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2014年10月20日 (月)

黄泉に旅立たれた「掃雲」先生

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18日に定山渓温泉から帰宅し新聞を見るとお悔み欄にA先生の名が。妻はクラス会で留守。お通夜や告別式に出席できなかったので、翌日に弔問に伺った。

校長2校目でお世話になった同僚のA先生がC型肝炎から肝臓がんになり79歳でこの世を去ったのだ。彼は書道(雅号:掃雲)の大家で淡墨では北海道での第一人者だったのだ。

この学校は、組合活動が強く、二つの組合が反目しあう職場だった。

具体的な例を示すと、過去ブロ(必修クラブのもち方 牛耳る古株教員)(知能テストは不必要 職場で対立)に書いたが、卒業式や入学式の国旗・国歌問題で、校長が我々教職員の意見を尊重しなかったので、卒業式の慰労会や転入・転出教職員の歓迎会には校長が出席するなら我々は出席しないとボイコット姿勢を強固にした職場だった。

そのような対立場面の解決にあたって、A先生が分会会議で組合員を説得し職場のギクシャクした人間関係の解消に向け影で努力してくれた先生だったのだ。

A先生は地区労議長や支会長を経験したつわものであり、鋭い目つきで説得する姿は凄みが全身にみなぎり、反対できない雰囲気を醸し出していた。

20代後半の私が北教組の闘争の一つとして北海道教育庁の廊下に座り込みをして要求貫徹を図ろうとした運動に参加した時に、ご一緒した組合員の一人が隣町のA先生だったのだ。

従って、私は学校経営上の問題が予想される時には、3歳年上のA先生に知恵をお借りし問題解決を図ってきた。その先生がもう亡き人となり寂しさが一入である。

今は、ただお世話になったお礼とご冥福を祈るばかりである。

なお、我が家の床の間に飾られている掛け軸はA先生の書。

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コメント

 ご苦労をされたのでしょうね。ゆっくりとお休み下さいと言うしかありません。
 所で当方のパソコンは小型、画面も小さいので書の字が読めませんでした。文字を書いていただけたら幸甚です。
 薄い字が何かを象徴しているのでしょうか。勉強不足の男は推測さえできません。すみません。

投稿: tsuguo-kodera | 2014年10月20日 (月) 16時15分

tsuguo-koderaさんへ
光に反射されて字が読めませんが、楷書なら分かるのですか
くずしているため私も読めないのです。
どのような字体にするか構想を練るのに可なりの時間をかけるそうです。また、漢数字の「一」の書き方も確か6種類あると筆を持って説明してくれたことがありました。
書は奥深いものであることを掃雲先生から学びました。

投稿: appochan | 2014年10月21日 (火) 09時38分

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