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2010年4月28日 (水)

ほんとうの教育ママさん

これは昭和48年6月号の学校新聞の記事です。広報担当の私がガリ版刷りで発行した内容の一部です。

教育の本など1ページも読んだことのない人で、読んだ人以上に素直なよい子を育てている人がいる。これは教育は学問はないということの立証ではなかろうか。

△▲▽ 「やらせる」といっても △▲▽

子どもに良い習慣をつけるシツケの態度に「やらせる」と「やってもらう」という二つのタンプがある。これは結果的に「やらせる」ことなのだが、子どもの方では受け止め方が違う。

この二つについて、どちらが良いかということになると、それは相手(子どもの年齢や性格など)によって違うから、一口にはいえない。総じて自主性のまだ弱い子には「たのむ」というよりは、「こうしなさい」と言った方が効果的である。

しかし、子どもがある程度、自我意識に目覚め親と異なった意見を持つようになれば、「こうしなさい」と、命令的に言うよりも「こうしてくれない」と頼むように言った方がよいことが多くなる。この辺のことを判断する能力が母親には必要である。

□■□ 使うことは 使われることである □■□

子どもに何かさせる・・・つまり子どもを使うことは、実は親が子どもに使われることなのである。

これは「親が自分が座っておって、子どもに仕事をあてるな」と言うことの延長である。これを一言で言うならば「子どもに十のことをやらせようとすれば、親は二十動け」と言うことである。

こういうと、如何にも大変なことのようだが、実はこれは、子どもの小さい時には、どこの母親もやっていることである。それがどうしたことか、子どもが成長するにしたがって、親の方が動かなくなってしまう。

そして、口先だけで子どもを動かそうとする。こんなところに本当の教育ママさんの教育哲学が見出されなければならないのである。

以上、昔の姑の嫁いびりのような話をしたが、結局、考えねばならないことは、からだ(行動)は子どもに先行し、口はあとで行くということである。

これが逆になっているところに、親子の断絶や、親の自信喪失のもとがあるのではなかろうか。

この文章を、いま読み返して見ると、随分抽象的で訴える力に乏しいと思う。幾つかの具体例をあげて論述した方が説得力があったのではなかろうか。

また、誰かの文章を引用しているはずであるのに、出典や引用が書かれていない。これは問題なのだが、まだ理解していない35歳の私だったのです。

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