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2009年8月

2009年8月31日 (月)

後で泣くのは誰かしら? 

1,000円で散髪する理容店が近くにあるので行きました。客筋は高齢者が多いよ

うに見受けられましたので、「学生さんは土日が多いのですか?」と聞くと、

「殆ど来ないですよ。今時の若い者は美容室へ行くのです。親のスネをかじってい

ながら床屋の3,4倍も高い美容室へ行くのだから何だか変ですよね!」

と理容師が言うのです。

この話を妻にすると、特別驚く風もなく「あらー!知らなかったの!」とのこと。

そして「息子も孫も美容室へ行っているのよ!」と言うのを聞き吃驚(ビックリ)。

社会人になっている男子が、今風のヘアスタイルにするため美容室へ行くのは許す

ことができますが、まだ、お金儲けをしていない学生が美容室とは!?

古い人間の私は腹立たしく思うのです。

私達の時代は高校生までは全ての男子が丸刈り(坊主刈り:頭髪を短く刈ること)

でした。私の中学時代は、自分の頭は自分で刈る習慣になっていました。

ですから、初めて床屋へ行ったのは頭髪が自由である大学生になってからです。

さて、中高生の校則と頭髪は、子どもの権利条約や個性尊重などの人権面からと

かく問題にされ、丸刈りを強制した校則は人権侵害にあたるとの主張がなされ、

やがて各学校が頭髪を自由化していったと認識しております。

私は、頭髪だけを問題にしているわけではないのです。

学生は勉強が本分であるにも関わらず、勉強をせずしてゲームやテレビ・ビデ

視聴に明け暮れ、時には性交渉したり(厚生労働省等の統計資料によれば、

高校3年生の3~4割が性交経験がある)、携帯電話でのメール依存症的傾向、

競争試験による大学入試を敬遠し専門学校へ流れる傾向のある学生の多いこ

とに対する苛立ちなのです。

まして、親がせっせと汗水流して働いているにも関わらず、単なる快楽主義(遊び

志向的)に走り勝ちになっている学生の存在。我が子可愛さによる母性的発想

による親達の養育姿勢

何となく数10年先の姿が見えてきて、老婆心ながら警鐘を鳴らしたいのです。

時代錯誤の爺と批判を受けそうですが、約47年の教育関係に携わり多くの

事例から感じたことを書きました。いつも励ましのクリックをいただきありがとうございます。》

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2009年8月30日 (日)

全国教研 選出の裏話 

各学年で算数を担当している教員で構成される新年度の教科研究委員会算数部

会が発足しました。部員7人の中で算数数学の免許状を持っている教員は、私と

分会長(学校における組合活動のまとめ役)になったA先生の2人です。

A先生は組合の仕事が忙しいとの理由で私を部長に推薦しました。ところが、私は

赴任してきたばかりであり、部会運営については素人なので一応断ったのですが、

部員の強い要望により引き受けることにしたのです。

4月末に研究主題・内容・推進方法などにについて話合いがもたれましたが、結果

的に私の提案通りになったのです。

この実践研究は校内研究会で発表する機会が得(昭和40)、その後、第15次北

教組教育研究支部集会で討議され、最終的に全道教研集会(札幌大会)で発表

する機会を得たのです。

校内では、校長以下全職員が本校の実践研究が全道的に評価を受けたことを大

変喜び、その推進役の私に対しても一定の評価をしてくれたのです。

注釈〕 北教組主催の全道教研の最終日に、各分科会では全国教研にどのレポ

ートを送り込むかを決めるため、正会員による投票が行われることになっているの

です。

ところがその前日に、分科会終了後すぐに、ある正会員が大きな声で伝えました。

数学教育協議会の会員の皆さんにご連絡します。本日○時から△△に於いて、

交流会を開催したいと思いますのでご参加下さいますようお願いします」とのこと。

私と共同発表者のA先生も会員になっていましたが、A先生のみがその交流会に

出席しました。

ところが議題は、我々の協議会から全国大会へ送り込みたい。従って、明日は誰

に投票するか打合せをしたいとのことだったのです。そして、私達が一番で推薦さ

れ都合を聞かれたとのこと。その話を聞いた私は、

「投票前の事前運動なんて汚い。研究は純粋でなければならないから、もし選ばれ

たとしても私は拒否する」

と言うと、A先生も了解して翌日に協議会の幹事にこのことを伝えたのです。

後で分ったことですが、この協議会に特定の政党を支持する会員(ある地域の一

部会員)が入会し、自分達の思想や考え方を啓発するためにこの会を利用しはじ

めたのです。そのことが分った私はその時点でこの会を脱退したのです。

なお、数学教育協議会は数概念や計算を指導する際にタイルを用いて理解を容

易にしたり、水道方式という計算体系を開発した遠山啓という大学教授が長く委員

を務めていた算数数学教育の全国的規模の研究会です。

この協議会の考え方を取り入れて編集された『わかる算数』という本は、一時期、

爆発的な人気を呼び全国各地で利用されていたのですが、各教科書会社もその

考え方を一部取り入れるようになってから下火になったと理解しております。

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2009年8月29日 (土)

職員体育って何?

月例職員会議に提示された行事予定を見て分らない行事が載っているのです。

それは「職員体育」。5学級規模の前任校ではそのような行事は無かったのです。

要するに運動不足になる先生方が体力増進・健康維持と職員の親睦を兼ねて校

内でスポーツをする日で、所謂、福利厚生行事です。

月1回の設定で、夏場以外は卓球ダブルスの学年対抗です。私は小学校時代に

休み時間に少し遊んだくらいですから誠に下手です。ですから私の学年は1回戦で

直ぐ負けてしまいます。

恥ずかしさと悔しさが入り混じった気持ちになった私は、同僚の女教師に依頼し、

夏季休業期間に週3回の練習日を設定してもらい、午後から約90間練習に励み

ました。

お陰様で変化あるサーブもこなし、打球もロングで返す技も覚えました。11月の

職員体育で卓球が上手になった私の姿を、同学年の先生が褒めてくれたのです。

そして、4年後は卓球クラブのスポンサーに。

なお、夏場はソフトボールですが、これは野球よりも球が遅いため、打撃も守備も

緊張しないで楽しむことができたのです。

やはり学校規模が大きくなるといろいろな面で刺激触発されて田舎の学校では

味わうことのできない体験を積むことができるわけです。

今、40年前の卒業アルバムのページをめくりながら、あれこれ思い出を膨らませ

ている私です。

まだ教員生活の7年目あたりを書いているのです。いつも応援のクリックありがとうございます

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2009年8月28日 (金)

子育てのバイブル 『大阪レポート』

子育て最中のお母さん方に紹介したい話です。それは子育てのバイブルとも思

われる『大阪レポート』です。

このレポートは、大阪府下の某市において昭和55年に生まれた全ての子ども

(約2,000人)を対象に、子どもを取り巻く環境と心身の発達について、0歳から

6歳まで追跡調査を実施したものです。

検診の機会を捉えて小学校入学後までの節目ごとに調査したもので、世界に類の

ないレポートなのです。その結果を概略紹介します。

<どんな母親の子どもが、よく発達するか>

○母親の近所での話し相手が多い。

○子どもが一緒に遊ぶ友達が多い。

○天気のよい日には、「よく外で」遊ばせている。

○子どもによく話しかける母親。

○母親のかかわりの時間やかかわりの度合いが多い。

○母親の育児不安が少ない。

○父親の育児への参加・協力。

<どんな母親の子どもが、発達に悪いか>

■母親の「イライラ」や「疲れ」「心配」などの精神的ストレス。

■体罰する。

なお、注目したいのは『大阪レポート』から23年後に同じ質問で調査した

兵庫レポート』が注目に値します。

2つの子育て実態調査で変わらなものの一つは、「子どもの発達が環境に大きく影

響される」ということだそうです。

二つ目は、「母親の就労は子どもの発達に悪影響を与えていない」ということです。

どうでしょう。もっと詳しく知りたければ、「兵庫レポート 子育て」とインターネットで

検索すると可なりの情報が得られますし、参考図書も紹介されております。

なお、これも注目していただきたいのです。それは、日々繰り返される「食事、睡眠

などの日常生活が非常に変わってきている」という点です。その他、多くの危惧す

べき問題点も指摘されておりますので、是非調べてみて下さい。

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2009年8月27日 (木)

北国の子のイメージと 画一化された子

北国→寒い→冬のスポーツ→スキー、スケート・・・連想ゲームではありませんが、

北国、北海道と言えばスキーやスケートを連想するのが一般的です。

その北海道に住んでいながら、スキーやスケートが出来ないとは何事か!降雪の

ため家に閉じこもりがちな子ども達をできるだけ屋外に出し、スポーツを通して強

靭な体力を育てることが大切である。ということで、本校グランドにスケートリンクを

作ることになりました。(確か1967年:昭和42年)

スキーの出来る山が近くにあるにも関わらず、どうしてスケートリンクなのか?と反

対する町民や一部教職員がおりましたが、スキーに親しむ子ども達は以外に少な

かったのです。

その理由は、山まで徒歩で約20分間、スキーを担いで行かなければならないし、

今のようにリフトがある時代ではなかったものですから、山の適当な高さまで

「ハの字」や「ニの字」(スキーを平行に揃えて斜面に対し直角な位置)にして登らな

ければなりません。上まで登ると汗だくになるのです。それを嫌ってなかなかスキー

をしようとしない傾向がありました。

従って、スケートなら市街地の中央に位置する本校のグランドにリンクを設営する

と大変便利であり、可なりの利用者がいることだろうとの予想なのです。

リンク作りの手順はこうです。

① クンリの位置と規模を設計しリンク内と淵の雪を踏み固める。

  (水漏れを防ぐため)

② 星空で氷点下の気温の日(夜8:00頃)、リンク内をホースで散水する。

③ その後、降雪があれば直ちに除雪し、また晴れた夜に散水し氷を厚くする。

このように手順は簡単ですが、寒さの中での水仕事は身体全体が凍てつくような感

じになり、ホースの後始末も速やかにしなければ凍り付いてしまいます。ですから

大変な仕事なりのです。

リンク作りは教育委員会の職員と本校の男職員の協力のもとになされましたが、

余りの寒さのため、作業が終わると近くのホルモン屋へ行き焼酎とホルモンで

毎回反省会をしたのでした。

しかし、リンクが出来ればそれでお終いというわけには行きません。

リンク内の除雪作業が残っているのです。その仕事は高学年が担当し、隔週ごと

の当番制です。ですから当番の時には、雪が降らないようにと願ったものです。

学校では、体育のカリキュラムにスケートを位置づけましたので、1校時が始まる

前に除雪する必要があったのです。当番の時は朝の会を返上したり、時には1校

時の教科指導を取りやめて作業したこともありました。

しかし、そのスケーリンクも24年後に校長として戻って来た時には既に消えうせ、

スキー学習もPTAの協力でスキーが搬出・搬入され、子ども達はスクールバスを利

用するという具合になっておりました。

更に驚いたことは、その5年後教育長として赴任した時には、スキー場の利用が

極度に少なくなり、子ども達は家でテレビ・ゲームビデオなどで過ごすことが

多いという実態だったのです。

もはや、「北国の子」=スキー、スケートという図式は成立しなくなり、画一化され

た子どもの姿が目立つようになってきたわけです。

未来を託せる子ども達にどう育てていくか」。この命題を皆で考えていかなけ

れば大変な時代になっていくと思うのです。

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2009年8月26日 (水)

鼓笛隊の指導

地の利」とは教育の場でも言えることを実感しました。

6ヶ町村の中で一番人口が多い本町は広域圏の中核的な存在であり、その中に

ある本校も必然的に教育活動の中心的な役割を担っていたのです。

その一つが、秋に行われる「A地域鼓笛パレード」なのです。近隣町村の小学校が

パレードに参加するため、普段から毎日練習を積み重ねていたのでした。

鼓笛隊の編成は、立て笛、リラグロッケン(立った姿勢で演奏できる鉄琴)、小太鼓

大太鼓の小編成が主流です。

さて、5月のある時、Y女教師から立て笛指導のお手伝いをしてくれないかとの要

請を受けました。私は、大学2年生の時に立て笛を購入し簡単な曲は弾く事ができ

ましたので快く了承しました。

本校の鼓笛隊は5,6年生の希望者で編成し、週4日間の練習です。一応、簡単な

曲を弾いてもらって審査しましたが、さすが希望するだけあってどの児童も合格。

曲目は基本的な練習曲から始まり、パレード用として『線路は続くどこまでも』『クワ

イガーマーチ』(クワイ河マーチ)『安来節』です。ところが、『安来節』は日本民謡で

すので上手くいきません。何回練習を積み重ねても間合いが取れなく苦労しまし

た。要するに『安来節』を選曲したのが間違っていたのです。

また、どの曲もタンキング奏法が難しく、指示棒が折れるほど指導に熱が入った

わけです

そして、いよいよパレードの日です。近隣町村の鼓笛隊がぞくぞくと本校のグランド

に集合し、開会式後にパレードのスタートです。

コースはグランド→JR駅→総合病院→(折り返し)→高校→グランド。沿道には多

くの町民や我が子の発表する姿を見に来た保護者、そして本校児童など大変な

賑わいでする。

本校の鼓笛隊が前を通ると、一段と大きな拍手がわきます。そんな中、子ども達

はそれに応えるかのように堂々と演奏するのです。私はお手伝いをして良かった

と満足感を覚えました。また、子ども達の感想から本校児童の「聞く耳」が育って

いることも分りました。

驚いたことに、5年後の私は鼓笛指導の責任者にまで格上げされ、指揮の仕方や

簡単なドリル演奏の指導までできるようになっていたのです。

経験の積み重ねとは恐ろしいものであることを悟った教育実践の一つです。

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2009年8月25日 (火)

教師の陥りやすい欠点 その克服

ある非常勤講師が

「担任している子どもが、スーパーで万引きをしたという情報を得たのですが、本

人が絶対に認めようとしないのです。どうしたらよいでしようか?」とのこと。

これに類した問題行動や非行は高学年になるにつれて増えてきます。このような

時、担任はその指導に頭を悩ませながら、子どものことをもっと知ろうとします。

そして、子どもが心を開いて本心を話してくれることを願いつついろいろと聞きます。

その時、次のような姿勢をとることが多いのです。

  ・結論を急ぐ     ・根堀、葉堀聞く     ・興味本位に聞く

  ・相手の沈黙を不安に思う     ・考える間を与えない

  ・原因の追究を急ぐ     ・畳み掛けた言い方をする

  ・疑いを断定する     ・事象から憶測して決め付ける

このような言動で子どもと触れ合うと、子どもは不安感、緊張感、自己防衛の壁

を築き、決して内面に秘めているものを安心して話そうとはしないのです。

私は永年の生徒指導の実践から、問題解決には先ず教師の姿勢を変えることが

大切と思うのです。これは易しいようでなかなか難しいことなのです。

待つ姿勢が基本なのです。若い先生方、たったこれだけのことですが、先ず実践

してみて下さい。

なお、子ども理解の必要性や方法、子ども理解の視点と学級担任の姿勢などにつ

いては、機会をみて後日UPしたいと思います。

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2009年8月24日 (月)

4歳の妹を連れて通学? 万引き常習犯の子が②

さて、いよいよ妹同伴によるB君の登校が始まりました。

登校初日、玄関前で躊躇(チュウチョ)しているB君をクラスメイト数名が迎えに行っ

てくれたし、同学年の先生方もB君の行動を褒めてくれたので私も安心しました。

給食は私の分のパンと牛乳などを妹にやり、私は味噌汁を多めに飲んで済ませま

した。授業時間にオシッコをしたいと言うときには、学習の理解の早い子が、当番

でお世話をしてくれたので助かりました。

実は、B君は万引きの常習犯だったわけです。彼が思い出すまでに列挙した万引

き回数の合計は、数件の店から何と数十回でした。その殆どが食べ物であり、時

々学用品もありました。

もっと恐ろしいことは、高等学校の授業料納入日に事務室の窓口近くによく出没

するので、学校側も警戒しているし、警察のブラックリストに名を連ねているとの

情報を、同じ下宿にいる事務官からもらっていた当事者がB君だったのです。

B君は、私の核心部分の質問には口を閉ざしていました。

私はB君とアンパンを食べながら、自分の小学時代の体験談を話しました。

・先生が小学生の頃、日本が戦争に負けて食べ物に大変不自由し、いつも腹ペコ

 であったこと。

・他所の畑に入ってトマトやキューリ、サクランボ、ジャガイモなどを盗んだことや、

 小さな神社の賽銭箱から小銭を盗んだこと。

・そして、2年生の時、私と同じことをしていたA君が、賽銭泥棒を先生に見つかっ

 て、全校朝会時にステージ上で凄く叩かれたこと。(昭和21年~終戦の次の年)

・その光景を見ていた私は恐ろしくなって盗みを止めたこと。

・人間は、大人になるまでいろいろな悪さをすることがあるが、悪いことと思ったら

 少しずつそれを直していくことが大切なこと。

その話をじっと聴いていた彼は、ポツリと僕もしましたと呟きました。

昭和40年代は生活保護の制度がまだなかったような気がします。兄妹登校は、

田植えと稲刈り時期に限られていましたが、不思議なことに、B君の万引き回数も

次第に減り、万引きした時は素直に私に報告するようになっていました。

B君は、好きな体育面でよく努力した結果、その後、町内陸上記録会の持久走では

3位、ソフトボール大会ではビッチャーとして優勝に貢献しました。

入学してから初めて『あゆみ』(通信箋)に、体育が『5』の評価を貰った彼は、喜び

を隠しきれず、「ヤッター!ヤッター!」と飛上がってました。

6年生になった頃には簡単な宿題もするようになり、授業中ときどき質問もするよう

になっていったのです

体育大会の貢献度から、学級への連帯意識や所属感、自己存在感、自尊感情

(自分を尊重し誇りをもつこと)が高まり、学習意欲も次第に増してきたのです。

私はこのB君の事例から多くのことを学びました。クラスの皆やB君から

教師としての生きがい」や使命感的なことを感得することができたのです。

思い出にふけりながらPCに向っております。いつもクリックで私の背中を押して

下さるお陰でモチベーションもアップしていきます。ありがとうございます!》

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2009年8月23日 (日)

4歳の妹を連れて通学? 万引き常習犯の子が①

1967年(昭和42)の3月末のことです。校長から

「先生、今度5年生の担任になってもらいますから!他の3名の先生は持ち上が

りですが、今度の5年生でちょっと問題のある子どもがいるので、面倒を見てやって

欲しいのだよ!」とのこと。

そんな訳で、私は1年生から5年生の担任にさせられたのです。

校長が指摘したB君は、欠席の多い子でした。母が子連れで再婚・再婚・再婚で3

人弟妹とも姓がみんな異なっているのです。母は飲んだくれの夫と争いごとが絶

えません。

喧嘩をした次の日は、朝食を作らずフテクサレテ寝ています。水田に水が入る時期

には、田植えのアルバイトに行くので、まだ4歳の妹の世話はB君にまかせっきりに

します。

家庭訪問しても両親に会えなく、足の踏み場もないほど乱れた部屋で、B君は妹と

テレビを観ているのです。腹を空かせていると思って、買っていった豆パンと駄菓子

を差し出すと、兄妹は実に美味しそうに食べてくれました。

B君は「学校へ行きたいが、妹がいるからどうしようにもない」と訴えました。

勿論、公立の保育所がまだ整備されておらず、私立へやるお金もないわけです。

地域に児童相談員がまだ配置されていない時代でした。学校へ来たくても来れな

い事情を知った私は、クラスの皆と相談しました。

さすが5年生です。両親が離婚し祖父母に育てられているE子が、

「可哀相だよ!私達みんなで妹のお世話をしますから、学校へ来るようにしては駄

めですか?みんなはどう思いますか?」と訴えました。

給食の時間はどうする?」

トイレに誰が連れて行くの?」

などなど、受入れに当たっての話合いが続きました。

私は、クラスの皆に仲間思いの素晴しい考えを褒めるとともに、妹同伴の登校につ

いて親達の意見を聞いてきて欲しいと頼みました。

嬉しいことに親達も賛成してくれていることが分りました。

早速、私は学年主任に、B君の家庭環境や出席状況、非行を含めた校外生活の

様子、私の考えと学級の動き、保護者の理解などを話しました。主任から教頭を通

して校長の許可をもらうことにしました。

校長はこの措置について喜んで賛同してくれました。今の時代なら、保護者が

業妨害になるとクレームをつけてくることでしようが、当時は本当に良い時代だっ

たと思うわけです。

さて、いよいよ妹同伴によるB君の登校です。一体どうなることでしょうね?

                                            (つづく)

心の通い合う事例の紹介です。いつも応援のクリックありがとうございます》

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2009年8月22日 (土)

こんな人でも先生ですか?

10時過ぎに宿直室の電話がなりました。受話器を取ると

「私はタクシーの運転手ですが、お宅の学校にSと言う先生がおりますか?」

と興奮した声で問うのです。

「おりますが、何かあったのでしょうか?」と聞くと

「あったところの騒ぎでないよ!花町通りから乗せたのですが、わめいたり騒いだり

しながら運転している私を蹴るのです!危なくて運転出来ないので降ろしました!

後はどうなっても知りませんから!こんな人でも先生とは呆れるよ!」

と事の顛末(テンマツ)を説明してくれたのです。

このS先生は「仏のSさん」というあだ名がついており、酒を飲まない時は仏のよう

に穏やかなのですが、一端アルコールが入ると豹変(ヒョウヘン)し、街中を下品

で淫(ミダ)らな言葉をわざと大声で言い続けるのです。しかも夜中にです。

幾度も町民から苦情やお叱りの言葉が学校側に寄せられていましたので、校長は

苦慮しながらもその都度S先生に注意を促すのです。しかし効果が見られません。

そのような時に、この事件です。

怒った校長は直ぐ教育長に相談し、教育長は北海道教育委員会A教育局に出向

き異動させるように申し出たのです。そして数週間後、S先生は帯広市の近くの町

へ年度途中にも関わらず異動させられたのです。

私達が勤めていたA教育局管内では、札付き教員(悪い評判のある教員)は原則

3年間?のたらい回し(順送りにすること)で異動させることが暗黙のうちに認めて

いたのです。

中には問題教員を教員定数外特別配置し、学校では担任を与えず補欠要員と

して使ったり、事務系の仕事をさせるなどして対応した事例が数件あったのです。

もし会計検査院の監査で指摘されれば北海道教育委員会も責任を負わされ、処

分問題に発展するのが明らかなのですが、北教組も含めて暗黙の中での措置だっ

たようです。

この話は昭和40年代のことですが、現在はこのように信用失墜行為は厳しく処分

されることになっております。しかし、問題解決には程遠い実態があるのです。

私は、解雇処分を含めてもっと「厳しい措置をせよ!」との持論なのです。

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2009年8月21日 (金)

失礼な振る舞い? 大校長に対して

夏休みのことです。3歳年上の同僚が囲碁を学びたいというので、2,3級程度の

力しかない私が教えてやることにしたのです。条件は夏休みに毎日出勤し、午前

中に一盤打つことなのです。

ところが、ある日のことです。

何時ものように囲碁をしていると、日直の事務官が

「先生、お客さんです。校長室に居られますが!」とのこと。

「丁度いいところでお客さんか?」とぼやきながら校長室へ入ると、田舎の小父さん

のような人がいるのです。その人は

「お忙しいところすいませんが・・・・・」と言いかけた時、私は

すいません、今、囲碁をしていて後5分近くで終わりますので、それまで待っていて

くれませんか?」と言ったのです。

その後、囲碁を終えて校長室へ行き

「大変失礼な致しました。一寸して、結婚話ではないですか?」と言うと、相手は

「察しのよい先生ですね!」と言い本論に入ったのです。

実は、この人物は同じ町内の小学校の校長であり、研究肌で日常的に教室を訪問

し、時には担任に代わって授業を進めるほど、授業づくりに意欲を燃やしている校

長で有名だったのです

しかし、私は転任してきてまだ4ヶ月足らずでしたので、校長であること自体分らな

かったのです。校長は

「本校にいるM教員を知っていると思いますが、年頃になっているので良い方と結

婚させてやろうと思っていたところ、たまたま先生のお噂を聞きましたのでお願いに

あがったのです」とのことでした。

私は、「大変結構なお話ですし、M先生にも好感を持っていますが、30歳まで結婚

しないと決めております。ですから現段階ではお断りするしかないのです」と応える

と、了解して帰って行きました。

その後、事務官が

「先生、よくあの大校長を待たせておいたね!私は肝をつぶしましたよ!」と驚い

て話すのでした。

この件が、町内校長会で話題になったことを本校の校長から後で聞いたのです。

70歳になっている私は、今でも無頓着なところがあるため、妻が呆れることがあ

るのです。

三つ子の魂 百まで」(幼時に培われた性格や性向は年をとっても変わらないとい

うこと)The child is father of the man.とはよく言ったものですよね!

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2009年8月20日 (木)

夏休みの自由研究 親も悩む

私が小学校の教員であったことを知っているある親から、我が子の自由研究につ

いての指導依頼がありました。

1人は10数年間、海外生活を経験し、1学期にアメリカから帰国してきた小学4年

生で、神奈川県のある市に住んでいるのです。母親の話ではアメリカのサンディゴ

では自由研究なるものが無かったので、戸惑っているとのことです。

他の1人は、福岡から札幌へ転入してきた小学6年生からです。やはり前の学校で

も自由研究なるものが無かったとのことです。

相談を受けた私も困ってしまいました。二人とも全然課題意識がなく、何について

研究してよいやら全く分らないのです。しかも夏休みが後2週間足らずであると焦っ

ています。

そこで私はインターネットで「夏休みの自由研究」と検索したところ、科学実験、

社会科調べ学習、観察・環境調査、工作・フリーアートや自由研究の例などなどの

情報が多岐にたって紹介されているのです。

私は学年の発達段階と取組に要する時間・日数を考慮し、幾つかの例の中から

本人達に選択させました。そして、何故それを選択したのかを動機として書かせ、

帰国子女には私と協同で実験し、その過程や結果をデジカメに撮影し、結果の考

察を自分の言葉で書かせたのです。

この実験は「紙の力」というテーマーで、川に架かる橋を紙にした場合、紙の枚数

や紙の形(三角や円形)によって橋の力にどのような違いが出てくるかを調べるの

です。

材料は紙と重さの測定に使う秤とおもり代わりの鉛筆やボールペンなどです。

短時間の実験で、驚きや感動を覚えた帰国子女は、メモ帳を片手に喜び勇んで祖

父母の家に帰ったのです。

一方、小学6年生の子は迷いに迷ったのです。エコ問題に関わってゴミの分別収

集の実態調べにするか、休み中に旅行してきた北海道釧路湿原の動植物の分布

にするか、「私の夏休み」という題で新聞を作ろうかなどと迷っていましたが、結果

的に静岡沖の地震について調べることにしたのです。

私は、まさか70歳になって夏休みの自由研究について、子どもと一緒に考えると

は夢にも思っていませんでした。しかし、読み・書き・計算が上手に出来ても、自

ら課題や問題点を見つけて、その解決に意欲を燃やして取組もうとする子の少ない

ことを思い出したのです。

東京大学のある大学院教授が嘆いていましたが、ペーパーテストに強くても、卒

業論文に「何をテーマに」「どのように」調べたらよいか、全く分らない学生が年々増

えてきているという実態があるそうです。

即ち、学力低下が指摘され、「読み・書き・計算」中心の狭い学力だけを重視しが

ちな教育現場から育っていった子達の実態なのです。したがって、学校教育の場

で課題意識をどう育てるべきなのかを研究内容の一つに掲げ、取組むことも重要

であると思うのです。

また、夏・冬休み中の自由研究の発表の場を学級・学年・全校へと広げ、子ども

達の興味・関心・意欲が喚起されるような配慮も必要ですし、参考作品を学校

便りで学年別に紹介してあげる工夫も効果的であるように思うのです。

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2009年8月19日 (水)

学校へ行きたくない! 孫の言葉

小学2年生になる孫が本州から遊びに来ました。私が「どーおー学校楽しい?」

と聞いたところ、行きたくないとの返事です。その理由はこうです。

「勉強時間に何回も手を挙げているのに、先生が1度も当ててくれないの!きっと

先生はA子のこと嫌っているの!」とのこと。その後のやり取りはこうです。

私 「へえー、A子すごいねー!いつもそんなに手を挙げているのかい?」

孫 「うん!」

私 「先生が当ててくれないのね。それは喜んでいいことなんだよ!グランパ安心

  したよ!」

孫 「どうして?」

私 「それはね、先生がA子に一目置いているのだよ!A子に当てたら正しい答え

  を直ぐ言うから後回しにして、はじめはあまりできない子に当てていき、誰もが間

  違っていたら最後にA子の出番になるようにしているんだよ。

  A子が理解の早い子として認めている証拠なのだよ! 先生に認めてもらって

  おめでとう!握手、握手!」

孫 「ふーーん!」

隣でこのやりとりを聞いていた嫁に、私の失敗談を話ました。要旨はこうです。

・授業参観に臨んだある母親が、

「私の子が挙手をしているのに先生はさっぱりあててくれない。夫の勤務先の上司

の子には3回もあてているのに。エコヒイキしているので腹が立つ!」と学年主任に

訴えたこと。。

・その話を聞いてすぐ主任と共に家庭訪問をし、「奥さん、Kちゃんは理解の早い子

ですので、先にKちゃんにあてると正しい答えが返ってくることがわかるのです。

理解の早い子を先きにあてていくと、その時点で理解の遅い子が落ちこぼれて行く

ことになるのです。

学習は理解の遅い子の反応を中心に皆で話し合い、一つの結論に導いていくこと

が大切なのです。Kちやん自身も自分が理解の早い子と知っています。私もKちゃ

んに一目置いているのです。

いずれにしても誤解を抱かせまして申し訳ありません。ご主人にもお話しておいて

下さい」と告げると、やっと納得してくれたこと。

・私はこの失敗体験から、その後、どの学年の担任になっても、学年初めの学級

懇談会には、この話をして理解を促してきたこと。

以上のことを嫁に話し「A子が理解の早い子で良かったですね!さすが貴方の子

ですね!」と褒めてやったのですが、果たして嫁が納得したかどうかは分りません。

いずれにしても、担任は理解の早い子や先っ走りする子に対して、発達段階に応じ

た言葉で説明し、誤解を招くことのないように気をつけなければなりません。

そして、時には授業の終わりに、

「○○さんが発表するのを待っていてくれたお陰で、皆で考えを深めることができま

した。○○さんにお礼をいいましょう!」と認めてやる配慮も必要なのです。

このような配慮をしていると、子ども達や保護者からクレームのつくことはまず無い

と思います。

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2009年8月18日 (火)

国民的歌手 美空ひばりと三波春雄の違い

夏休み期間中に本校の体育館で、毎年、商工会主催による歌謡ショーが開催さ

れました。その中で、美空ひばりと三波春雄の二人については強烈な印象が残っ

ているのです。

美空ひばりは職員玄関から土足で上がり、私が

「子ども達が掃除している廊下ですから、スリッパか何か上履きを履いてくれません

か」と注意しても、無視して堂々と体育館裏の控え室に行くのです。

ショーが始まって暫らくすると、小柄で浅黒い顔であるひばりのお母さんが商工会

の人達に向って、

「家のお嬢は、どさまわりの役者じゃないのだから、あの体育館の窓枠にぶら下

がって見ている子ども達に、見ないよう注意してきなさい!外野席じゃあるまいし!

直ぐ下ろしなさい!」と大きな声で怒鳴りながら指示するのです。

そしてお昼近くになると札幌の業者がわさわざ本校まで昼食を運んでくるのです。

この田舎町食べ物がお嬢には合わないからということだそうです。

また、舞台横でショー覗いてみて驚きました。体育館横の放送室でレコードをかけ、

ひばり本人が口だけパクパク開けて歌っているような素振りをしているのです。

そんなこととは知らない町民は真剣に聴いているのです。町民を馬鹿にした詐欺

行為のようなものです。

私は、国民的歌手の1人として小学校時代からファンの1人として尊敬していた

のですが、この件があってから嫌いになってしまいました。

一方、三波春雄ですが、彼は玄関で草履に履き替え、職員室に来られ

「本日は、大変ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願いします。もし、何か差障りがあ

りましたら、直接私共にお申し出下さい」と大変丁寧に挨拶するのです。

そして、昼休みに職員室にまた来られ、

「先生は何時まで職員室におられますか?大変勝手なお願いで申し訳ありません

が、5時過ぎにお電話をお借りしたいのですが、宜しいでしょうか。もし、差障りがあ

りましたら時間を遅らせても宜しいのですが。」との依頼です。

そして、5時過ぎに職員室へ来られ、

「大変ご迷惑をお掛けしますが、お電話をお借りして宜しいですか?」と丁寧にお願

いしてから電話を掛けるのです。

聞くとはなしに聞いていると、電話で長男の三波豊和に指や目の方向など細かな

振り付けの指導をしているのです。我が子に対しても丁寧な言葉遣いなのです。

電話での指導が終わると、

「もう勤務時間が終了しているにも関わらず、長電話をいたし大変ご迷惑をお掛け

しました。どうぞお許し下さい。長男はまだ未熟者ですので、こうやって指導してい

るのです。大変お見苦しい所をお見せしました。それでは失礼致します。ありがとう

ございました!」と何回も頭を下げるのです。

私は、どうして国民的歌手でありながら、月とすっぽんほどの違い(似ているとこ

ろはあるが、実質は比較にならないほど違うことのたとえ)があるのだろうと思っ

たのです。不思議でした。

五本の指すべてに大きなダイヤなどの指輪をつけ、田舎や子ども達を馬鹿にする

ような言動をとる母親から、土足でありながら平気で校舎を歩く子が育ったのだと

思ったのです。

我が母の言葉を借りれば、要するに「教養」の有る無しに関わっているのではない

かと思うのです。

なお、学校を会場として行われる歌謡ショー当日は、不特定多数の人の出入りが

あるため、警備上の関係から日直勤務は男性教員があたっていたのです。

中でも、学校の近くに下宿していて一番若い私が日直になることが多かったわけ

です。

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2009年8月17日 (月)

初めての 見合い

前任校の校長から、顔を立ててくれないかとの話。内容は同じ町の中学校校長の

娘さんと見合いしてくれないかとのこと。その校長は温厚な人柄であり同窓会で一

緒に飲食をにしたことのある関係でしたので、27歳になった私は一応快く承知した

のです。

見合い場所は札幌の大通り公園に面した『味のセンター』内のレストランです。

前任校長と私が先に着きましたがその後直ぐに相手もご両親と共に来られました。

はじめはお互いに自己紹介をしあい、コーヒーを飲みながら少し雑談をしていたの

ですが、相手の奥さんが、矢継ぎ早に質問してきました。

・ご兄弟姉妹は何人ですか?    ・父親は何時ごろ亡くなられたのですか?

・どんな病気だったんですか?   ・お母さんは何歳で今何をしておられるのか?

・お兄さん方はどんな職業に就いているのですか?

・お父さんが亡くなられてからの家計はどう賄ったのですか?

・家に仕送りをしているのですか? ・お酒は強い方ですか?

などなど、とに角、我が家の家庭調査なのです。

この質問を聞いていながら、校長の娘さんには不服はありませんでしたが、この母

親なら見るのも嫌だと思ったのです。

昼食はフォークとナイフを使う洋食です。私はぎこちない手つきですが、娘さんは上

手なのです。昼食後、前任校長が

「後は、どうぞお二人で自由に時間を過ごして下さい」と言って、退席しました。

二人きりになった私達は、どうしていいか分りませんでしたので、

「私の故郷の小樽へ行ってみませんか?」と誘うと、素直に応じてくれたのです。

札幌駅から電車に乗り、小樽駅に着くやバスで海の町である祝津町にある灯台や

海水浴場を散策しながら昔話をしたのです。

さて、数週間後に彼女からデイトの誘いの手紙が届きました。3回もです。ところが

私は土曜日の午後や日曜日ですので面倒くさくなり、適当な理由をつけて会えない

との手紙を書きました。すると、先方から

「この話は無かったものにして下さい」との断りの電話が、前任校長を通してきたの

です。そして

「断られたからと言って気を落とさないでよ。年頃だから、これから良い話が沢山くる

よ!」と慰めの言葉をかけてくれたのですが、私はほっとしたのです。なぜなら結婚

する気もないのに、ずるずる返事を延ばすのはよくないと思っていた矢先であり、

の方からお断りの話をすれば、相手が傷つくと思ったからです。

それにデートを頻繁にすることによって、出費も多くなり結婚費用も貯まらないし、

まだ、末の妹が高校1年生ですので経済的な支援が必要となる時もあると思った

からです。ですから30歳まで結婚しない決意でいたものですから、相手が断って

きたことに対して、むしろ感謝したぐらいです。  

私は、その後2回見合いをし3回目で今の妻と一緒になったのです。29歳6ヶ月で

結婚したわけです。

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2009年8月16日 (日)

札幌市の夜間救急医療態勢に ガクゼン

私達夫婦は健康であるがゆえに余りにも無知なところがあlりました。それは札幌市

における夜間救急医療態勢の実態についてです。

たまたま本州から遊びに来た嫁が、午後10時頃、腹痛・嘔吐・ジンマシン症状が現

れ、6回嘔吐したにも関わらず激しい嘔吐と痒(カユ)みに襲われ堪えるのもやっと

の状態でした。原因は暑さの中の子育ての疲れと、夕食に食べた刺身(イカ、ソイ、

サンマ)か生ウニ、ツブ焼き、ホタテ焼きのどれかではないかと思われるのです。

それで、息子がインターネットで札幌市の夜間救急病院を検索し、ある医療機関に

電話しました。結果は「当病院は本日内科の医師がおりませんので、他の病院を

お探し下さい」とのこと。それで、また検索しています。できれば近くにないかどうか

を調べているのです。

溜(タ)まりかねた私は119番に電話し情報を得ようと思いました。

「34歳の女性ですが食中毒症状で大変辛そうなのです。それで、私共で夜間救急

病院へ搬送したいと思いますので、今日の指定病院は何所なのかお教えいただき

たいのですが?」とお願いしたところ、「厚別区にはないので、医療情報センター

のフリーダイヤル0120-20-8699へ電話するとよいですよ」とのこと。

それで早速、電話したところ「札幌市医師会夜間急病センター」(中央区大通西

19丁目)を紹介してくれ、自家用車で約40分かかって急病センターに搬送、治療

を受けて無事我が家に戻ることができました。

救急車利用なら20分足らずで搬送できたと思うのですが、一刻を争うほどの状態

ではない場合は、救急車の利用は慎むべきであるとの基本的認識から自家用車で

行くことにしたのです。それにしても、お酒を飲んでいなかったから良かったものの

もしお酒を飲んでいたなら酒気帯び運転になりますから、タクシーを利用せざるを

得ないのです。もしそうなれば恐らく往復3万円近くかかることになり大変な出費に

なります。年金生活者なら誰でもそう考えてしまうことでしょう。

安全・安心な社会をつります」とどこかの政党が衆議院選挙の公約に掲げてい

ようですが、国家の安全という命題よりも、私達の生活に身近な安全面につい

ェックし、改善努力をする政策も施して欲しいと思った次第です。

また、人口190万人の大都市札幌でありながら、休日・祝祭日夜間救急病院

(内科)が一箇所しかないという実態を知り、愕然としました。利用者が少ないから

そうなったのではないかと推察しますが、果たしてそうなのかその推移はよく分り

ません。しかし、少なくとも各区に一箇所ぐらいは対応する病院があっていいので

はないかと思うのです。私の居住している厚別区だけでも人口が5万数千人です。

人口が1万人前後の町村ですら態勢の整っているところがあるのに、札幌市は一

体何をしているのかと腹立たしく思ったのは、私ばかりでないような気がします。

虫のよい内容ですが当事者になって初めて感じた思いをブログにしました。

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2009年8月15日 (土)

読書会 その意図は?

どの時代であろうと、教職に身をおく者は絶えず研修に励まなければならない。

しかも幅広い識見を持たなければならないとのことで、読書会が計画されました。

提唱者は社会科専攻で学生時代に道学連の委員長をしていた同僚の先輩教員で

す。

校長から何か指示があっての行動か?と思う節があるのですが、そのメンバーに

選ばれたこと自体に何かしら優越感を覚えたのです。メンバーは理屈っぽい先生

であり、学年主任が2名と後は各同窓会(学芸大学札幌・函館・旭川・岩見沢分

校卒業生)と無派閥(台湾からの引揚者で旧制中学卒業)から1名ずつで構成され

ているのです。

しかも、会場が校長公宅であり、月に2度、18:00に集合し、夕飯は校長が用意し

てくれたのです。恐らく校長がリーダーを育てるかたわら、各教員のものの見方や

考え方を知り、今後の学校経営や運営に活かそうとの意図があったのではないか

?と今は思うのです。

この読書会の最初の本は『現代の民衆』と言う本で、ベトナムがディエンビエンフ

ーの戦い(1954年)を経てフランスから独立したことや、植民地時代のベトナム

人の虐(シイタ)げられた状況などが書かれており、民衆とはかくなければならない

ということを示唆した内容であったと記憶しております。

私は、この本が直接子どもの教育に関係ない内容であるので、多少不満を持って

いたのですが、先輩が近視眼的な見方をするのではなく、日本における民衆のあ

り方が子どもの教育にも強い影響を及ぼすことになるのだと主張しておりました。

先輩は学生運動のリーダーであり、学生時代にポーランドのワルシャワー等、東

欧諸国を視察し、第二次世界大戦中の民衆と国家のあり方などを論文にまとめ

あげていた人物ですので、説得力があったのです。

しかし、教員のあるべき姿を求めていた私は、やがてこの読書会から離脱したので

す。しかし、民衆の力なくして国家は独立できないことを学びましたし、植民地化

された人々の悲劇についても学ぶことができました。そして、その後に続くベトナ

ム戦争の背景をも理解できるようになったのです。

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2009年8月14日 (金)

デブになった 生活習慣 

便利といえば、こんな便利な場所は70年間の人生で初めてです。そこは、私が2校

目に勤務した小学校近くの下宿です。

通勤途中にはいろいろな店屋が建ち並んでいました。今は廃業を余儀なくされ消

え失せた店屋もあったのです。

自転車、雑貨屋、魚屋、床屋、建具屋、柾屋、酒屋、御茶屋、洋品店、

桶屋、楽器屋、本屋、豆腐屋、風呂屋、家具屋、文具店、肉屋、看板屋、写真屋、

郵便局、電話局、鉄工所、布団屋、お菓子屋、ブリキ店、畳屋、雑穀屋、馬具屋、

薬屋、時計屋、金物屋、葬儀屋、蹄鉄所、花屋、印刷屋、電気屋、飲食店、寿司

屋、ラーメン屋などが建ち並び、日常生活に必要なものが全て入手することができ

たのです。

おまけに、学校まで5分、駅まで7分の距離にあり、下宿の向いは床屋、飲食店、

お菓子屋で、隣が酒屋なのです。ですから来客があっても何時でも接遇できました

ので、同僚がよくマージャン会場に利用することがあったのです。

さて、私に変な生活習慣が定着したのです。下宿の夕飯は17:30頃です。すると

まだ27歳の私は、20:00近くになるともう空腹を覚えるのです。それで、20:00

に2分足らずの所にある銭湯に行き、脱衣所の電気が消される寸前に湯から上が

り、着衣後に下宿の斜め向いに位置する居酒屋へ立ち寄るのです。そこで、ラーメ

ンを食べるか、時にはおでんを4種類ほど食べて帰り、布団の中に入るのが日課

になってしまったのです。

このような生活習慣ですので、体重が70kgまで増えてしまったのです。学生時代

は48~54㎏と骸骨のように痩せていた私。自炊の時、栄養失調でぶよぶよと

病的に太った時で72㎏でした。下宿のご飯・学校給食も美味しく、そして夜食のラ

ーメンまで美味しいものですから、つい食欲という欲望に負けてしまい1日4食の生

活になっていたのです。

しかし、特別身体に異常をきたすことはなかったものの、体育の前転や鉄棒の時に

腹がつかえて上手に出来ず焦ることがしばしばあったのです。

今思うには、よく糖尿病にならなかったものだと驚いているのです。なお、現在の

体重は標準内の62.5kgを維持しております。

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2009年8月13日 (木)

校内実技研修会で? 

立派な図書室がある学校へ赴任してきて勉強になったことがあります。それは、図

書の補修や製本技術を学んだことです。講師である先輩のK先生は司書教員

免許取得者で、本校(小学校)ばかりでなく、隣接していた高等学校の司書教員を

兼務していたのです。

K先生は毎年、校内実技研修会で製本技術を教えていたのです。その目的は表

紙がとれかかっていたり、傷みの酷い本を補修して利用しようという意図なのです。

現在、学校図書の充実が叫ばれていますが、教育委員会からの配当予算が少な

く、良書を揃えたり、図鑑や集団読書用の冊数を揃えかねていたのです。特に人

気のある物語は傷みが酷くなり、補修しなければ表紙がとれたり、背表紙もなく何

の本なのか判別できなくなります。

少ない予算で学校図書を充実させるには、廃棄する図書を減らす努力も大切な

わけです。K先生は児童会の図書委員にも簡単な補修の仕方を教え、時には教員

と図書委員が合同で作業をしたこともあったのです。

映像文化の影響で活字離れが指摘されてから久しいですが、子どもは本質的に本

が好きなはずです。活字離れは良い本との出合いに恵まれていなかったからだと

思うのです。

教育長になってから、町内のある小さな中学校では、朝に読書の時間を設定し、実

践していましたので、生徒の要望する本を優先的に整備していったところ、読破し

た冊数も多く、全校生徒が読書日記を書くほど本に対する興味・関心が高まったの

です。そして、この実践が北海道の中学校で唯一校だけ文部科学大臣賞に輝い

たわけです。

国では、図書館の充実と読書の奨励を推進しており、それに関わる予算は地方交

付税の中に算入されています。しかし、その地方交付税が相対的に縮減されてい

る現状ですので、文科省の言っている額面通りにはなっていないのです。

まさに数のマジックであり、ごまかしなのです。

要するに、国が唱えている額面通りには予算がつかないということです。ですから、

少ない予算で充実させるためには、図書を大切に扱うことも必要なわけです。

そうした観点から、製本技術や補修の仕方などを身につけ、教育現場で活かすこ

とも重要ではないかと思うのです。

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2009年8月12日 (水)

夏休み中の学習会 

1957年(昭和32)、ソ連が打ち上げた人口衛星スプートニックによるショックから

「教育の現代化」の名の下に学習指導要領が改定され(昭和42年)、算数・数学

の教育内容に「集合的な見方・考え方」に立つ指導法が導入されたのです。

しかし、数学専攻であった私も大学時代に教わったことがないため理解できないの

です。ですから現場の中堅教員や年配の教員が分るはずがありません。

そこで、町内の算数・数学サークルが主催で次のような学習会をもったのです。

・学習内容  「集合」についての初歩的事項の理解

・期   日  8月○日~○日  1泊2日

・場   所  お寺の本堂

・宿 泊 料  無料

・講   師  数学担当教員(今春、大学を卒業した人)

・参加対象  近隣町村の教員も可

この学習会には、北海道教育委員会○○教育局指導主事も参加させて欲しいと

の要望があり、受入れました。数学担当の指導主事も分らなかったのです。

彼は後に旭川市の教育長になり、北海道市町村教育長連盟の会長を務める人ほ

ど何事にも意欲的な人物だったのです。

さて、この学習会で「集合」とは何かについて理解することができたのですが、それ

を数・量・図形などの概念形成にどう利用するのかが話題となりました。結果的に

今後の課題となったわけです。したがって第2回目以降は「集合的な見方・考え方」

について具体的な教材を例に学習することになったのです。

学習会は土曜日の午後から私の教室を使って行われたこともありましたが、やは

り宿泊学習の方が学習を深めることが出来るとのことで、その後は中央公民館の

和室を利用して行われたのです。

この学習会は管理職に言われて開催したものではなく、道や市町村教育委員会か

ら依頼されたものでもなかったのです。算数・数学の指導法を学びたいという人達

の意欲的な学習会なのです。したがって全て手弁当での参加です。ですから学習

の成果も上がったわけです。

私は、この学習会で学んだことを基にして、昭和42年度に「算数教育の中に集合

概念をどうとり入れるかに関する研究」というタイトルで町の教育振興会主催の研

究会で発表したのです。このレポートは私にとって思い出多い研究の一つでしたの

で今でも手元にあり、宝物の一つになっているのです。

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2009年8月11日 (火)

天皇の馬 頑張れよ!

本校の野球チームが、町主催の朝野球大会に参加を申し込みました。2チーム

編成ではなく若手選手を中心に1チーム編成です。私は一番若いということで選手

に選ばれました。これまで、チーム編成のできなかった小規模校勤務でしたし、小

学校時代に三角ベース(一塁、二塁、本塁しかベースを置かない)の草野球しか経

験していなかった私ですので、勿論上手ではありません。

大会出場が近くになると校内で練習試合をしたり、新しいユニフォームとスパイク、

帽子も用意しました。新品を身に着けた容姿を鏡で見ると、可なり上手な選手に見

えるから不思議です。

さて、いよいよ朝野球大会です。五時半に起き新品のユニフォームを着て会場で

ある本校のグランドへ行きました。試合相手は既に練習をしており凄く上手に見

えます。

監督がスターティング・メンバーを発表。私は6番でライトです。後攻のため守備位

置についた私は、胸をドキドキさせながら打球が来ないことを祈っていました。

神に祈ったせいか、お陰で打球が一つも来なかったのです。

私は、守りは下手ですが打撃はまあまあなのです。その腕前を見せる大場面に遭

遇したのです。それは、二死三塁で私の出番です。

仲間の声援に送られて打席に立ちました。初球は空振り、次はボール、そして三

球目を思い切り打ちました。打球はライト方向へ飛びヒットを放ったのです。全力で

走りました。しかし、一塁でアウトです。

応援の仲間はガッカリです。すると先輩が

「○○先生は天皇の馬みたいだね!」と言うのです。

「天皇の馬というのはどんな意味ですか?」と問うと、

足だけ高く上がってさっぱり前へ進まないことだよ!」と笑いながら言うのです。

なのほど、映画のニュースで白馬に跨り金ぴかの勲章を胸に付け、長い軍刀をぶ

ら下げた昭和天皇が兵隊を謁見している姿を見たことがあるのです。

凛々(リリ)しい姿です。その馬は確かに歩みは遅いのです。上手く例えたものだな

あーと感心しましたが、要するにもっと早く走れ!と叱責しているのです。

この出来事があってから、私が打席に立つ度に

天皇の馬!頑張れよ!」との声援?ヤジ?が飛ぶのでした。

それに応えるかのように、私の打率は3割代を確保したのです。しかし、守備が下

手でライトフライやセンターフライの時など必ず前に出るため、打球が頭を超えてい

き、結果的にランニング・ホーマーにしてしまったことが度々ありました。

それでも本校チームが勝ち進み、準優勝になった年もあったのです。

楽しい青春時代の1ページでした。

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2009年8月10日 (月)

自治体の財政力と 学校教育

同じ小学校でありながら地域によってこんなに違うものかと切実に思ったことがあり

ます。それは学校給食です。新卒で赴任した田舎の学校では勤めて3年目にやっ

と牛乳給食が実施されました。

しかし、転勤してきた学校では完全給食を実施していたのです。パン、おかず、牛

乳の三点セットです。しかも自校給食ですから熱々のうどんや汁物が出るのです。

自炊で偏った物しか食べていなかった私。栄養失調に陥ったことのある私にとっ

て、今度の学校は天国のようなものです。栄養士がバランスの良い献立を考えてく

れるからです。

まだ27歳の食べ盛りのガキのような私です。年配の先生が残したパンを私にくれ

るのです。それを美味しそうに食べていると「若い先生は良いですね!私もそのよ

うな時期があったのですが!」と回顧的に呟くのです。

この頃、完全給食を実施していた市町村は少なかったのです。自治体の財政力

が左右していたのです。また、教材費や消耗品費、施設の営繕費も市町村持出し

です。ですから今以上に学校現場でも大きな格差があったのです。

まもなく64回目の終戦記念日を迎えます。

驚くほど物の豊かな社会になり多くの物を手にしました。しかし、依然として満足感

に浸れない人が数多くいるわけです。人間の欲望には際限がありません。

今を過去と比較し、願望や欲望を小さく抑える心の持ちようが大切ではないでしよ

うか。

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2009年8月 9日 (日)

女子教員増の 学校現場

私の二度目の勤務校は、26学級編制で男子教員が20人、女子教員が9人の構

成でした。従って地域の朝野球大会ではA・B2チーム編制で参加しました。職場内

でも試合ができたのです。

ところが24年振りに同一校へ校長として赴任してきた時は、普通学級が18と特

殊学級(知的障害、情緒障害、言語障害)4の計22学級編制でした。児童数が半

しているのに教員の数は31人で逆に2人多くなっていのですこれは1学級

の編制基準が45人から40人になったことと、特殊学級が4学級5定員になってい

るためなのです。

このことは、行届いた教育をする上で定数改善がなされてきた結果であり、歓迎す

べきことです。しかし、女子教員が14名で5人も増えており、男子教員が17人で

は野球チームが1チームしか編制できず寂しい限りなのです。

昭和40年代の本州の学校では、1学年4学級のうち男子教員が1人という実態が

あったのですが、北海道も本州に似てきたように思うのです。男子教員が学年に1

人しか配置にならないと愚痴を言う管理職も結構いるのです。

これは、教員の採用試験に女子教員の方が多く合格するからです。筆記試験も面

接も女子の方が成績が良いのです。このこと自体は特別問題ではないのですが、

小中学校の部活動で野球やサッカーなどの屋外スポーツの指導者が極めて不足

している実態があるのです。

文武両道の精神人づくりをする時、スポーツ活動に興味を示さず、経験もない

子教員が相当数いるのです。この点を考慮して、教員採用試験選考基準

ーツ指導の可否も含めることが必要ではないかと思うのです。

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2009年8月 8日 (土)

運動会で 不正を許さず!

運動会の全校種目に『鯉の滝のぼり』という団体競技がありました。松・竹・梅・桜

組の4クラス別の対抗競技です。1年生から6年生まで二列に向かい合って並び、

1年生の先頭から6年生の最後尾まで、干草の入った鯉のぼりを両手で順番に送

るのです。途中で落ちた場合は落ちた人の場所から競技を再開するルールです。

そして最後の子に(二人)鯉が到達したら、その子らが抱えながらスタート地点の前

にある台に置くとゴールになるのです。

いよいよスタートが切られました。スムーズに鯉を送りだす組や途中で数回落として

しまうクラスがあります。ところが、先頭になっていた梅組の鯉が落下しました。

二番手の松組が追いかけてきます。落下させてしまった梅組の子たちが、落下地

点から数メートル先のメンバーに鯉をつかみながら渡したのです。明らかに不正

ですが、一番速くゴールしたわけです。

途中で不正があったことを知らない梅組の子ども達は「ヤッター!ヤッター!」と

小躍りして喜んでいます。

いよいよ審判の私の結果発表です。

只今の競技の成績を発表します。梅組が一番でゴールしましたが、途中でルール

違反をしましたので失格とします。従って1位は松組、2位は・・・・・・・・。以上です」

と判定結果を告げますと、会場がざわめき、優勝した松組の子ども達が総立ちに

なって「万歳!万歳!」と叫んでおりました。

さて、2日後です。同僚のT教師が、

「先生、家内の話だけれど、一昨日の鯉の滝のぼりの判定で不正を許さなかった

先生の態度を見て、胸がスウーとしたそうだ。もし、あのままズルをした組を1位に

していたら、私は抗議しようと思っていたと興奮して言っていたよ!そして、これか

ら私は断然○○先生のファンになるわ!と言っていた。」との報告なのです。

運動会の競技に対して保護者の抗議はよくあることですが、全て判定に対する不

満なのです。審判員も人です。時には違反を見逃すことがありますが、誰がみても

変だと思うような場合は、臆せず毅然とした態度で臨むべきであると思うのです。

特に、教育現場において不正を許すような態度を示すことはあってはならないと思

うのです。

私は、その後もT先生の奥さんの言葉を大切にし、不正を憎む、不正を暴く態度

を堅持し続けてきた積りです。

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2009年8月 7日 (金)

チンチンの長さ比べ 教員がスナックで

小規模学校から職員32名いるやや大規模校へ転勤してきて、学校の教員であり

ながら、よくも人前で恥ずかしい行為をするものだと驚いたことがあるのです。

それは、家庭科室で宴会を終え、二次会でスナックへ行った時のことです。

先輩の1人であるH先生がカウンターに上りズボンを下げ始めたのです。何をする

のかとはらはらしながら見ていると、下着まで下げ後ろ向きになって尻を見せ、股

の間からチンチンを挟んで見せるのです。そして、

「どうだ!俺のように出来る奴はいるか?長くなければこんな技は出来ないのだ!

」と得意顔で言うのです。

勿論、お酒に酔っているのですが、どうしたことかチンチンの長さ比べの話題にな

っていたのです。するともう1人の同僚のK先生が、

「ウルサイ!俺だって出来るぞ!」といい、カウンター上で尻を出し摘んでみたので

すが、H先生のようにはいきません。するとそれを見ていたB先生が

「長ければ良いってものではなだろう?私の見てくれ!実に立派なものだろう!」

と言って、その場で見せるのです。

すると、H先生が私を指さして「お前も見せれよ!」と催促します。私は

「自慢できるほどのモノではないので遠慮します!」と言うと、不満顔をするのです。

実は、私は呆(アキ)れていたのです。このスナックのママはまだ30代後半であり、

子ども二人が本校へ通っている母親だったのです。私が下の子の担任です。

スナックのママは商売がら、教員の馬鹿な行い等は見て見ぬ振りをしているの

す。側にいる私は、担任の親に見せてはいけない醜態をさらす仲間がいること自

体、恥ずかしかったのです。

私は中学1年生の時、小樽の祝津の浜で「チンチンに毛がはえたぞ!」と褌の横

から自慢して見せ合うことがありましたが、あくまでも開放的な浜辺であり、まだ子

どもでしたので特別違和感はなかったのですが、大の大人でしかも教員たる者が

人前でこのような行為をすることを許すことが出来なかったのです。注意してもいっ

こうに止めようとしないのです。

私は40年間の教員生活の中で一番恥ずかしい場面として今でも思い出すのです。

この出来事から37、8年経って当時のママさん(約80歳)にお会いした時に、この

話をしたところ、

「そんなことがあったかい?先生方ばかりでなくいろいろな人達が下品なことをして

おりましたよ!教育長さん、よく覚えていますね!今の時代だったら大変な問題に

なっていたでしようね!」と笑いながら話すのです

このチンチンを自慢したH先生は、それから数年して酒気帯び運転をし、停車してい

たトラックに追突し頭蓋骨陥没の重症事故を起こしたのですが、運よく一命をとりと

めたのです。しかし、それから数年してから亡くなりました。確か40代中頃だったと

思います。また、K先生は現在でもある団体で活躍しており、B先生は校長を退職

後に青少年の育成面で活躍しているのです。

こう考えると、ある場面における醜態は許されていいのではと思う方もいると思うの

ですが、教員は信頼を失ったら教育効果が上がらないのです。子どもや保護者の

信頼の上に教育が成り立っているのです。

どうぞ若い先生方、よく考えてみて下さい。

   《関係者が現在も活躍中ですので詳細に書くことができませんでした。

          学校現場にも新聞に載らなかっいろいろなことがあったのです。》

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2009年8月 6日 (木)

禁酒薬で 急死した教員 

昭和40年9月のある早朝。下宿のおばさんが「先生!電話ですよ!」との声。

急いで電話口に出ると、

「先生、大変なことが起こったんだ!B先生が今朝死んだんだよ!B先生が先週、

君の所に泊ったという話を聞いていたけど、何か変わった様子はなかったかい?

とに角、警察が検死にくるので君も来てくれないか!お願いします!」

と前任校校長の声。

B先生は酒癖が悪く、深酔いすると暴力的になったりして何かと問題を起こす人物

だったのです。結婚して可愛い男の子をもうけたのですが、それでも深酒の生活

習慣が改善されません。困り果てた奥さんが、B先生に対して

「いつまでも酒を飲み続けるのだったら離婚しましよう」と言って、時々実家に帰っ

て行ったのです。ところがその度に、B先生は

「もう飲まないから許してくれ!早く戻ってきてくれ!」と懇願し、奥さんも好きな旦

那の言葉に負けて、また戻るという有様だったのです。

子どもが3歳になった頃です。飲酒習慣を断ち切ることのできないB先生は、奥さ

んの勧めで「酒を飲めなくする薬」を飲んだのです。誰にも知らせていませんでし

たが、よく夕飯をご馳走になったりマージャン仲間でしたので、私ともう1人の先生

のみが知っていたのです。この薬は1回飲んだから効果が持続するものではなく、

数日するとまた効果がなくなるのです。

このB先生にはがありました。それは酒を絶つたら自家用車を購入するという

ものです。それで夏休み期間を利用して、私が住んでいる町にある自動車教習所

へ通っていたのです。

そして免許が取れたということで私の所に連絡があったので、寿司屋でお祝いを

しました。ところが変なのです。お酒の強いB先生が銚子1本も飲まないのに顔が赤

くなり、もう飲めないと断るのです。私はとっさに例の薬を飲んだなーと察し、無理

に勧めることをしないで二人で下宿に戻ったのです。

それから数時間して、B先生が心臓が苦しいと訴えたので、救急車を呼ぼうか?と

問うと拒絶するのです。では、医者を呼ぼうね!と言うと、それも嫌がるのです。

そして、暫らく休んでいると治るからというのです。私は心配しながら布団に入りま

したが、いつしか寝てしまったのです。

朝、目を覚ますとB先生がまだすやすやと寝ているのです。安心しました。

このような事件があってから僅か1週間後に亡くなるとき夢にも思っていませんでし

た。亡くなったB先生は、綺麗な死顔で横たわっていました。警察が彼の肛門に体

温計を差込み、死亡時刻は午前3時半頃で心臓マヒですねと告げたのです。

傍にいる奥さんが

私が悪かったの。あんな薬なんか飲ませなければよかったのに!」と泣いてい

るのです。

その後、49日の法要に呼ばれた私は、奥さんから事故の顛末(テンマツ)を聞い

たのです。それは、町の教頭会終了後、B先生の運転免許取得記念のお祝い会を

しようとのことで、某所で開催されました。日頃、お酒が強いことで有名になってい

たB先生に対して、教頭さん達が次から次へと飲むように勧めたのです。

はじめはガンと断っていたのですが、

「あんなに飲んでいた先生なのに変だなあー、余り固いことを言わずにオチョコい

っぱい位は受けてくれよ?」と仲間に勧められ、無理をして少し飲んだとのことでし

た。

初めから「俺は酒を断つことを決意し、酒を飲めなくする薬を飲んでいるので分って

くれ!」と宣告しておけばよかったのですが、そこまで言う勇気がなかったのです。

何れにしても、彼は酒に命をとられたわけです。南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!

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2009年8月 5日 (水)

革命勃発 夏休み中の教員は?

ある校長の話です。その要旨は

① 今年から全職員が出勤し、8時30分に朝会を始められるようになった。

② 一応15:30まで勤務時間としている。

③ 中学校は部活動で殆どの先生が出勤していた実態がある。

④ 出張扱いの研修は、出勤しなくてもよいことになっている。

⑤ 年休行使の先生方が少ないので長期休業期間中にとるよう指導している。

⑥ 勤務評定が導入されたため、勤務成績に応じて勤勉手当に違いがあらわれる

  ことも関係しているらしい。

この話を聞いて私はびっくりしました。まさに、教職員の服務革命といっても過言で

はない出来事なのです。

児童・生徒の長期休業日期間中の教職員の勤務態様にはいろいろな歴史がありま

す。教職員は教育公務員特例法第22条2により「教員は授業に支障のない限り、

本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる。」ことになって

いるのです。このことに関わって、昭和46年に北海道教育委員会と北海道教職員

組合との間に協定書が結ばれ、夏季休業期間中に於ける校外研修(自宅研修)と

独身教員の帰省が認められ、居場所と研修内容の項目のみを校外研修処理簿に

記載さえすれば、自宅にいることができた時代が数年前まであったのです。

また、海外研修も教育委員会の承認を受ければ、長期休業期間中に行くことがで

きるのです。

しかし、教員の研修の実態も地域によって随分温度差があるのです。現在、長期

休業中にも実施されている初任者研修10年経験者研修なども長期休業期間

に開催することを阻止するような指導をする組合執行部もあるのです。

そのような組合活動の強い北海道にあって、今年の夏季休業期間から全員出勤の

態勢のとれた地域が出てきたことは本当に革命的なことと思うのです。

このように書くと、世間一般から「教員は何をやっているのか?」「日教組が教育改

革のガンである!」とお叱りを受けるはずですが、それにしても人間は弱いもので

す。

今まで長期休業中にほとんど出勤することのなかった教員が、勤勉手当との連動

を意識し、これまでの姿勢を変えるとは一体何事か?と残念なのです。

難しい世の中です。ストレスの溜まる教育界です。せめて子ども達の授業がない

休業中は、堂々と年休を行使しリフレッシュするなり、日頃から時間のとれなかっ

子ども達との触れ合い活動に利用して欲しいのです。

6月中旬にポン・デュ・ガールへ行った時です。小学校高学年風の子ども達が先生

に引率されてサイクリングにきておりました。子どもと教師の共通した感動体験

ために、この長期休業期間を利用することも大切なことではないでしようか。

Photo_7

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2009年8月 4日 (火)

海と私

今年は異常です。孫が本州から遊びにくるので小樽の祝津へ海水浴に連れて行っ

てあげようかと思っているのですが、毎日のように雨と曇の日が続き機会がなさそ

うな予感がします。

私は小学校5年の3学期から6年までは、毎日、海の表情を眺めながら通学してお

りました。朝日がきらきら輝く凪(ナギ)の日。水しぶきが顔を叩く時化(シケ)の日。

風で小波(サザナミ)が立つ日。心地よい波がリズミカルに打ち寄せる日。荒れ狂

って人を寄せ付けない海など、海は表情や姿を変えながら生きております。

この海で私は中学時代も毎日浜へ出てホッキ貝やガンゼ(馬糞ウニ)、アワビなど

の恵みを受けて、夏休みを過ごしてきたのです。

ですから、1年に1度は海の匂い・潮の香を身体一杯に嗅(か)がないと情緒が

不安定になり精神的に落着かないのです。幼少時代に五感に感じたものは、言葉

では言い表すことのできない感性となって残っているのです。生育環境はないがし

ろにできない証なのではないでしょうか。

この時期、海が私を招くのです。

四男六女の6番目として生まれ、教員であった父が43歳の若さで逝ってしまった

我が家。物質的に貧しい家庭に育った私は、63歳まで海外へ行ったことがありま

せんでした。ですから教育関係に約47年勤めたお駄賃にと思い、退職後に海外の

いろいろな海を見てきました。夢が実現できるようになったのです。

Photo_10 <ワイキキの夕日>

Photo_11

<ベネチアの海>

Photo_12

<ハワイ島の

黒砂海岸>

Photo_13

<オランダのアムステル

ダムの海>

Photo

太平洋の真ん中にあるハワイ島最南端のサウス・ポイントの荒波。

Photo_2

Photo_3 細かな泥のような砂を拭き取る

のに苦労したモンサン・ミッシェルの海

Photo_4

グアム島~シュノーケルで熱帯

魚を観て楽しむ妻。

Photo_5 南フランスのマントン(地中海)

で初めて泳いだ私。

私は、海水浴に行っているときにいつも思い出すことばあります。それは、昭和25

年7月Ⅹ日。1学期の始業式。小笠原校長が大きな声で、「祝津小の子は海の子

です。海を恐れてはいけませんsign01しかし海を侮(アナド)ってもいけませんsign03

とすごく短い言葉での訓話(教訓になる話)。この言葉がよみがえり私は細心の注

意を払って泳ぎ始めるのです。残念なことに今年もまた、海での事故が起き、尊い

子どもの命が失われています。引率する教師や保護者の皆さん、細心の注意をは

らって有意義な夏休みを過ごさせて下さい。

※※8月2日 「フジヤマのトビウオ」の古橋広之進さんが死去されました。

戦後の暗い世の中に一縷の光を灯してくれた人生の大先輩に

衷心よりご冥福を祈ります。

《昨年にUPしようと思っていた内容に追加したため、構成が変になりました。残念です

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2009年8月 3日 (月)

いま、馬のこころで

珍しいことに早朝から本を読んでいる妻の姿。「何の本」と聞くと、「長沼町」(札幌

の東部に位置した農業地帯)に住んでいる作家の本を友達が貸してくれたとのこ

と。僅か10分足せずで読み終わり

「貴方も読んでみたら?なかなか奥深い内容よ!」と勧められ手にしました。

何と私の好きな童話作家の1人である加藤多一(75歳:長沼町在住)の作品

です。彼は芝桜で有名な北海道滝上町の農家出身で五男五女の8番目。長男=

誠一が召集。しかし、大吹雪のため駅までの強行軍とチコクにより、激戦となった

「ノモンハン」行きを免れるが、次男=輝一は出兵し満州から転戦後の沖縄で戦

死。この兄への思いが作品の底に流れているのです。

書名は

ホシコ―星をもつ馬 (ことばのおくりもの) Book ホシコ―星をもつ馬 (ことばのおくりもの)

著者:加藤 多一
販売元:童心社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

馬と少年のこころ。その馬が軍用馬として中国大陸へ出征させられた。

戦争が終わり、何人かの人間は帰ってきたが、出征馬はただの一頭も生きて帰れ

なかった。

「水と草と少しの麦だけで強い力を出せるかしこい動物であった馬は、石油と鉄と

廃気ガスの物体に変えられてしまった」と述懐する作者。

本文22ページ、絵28ページの絵本です。なお、絵は早川重章。

子どもに深い感動を与える良書です。この夏休み期間中に読み聞かせて下されば

幸いです。

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2009年8月 2日 (日)

アイヌの子の額に×印 人権問題

「アイヌ政策新法を」との新聞報道(北海道新聞夕刊:7.29)を見て、こんな事件

を思い出しました。

ある母親が顔色を変えて教育委員会へ。

「教育長に話があるのです。直ぐ会わせて下さい!」との声に圧倒された職員が、

慌てて来客を案内してきました。母親は

「教育長!学校現場でこのような事があってよいのでしょうか?」と冷静さを失っ

ています。

「とに角、お話を伺いますので落着いて話して下さい」と促され、話し始めた内容は

・学校から帰ってきた我が子を見て驚いた。額に大きく×印がついている。

・理由は、忘れ物をしてきたので担任がお前はいつも忘れ物をするダメ人間だと

 言った。

・これから忘れないようにするため印を付けてやる!と言って、油性のマジック

 ×を付けた。

・それを見ていたクラスの子がゲラゲラ笑った

・悪いのであれば頭や顔を叩いてくれた方がましである。

・皆の前で恥をかかせる行為で許せない。陰湿な「いじめ」に相当する。

アイヌの子だと思って馬鹿にしている証拠である。

                                           これは人権じゅうりんにあたる。

・この問題はアイヌに対する差別や偏見から生まれた行為であるので問題視する。

とのこと。

この事件の後、校長と担任に教育委員会へ来ていただき話を聞いたところ、この

子は小学4年生であるにも関わらず、非常に毛深く一見してアイヌの血を引いてい

ることが分かり、友達同士の喧嘩の時にアイヌと馬鹿にされたこともあるとのこと。

ところが、そのような事実を知っていながら担任は何一つ適切な学級指導をしてこ

なかったばかりか、アイヌ問題について深く考えたことがないため、ついふざけ半

分の気持ちで×印を付けたと言うのです。

この問題は、校長と担任が保護者の家庭へ出向き深謝すると共に、教育長として

校長会などを通して、人権問題の一環としてこの問題を報告し、再発防止への

指導を徹底と、北海道教育委員会発行のアイヌ民族に関する指導資料の活用を

図ることを約束して保護者の許しを得たのです。

いずれにしても、先住民族との共生に国民の理解は欠かせません。特に北海道に

住んでいる私達は、先住民族であるアイヌから多くのことを学んできたわけですの

で、学校教育の場でも適切な指導がなされるよう願っております。

同和問題とアイヌ問題は蔑ろにできない問題です。いつも応援のクリックありがとうございます》

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2009年8月 1日 (土)

条例で 子どもの夜遊びを防ぐ?

さて、朝日新聞社の報道(2009,6,28)によれば、福岡県で7月から、保護者の同

意がないのに18歳未満の少年少女と深夜に出歩くことや、家に泊める行為が原

則禁止になったそうです。

福岡県は10~19歳の非行者率が全国のワースト1とのこと。このような現状を

打破するために、福岡県は7月から、保護者の同意がないのに18歳未満の少年

少女と深夜に出歩くことや、家に泊める行為が原則禁止となったのです。

このような青少年健全育成条例の一部改正は、東京都が一番早く平成16年3

月に議会で可決されています。

その中で「深夜外出の制限」に関する規定はこうです。

① 保護者は、通勤・通学その他正当な理由がある場合を除き、深夜(午後11時

 から翌日午前4時までの時間)に青少年を外出させないように努めなければなら

 ない。

② 何人も、保護者の委託を受け、または同意を得た場合その他正当な理由があ

 る場合を除き、深夜に青少年を連れ出し、同伴し、とどめてはならない。

③ 何人も、深夜に外出している青少年に対して、その保護および善導に努めな

 ければならない。・・・・・・の場合は、この限りでない。

④ 深夜に営業を営む事業者や従業者は、深夜に営業施設・敷地内にいる青少

 年に対して、帰宅を促すように努めなければならない。

なお、上記①の外出させない義務および④の帰宅を促す義務は、保護者および

営業者の努力義務をさすのです。つまり、これに反しても罰則を科すものではな

いのです。ただし、②の連れ回しのみは30万円以下の罰金となっているのです

この条例に対して、罰則のない努力義務だけでは、どれほどの効果があるか疑問

視する声もあがりました。しかし、少年事件が起きる時間帯は、夜間(午後6時~

午前6時)が46.5%(平成15年度)を占めているそうです。この数字から

青少年が犯罪に巻き込まれないようにするには、現在各地で実践されている警察

少年サポートセンターの他に地域住民が自分達で出来る範囲内の小さな

支援活動に取組むことが大切ではないでしょうか。

《今は夏休み最中です。青少年の深夜徘徊と非行が気にかかります。

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