに、私は変な服装だと友達に言われたこともなく、足駄(アシダ~

高下駄)を履いて楽しく学校へ通っていたのです。

[注釈]  バンカラ(蛮カラ)とは、明治維新後の欧米化(ハイカラ)への

反骨精神を表すために使われた言葉と言われています。マントに高下駄、

穴が開きツバの曲がっていた学生帽、ぼろぼろの学生服、腰に手拭、

ぼさぼさな髪、そのような学生スタイルをバンカラと呼んでいました。

このスタイルが持てはやされたのは、身なりに気を遣う暇がないくらい

勉強に専念したということを訴えるパホーマンスだったのです。

服装の自由は認めますが、時と場を考えた服装をすることも必要ではな

いでしょうか。

ある市で、優良新聞配達少年の表彰式が行われました。受賞する一人の

少年が、上着のボタンを掛けずだらりとしたズボンをはいて参列したばかり

でなく受賞時に礼をしないのです。この様子を見ていた来賓の一人は

「あのような少年を受賞するなんてとんでもない。式の参列について主催者

がきちんと指導しなければいけないよ。」と憤慨しておりました。

私も同感です。主催者ではなく家庭教育の範疇であると思うのです。

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2009年1月17日 (土)

Give me chocolate!

私が初めてアメリカ人に話しかけた言葉は、

What time is it now? でした。本当の目的は Give me chocolate

なのです。

昭和26年、中学校で英語を習った私は、アメリカ人からチョコレートや

ガムをおねだりしたかったのです。しかし、終戦時に旭川市立日章小学

校の校長が、

残念ながら我が国は戦争で負けてしまいました。これからアメリカ兵や

イギリス兵などがこの旭川にもやってきます。彼らは日本人を殺したい

です。飴やガムをもらってはいけません。中に毒が入っているのです。

近づかないように気をつけましようsign03

と二学期の始業式に話した言葉が耳に焼きつき、アメリカ人に近寄るこ

とも避けていたのです。

ところが、友達の何名かが、「米軍キャンプに行って、ガムやチョコレートを

もらって食べたら凄く美味かった」と得意顔で話していたので、自分もやって

みたくなったのです。

Photo

小樽の北側にある手宮公園が連合国軍のキャンプ場になっていたのです。

Photo_2

下校時、遠回りをして手宮公園に着きました。キャンプ場に行くと、外人の

殆どが黒人なのです。恐る恐る近寄り、思い切って言いました。

What time is it now? すると、時計を見ながら物凄い早口で時刻を教え

てくれたのですが、チンプンカンプンです。でも、さも分かったような素振りで

オオ サンキュー とお礼を言い、ついでにGive  me chocolateと言ったの

です。外人はオケーといってテントから持ってきたチョコレートを割って少し

くれました。サンキュー!サンキュー!と言い、直ぐ口に入れるや、今まで

味わったことの無い、甘く甘い味が口一杯に広がったのです。大満足です。

まるで、映画で観た「上野駅」の浮浪者(今のホームレス)の子どものような

姿でしたが、味をしめた私達は、月に数度、おねだりに行ったことを思い出

します。

[注釈] 昭和20年10月5日、本道進駐米軍最高司令官ウィダー少将、

第77師団長ブルース少将指揮の約8,000人の将兵が小樽港から進駐

したとのことです。手宮公園は坂の下に手宮駅があり、札幌方面への移動

に大変便利なところでしたのでキャンプを張ったのではないかと思われます。

さて、英語指導についてですが、中学時代に学んだものはイントネーショ

ンやアクセントなどが違っていたため、簡単な会話でも通じないことがあり

ます。笑い話になりますが、「マック・ドゥ・ナルド」というのを聞いて、ゆっくり

とはっきり言って下さいとお願いしたところ、何回聞いてもわからないのです。

すると、傍にいる職員が「マクドナルド」と言っているんだよと教えてくれたの

で、そのアメリカ人に日本では「マクドナルド」と発音するのだよと言ったと

ころ、腹を抱えて笑っていました。

今は全国どこの市町村も「AET」(Assistant English Teacher)と呼ばれる

英語指導助手や「ALT」(Assistant Language teacher)語学指導助手を

各市町村のお金を持ち出して雇っています。私が勤めていた教育委員会

では各中学校に1名配置し、空き時間を利用して、小学校へ出向いてもらい、

挨拶や簡単な日常会話等をゲームを通して指導してもらったわけです。

また、一般人を対象に「英会話教室」を開設しコミュニケーション能力の

向上に役立ててきました。

2、3年後に小学5、6年生を対象にした英語の時間が特設されるようで

すし、中学校の英語時間は英語を使って指導するようにと言われていま

すが、中学の英語教諭のコミュニケーション能力が不足している中で、

効果を上げることは期待できません。やはり

      外国人の講師を雇って指導すべきである

と思うのです。但し、教育予算を増額しなければなりませんので、実現する

には多くの歳月が必要と思われます。

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2009年1月16日 (金)

学校で 英語塾開設

1クラス43名の小規模校を卒業した私達は、4月から北山中学校へ進学

することになるのです。その中学校は、祝津、高島、手宮西、手宮の各小

学校から進学してきます。担任は、祝津小の子ども達が

       多級校の生徒に遅れをとるのではないか

と心配し、初めて習う英語だけでも少しは優位に立たせたいと思い、春休み

から英語塾を学校で開設することにしたのです。時間は土曜日の3時?

から約90分間の日程です。講師は私の2番目の兄で、小樽商科大学の

学生だったのです。

はじめは、アルファベットの読み方と書き方。次に発音記号の読み方と発音

の仕方。そして、リーダーは中学で使っている「Jack and Betty」ではなく、

他のリーダーを使いました。

お陰で、祝津小出身の私達は他校の生徒より英語のみは良い成績をとる

ことができ、卒業担任も学校塾の成果を聞いて大変喜んでいることを父から

聞きました。

この学校塾は、祝津小では初めての試みでしたが、兄の都合により1年間

のみで廃止になりました。しかし、高校受験を目指す一部の父母の強い要

請により、6、7名の友達が、週2回(夜7時から8時半まで)の割合で、国

語、社会、数学、理科、英語の5教科を我が家で習うことになったのです。

それにしても、兄は時間の制約を受けるのでやりたくなかったそうですが、

父の勤務する学校の保護者に頼まれ、断ることが出来なくなった、と後で

聞いたわけです。

[注釈] 私が中学1年の頃(昭和26年)は、まだ、小樽市内で学習塾

いうのはありませんでした。算盤(ソロバン)塾はいたる所にあり、大変

繁盛していました。

北山中学校では、昼食が終ると校内放送で「読み上げ算」を始めるので

す。商業都市である小樽ならではの教育だと思います。

この当時は、高校進学する子が1クラス50名中、7、8名のみで、後は

職工、女工、店員、バスガイド、事務員、漁師などなどの職についたのです。

今は、約97%の生徒が高校へ進学するようになり、義務教育の単なる

延長のような心構えでいる生徒もいるそうですが、平均寿命が高くなったの

ですから、一人前の大人になるための養成期間も長くなったと考えるべき

なのでしょうね。

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2009年1月15日 (木)

学校で ウサギとヤギ飼育

今朝、NHKの「心の時代」に作家:新田次郎の長女である藤原咲子が

1945年(昭和20年:終戦)に誕生し、お母さんのリックサックの中に入れ

られ、満州からの引き上げ体験を語っておられました。帰国後、信州で病

に倒れたお母さんが、ヤギの乳を飲み病魔と闘っていた様子を聞いて、

私は小学6年生の時のことを思い出しました。

 

私達6年生は、冬休みであるにも関わらず2回学校へ行かなければなりま

せんでした。それは、学校で動物を飼っていたからです。ウサギとヤギの

餌やりとフンの始末のためです。

どうして、ウサギとヤギなのかはっきり分かりませんが、友達の話では、

アンゴラウサギは毛を刈って売るとのことであり、ヤギも毛皮を売るためで

あると説明してくれました。

動物は餌をやらなければ死んでしまいますので、皆が当番を決めてお世

話していたのです。餌は秋口に刈ってあった干草を与えるのですが、

時には大根の葉やにんじんの葉などを一般家庭からもらって与えるの

です。今なら家畜用の飼料が売っていますので簡単ですが、何せ昭和26

年のことですので売っているはずがありません。それに毛や毛皮を売る

目的ですので餌は自前で工面するのが当然なのです。

ところが、ある日のことです。当番の友達がヤギ小屋の鍵をかけ忘れて

しまったのです。たまたま見回りに来た公務補さんが異変に気づきまし

た。真っ赤な血が点々と雪を染めていたのです。その跡をたどって行くと、

行く手に無残な姿のヤギが横たわっていたのです。犯人は野犬なのです。

公務補さんは、子ども達に見せてはいけないと判断し、学校の裏庭に穴

を掘り埋めてくれたのです。それとも知らずに来た当番の子が、ヤギが

いないのでびっくりし公務補さんに聞いたところ、事件のあらましを話して

くれたとのことです。

私達6年生は急遽、臨時登校しました。担任から事件の報告を受け裏庭

に作ったヤギの墓にお参りをしたのです。数人の女友達は泣いていました。

私も心の中で泣きました。

我が家では「男は人前で涙を見せてはいけない」ことになっていたからです。

[注釈] 平成元年から新設された『生活科』(第1学年、第2学年)に飼育

栽培活動が取り上げられました。その目標は

自分と身近な動物や植物などの自然とのかかわりに関心をもち、

自然を大切にしたり、自分たちの遊びや生活を工夫したりすること

ができるようにする。

となっています。また、内容では、

動物を飼ったり植物を育てたりして、それらの育つ場所、変化や成

長の様子に関心を持ち、また、それらが生命をもっていることや成長

していることに気付き、生き物への親しみをもち、大切にすることが

できるようにする」と記述されています。

子どもたちに負担をかけないで動物を飼育したり植物を栽培することはで

きないわけです。多少困難でも自分達の力で取組み、成功体験や失敗

体験を通して成就感、達成感、満足感を味わいさせたいものです。

学校によっては、教頭や公務補さんが子どもに代わってお世話していると

いうことを聞くことがありますが、指導者や大人は、

          側面的に支援する姿勢

が大切ではないでしょうか。

特に、動物の糞の始末などは進んで取組む子ども達に育てたいものです。

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2009年1月14日 (水)

補習授業のお礼

冬休み中に補習授業をしてもらったお礼にと、親が魚を持って来てくれる

のです。その量にはびっくりします。

ある親は2メートルもある大きな鱈(タラ)を口と鰓(エラ)の所に縄を通して

引っ張って来るのです。大きな胃袋にはホッケやカジカなどが、まだ消化

しきれない姿で入っています。

また、ある親は木箱一杯にクロガシラという肉厚のカレイや、大きな蛸

(タコ)を二はいも持ってくるのです。今なら、タラやカレイは刺身にして食

べますが、当時、我が家ではイカ以外は刺身にすることがなかったのです。

タラはさんぺい汁料理にし、カレイは煮付けが中心でした。

蛸は酢醤油で食べましたが、正月料理の「なます」には、蛸とイクラを沢山

入れるのが我が家の特徴だったのです。

当時、米は配給であり野菜を購入するにも大変苦労する食料難時代でし

たが、魚だけは頂き物がありましたので助かったわけです。

我が家では、お世話になっている小学校の担任に、お歳暮を持っていく

ことが習慣になっていました。従って、私も親となり、娘や息子が小学校へ

通うようになってもその習慣を守っていきました。

しかし、小樽市に在住する姉の話によれば、学習塾が出てくるようになって

からそのような習慣がなくなっていったとのことです。

その理由は、

   組合活動ばかり熱心で教育指導をおろそかにしている教師

に持って行く必要がないと言うのです。これは特定の親だけが言っている

のではなく、クラスの大多数の親が言っているとのことでした。

この話は、昭和40年代のことですが、お歳暮を持っていくとか持っていか

ないとかの問題ではなく、

    教師が子どもや親から信頼されているかどうかの問題

であると思うのです。組合活動を熱心にしていても子ども達や親から信頼

されている教師は沢山いるわけです。ですから一概に結論付けるのは危険

です。要は、昔風に言えば師弟関係、即ち

     教師と子どもの濃密な人間関係熱心な指導姿勢

が問われているのではないでしょうか。私は教師であった父の後姿から

     「教育は人なり、人は愛なり、愛は無償の奉仕なり

ということを学んだわけです。

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2009年1月13日 (火)

生活習慣病 子どもに急増!

日本は世界一の長寿国といわれていますが、年々平均寿命が下がってい

くのではないかと予測されております。寿命低下をもたらす原因の一つに、

生活習慣病があります。この生活習慣病が子ども達に急増しているそう

す。

アメリカのN・B・ブロック博士と、L・ブレスロー博士は、約7,000人の

大人の五年間にわたる生活調査から、次の七項目をきちんと守っている

人は、生活習慣病をほとんど起こさないという報告をしました。

○規則正しい時間に三度の食事をとって間食しないこと。

○朝食を欠かさないこと。

○適度な運動を毎日二回から三回行うこと。

○毎日七~八時間の睡眠をとること。

○タバコを吸わないこと。

○適度な体重(標準体重)を維持すること。

○アルコールは飲まないか、飲んでも適量で止めること。

また、こんな調査結果もあるのです。

子ども調査研究所長である高山英男氏が、首都圏の小・中・高校生350

人を対象に、「排便実態調査」を実施しました。その調査結果から、

○1日1回ウンコをする者(38%)

○1日2回以上する者(20%)

○しない日もあるし、しない日の方が多い者(42%)

となり、相当に不規則です。特に女子は「しない日もあるし、しない日の方

が多い」派が小学三年生40%、六年生48%、中学生56%、高校生66%

と年齢の上昇と共に急増しております。

このような排便の不正常化は、子どもの運動不足、就寝時間の深夜化、

食事の不規則化など、生活のリズムの狂いと密接に関係していると指摘

しています。

そして、生活リズムの狂いは、自律神経の変調、「不定愁訴(シュウソ)」

的不健康症状を生み出しているとも指摘し、この「ウンコ問題」は、実は

日本の未来に関わる大問題であるとも述べているのです。

どうでしょう。

多くの保護者は、学力向上に極めて高い関心を示し、塾通いを奨励しが

ちですが、我が子の生活習慣に関心を示し、改善に努力している人はど

れだけいるのでしょうか。

我が子が健康で生き生きとした人生を送るためには、学力向上以前に

子どもの生活改善から取組まなければならないのです。即ち、生活習慣

の改善が学力向上の前提になることを強く訴えたいのです。

[注釈] 「不定愁訴」的不健康症状とは特定の病気としてまとめられな

い漠然とした身体の不調の訴えをさします。

具体的には次のような症状です。

・朝なかなか起きれない  ・午前中体調が悪い  ・頭が重い  

・立ちくらみすることがある  ・めまいすることがある  ・疲れやすい

・目が疲れる  ・少し動くとドキドキする  ・顔色が悪い  ・食欲がない

・お腹が痛くなることがある  ・イライラする  ・肩が凝ることがある

・気が散る  ・キレルことがある 

などなどです。

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2009年1月12日 (月)

子どもの 異常行動

先生方の話によると、騒がしくて授業が中断させられるとか、学級崩壊

で悩んでいる教師が年々増加傾向にあるとのことです。

これは教師の指導力不足の結果なのでしようか。私は一概(イチガイ)に

そう思いません。教師の指導力以前に子どもの生活から生み出された

主要因にメスを入れなければ問題解決にはならないと思うのです。

新潟県のある中学校2年生約4,400人中、テレビゲームで遊んだことの

ある子どもの約3割が異常経験していることが、アンケート調査結果(日本

小児科学会で発表)で分かりました。

その症状は、

肩がこる、勉強が手に着かない、目がくらくらした、眼精疲労、頭痛、目の

前が暗くなった、吐き気・嘔吐(オウト)、けいれん、意識消失など。

また、札幌市に隣接する石狩市の1,130人の児童生徒に生活実態調査

した結果、毎日の朝食をほとんど食べない子ほど、

日常的にいつも体がだるい、いつもいらいら感じる、何もやる気が起きない、

頭痛、目が疲れる

ことが分かりました。個食の子も同じ傾向にあるそうです。

これらの傾向は、特定の地域に限定されたものではなく、全国的なもので

あることが、ある教育研究所所蔵の研究紀要からも伺うことができたの

です。勿論、私が教育長をしていた地域の実態調査結果も同じ傾向だった

わけです。

北海道は今まさに冬休みです。子どものテレビゲームのやり過ぎや

テレビ・DVDの見過ぎには十分気をつけるよう配慮すること大切で

はないでしょうか。

 ※ 昨日旅行から帰ってきました。70歳にして初めてボデーボードに

挑戦しました。2~3回の練習で上手く波に乗ることができました。歳を忘

れて数時間乗りまわりました。回を重ねるごとに欲を出し大きな波を狙って

挑戦したはいいのですが、波に捲くられて頭を強打しムチ打ちに似た

症状が出てビックリしましたが、たいしたことがなくて喜んでいます。

機会があればそのことについて紹介します。

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2009年1月 1日 (木)

登校前に 勉強?

明けましておめでとうございます。新しい年を迎え、皆様のご健勝と

ご多幸を心よりご祈念いたします。

さて、昔から「1日の計は朝にあり、1年の計は元旦にあり」とか、「1年

は春にあり」と言われています。私も父に、何事もまず初めに計画を

たてることが大事であると言われていましたが、特別気にもとめないで平凡

な日々を送っていました。

ところが、中学校に入学した私は、隣の小学校からきた木村君の姿勢に

目を見張りました (*゚∀゚)=3 ムッハー!!

彼の家は通学する道沿いにあることを知ったので、誘いに行きました。

「木村君!木村君!一緒に行こうsign02

と、3,4人の友達と大きな声で呼びました。

ところが、本人はなかなか出てきません。それで再度呼んだら母親が現わ

れて、

「功は今、勉強中なの。7時45分に終るので先に行ってちょうだい」

と言うのです。私達は約10分間待ちました。

木村君が来たので、どうして朝から勉強しているのかと聞いたところ、

僕は東京教育大学に行こうと思っているんだ。だから小学校4年か

ラジオの基礎英語を聞いたり、夜2時間は復習、朝は30分予習を

いるんだよ!

とのことでした。それを聞いた私達はびっくりするやら

モヒャ━━((゜Д゜Uu))━━!!!!!!    感心するやらで、木村君が同級生ではなく

高校生みたいに思ったのです。

帰宅後、父に「東京教育大学ってどんな大学?」と聞くと、先生になるため

の一番いい大学だよと教えてくれました。クラスメイトの木村君がその大学

へ行くため登校前から勉強していることを話すと、

「ああ、木村先生の子か! 彼はお父さんのような師範学校を出ていな

いので、せめて我が子だけでも最高学府(学校)へ行かせたいのだsign02

とうなずいていました。

3年後、彼は私と同じ高校へ進んだのですが、2年生の時、東京都立新宿

高校の編入試験に合格し転入して行ったのです。その当時、新宿高校は

東大合格数で全国のトップ争いをしていたのです。

彼は文武両道で、水泳、スキー共に中体連の選手であり、成績もたえず

トップの方だったのです。

まさに彼こそ、「1日の計は朝にあり、1年の計は春にあり」を継続的に

実践していた男なのです。

それに比べて私は、「井の中の蛙(カワズ)大海を知らず」でいたので

す。情けないことに、彼に感化されて目的を持って生活するようにはなら

なかったのです。

今、70歳と2ケ月になり、「1年の計は元旦にあり」を実践しようと、ブログ

更新を決意した次第です。

なお、今日から11日まで旅行へ行ってきます。その間、ブログを日時指定

公開する予定で10日分書いてありましたが、「こころぐ」の指定日時の暦

が更新されていないため、公開できなくなりました。したがって、その間、

休むことになりますので残念です。折角、決意したのですが・・・・・・・・・・。

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