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2009年6月

2009年6月30日 (火)

薬物混入事件 学校現場で勃発 ①

「先生、大変な事件が起きたことを知っておりますか。」と校長に呼ばれてこう問

われても、何のことだかさっぱり分らずただポカンとしている私。

「G君の父親がPTA会長さんや教育委員会へ行って、先生を直ぐ首にするようにと

訴えたのだよ。」

G君のサンドイッチに薬物が混入され、一口食べたら口中に凄い違和感が広が

ったので、そのまま家に持ち帰ったそうだ。あれがもし農薬なら、家の息子は死

んでいたかもしれない、と大変な怒りようなんだ」と、校長があらまし話して下さっ

たので、やっと事件の大筋が理解できたものの、どうしたらよいか戸惑うばかりで

した。

とに角、校長に言われるままG君の家へ謝罪に行きました。

「絶対に許すわけにはいかない。もし首にならないようなら先生の排斥運動を起こ

す。」と強い口調で罵られるばかりで、為すすべもなく玄関先で頭をたれているだけ

の私でした。

校長は教育委員会やPTA三役の方々と対応策をいろいろと検討したそうですが、

その話は後で分ったわけです。

事件が起きてからG君の親や姉達までも、道で出会っても挨拶を返してくれないし、

地域でも大きな話題になりました。

あまりの辛さと自分の指導力のなさに嫌気がさし、異動させて下さるよう校長に

お願いしました。ところが、校長は

「問題が起きる度にそれから逃げていたのでは、これからの教職は勤められない

よ。保護者や地域の信頼を深め、君に担任して欲しい、異動させないで下さいと言

われるような先生になるよう頑張ってくれ。期待しているよ。後の責任は私がとるか

ら。」と涙の出るような言葉でありました。

さて、どうしてこのような事件が起きたと思いますか

                                        (つづく)

一生忘れられない事件です。応援のクリック恐縮です

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2009年6月29日 (月)

NHK教育番組利用 初期の実態

昭和35年、私の勤務校(単式4複式1の小規模校)にテレビ一台が寄贈され、試験的に利用してみたのです

が、当初は利用の機運がまだ高まらず、たまあに見せる程度に止まっていました。

しかし、やがてテレビのよさを認め合い、今後継続的に研究していこうという意欲が

盛り上がってきたのです。

それで昭和36年の年度当初に、学習にテレビを利用するための研究体制を作り

上げ

・日課表をどうするか。

・教科課程と番組の関連はどうするか。

・教科書の進度と時間数の不足をどうするか。

等の課題克服のために研究実践が始まったのです。

そして昭和37年度に、「テレビ学習をどうすすめるか」というテーマの基に、年度

当初の職員会議で次の決定をみたのです。

① 理論的なものは一切後回しにして、先ず見せることに意義があるとして、全学

  年2教科(社会、理科)を利用する。

② 日課表を思い切って番組の時刻表に作り変える。

③ 全職員の共同研究とし全員が推進委員のメンバーとなり、研究分野をそれぞ

  れ分担する。

④ 全職員に学校放送(テレピ)のテキストを購入配布し、利用の便宜をはかる。

以上のことを踏まえて研究推進してきた結果

・教科の中に放送教材を如何に位置づけ利用したらよいか。

・視聴ノートの扱い方はどうあるべきか。

・効果の測定はどうあるべきか。

等の課題が浮き彫りとなりその課題解明に精を出したのです。

本校のこの取組み内容は高く評価され、管内(小中学校約350校ある地域)や全

道の教育研究大会で発表の機会を得たのです。

また、NHKも本校の実践に注目し「番組内容」に関わってのモニター校としての

委嘱をうけ、2年間にわたって意見を反映したことがあったのです。

現在はDVD、CD、ビデオが普及しており各教室に一台テレビが設置されておりま

すので、担任の考え一つで自由に利用できるようになったわけですが、NHKの学

校放送の導入初期には、いろいろな苦労があったわけです。

それにしても、時代が大きく変わったということは視聴覚教具の面からも言えるこ

とです。一人一台のPCが設置されインターネットが学習に活かされようとは、あの

時代は全く考えることも出来なかったのです。

しかし、どの時代であっても課題山積の感があります。インターネットの光と影の

にメスを入れ、教育の効果をどう高めていくかが問題です。

多くの先生方、そして家庭にPCを設置している保護者の皆さん、真剣に考えていこ

うではありませんか。

テレビが学校に導入されてきた時代の話です。応援のクリックありがとうございます》

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2009年6月28日 (日)

テストを出し 解答が分らない教師

ある先輩教師が「この算数のテストの答えを書いてくれませんか?」とのこと。

内容は6年生の「線対称な図形」です。私が数学専攻ですので聞きにきのです。

教科書の定義では「ある点を中心に180°回転させたときもとの図形とぴったり重

なるときこの図形を点対称な図形という。またこの点を点対称の中心という。」とあ

るのです。

実は大学でこのような対称図形について勉強した経験がなかったのです。単なる

点対称な図形かどうかを判別する程度であれば、直観的に分るのですがAに対応

する頂点は何であり、ABの辺に対応する辺は何かとの問題になると困ってしまう

のです。

恥ずかしいながら、テストを出した担任と同様に私も確信を持って正解することが

できなかったわけです。

この恥ずかしい経験をもとに家に帰って考えてみました。180°回転するというこ

とはどのようなことなのか。

そこである点を中心として点Aを10°、 45°、 90°、 180°、 200°、

270°、 360°回転させると点Aはどのような位置になるのかを調べてみました。

即ち、四角形ABCDの各頂点を180°回転させた頂点をA’B’C’D’とすると

四角形A'B'C'D'はもとの図形の四角形ABCDに一致することがわかったわけです。

しかも対応する頂点は対称の中心から反対側の等距離上にあることが分るわけ

です。担任も私も180°回転するという概念が備わっていなかったわけです。

翌日、担任にこのことを説明し再度子ども達に補足説明をしてもらったのです。

私はこの失敗経験をもとに、点対称な図形の指導では、理科の星の学習を想起さ

せ、星Aが1時間経つとA’の所に移動したときこの星は何度移動したといえるかと

の設問を出し、その後、45°、90°・・・・・という具合に作業をし、180°回転する

とはどういうことかを子ども達にまとめさせたのです。

そして、等距離の測定にコンパスを利用することも合わせて指導していったのです。

この指導展開により、約90%以上の6年生が理解することができたのです。

教師だって分らないことがあるのです。ですから授業の前に教材(教える内容)研究

をしておくことが重要なわけです。特に小学校の先生は全教科を教えるのですから

大変です。でも、ウソは絶対に教えてはいけないわけです。

このことは、教材研究の基礎基本であることを肝に銘じておくべきです。

失敗経験に学ぶ事例を書きました。応援のクリックありがとうございます!》

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2009年6月27日 (土)

校長が変われば 学校も変わる

新卒4年目の春の人事異動で新しい校長が着任することになったのです。

まだ43歳で北海道教職員組合(北教組)の役員経験者であり、30学級の中学校

の総務(昔は教頭職にあたるポスト)経験者です。

着任当日、貸切バス1台に50人以上の職員と先輩に当たる教育長も付添人とし

て同伴です。テーブル一杯に並べられたオードブルに度肝を抜かされました。

北教組の役員経験者だけあって、弁舌爽やかであり堂々とした風格に威圧感さえ

感じました。

私は、新卒として採用してくれた校長に2年間お世話になり、体育館や音楽室、教

員住宅の新設、開校60周年記念に汗した校長の姿を見てきました。

その後、58歳で異動し心臓病で1年足らずで退職してしまった校長の2人に仕え

ましたが、これといった印象に残る指導を受けた記憶がありません。

しかし、新任校長からはいろいろなことを学びました。その幾つかを列挙します。

① 学力向上に向けて、漢字、計算の自作検定試験の実施と、級別練習カード

  の作成。

② 放送教育研究指定校と研究会の開催、他校視察。

③ 人間関係の大切さと地域との親睦活動の実施。

④ 忙中閑あり(忙しい仕事の合い間にも、ほっと一息つく時間はあるということ)の

  実践と囲碁、マージャンの手ほどき、親睦活動の実施。

⑤ 会議では、必ず一人一発言の実践と話合い結果を「まとめた内容」の発表。

⑥ 北教組本部・支部議案の輪読と学校班の意見の取りまとめと確認。

⑦ 休み時間や放課後は子ども達と遊ぶこと。

⑦ 職場におけるユニホームの統一(まだジャージがなかった時代です)

などでした。

なお、昭和39年度の国際労働機関(略称:ILO)の条約批准まで、校長も組合員で

あったのです。

いずれにしても、小さな田舎の学校であっても、校長の示す学校経営方針や具

体的な実践目標の共有化によって、職員一人一人が生き生きと意欲的になり、

それに応えるかのように子ども達の教育活動も活発になっていったのです。

各学校には、教育目標があり、それを具現化するための具体的な目標が掲げられ

ておりますが、要は一人一人の教師が具体的な実践目標を意識して日常の教育

活動に取り組んでいるかどうかが、子どもの変容に直結するのです。

このことを私は新任校長から学んだのです。

やる気のある校長はやる気のある教師を育て、やる気を起こす子ども達に

変容させるということでしよう。

《南フランス旅行からの時差ぼけがあります。いままでのペースが乱れています。

規則正しい生活に戻そうと思っています。いつも応援のクリックありがとうございます。》

  

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2009年6月26日 (金)

親への仕送り

教員になって3年目を迎えた3月に母から手紙がきました。内容は妹のM子が私

立高等学校に進学することになったので、学費を仕送りして欲しいとのことでした。

父が亡くなった(43歳)後の我が家の家計は兄達が支えてくれていました。しかも、

私を高校、大学へ進学させてくれたのも兄達のお陰なのです。ですから私も当然、

妹の学費の一部を送金しなければならないのです。家族皆の協力がなければ10

人兄姉妹(妹:1歳で肺炎で死去)の我が家は崩壊してしまいます。

さて、送金額が問題です。当時(昭和36年4月)の本俸は月額12,800円(2等

級4号俸)です。所得税や共済組合の長期・短期掛金を差し引くと10,000円

程度。食費、光熱費、新聞代、煙草代などで5,000円はかかります。それで仕送

りを3,000円と決め送金しました。

この送金は妹の高校卒業まで続けました。当時の我が家の様子を直ぐ下の妹

が次のように記してくれましたので一部紹介します。

<妹の私記>

我が家の生活が良くなってきたのは、アポチャン(私のあだ名)が就職して送金が

始まったからです。M子の学費はアポチャンの送金が当たられておりました。

母は洋裁ができたので、大家族でも私共の高校の制服は母が縫って下さり、小さ

い頃から全部縫って着せて、見苦しい身なりになった事はありませんでした。

それがM子にだけデパートで制服を買い与えたのです。こんなことは今迄の我が

家では考えられないことだったのです。おまけにバスや汽車で通学させ、ソロバン

塾にも行かせました。きっとゆとりが出来、ほっとしたのでしょうね。

私はソロバンを部活で練習し1級を取り、それと同時にアルバイトにソロバンを教え

ていました。末の妹の友達や近所の人達で10人位集まって1週間に5日です。

妹は上達が早く小学3年生で2級を取ったと思います。教室は1年半位開いてお

りました。

私のアルバイトの使い道は、授業料だけは母が払ってくれるので、ソロバン部の外

に生花の方もしておりましたのでその花代、学校でスキーがある時のスキーの借り

代(学校で用意してありました)。雨の日のバス代。タンスが壊れておりましたの

でタンスも買い、妹や友達と2ヶ月に一度位、近くの手宮館で映画を観に行けるよう

になりました。母は映画を観に行くと不良と言ってブツブツと機嫌が悪いのです。

でもまだ、高校の修学旅行に行ける程にはなっておりませんでした。

1クラス(50人位)に5人ほど行けない人がおり、行けない人ばかりを集めて一教室

にし35人位になり、午前中は自習しておりました。でも、いつも一緒に通学していた

友人もおりましたので、悲観することはありませんでした。

注釈〕 我が家では父が苦学をしてきたため、その姿勢が兄達に求められおりま

した。私や妹達も兄達の後姿で育ったことと、父が早くに逝ってしまったので、やは

り私達と同じように中学、高校時代からアルバイトをしていたのです。しかし、

高校生2年生がソロバン塾を開設するとは考えてもいませんでした。

私の記憶では、確か1人1月300円の月謝を取っていたと思うのですが、10人分

の月謝は新卒教員の月給の約三分の一に相当するものですから、結構な額だっ

たのです。

今は生活保護などの社会保障が充実しておりますが、昭和三十年代の話ですから

まだ、そのような社会保障制度がなかったわけです。

いずれにしても、兄弟姉妹が協力しあう姿勢がどの家にもあったように認識してお

ります。それに比して現在の家庭はどうかと問えば、課題山積の感を強く抱くわけ

です。昔は「貧しいながらも楽しい我が家」があったと思うのです。

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2009年6月25日 (木)

66歳の妻 南フランスを左ハンドルで

只今帰りました。

6月8日に成田を発ちシャルル・ド・ゴーール空港に到着。直ぐTGV(フランスの新幹

線)でマルセイユへ。

2009_06130051

翌日、TGVでイタリア国境近くのマントンへ。

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地中海に面したホテルを根城にコート・ダジュール地方にある鷲の巣村で有名な

エズ村へ。

2009_06130165

ルノワールが生涯の最後の十数年を過ごしたカーニュー・シュル・メールを訪れ16

世紀の石畳の道に面した花々の飾られた家並みを進み中世の城門内にある美術

館で藤田嗣治などの作品を鑑賞。

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高級リゾート地のニースやモナコの散策。

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Dscf4104

15日にTGVでアヴィニョンへ。全長4.3Kmの城壁に囲まれた町に5日間滞在。

そこを根城に世界遺産のポン・デュ・ガール(水道橋)、丘の頂の古城と石造りの

家々が階段状に折り重なっている観光化された村のゴルド。

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ラベンダー畑に浮かぶセナンクの修道院。赤に彩られた村のルシヨン。

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運河とアンティークの町リル・シュル・ラ・ソルグ。

深い渓谷、苔の生えた岩の上を流れるフォンテーヌ・ド・ヴォークリューズ。

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そして、ゴッホが描いた「夜のカフェテラス」で有名なアルル。

20日。TGV新幹線でパリへ。パンテオンやソルボンヌ大学近くのホテルに2泊。

パリのクリニャンクールの蚤の市。大小約3,000もの骨董屋さんが集まっている

と言われ一番大きな市です。そこを半日散策後、市内見物。

私は足のしびれが酷いのでIspack(イスパック:椅子付リックサック)と杖持参し

休み休みの見物です。パリ市内夕飯以降は妻と娘のみで散策し私はホテルで

ごろ寝。

今回の旅行で一番驚いたのは、66歳になる妻がアヴンニョンからプロバンス地方

をレンタカーで運転したことです。左ハンドルでの運転はグアム島やハワイ島で経

験済みでしたが、数多いロータリーとアヴィニョンの三車線と田舎の狭い道。フラン

ス語の道路標識が読みにくく、しかも田舎へ入ると標識が不足ぎみ。

速度は市街地では60Km、一般道では80~90Km、高速道では130Kmですの

で、どの車もビュービュー飛ばすのです。実に恐ろしいようなスピードです。

そのような交通事情の中にも関わらず妻が運転するとは、その度胸のよさには驚

きました。ナビゲーター役の娘も流石に疲れたようでしたが事故なく旅行できhappy01

Dscf4299

国鉄のストに遭遇してニース駅で1時間40分待たされ、プラットホーが頻繁に変更

になったり、エズ村ではバスが2時間遅れてきたりでトラブルがありましたが、地元

の人の親切に助けられて楽しい旅行をすることができました。

これで私はヨーロッパ旅行にピリオドを打つ積りです。今回は地中海でも泳ぎまし

たので何も悔いはありません。

『旅行の様子』につきましては、娘のブログ「もしもしボラです」を見て下さい。

コートダジュールやプロバンス地方の素晴しさを共感できるのではないでしようか。

最後になりましたが旅行中のブログまで見ていただき大変ありがとうございました。

また、コメント下さったお二人さんにも厚くお礼を申し上げます (/ ^^)/アリガトネ

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2009年6月23日 (火)

永年の夢の実現にゴー

昭和36年10月1日 2等級5号俸を給する(13,800) 北海道教育委員会

昭和36年10月1日 昭和36年12月22日 北海道条例第78号施行により

             2等級5号俸を給する(15,600)

これは昇給辞令です。新卒3年目で3,800円増えたのです。それが人事院勧告

によって更に増額されたことになるのです。

当時はサンマの缶詰が100円に3個買え、煙草の「しんせい」が30円でしたので、

経済的に少し余裕が出てきたのです。

そこで考えたのは、永年抱いていた夢の実現です。腹一杯「ゆで卵」を食べること

なのです。当時、卵の値段は1個10円です。1,000円で100個です。教え子に頼

み100個買ったのです。校務補さんの奥さんにお願いしてゆでてもらいました。

夕飯は抜きです。

土曜日の午後5時。ゆで上がった卵がザルの上になみなみと盛られています。

いよいよ夢の実現です。校務補さんも挑戦。

これは大食い競争ではありません。よく味わって食べるのです。お腹が減っている

せいか、20個食べても食べた気がしません。食べる速度は一向に変わりません。

塩もつけず、お茶も飲まず、ただ殻を取っては食べるという動作の繰り返しです。

1個食べたらマッチ棒を1本置くことにしていましたので、何個食べたかは分るので

す。傍で見ていた校務補さんの奥さんが、

お父さんも先生もいい加減にしなさいよsign03お腹を壊したらどうするのsign01

と忠告します。校務補さんは、

そうだなあー、そろそろ止めようか!あー食べたなー

とお腹をさすっているのです。しかし、私はまだ満足していないのです。まだまだ食

べたいという欲望が突き上げてくるのです。

それから数十分、私は1人で食べ続けたのです。

「あゝ、食べた食べた!もういいや!」とやっと満足感に浸ることができた時には、

マッチ棒が64本です。校務補さんは15本、ザルの中にはまだ21個残ってます。

これは明日食べることにしようと15個を公宅へ持ち帰ったのです。

翌朝、尿が卵臭いのに気づきました。しかし、小さい時から抱いていた夢がたった

1,000円で実現できるとは思ってもいなかったのです。

10人兄姉妹で終戦後の食糧難時代に抱いた夢はこの程度のものだったので、

今思うと可笑しくなりますが、当時は真剣に思っていたのです。

60歳代の時は、妻がゆで卵に味噌をつけ冷蔵庫に入れておいてくれました。一日

おくと、丁度味がまろやかになり美味しさが増しますので一日に4,5個食べていま

した。

しかし70歳になってから血液検査の結果、コルステロールの数値が高いので要注

意との指摘を受けましたので、卵とイカ、スズコ、カズノコなどは口にしないように気

をつけているのです。食い意地は捨て、健康維持に努める昨今です。

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2009年6月22日 (月)

姉の来訪 部落の噂

小樽に住んでいた二つ上の姉が、私を訪ねて来るとの連絡が学校へ入りました。

来訪は勿論日曜日です。教員住宅に住んでいた私は、列車の到着時刻に間に合う

ように自転車に跨り、少し早めに駅で待っていました。

列車が到着すると、姉がニコニコ顔で私の名を呼びなから歩いてきます。私は姉

を自転車の後ろに乗せ、田舎の一本道を進みました。姉は

本当に何もない田舎だね!こんな所に居て寂しくないかいsign02」と声を掛けてくるの

です。

公宅に着きました。校務補さんにお願いしていた茶菓子を勧め、その後、校舎を案

内しました。体育館と音楽室は昨年新築されたばかりで、木の香りが漂っている

のです。姉は「田舎にしては、立派な学校ね!」と褒めてくれました。

音楽室では、ビアノに向って「エリーゼのために」の曲の一部を弾いて聞かせました

ら、「よく弾けるね!やはりお父さんの子だねsign01」とニコニコ顔で言うのです。

公宅に戻った私は、この村のことや学校のことなど、次から次へと止め処もなく話

たのです。

いつの間にか、夕方が近づいてきました。帰りの列車の時刻に間に合うように、

また、自転車に姉を乗せて行ったのです。姉は地平線に傾きかかった大きな太陽

と夕焼け空を眺めながら、

こんなに美しい景色は初めてよsign03」と感動していました。

さて、それから数日経ちました。学校へ行ったところクラスの子ども達が

先生、小樽から彼女が来たの?日曜日に綺麗な女の人を自転車に乗せてきた

先生をお母さんが見たといっていたよ!」とのこと。

目新しいニュースのない田舎町です。特に男女のことには随分関心があると見え

て、直ぐ部落の話題になるところだったのです。

ただ困ることは「姉を乗せていた」と言っても信用しないで、にやにやしながら疑い

の目で見るのが、私には不満でした。なぜなら、浮いた話は教員にとって望ましい

ことではないと思っていたからです。

いよいよ明日旅行から帰ってきます。応援のクリックありがとうございます!》

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2009年6月21日 (日)

羊の皮はぎ 恐ろしい体験

秋口のことです。稲刈り前にPTAの役員の方々と親睦会をすることになりました。

ご馳走は地元で飼っている羊肉です。どこの羊か分りませんが、役員の1人が羊を

ロープで引っぱってくるのです。

暫らくして、私の住んでいる公宅の直ぐ傍の畑に、ハサギ3本を三角錐のように組

み、その先端に羊を逆さに吊るし上げました。すると部落のSさんが大きなハンマ

ーで羊の眉間を思い切り殴りつけた後、ぐったりした羊の喉をナイフで切りつけた

のです。

血が飛び散りました。ぶら下げられた羊の口の所にバケツが用意されています。

羊はピクピクと身体を痙攣させ、その度に口や鼻から血が噴出すのです。所謂、

血ぬきをしているのです。その内にSさんは喉から腹の方と胸から足の先端にナイ

フを入れ、皮を切り開いているのです。

傍で見ている私に、役員の1人が

先生、皮はぐのを手伝って下さいsign01」との催促です。

仕方がありません。ランニングシャツ1枚になった私は、恐る恐る羊に触り皮を剥ご

うとしても上手くいきません。役員さんは

先生、皮の中に手を差込んで、腕の力を利用して体から剥がしていかないと上手

くいかないよsign01」と助言するのです。

羊はまだピクピクと動いています。体がまだ温かく油で腕がぬるぬる状態になりま

した。三人に皮をはがされた羊は純白な体で、まだ鼻から血を少しずつ出していま

した。やがてSさんが腹を切り開き大きな胃袋を摘出しました。胃袋の中には食べ

た草が一杯入っておりましたが、ひれを畑に捨てて胃袋の内部を井戸水で洗って

いるのです。

ハサギから下ろされた羊の体は、大きな塊に切除されたのですが、Sさんがその

肉の一つを刺身のように食べて、良い肉だよと喜んでいるのでした。

私は、自分達が屠殺(トサツ)した羊肉をジンギスカン鍋で焼き、タレを付けて直ぐ

食べることに抵抗がありました。しかし、皆が食べるものですから仕方なしに口にし

ましたが、血を流していた羊が目に浮かび、私の腕に付いた羊の匂いが鼻につき、

不快感を覚えたことを思い出すのです。

肉を食べるということは、その動物の命をいただいているということを、この体験か

ら学んだのです。これは辛い社会体験でした。

恐ろしい社会体験の一つです。応援のクリックありがとうございます!》

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2009年6月20日 (土)

不用意な発言で 部落民怒る

学校でお弁当を食べている時のことです。職場の女教師がつい不用意な言葉を吐

いてしまったのです。

この米、前より美味しくないね。どこの米かしら?」と呟いてしまったのです。

その一言が子どもの口から親に伝わり、遂に部落全体へ広がっていったのです。

早速、PTA会長が学校へ来て、

今まで当番で米を先生方の所へ運んできましたが、これからは出来なくなりまし

た。また、米の値段も政府の買い上げ以下にすることもできません。あの先生があ

んなことを言わなければ、何も問題がなかったのですがsign01」とのこと。Σ(・ω・ノ)ノ!

実は、部落民が当番で先生方の食べる米を格安の値段で売ってくれ、家まで配達

してくれていたのです。私達はその厚意に感謝していたのですが、女教師の一言

で部落民を怒らせてしまったわけです。

米は同じ部落内であっても河岸近くのところと沼地や場所によって土壌が違うた

め、同じ品種であっても微妙に味が違っているのです。そんなことも知らないで、

相手の厚意を逆撫でするような言葉を言ってしまったのですから、謝っても理解して

くれませんでした。感情的になってしまったわけです。

田舎は人情深い人達が多いのですが、1度失態をしたり信頼を裏切るような言動を

とると、修復できないほどの反発が返ってくることがあるのです。

教育も同じです。子どもや保護者の信頼を失くしてしまうと、効果的な教育活動を

推進することができなくなるわけです。即ち教育が成立しなくなるわけです。

これからの若い先生方に伝えておきたい大切なことがらです。

旅行中です。いつも応援のクリックありがとうございます!

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2009年6月19日 (金)

風呂の水汲み 学級の当番活動 

今のご時世なら新聞ダネになり、報道関係からバッシングを受けることは

間違いないのですが、大らかな世の中でした。と言うのは、教員住宅には各

戸に風呂が設置されていなかったため、共同風呂を利用していたのです。

私も教員住宅に入っていましたので、風呂焚きの当番の仕事をしなければならな

いのです。私とH先生は独身でしたが他の先生方は子持ちの人達です。ですから、

1週間に1回の当番ですが、16時頃に風呂焚きをしなければ最後の家庭は21時

過ぎに入浴しなければならなくなるのです。

学校の勤務は16時15分頃でしたので、風呂にポンプで水を容れ石炭ストーブに

火をつけるとなると、勤務時間中に準備しなければならないのです。そこで、私は

子ども達に協力してもらうことにしたのです。学級会活動の一つに風呂焚き当番

を組織し、1組3人で水汲み、石炭の搬入の仕事です。勿論、昼休みにです。

不思議なことに嫌がったり、文句を言う子どもはいなかったのです。親達も批判し

ませんでした。なぜなら、先生方が普段から不便を強いられていることを知ってい

ましたし、こんな田舎の学校で勤務してくれていると思い、感謝していたからです。

学校と地域が一体であり、同じ部落の仲間という所属感・仲間意識があった良き

時代の話です。

昭和36年の話です。応援のクリックありがとうございます!》

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2009年6月18日 (木)

廃人になった先輩

共同自炊をしている先輩のH先生は繊細な神経の持ち主です。私が炊事当番の時

学校前のブンパ(用水路)で釣ってきたフナやドジョウを熱湯の中に入れ、醤油味

のおかずを作った時です。気持ちが悪いといって一口も食べようとしないのです。

ただソーセージをおかずにしてコップ酒を飲んでお仕舞いです。私は不満でした。

毒でもないのに口にしないとは何事かと思ったからです。

私は、10人兄弟姉妹の中でひもじさを十分に味わってきたため、口に出来るもの

は文句を言わずに何でも食べるという生活をしてきましたので、特別変な魚料理と

は思っていなかったのです。

それに比して、H先生は姉との2人姉弟でしたので結構好き嫌いを通してきたよう

です。いずれにしても、このような食生活をしている内にH先生はぶくぶくと太りだし

ていったのです。医者に診てもらったところ、栄養失調とのこと。

ところが、そのことについて随分気にし出し、更に結婚したくても姉がまだ嫁に行っ

ていなく、父親の定年で実家の生計も厳しくなったということで悩んでおりました。

そうこうしている内に、幻覚症状が起きはじめ、夜中に人声が聞こえるとか、誰か

が自分の部屋を覗いているとか、自分の噂をしているとかと言い出すようになって

いったのです。

札幌の病院へ行ったところ、精神分裂症(現在の統合失調症)を患っていることが

分ったのです。即刻入院です。1年半位して病状が回復したとのことで職場復帰

きるようになり、出勤する当日の朝、また再発してしまい遂に学校現場へ戻ることが

なくなってしまったのです。

H先生の消息を調べることを意図的に避けていた私ですが、今でも気になってい

るのです。H先生はマージャンや手品まで上手であり、理科教育の実践化で、性格

も明るく社交的な人でしたのに、どうして精神分裂症にまでなったのか、共同自炊し

ていながら全く気づかなかった私だったのです。

ただ言えることは、物事をあまり真剣に考えるのではない、時には「ケ・セラセラ

(なるようになる)と割り切り、ストレスをためない図太さも美徳の一つだと思うよう

開き直りの考え方も必要だということを訴えたいのです。

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2009年6月17日 (水)

教員住宅へ入居 自炊始まる

新卒として勤めた2年目の初冬。2棟4戸の教員住宅が新築され、校長以下4人

の教職員が入居しました。所帯を持たない私とH先生は依然として下宿生活です。

ところが、これまで校長が住んでいたレンガ造りの一軒家が空きとなったので、

私達2人で入居するようにと校長に言われました。

私は新卒として赴任以来、僅か2年足らずで下宿先を3度も変えなければならない

羽目になり、もう転居するのが嫌になっていました。そのことを校長に告げると、

年度替りの4月には絶対に入居して下さい。教育委員会からそのような達しがあ

るのですsign03」と厳しく言われました。

仕方がありません。3月末に旧校長住宅へ移転しました。1人1部屋を使ってもま

だ1部屋が余っており、居間は8畳で台所も広いのです。そこで共同自炊が始まっ

たのです。

H先生は、ガスコンロと石油コンロ、電気炊飯器、鍋などの炊事用具は一通り持っ

ていましたので、特別私が買わなければならない物はなかったのです。またもや、

H先生に助けられたわけです。

炊事は当番制にしましたが、食材が近くの店にないため、弁当のおかずはサカマ

の缶詰と油揚げ、魚のソーセージが中心で時々ほうれん草を入れることがありま

した。

学校給食のない時代であり、食材を購入するには3.5キロメートルある駅近くま

で自転車で買いに行かなければならないという不便な状態だったのです。

ですから、このような状況の中でいつの間にか栄養に偏りができ、大変な問題へと

発展して行ったのです。

                                           (つづく)

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2009年6月16日 (火)

グランドにスケート・リンク

沼でのスケート学習が一冬限りのものになり残念がったのは子ども達です。

何とかならないものかとPTAの方々も頭をひねりました。たまたま学校の近くに住

んでいた消防団の団長さんが、グランドにリンクを作ることが出来ないものかと相

談に来られたのです。

渡りに船です。12月に入って雪が数十cm積もったころを見計らって、3年生以上

の子ども達で雪踏みです。コースの設計はH先生。1周60m足らずの短いコース

ですが、約3メートル幅です。踏み固められたコースに水を入れるのですが、淵か

ら漏れてしまったら氷を張らすことができません。ですから、丁寧に雪を固めなけれ

ばならないのです。

そして、凍てつような寒さの、消防のホースを用水路に入れ水を汲み上げ、

コース内に入れるのです。凹凸だったリンクの表面が見る見るうちに凍りついてく

るのです。全職員と消防団の人達は良い出来栄えを喜び合っているのです。

リンクの水入れが終わったら、消防用のホースを廊下に運び水抜きの仕事です。

その後、職員室で焼酎で乾杯しスケート・リンクの完成を祝ったのです。

このリンクづくり、その後、十数年続いたようですが、これも時代の波に押されて

消えうせていったのです。

田舎の連帯意識の強さの紹介です。応援のクリックありがとうございます》

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2009年6月15日 (月)

沼でスケート学習

見渡す限りの水田地帯。山のない村ですので子ども達はスキー学習をすることが

できません。そこで思いついたのがスケート学習です。

北海道では帯広市や苫小牧市などは平野でスキー学習には適していませんのでス

ケート学習を取り入れています。この時代は、まだ、ゲレンデ・スキー場もリフトがあ

りませんから山スキーが中心です。

北海道に住んでいながら、冬季間の体力づくり何でしたらよいのでしょうか。

学校では真剣に討議しました。結論は学校から1.5km行ったところに沼があり、

12月上旬頃から氷つくのです。そこを天然のスケート場として利用しようということ

になり、先生方が現地調査に出向きました。

先輩のH先生は教員になる前は札幌の中心部に居住し、ススキノの奥に位置する

中島公園の池でスケートをした経験があるのです。その先生がスピード用のスケー

トを持ってきて、先生方の前で模範的な滑りを見せてくれたのです。

手を後ろに組み、足を交互に入れてコーナーを上手に滑るのです。

校長も私達も、こんな素晴しい所で子ども達にスケートをさせたらどれほど喜ぶだ

ろうと思い、早速、体育の指導計画に位置づけ授業を始めました。

子ども達は雪スケートを持っていましたので用具は心配ありませんでした。

しかし、氷の上は雪と違ってエッジを磨がなければ横滑りして転んでしまいます。

H先生は器用な人で、スケートを磨ぐことができたのです。お陰様で私もスピード

用のスケートを買い、椅子につかまりながら子ども達と一緒に練習をしたのです。

このスケート学習は3学期は無理になりました。なぜなら氷の上に雪が積もり、

除雪しなければ滑ることができないのです。除雪の労力は大変です。結果的に、

除雪をしてまで沼を利用することは効率が悪いということで、僅か一冬で止めてし

まったのです。

この件は、その後、どのような展開になっていったと思いますか?

                                         (つづく)

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2009年6月14日 (日)

テレビ1台を全学年で利用

昭和35年のことです。開校60周年を記念して協賛会(PTA、同窓生で構成)から

学校へテレビ1台が寄贈になりました。全校5学級で1台ですので特定の教室に

セットしておくわけにはいきません。それで、普段は職員室に置き各学年別に教育

番組の始まる時間に教室へ持ってくることにしていたのです。

テレビは結構重かったので教室へ搬入するのも大変です。高学年は児童4人で運

搬できすが、低学年や中学年は無理です。それで校務補さんにお願いしてキャスタ

ー付きの移動用台を作成してもらいました。

NHKの教育放送は社会、理科番組が編制されていました。しかし、放送の時間

帯が学校の時間割に合わないため、休み時間から視聴しなければならない羽目に

なったのです。しかし、水田地帯の学校ですの何かと教育活動に支障をきたして

いまししね子ども達の経験不足が目立ち、知らない、見たことがない、やったこと

がない等、ないないづくしの状態です。

従って、直接体験の不足をテレビ視聴による間接体験を拡充してあげようとの

配慮で、学校教育に放送教育、特にテレビ利用を考えていこうということになった

のです。

テレビの時間は、各家庭にまだテレビが十分に普及されていない時代でしたので、

視聴時の子どもの目の輝きが違うのです。テレビに食い入るように集中します。

どの程度のことを覚えているか、番組内容の再認調査を行ったところ、殆ど全員

の子ども達が90%近く再認できたのです。従って、現在教科書で学習している内

容でない番組でも、後で学習する際に以前の番組内容を想起し学習を進めること

ができたのです。

テレビの教育効果は凄いものがあります。現在、どこの、どの地域の学校でも、各

クラス毎にテレビが設置さております。その他にPC教室では1人1台の割合で利用

できますし、VTRやDVD、プロジェクターなどメディア機器が整備されております。

僅か、20年間にこれほどまでの機器が開発され整備されるなんて、考えも及ばな

かったのです。しかし不思議です。素晴しい教育機器やメデイア機器を駆使して学

習活動が展開されているにも関わらず、学力が芳しくないとの指摘があります。

全てのものに光と影があります。メディアによる受動的学習ばかりではなく、能動

的な学習をどう組織化・活動化するかが問われているのではないでしょうか。

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2009年6月13日 (土)

人目を忍び 「ブンパ」で泳ぐ

夏休みなのに海へ行けない子ども達。村にも学校にもプールはありません。川は

遊泳禁止です。それでは、何をして25日間を過ごせばよいのでしようか。余りにも

可哀想な田舎の子ども達。

私は泳ぎたいという子どもの夢を適えてやろうと思ってある決心をしました。それは

ブンパと呼ばれていた農業用水路で泳がせることです。事故があったら大変です

から事前調査にとりかかりました。

場所は校区外で以前に下宿をしていた近くです。用水路の幅と深さと水の流れが

問題です。道路脇から余り目につかない場所を選定しました。水泳パンツに着替

え実地調査です。

選定した場所は、深さ1.2メートル位で楽々と平泳ぎができる幅です。初めは用

水路の中を流れに逆らって歩いてみました。足がぬるぬるして気持ち悪いですが、

田植えと同じ感覚ですので我慢しました。

次に、用水路の傍にある木を目印にして泳ぎ始めました。水の流れに逆らって泳

いでみたのですが余り進みません。今度は流れに乗って泳ぎ始めました。アメンボ

のようにすいすいと進むのです。プールで泳ぐより速く進むので泳ぎが上手になった

ような錯覚におちいります。

確かな手ごたえを得た私は、数日後、グランドに遊びに来ているクラスの子どもに

声をかけ、「学校に内緒で泳ぎに行くから一緒に来ないか?」と誘い、数名の子ど

も達に着替えのパンツと手ぬぐいを持ってくるように指示したのです。

誘いを受けた子ども達は小躍りして家へ帰り、水筒持参で戻ってきました。いよい

よ秘密の場所での水泳です。自転車で十数分行って農道に入り、事前視察した場

所へ案内しました。

先ず私が泳いで見せました。子ども達は速い速いと驚きながら、

先生、僕達も早く入りたい!ねー、まだー!まだー!」と催促します。

そこでルールを決めました。スタートはこの木の所。先生が立っている方に向って

一人ひとりがスタートの合図で泳ぐこととしました。

子ども達は順番が待ち遠しいかのように泳ぎ始めました。泳ぐというより水に流さ

れて来るのです。でも泳げたような気になり満足そうです。

遊び疲れた頃を見計らって帰りの着替えです。子ども達は「先生、また来ようよ!」

と訴えましたので、

機会を見てもう1度来てもいいが、絶対に友達同士で来てはいけないよ!それが

守れたら、また連れてきてやるよ!」と告げ、まだ日は高いのですが家路につい

たのです。

注釈〕 私はプールが設置されていた学校へ赴任したのは、昭和46年の時です。

この学校は37学級の大規模であり市内の中心校でした。ですからプールも設置さ

れていたのです。それから、50年代に入って都市部の中心校にプレハブのプー

ルが出来るようになり、現在は田舎の学校でもプールが設置されているのです。

ただ残念に思うことは、少子化とテレビやゲームの影響を受け、泳ぎに来る子ど

も達が激減し、閑古鳥の鳴いているプールになっているのが現状のようです。

また、現在は温水プールを利用しての水泳教室が普及していますので、学校プ

ールの存在そのものが問われる時代になったのです。

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2009年6月12日 (金)

遊泳禁止場所で カラス貝採り

夏休みが近づいたある日のことです。1人の男の子が

先生、A君とB君の2人がC川でカラス貝を採ったと言ってたよ!C川に入ってはいけ

ないことになっているよねsign01」との情報です。

この川は一級河川であり、学校の校外生活では遊泳禁止の措置をとっている場

所なのです。

慌てた私は、早速、2人の家へ家庭訪問するため自転車にまたがり、A君の家に着

きました。玄関先に出迎えたお母さんが、

「先生、折角の日曜日ですのにご苦労さんですね。どうぞ中にお入り下さいsign01」と言

って、茶の間に案内し

「今日は随分暑いですね。今、美味しい飲み物を作りますので、ちょっと待っていて

下さいね!」とのこと。

数分してからお盆にトマトジュースを載せ、

「自家製の美味しいジュースです。さあ、お上がり下さい!」と勧められたので一気

に飲んでしまったのです。

ところがその後、数分してから顔がかっかとほてってくるではないですか。実は、

トマトジュースの中に焼酎が入っていたのです。喉が渇いていたことと美味しさの

ため、焼酎に気づかなかったのです。不覚でした。結果的に本論の話に入ったと

きには、余りにも顔が赤いためA君のお母さんは私の顔を見て気の毒がったり、

可笑しがって真剣に話に耳を傾けようとしないのです。

次にB君の家へ行く予定でしたが、こんな赤い顔で訪問したら不謹慎極まりないと

思い、断念したわけです。

翌日、1時間目に学級指導で水の恐ろしさと水難事故について話をしました。

子ども達の話によれば、高学年でもC川でカラス貝を採っていたとのこと。

このことを職員終会で報告し、校外生活の危険防止指導の強化について、確認し

あったわけです。

私は、小樽の祝津町の浜で毎年のように水難事故の話を聞いていましたので、水

の危険性については非常に敏感になっていたのです。その点、保護者は事故が起

きれば騒ぎだしますが、普段は水難事故にたいする危機意識が誠に薄く、校外生

活の指導に関しても学校まかせのところがあったのです。

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2009年6月11日 (木)

校歌作成

私が教員のスタートを切った学校は、開校60周年を迎えることになったのですが

校歌がありません。この慶事を節目として作成してはとのPTAの強い声により、作

成することになったのです。

早速、歌詞・作曲を誰に何時までに依頼したらよいかと話合いが持たれましたが、

誰も経験者がいませんのでらちがあきません。

結果的に、隣の小学校に勤務している細田義行先生が短歌をたしなみ、宮中歌

会始に選考されたことがあるとかの風評が伝わっていましたので、その先生にお願

いしました。

作曲は私や先輩のH先生が教わった、北海道学芸大学札幌分校の音楽科の教官

である千葉日出城氏に依頼することになったのです。

校歌はその学校の教育理念を表したものでなければならないということで、学校

の校訓である「正しく」「清く」「仲よく」の言葉を生かして、作詞して欲しいとH先生が

4月に細田先生の所へ依頼に行きました。5月末までに作詞してもらい、それを千

葉教授に作曲してもらう手はずなのです。

何せ、11月下旬に体育館と音楽室の落成記念開校60周年記念を会わせて

式典を行うことになっていたのですから時間に余裕がなく大変です。

しかし、関係者の努力によって校歌が出来上がりました。

はるかにかすむ/山脉(ヤマ)青く/ポブラの道に/風かおる/

正しく清く/一心に/明るく学ぶ/○○の/

私たちは/よい子ども   (一番) 以下略す

なお、作成は昭和35年仲秋とあります。

学校では飲兵衛のA先生の指導のもと、やっと記念式典に間に合ったことを

思い出すのです。

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2009年6月10日 (水)

修学旅行 教師の不祥事

修学旅行の補助教員として同行することになりました。養護教員がまだ配置されて

いない小規模学校ですので、養護の仕事もしなければならないのです。

行き先は洞爺湖と登別温泉です。

温泉宿に着くと、児童はお風呂に入りその後夕食をとるのです。先生方は児童が

部屋に入り布団の上で枕ぶつけなどに興じている時間の9時過ぎから、夕食が始

まるのです。

旅館から特別お酒もだされます。6年生担任のA先生はお酒好きで有名で、酔っ

払って時々トラブルを起こすことがあったのです。そのことを知っていた校長は

A先生、今日はお酒を控えめにして下さいよ」と指導したのです。

ところが、子ども達が寝静まった11時頃、A先生は、校長が部屋へ戻ったことを幸

いにPTA会長さんと一緒にお酒を飲み続けていたのです。

さて、早朝のことです。朝の打ち合わせ時間に校長とPTA会長が宿泊している部屋

にA先生が現れないのです。校長と私が探しに行くと、女子の部屋にズボンをはて

たまま寝ているのです。私は子ども達に聞こえないように

「A先生、打ち合わせの時間ですよ。起きて下さい!」と耳元で数回言いました。

やっと起き上がった先生を見てビックリ仰天です。ズボンが濡れているのです。もし

やと思って布団を巻くってみると、失禁したあとが付いているのです。

早速、校長が部屋から浴衣を持ってきて着替えさせました。校長は女中さんに

お酒をこぼしましたので摘まみ洗いしましたので、乾かしてアイロンをかけてくれ

ませんか?また、子どもの1人がオネショウをし布団を汚してしまいました。申し訳

ありません。洗濯代を出しますのでお許し下さい」と廊下で頭を下げているのです。

A先生は自分の仕出かしたことがやっと分り、「すいません」とぺこんと頭を下げて

いましたが、傍に寄ると酒臭い息が漂っていたのです。

この不祥事は内密にしておりましたので誰にも見つかることはなかったのです。普

段は優しい良い先生ですが、酒に飲まれてしまい別人のようになるのです。

私の父も飲兵衛でしたが、このような醜態をさらすことがなかったわけです。しかし

酒に命をとられ、43歳の若さで逝ってしまったわけです。

酒を飲んでもいいが飲まれるなsign03」と言うことを痛いほど分った不祥事でした。

私は、それ以来A先生の世話役に徹し、お酒での過ちを犯さないようホローしてい

ったのです。しかし、その後、このA先生にも大変な悲劇が襲って来るのでした。

後日、紹介致します。

なお、修学旅行の引率者は夜分であっても勤務なのです。ですから、飲酒すること

は服務違反を問われ、懲戒処分になります。この飲酒事件は昔のことであり、服

務に対する考え方が相当ルーズなところがあった時代だったのです。

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2009年6月 9日 (火)

全道教研 恩師の激励

新卒2年目、持ち上がりの4年生担任です。私をスカートに来られたH先生が、教

育研究集会に君の専門分野で何か発表しなさいと強い要請を受けました。

専門分野といっても数学であり、大学では代数学、初等整数論、微分方程式、解

析幾何学など全く小学校の算数とは関係ない学問をしていたのです。ですから何

に焦点を合わせて実践研究していいか分りません。

ある日曜日、札幌にある富貴堂という老舗の本屋で『新しい算数指導』いう図書を

求めることができました。この本で分ったことは、算数教育の中で図形指導ほど未

開拓な分野はないということ。また先生方がその指導に非常に悩んでいることや、

児童の図形に対する理解も他の教材(文章題を除く)に比べて不十分で興味も伴

わないことなどが分りました。

そこで、これは何に原因があるのか考えてみることが大切であると思い、先ず

形教材についての実態調査をすることにしました。その結果、

①低学年に於いてはいろいろな図形の色、位置、大きさ等の多様性にとらわれず

的確に図形を弁別することが困難であり、また、用語と正しい図形とがともなわない

ようであること。

②特に図形の位置関係による弁別がどの学年でも悪いということ。

③中学年に於いては、与えられた図形に対しての性質を理解していてもそれを正し

く表現することが困難のようであること。特に、作図能力が劣るようであるが、これ

は高学年に於いてもいえることである。

等のことが明確になってきました。

これらのことを踏まえて、4年生で指導する「平行と垂直」の概念指導のあり方を、

従来の静的な扱いから動的な扱いによる指導を試み、その実践研究をまとめて発

表したのです。

発表は村の教育研究会にはじまり、5町2村の教職員団体で構成されている支部

教育研究集会で発表したのです。幸いなことに算数数学部会の支部代表として、

『第10次全道教育研究集会』(略:全道教研)で発表する機会を得たのです。

札幌市で行われた全道教研の算数数学部会は、傍聴者も含めて教室に入り切ら

ない程の教職員が参加しております。

私は支部代表ですので正会員として緊張しながら発表しました。休憩時間に分科

会の助言者になっていた大学時代の恩師である宇喜多義昌教授が傍に来て、

よく頑張っているねsign01

と肩をポンと叩きながら励ましの言葉をかけてくれたのです。

この教授の励ましと、年賀状に書かれていた寸評が、私の研究への意欲づけにな

っていったのです。

それにしても、新卒2年目にして全道教研で発表するということは、学校としても名

誉なことであり、学校新聞にも紹介され、PTAの方々にも喜んでいただけた時代だ

ったのです。

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2009年6月 8日 (月)

旅行へ出発

今日6月8日から23日まで旅行です。従ってブログはお休みしようかと思いました

が、ココログで「公開日指定」が5日に準備されましたので、16日分UP予定です。

時々覗いてくれてクリックして下されば幸いです。

文章の推敲・校正が行き届きませんがお許し下さい。ご指摘下されば帰って来てか

ら訂正したいと思います。どうぞ宜しくお願いします。

なお、『脊柱管狭窄症』を患い、腰痛と両足の痺れ、臀部(デンブ:尻の部分)の

麻痺症状があり、3日に千歳市の隣に位置する恵庭市の整形外科でブロック治療

を受けましたが4日間程度、痛みが緩和されましたが、また違和感を感じます。

歩行障害の折に、どこでも休むことができるよう、椅子付きリック(重量1.45kg)

と長さの調整できる杖も用意しました。その他、痛み止め薬3種類も持参です。

そこまでして旅行へ行く必要がなさそうですが、70歳8ヶ月になった己の限界に

挑戦し思い出つくりをしたいのです。

今回は妻と娘も同伴ですが、余り世話をかけないよう気をつけようと思います。

それでは、行って参りますsign01 happy01

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春の農繁休暇 田植え体験

水田農家に下宿して初めての農業繁忙休暇(略:農繁休暇)です。新卒1年目は

勝手が分らず同僚からお叱りを受けたわけですが、今度は農家にお世話になって

いるため、否応なしに手伝わなければならないのです。

素人の私の仕事は、苗とりから始まりました。まだ田植えのできない農家の年増

の女性が苗とりのお手伝いにきています。丁度、一掴み程を束にして苗の先に付

いている土を一升瓶にぶつけて落とすのです。簡単な仕事ですが何時間も何時間

も同じ仕事の繰り返しですので、単調過飽きてきます。

すると、年増女性がまだ21歳になった私をダシにして野次のです。しかも話題

は絶えず下ネタで露骨な性的な話が飛び交うという賑わいなのです。

とった苗が溜まるとかます(米が40リットル位入る、藁で編んだ1メートル四方位

の入れ物)に入れて、田植えをしている人の近くの畦道へ運んでいくのです。

このような作業の伴う田植えは、約1週間続きます。

いよいよ仕事の目途がたった頃、下宿の奥さんが「先生も田植えしてみるかい?」

と言うので、試すことにしました。

初めて田植えをする私は、泥に足を取られ、何度か転びそうになりました。腰には

苗がんがんを付け、3,4本の苗を親指、人差し指、中指の三本で持ち、泥の中に

植えるのです。やっと田圃の端から端まで植えると腰が痛くなり、大変な労働である

ことが分ったのです。

ところが次の日です。下宿の奥さんが「先生、ちょっと付いて来て!」と促しますので

一緒に歩いていくと、昨日田植えをした田圃に来て

よく見てごらん。所どころ苗が浮いているでしょう。先生が植えた所だよね」と指摘

するのです。奥さんは浮いたところに新しい苗を植えているのです。このような仕事

を「さし苗」すると言うそうですが、きちんと植えることができないと、後でさし苗をし

なければなせないので二重手間になるのです。

最近、小中学生や大学生が田植え体験をしている様子がテレビで放映していまし

たが、素人集団の田植えです。後で農家の人がさし苗をするはずです。その様子

をビデオに撮り、体験した子ども達に見せて話し合うことも大切な教育活動になる

のではないかと思うのです。

なお、田植えが全部終了した日ご苦労さん会が開かれます。十畳間のふすまを

取り外し、数十名で宴会が開かれるのです。飲めや食えの大賑わいです。おかず

も魚の煮付けやらクジラ肉の刺身など、最高のご馳走が出るのです。

注釈〕 田植えが終わった家では、まだ終えていない農家へ行ってお手伝いをする

という習慣がありました。これを「手間返し」というのですが、農村部ではこのよう

に連帯意識が強く、お互いに助け合って生きていたのです。このよう連帯感や所

属感は農村部や漁村部に多く、都市部では余り見受けられない現象です。

特にマンションやアパートに住んでいる人達は近所付き合いがないばかりか、町内

会費を納めなかったり、ゴミ出しのルールを守らない人達が多いですので、腹立た

しく思うことが多い昨今です。

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2009年6月 7日 (日)

苗床の管理と 人づくり

昔の水田農家は芽だしを終えたモミ米を苗床(苗を育てるところ)に植え、油紙を張

った障子を山形に乗せ、苗の成長のため毎日の管理を怠ることはありません。

気温や風の強さ、土の乾き具合を空模様などを見て、一番最適な方法をとるよう細

心の注意を払っているのです。

苗床の形は長方形で、淵は幅2,30cmの木で囲まれており、温度調節はレンガ

を数枚重ねて調節したり、棒を支えにして障子の開閉調節をするのです。

また、苗床にやる水の散布も日の照っている日中を避け、朝晩土の湿り気状況に

応じて加減します。丁度赤ちゃんを育てるような気配り、目配り、心配りなのです

下宿のご夫婦が会合で家を開ける時に、この苗床の障子の開閉を私に頼むことが

あったのですが、その時は重大な責任を負わされたようで緊張したことが懐かしく

思い出されます。

恐らく、動植物などの生き物を育てたことのない人は、子育てにも細心の注意や細

かな愛情を注ぐことが難しいのではないかと思うのです。自分の住処がどんな小さ

な部屋であっても、花一輪を飾る心のゆとりが求められるのではないかと、最近

の子ども虐待の記事から思うのです。

昔の米づくりの様子です。いつも応援のクリックありがとうございます!》

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2009年6月 6日 (土)

もみ米が入浴する?

4月上旬だったと思います。下宿の奥さんが

先生、明日から1週間くらいお風呂に入れませんからね。大事な人が占領するこ

とになっているのでーす  (・∀・)ニヤニヤ」とのこと。私が

大事な人って誰ですか?」と聞くと、

人間様が生かされている大事な米なのよsign01」と笑いながらからかうのです。

奥さん、からかわないで下さい!米が風呂に入るわけはないでしょうに!」と冗談

を言っていると思ったのです。

ところが、次の日のことです。「先生、ちょっと風呂場へ行ってごらんなさい」と言う

ので行って湯壷を覗きました。びっくり仰天です。湯壷には麻袋に容れたモミ米が

入浴中だったのです。しかも、焚口にちょろちょろと日が燃えています。指を入れる

と人肌以上の温度です。

これ、家畜の餌にするのですか?」と聞くと

先生といっても何も知らないのね!早く芽を出すようにこうするのよ。昔から水田

農家の人たちはこうしていたんだから」と説明してくれました。

最近の農家は、植えるばかりの米苗を農協から買ってくるそうですが、中には年寄

りの方が昔風なやり方を守っている人もいるそうです。

ある時、この話を妻にしたところ冗談と思って信じてくれません。それで米も売って

いた実家の親父に電話させたところ、その話が真実であることを聞き改めて驚いて

いました。今の若い人も全く聞いたこともない話だと思います。

新卒2年目の話です。いつも応援のクリックありがとうございます》

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2009年6月 5日 (金)

新卒一年を顧みて その②

教室に1人の憂うつそうな子を見て、その子はどうして憂うつなのか、その理由や

原因を徹底的に理解しようとするが、私にはそれほど深い知識を持ついとまもなく、

ありあわせの粗末な知識を基本にして、手探りで教育の仕事に取りかかる。

初めは大学で習いおぼえたガイダンスのテクニックを用いてみたりするが、しかし、

そんなテクニックが万能であるはずがない。そこには、やはり非科学的でつかみど

ころのない愛情や微笑がものをいうのである。

教育という仕事は、医者や技師の世界のようにハッキリした技術がなく、どの方法

が良いか悪いかをハッキリ断定できないところに困難な問題があるのではないか。

とに角、いろいろな問題を子供とともに苦しんで考え、子供のなかに隠されていた

ものを導き出し、子供の新しい考え方を育てていくよう努力していきたい。

先輩諸氏の忌憚のないご指導・ご助言を求めて止まない。         (以上)

注釈〕 私の「村娘」について書いた投稿記事の反響の大きさに驚きました。この

会報は教職員にしか配布されていませんので知るはずがないのです。ところが狭

い村です。村人と懇意にしいてる教員の誰かが見せたのでしょう。それが口コミで

広がったのです。青年団の女性や中には教え子のお母さん達から嫌味を言われ

ましたが、悪意に満ちたもので無かったのでほっとしました。

教育委員長をしている教え子の祖父が

先生、思い切ったことを書きましたねsign01あのような事を書けるということは、若い

証拠です。若いということは良い事ですねsign03羨ましいですhappy01

とコメントしてくれましたが、村にはハットするような美人もいたのです。私の認識不

足を露呈した一件でした。

その後、執筆記事は必ず他の人に1度見てもらうようになっていったのです。現在

UPしているプログ記事は、事前に見てくれる人がいないため、時々、誤字脱字や

表現のおかしな所があり、数日経って気づく有様です。

過日、小泉元首相が「奇人変人と言われた私も総理になれたし、漢字の読めない

人でも総理になったのですから・・・・・・。」とのジョークを飛ばしていましたが、文章

や言葉というものは恐ろしいものだということを痛感しております。教師の一言

子どもの成長に多大な影響を及ぼすことを新卒教員は肝に銘じて欲しいのです。

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2009年6月 4日 (木)

新卒一年を顧みて その①

新卒で赴任した村には「教育振興会」という組織があり、村全体の教育をどう高め

るかという目的でつくられたそうです。年度末に会報を発行しており、私の投稿記

事も掲載されておりました。紹介します。

期待と不安に胸に抱きながら、昨年の4月小樽市からこの村に赴任して来たが、

来た早々風と酒に悩まされた。聞くところによると、村の名前はアイヌ語で「大い

なる風」という意味だそうだが、さすがにひどくポプラ並木が全部北の方に傾いて

いることも、その風の強さを物語っている。

しかし、晴天の日ほど素晴しい景色の所もあるまい。特に、朝日・夕日の美しさ、

見渡す限り黄金の大平原。そこを往来する若き娘たち・・・・・・・・。若い娘で思い

出したが、こんな事もあった。

或る夏の日、パラソルをさした美しい姿の娘が私の目にとまった。さぞ顔も美しい事

だろうなと思い、ついふらふらと自転車に跨りそっと顔を覗きに行って驚いた。

姿に似合わず真に不細工な顔をしている。

一般に「○○村娘」は、歩く姿は美しいがその割りに顔は美しくない。それに比べ

私の出身地の小樽の娘は、いつも坂道を往来するせいか、足を真っ直ぐに伸ばし

て歩かず横から見ると誠にまずい。しかし元来、青森や秋田方面から来ている者

が多いせいで、なかなかの美人が多い。しかし、彼女等が時々非常に面白い言葉

を使うのを見受け、興ざめする事が多々ある。

所で学校の方であるが、来た早々色々な仕事や役を賜り、担当学年の事は全て

まかされ、能力のない私の頭を非常に痛めつけたが、その様な状態のまゝ教壇に

立ち、子供の教育にたずさわるに当たって、色々な問題にぶつかり、時にはそれ

を解決する事が出来るが、容易に解決出来ない問題が大半である。どんな小さ

い問題でも、教育的に深く掘り下げていくと、誠にきりがない。

                                            (つづく)

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2009年6月 3日 (水)

馬に馬鹿にされた私

下宿の主人や出面さんが、毎日農耕馬の世話をしていることを知った私は、初め

てお手伝いのため馬小屋に行きました。納屋から馬の餌になる藁(ワラ)や干草

を運び、飼葉切り(牛や馬に与える、わらや草を切断する道具で上刃と下刃から

出来ており、上刃は一端を固定し、もう一端を手で持ち、上刃と下刃の間に草やわ

らを挟んで上刃を押して切断する道具)で馬の飼料を作るのです。

出面さん達はいとも簡単に切断しているのを見て、これなら私にも直ぐ出来そうだ

と思ったのりですが、どうしてどうして結構な力を加えなければならないのです。

ご主人の話によれば、間違って指を切断してしまったという事故がよく起こるとのこ

とでしたが、本当に集中しないと危ないことが分りました。

さて、切断した飼料を馬に食べさせるために近寄りました。今まで前を向いていた

馬が急に私の方を向き、大きな鼻穴と口を開けヒヒーンと首を振りながら脅すので

す。まるで近寄るなと言わんばかりの剣幕です。恐れをなした私が一歩、二歩と後

退りする様子を見ていた主人は

先生、馬になめられているんだよ。初対面の人に対して、自分の存在感を認めさ

せようとしているのかも知れないね!」と笑うのです。出面さんも笑いながら

その内に慣れますよ!馬は人の話がよく分り利口な動物なのよ!愛情を持って接

すると甘えもしますよ!」と言いながら、たてがみや首を撫でてやっていると馬は目

を細めて甘えたような声を出すのでした。

このような初体験から数か月経ちました。油断なく馬に近づく私に対して、自然に

威する態度をとらなくなっていったのです。

私は、人間と馬を比較するのはおかしいと思いますが、教育もこの馬との接し方に

似ている部分があるなあーと思ったのです。腫れ物に触るようにびくびくし、警戒心

を露骨にあらわしてながら接しても、馬も人も懐いてくれませんし心も開いてくれま

せん。限りない愛情と身近な触れ合いが如何に大切かが分った体験でした。

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2009年6月 2日 (火)

農家の出面さん

私が下宿していた農家は、広さ約5町歩(約5ha)の水田を持っており、裕福な方

に位置づけられていました。子ども達がまだ小中学生でしたので、働き手は夫婦

のみです。従って農繁期には人手が足りないため、出面(デメン)さんと呼ばれて

いた住み込みの季節労務者を雇っていました。

彼女は青森地方の小さな農家の娘さんでしたが、仕事熱心で性格も良いとのこと

で、他所の家から引き抜かれてこの農家に来たそうです。

出面さんは、三度の食事の支度は勿論のこと、馬の世話や苗の管理や田植え、稲

刈りなどの農作業の準備や後始末などなど、大変な重労働をしなければならない

のです。下宿の主人や奥さんがその日の仕事を指示するのですが、自主的に仕

事を見つけて取り組む姿勢に好感を持たれていました。

彼女は貧しい農家の子でしたので、テレビドラマの『おしん』の心境でなかったかと

思うのですが、愚痴を言ったり主人に逆らうこともなく、ただ黙々と労働する姿は崇

高なものであり、私自身見習わなければならないと思ったのです。

農家は季節によって仕事の量が異なりますが、基本的な生活習慣は朝日と共に

起き、夜の9時には就寝するという具合です。しかも、テレビを見る時間は夕食や

夕食後の1時間程度であり、まさに自然と共に生活していると言っても過言ではな

いのです。

今、文科省などで「早寝、早起き、朝ご飯」運動を提唱していますが、昔の農家の

人は誰でも日常的に実践されており、しかも毎日何らかの労働を分担して行ってい

たのです。

私達は、昔の農家の人の生活習慣から多くのことを学ばなければならないと痛感し

ます。

注釈〕 終戦後、朝鮮戦争の影響を受けて経済が右肩上がりに成長を遂げてい

った時代に、中学校卒業と同時に就職列車に乗って上京する『金の卵』達の話は

知っていました。しかし、津軽・秋田の東北地方から北海道の農家へ出面に来る

人達がいたということを私は知らなかったのです。

小樽市祝津町の鰊(ニシン)漁場では『ヤン衆』と呼ばれた季節労務者がやはり

東北地方から出稼ぎに来ていましたが、まさか農家にも来ていたとは驚きでした。

出面さんの中には、日雇い根性で陰で手抜きをする人もいたそうですが、それとは

反対に雇い主に気に入られその家の息子の嫁になった人もいたのです。

私は下宿にいた出面さんから、東北地方の貧農家庭の生活状況を聞くことができ

大変、社会勉強になったわけです。

5年生の社会科の教科書に「嫁にやるなら安城にやるな。ひなが一日野良仕事」と

か「嫁にやるなら安城にやるな。家の父さんの顔知らぬ」という愛知県安城市

の昔の貧農の様子を表す言葉が載っていましたが、この言葉の意味を説明する際

に、下宿にいた出面さんの話が大変参考になったわけです。

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2009年6月 1日 (月)

新年交礼会 『君が代』斉唱

米作農家100%である校区は保守一辺倒でした。元旦には小学校を会場に

新年交礼会』が開かれます。主催はPTA。PTAは全部落民で構成されておりま

すから父と子、PTA役員、区長、村会議員が集まります。いわゆる公的色彩の強

い儀式です。

はじめに『君が代』斉唱です。学校で教えていましたので全校児童が歌えます。

伴奏者は勿論教員です。当時、既に北教組(北海道教職員組合の略称)は

『君が代』反対を唱えておりましたが、組合の指示通りに行動していればアカ(赤旗

を転じて共産主義者や共産党を指す軽蔑語)呼ばわりされ、白い目で見られてしま

うのです。ですから、当時、北教組の組合員であった校長や私達教職員も

郷に入れば郷に従う」(ある土地に住むようになったら、その土地の風俗や習慣

に従うのがよいとのこと)のが当たり前と思っていたのです。

交礼会は主催者を代表してPTA会長の挨拶、来賓として区長、村会議員の祝辞と

年男・年女の児童代表の決意と続きます。しかも、出席者全員着飾ったいでたちで

厳粛な雰囲気です。部落の元老(その分野で功労のある老人)と呼ばれる方々も

出席しますので大切な行事です。国に対しての米価や補助金、水害対策への要

望や農民団体の結束強化と新生活運動の推進による農家の生活改善を訴える

内容の挨拶が主でした。

私は例年、年末休暇を利用して小樽へ帰省しますが、年を越した元旦早々、急い

でこの『新年交礼会』のため、学校へ戻らなければならなかったのです。その内に

実家に戻るのも面倒になり、札幌の深夜劇場で年を越し、また直ぐ学校へという年

もありました。年越しぐらいは親元で過ごす余裕すらなかったのです。

それに比べ現在は、市町村単位の『新年交礼会』であり、元旦を避け官庁の仕事

始めの日の午後日程で行われ、会場も市民会館や公民館、文化センターなどであ

り、教育関係の出席者は教育長と各学校長のみに止めているのが北海道の実態

ではないでしようか。ですから教職員は全く関係しませんですので、随分楽になった

ものだなあと思っております。

最近、学社融合とか学社連携という言葉で学校と社会教育のあり方が論じられて

おり、学校と地域社会との乖離(カイリ:離れること)が問題になっております。

『新年交礼会』の復活とは申しませんが、青少年の健全育成に向って学校と社会がスク

ラムを組んだ活動を推進・活発化させることが重要ではないでしようか。

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