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2009年7月12日 (日)

辛さに耐える親と子

44歳の妻と9人の子ども達を残して43歳の若さで逝ってしまった父。その後の家

族の様子はこれまで数回にわたって書いてきましたが、10年後の我が家の様子は

どうだったのでしようか。直ぐ下の妹Y子の手記から関係部分を紹介します。

私が高校を卒業し石油会社の経理課に就職した頃から、母が笑顔を見

せることが多くなってきました。そして、自分の着物なんか買ったこともな

かったのに、買い物から帰るなり反物をながめながら喜んでいる姿を見

かけることがあったのです。

私が二十歳の時、結婚して欲しいという人が現れました。また、一緒に暮

らしていた兄(三男)にも結婚話がでてきたのです。母は一人でも片付け

た方がいいと考えていたようです。

まもなく結納が交わされたのですが、私はぎりぎりまで家にいたく、相手に

1年も待ってもらい翌年の1月、21歳で結婚しました。

また、兄は3月に結婚と決まりましたが、兄の負担を少なくさせようとの

結論が出、母と末の妹(6女)は札幌の兄(次男)の所へ行くことになり

ました。そして、まだ高校へ通っていた妹(4女)のM子は今迄通り三男

の所でということになり、2月に母と末の妹は引っ越して行ったそうです。

あの気丈な母が声を出して泣いていたのを見たと聞いたのは、大分

後の話です。

一方、妹のM子も寂しかったのでしょうね。日曜日や祝祭日には必ず結

婚したばかりの私の家におりました。お喋りをして気が晴れるのか夕方

になると帰って行きました。

また、直ぐ上の姉が、私が料理も何も知らないので心配して様子を見にき

てくれたり、時々買い物を手伝ってくれ、優しく接してくれていたので私は

しくありませんでした。

そういうわけではないのでしょうが、妹のM子は結婚しても私の近くに

み、お互いベタベタと行き来をすることもないのですが、安心感がある

は不思議です。

姉妹や兄の結婚話が出たとき私は田舎の教員であり、めったに帰省することがな

かったため当時の我が家の様子が分らなかったのです。また、各家庭には電話が

なく、今のように便利な携帯電話などもない時代(昭和38,39年頃)でしたので、

手紙以外情報を得ることができなかったのです。そんなわけで、妹達が離れ離れ

になり寂しい思いをしたことをごく最近知ったわけです。

しかし、その妹達も今はそれなりに幸せな生活を送っておりますので嬉しく思ってお

ります。

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