カテゴリー「書籍・雑誌」の13件の記事

2014年9月22日 (月)

「見る、感じる」から「読む、考えさせられた」 一冊の本

息子の推薦で呼んだ本。『おじいちゃん 戦争のことを教えて』(アサヒビール名誉顧問 中條高徳著:致知出版社)という本で戦争と日本の立場について改めて考えさせられた。

ニューヨークに在住の孫娘(マスターズ・スクール12年生)の16の質問に、祖父が答えるこの一冊は、学校で近現代史を学ぶことの少なかった私達にも、改めて考える視点を投じるものである。

私が読んで“なるほど”“そうなのか?”“えゝ、知らなかった”“保守の匂いが強すぎるぞ!”などとつぶやきながら読んだ箇所を幾つかピックアップし、後でゆっくり調べようと思うのでここに記しておく。

  1. 戦後の日本にはあまりにも国益を無視した論議が多い。・・・これでは歴史的事実を認識するのに、リアリティを欠くというものだ。
  2.  

  3. 日本が中国大陸に戦線を拡大し、戦争に突っ込んでいったのは、やはり軍部の責任といわなければならない。・・・軍部が突っ走ったのは、日清・日露の戦争に勝って軍事的に成功したことが奢り高ぶりとなって傲慢になっていたからだ、と思わないわけにはいかない。傲慢になると、情報を集め、それを分析し、どの選択肢をとるのかの冷静な判断ができなくなってしまう。そこに過ちが生じる。二十世紀を通しての歴史のなかで、日本がもっとも反省し、学ばなければならないのは、この点だろう。
  4.  

  5. 日本は高度経済成長を成し遂げて先進国の最先端に立つ経済力を身につけ、大きな経済的成功を収めた。それが奢り高ぶりとなり・・・・・バブル経済を生み、破綻して深刻な不景気に沈むことになった原因といえる。
  6.  

  7. 日本の中国大陸への戦線拡大が、アメリカに明確な日本に対する敵視政策をとらせることになった。アメリカはABCDラインという包囲網を構築し、日本に圧力を加えてきたのだ。AはAmerica、BはBritain(イギリス)、CはChina(中国)、DはDutch(オランダ)だ。この米英中蘭四国が同盟を結び、日本に経済制裁を加えてきたのである。日本を経済的に封じ込め、兵糧攻めにしようというわけだ。この同盟を主導したのは、もちろんアメリカである。
  8.  

  9. アメリカのハル国務長官がアメリカの対日要求を通告した(ハル・ノート)。日本は中国大陸から軍隊を全部引き上げる、仏印(仏領インドシナ、いまのベトナム)からも撤兵したならABCDラインをどうするかの話合いに応じるという。ABCDラインを解く、というものではなかった。これは座して死を待つか、一戦を挑むか、二者択一の心境に追い込み、戦争以外に選択の余地はないように追い込まれた。
  10.  

  11. 戦争はあってはならないものだということだ。勝つにしろ負けるにしろ、戦争がもたらすものは悲惨でしかないからだ。 大切なのは、正しかったか悪かったかを考えることではない。結果にとらわれず、その中身を一つひとつ正確に吟味して、いいはいい、悪いは悪いときちんと整理をつけて把握することだ。そうしてこそ、歴史に学び、その教訓を未来に生かすことができる。
  12.  

  13. いまの日本人は過去の戦争については自虐に陥っている。総理大臣すらが自虐的になり、こと戦争に関係することになると「お詫び外交」一辺倒になってしまう。・・・・日米開戦にいたる経緯については、瀬島龍三著『大東亜戦争の実相』(PHP研究所)を読みべきだ。
  14.  

  15. 公のために身を捧げる行為こそ、人間が完全な賢明さを獲得していない現実では、もつとも尊い行為といわなければならない。次の世代の幸福のために殉ずる行為は、尊いという以上に崇高ですらある。おじいちゃんが毎朝参拝するのは、靖国神社だけではない。日本武道館のそばに弥生廟(やよいびょう)というお社がある。この弥生廟は警察関係や消防関係の殉職者をお祀りしているお社だ。これにも必ずお参りしている。
  16.  

  17. A級戦犯に名指された25人を被告として行われた東京裁判は、裁判の根拠となった法律、「平和に対する罪」は事後法で、近代法の精神が厳しく戒めているところのものだ。この一事をとっても、東京裁判は公平でも客観的でもなく、最初から結論が決まっており、裁判の過程は自分たちの正当性をアピールし浸透させるためのショーだったことがわかる。
  18.  

  19. 法律を冒涜し、国際法を犯してまで、なぜアメリカは東京裁判を強行したのだろうか。アメリカは日本に対して、精神的「カルタゴの平和」を目指したのだ。
  20.  

  21. 日本が欧米諸国の白人国家と戦ったことが契機になって、アジアの多くの人々が植民地支配の苦しみから解放された。この植民地解放の喜びを書いた本がある。マレーシアの元上院議員ラジャー・ダト・ノンチックという人の半生を記した本『日本人よありがとう』(土生良樹著:日本教育新聞社刊)。
  22.  

  23. 現行憲法は、現実に合わない条項も見受けられる。急激に進展した国際化のなかでは、こういう条項では日本の国益が損われる恐れがある、というものもある。そういうものを一つひとつ検討して、残すべきは残す、改めるべきは改める、そういう作業を行って、改めて新憲法を制定することが絶対に必要だと思っている。
  24.  

  25. 朝鮮戦争中、中国への原爆攻撃を求めてトルーマン大統領に解任されたマッカーサーが、アメリカの上院議会でにつぽんについてこう証言した。日本が中国大陸に進出したのは侵略戦争ではなかった、自衛のための戦争だった。と。これは、日本を侵略戦争を行った悪者と決めつけ「平和に対する罪」で断罪した東京裁判は誤りだったと、日本占領の最高責任わ担う当事者が認めたことである。
  26.  

  27. 精神的「カルタゴの平和」にしたたかやられて、日本人であることに誇りが持てなくなった世代。その結果が、昨今の荒廃した事件や現象となって端的に噴出しているのだ。(ノンチックさんの詩)を読むと分かる。
  28.  

  29. 精神的「カルタゴの平和」にのっとつてGHQが進める3S戦略(スクリーン、セックス、スポーツ)が、精神的な腑抜けの日本人に拍車をかけた。
  30.  

  31. 昭和20年8月9日~10日にかけて、深夜の御前会議(最高戦争指導会議)で、ポツダム宣言を受諾し戦争を終結するか、それとも宣言を拒否し、本土決戦わ構えて戦争を継続するかの最終的な結論わ出すための会議が開かれた。阿南陸相以下陸軍を中心とした本土決戦派が三。米内海相らの戦争終結派が三。議長の鈴木貫太郎が意志を示せば、それで決まりとなる。首相の本意は戦争終結であるが、そうなれば陸軍が反乱を起こし、国民は悲惨なことになると判断した首相は「天皇陛下のご聖断を仰ぎ、それに従うことにしよう」と発言し、ポツタ゜ム宣言を受託することになった。まさに国家存亡の危機に、天皇という存在の機能は存分に発揮され、強力な求心力となって働いたのである。
  32.  

  33. 広島の平和記念公園にある原爆碑に「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」は、だれが「過ち」を犯して、だれが「繰り返さない」といっているのか。非戦闘員の一般市民の殺傷を狙い、広島を全滅させようと狙った原爆投下は、明らかな国際法違反である。だが、アメリカは原爆投下によって戦争が早く終結し、それだけ被害を少なくすることができた、と正当化している。
  34.  

  35. 戦争の終りがすぐそこに見える時点になって、なぜ原爆を投下しなければならなかったのか。戦争を1日も早く終わらせ、日米双方の被害を少しでも小さくするため、というのは詭弁による正当化ではないか。原爆をつくった、だから、試しに落としてみたかった、そういうことではなかったのか。
  36.  

  37. 昭和20年2月4日から11日にかけて、当時のアメリカ大統領ルーズベルトとイギリス首相チャーチルがヤルタ島で第二次大戦の終結について会談した。その時、ソ連首相のスターリンを呼んで、対日参戦に引き込んだ。これによってソ連はソ満国境を越えて対日戦に参戦し、その結果、多くの日本兵を捕虜としてシベリアに抑留し、劣悪な環境のなかでの過酷な労働によって無数の人命を奪うという暴虐に駆り立てたばかりか、北方四島わ奪い取り、その状態がいまだそのままになっているという結果を招いたのだ。
  38.  

  39. 朝鮮半島は第二次大戦が残した唯一の分断国家になってしまった。いつ発火するか分からない、世界でももっともきな臭い地域になつている。このように、日本の身近なところに、いまでも第二次大戦のはっきりした後遺症が二つも残っている。このことを日本人自身が認識し、自覚すべきである。

テレビやVTR・DVD等の普及により、「読む、書く、考える」から「見る、聞く、感じる」の傾向が強まった昨今。

読書は考える力を養い視野を広げるものである。戦前・戦中・戦後の生活を一部体験したおかげで意味がわかり、今までの自分の認識に疑問を投げかけたこの一冊の本。

最近、集団的自衛権を中心に政治の方向が不気味であるし、新聞広告に“侵略戦争なのか?アジア解放の戦いなのか?”“教科書が絶対に教えない 東京裁判”などの活字が大きく目にはいる。

また、道徳の教科化、中学社会科の歴史問題の記述などが物議を醸し出している。私達は何かが起こると政治が悪いと批判するが、その前に、国民一人ひとりのものの見方や考え方が政治に反映されるのだとの認識を新たにし、未来に生きる子ども達のために、何が正しく何が間違っていたかをしっかり伝えておくことが大切であると思っている。

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2014年7月17日 (木)

原発テーマの本出版 童話作家

道新(7/14朝刊)に“福島の現実 子供たちに”の願いから、小樽在住の童話作家加藤多一さんが、原発事故をテーマにした初めての著作「赤い首輪のパロ フクシマにのこして」汐文社(東京)から出版したとの記事が目に留まった。

童話作家・加藤多一さん(ここを覗いて)とは懐かしい。

実は三校目の小学校で高学年を担任している時のことだが、学級会の活動組織に図書係を位置づけ、学級文庫の開設に取り組ませた。その時、私が寄贈した本の中に加藤多一作の『白いエプロン白いヤギ』があったのだ。

その後、教育長をしている時、たまたま加藤さんにお会いする機会があったので、当時の子ども達の反響を聞かせてあげたら大変喜んで下さったことを思い出す。

80歳となった加藤さんが、「国が3.11後も原発の安全神話を国民に押しつけているのは許せない。児童文学の形で子どもたちにメッセージを伝えたい」と語ったそうだが、その一言に自然や命をテーマに40冊以上も書き続けた彼の考えが滲み出ているような気がする。

早速、図書館から借りてきて読んでみよう。

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2014年7月 1日 (火)

小樽「オルゴール堂」と 雨竜郡沼田町の関係

過去ブロ「でんぷん靴が 米に変身?」で、小学1年生の私が、くじ引きで当たった長靴を持って、深川市と留萌市の中間にある沼田町(北海道のほぼ中央に位置する)に米の買出しに行ったことを書いた。

沼田町は母の親戚があったぐらいしか認識していなかった私。何故、沼田町に親戚があるのか?との疑問すら抱かなかったのだ。

ところが、おたる「政寿司」が発行した『小樽歴史物語』(著者:山川隆)を読んで、納得した。関係部分を転載しょう。

 富山県で呉服業と質屋を営んでいた沼田喜三郎は、明治の小樽の好景気に魅せられて、もう一旗揚げたいと49歳の年に小樽にやってきました。彼は大工の経験があったので、オコバチ川に水車を作り、精米業を始めました。

 その水車は性能が良く精米業に成功しました。彼は水車を勝納川や朝里川にも増やして事業を拡げて、北海道で初めての精米の株式会社「共成」を設立しました。本社はレンガ造りで銅版葺き屋根のルネサンス様式で、現在メルヘン通りにある「オルゴール堂」の建物です。

 小樽で精米業で成功した喜三郎は60才を前に社長を退いて、今度は内陸部の開拓に力を注ぎました。郷里の富山県から開拓民を募り、私財を投げ打って開拓に向かいました。喜三郎の努力が実って、大正11年新しい村が生まれました。北海道庁は、土地り信望の厚い喜三郎の名前を取って、「沼田」にしました。現在の雨竜郡沼田町です。

 また、喜三郎は石狩にあった土地も鉄道用地に寄贈しました。駅の名前が『石狩沼田駅』になっています。

1オルゴール堂と沼田喜三郎との関係、沼田町の町名由来を初めて知った私は、祖母の故郷が富山県の山奥にある五箇山であることを母から聞いたことがあったが、祖母や祖父のルーツなど眼中になかったので、調べてみようともしなかった。

“越中富山の万金丹(まんきんたん)”の呼び声と富山の薬の行商の話を、母が話してくれたことを思い出した。

現在、沼田町は「夜高あんどん祭り」で有名であるが、この祭りも郷土富山に由来する祭りなのだ。そんなことを『小樽歴史物語』を読んでこれまでの認識が点から線となり繋がった。

なお、著者の山川隆氏は私が高校から大学時代まで住んでいた教員住宅の2軒隣の人だった。懐かしいhappy01

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2013年9月 4日 (水)

五日間のパリ 理性ある大人の熱き恋の物語

図書館で何か素敵な本と出会いたいと物色していたら標記の本が目に留まった。

2 パリに18日間滞在したことのある私。五日間のパリ滞在で何を、どう感じ、何が起こったのかとの好奇心から読もうと思った。

作者のダニエル・スティール(Danielle Steel:アメリカ人の女性)。“発表する作品がすべてベストセラーの第1位にランクされる、米国で最も人気のある作家。

日本でも「アクシデント」「幸せの記憶」「二つの約束」「敵意」「無言の名誉」「贈りもの」がアカデミー出版社から発行され、すべてベストセラーになっているとのこと。

ガン治療の新薬開発に挑む世界的規模の製薬会社社長であるピーターと大統領候補夫人オリビア。パリで真の愛に目覚めた理性的男女が出した結論はどうなるのかとはらはらしながら一気に読んだ。

アメリカ社会における男女愛の難しさが伝わってきた。
実生活の作者は5度目の結婚にも破れ、息子の自殺に遭遇するなど波乱万丈の人生を歩んでいるが、それが即、小説に生かされているような気がした。

物語はパリのホテル・リッツを舞台にヴァンドーム広場、コンコルド広場、モンマルトルのカフェ・・・私が訪れた場所が舞台となって展開されていた。

年甲斐もなく胸のときめきを・・・・。なお、共感を覚えた文章のひとつをUPしておこう。

偶然見つけた本当の愛は遠い霧の中に消えてしまうのだ。生涯に一度の出会い。魂が燃える愛。真心を捧げられる女性!

オリビアのことを考えながら、ピーターはバルコニーに立って日の出を眺めた。すべてが夢のような気がした。本当に夢だったのかもしれない。あの一つ一つが現実ではなく、単なる記憶にすぎないのだ。

コンコルド広場・・・・・モンマルトルのカフェ・・・・・ラ・ファビエルの砂浜・・・・・・そのすべてが夢だったのだ。ピーターは分っていた。

彼女に対する愛がどんなに深かろうと、思い出がどんなに甘美でも、彼女のことは忘れなければならないのだと。

読後、私はホテル・リッツ(初めてのパリ)の思い出に浸っていた。

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2013年8月21日 (水)

「運命の人」 沖縄の悲劇

私が尊敬する作家の1人である山崎豊子。これまでに「大地の子」「沈まぬ太陽」「不毛地帯」「二つの祖国」を読み感動したことを思い出す。

さて、たまたまテレビ・ドラマ化された「運命の人」を観ていたが、途中でうとうとと眠ってしまい、結末がどうであったでさえ分らなくなった。そこで図書館から借りてきて読んでみることにした。

1 この作品はこれまでとは違った感じがしたが、沖縄戦線の様子がリアルに書かれており、普天間基地をはじめ、米軍の基地問題でゆれている沖縄の実状が痛いほど分った。

以前に「ひめゆりの塔」の映画を観たことがあったが、本で読むと悲惨なイメージをさらに大きく膨らませることができた。

なお、率直に言えば、この作品は構成に相当苦労したのではないかと思った。

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2013年5月 3日 (金)

『夜と霧』 永遠のロングセラー

一寸先が闇であり、今日にでも何が起こるかわからない世の中だ。
人生には時に大きな試練があるが、その時こそが、日頃の本人の価値観、人生観が反映されるものであると、ある雑誌に書かれていた。

3.11の東日本大震災で被災した人たちの中に、自殺者をした人が結構いたという。そのことを知った時、『夜と霧』(みすず書房)を思い出した。

ユダヤ人であるというだけで捕らえられ、アウシュビッツに送られ、家族の中でただ一人生き延びたヴィクトール・フランクル。
ウィーン大学の前途有望な精神科医だあったが、妻と二人の子どもと両親がガス室で殺されたことを知ったのは、助かった後だった。

人間のストレスの中で、家族の消息が不明であり、己もいつ殺されるかわからない恐怖の最中で生き延びた彼。

極限の絶望的環境の中でも、人生に意味を持たせ、一縷の希望を持ち続け、楽観主義でいることで、生命力がかろうじて保たれるという素晴らしい証しの本。

フランクルの残した言葉:「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない」

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2012年12月15日 (土)

感銘を受けた本 伝記本『高江常男』(福祉に生きる)

過日紹介した本(これ)を読み、是非とも多くの方々に読んでもらいたいとの意を強く持った。
高江常男は昭和2年、北海道の芦別村(現:芦別市) 三菱芦別炭坑社宅にて7男4女の6男として生まれ、貧しい生活を送った。私も4男6女の6番目に生まれたので、高江氏に何かしら親近感を覚えると同時に、彼の人生は一体どうなっていくのだろうかと、ドキドキした気持ちでページをめくっていった。

先ず、彼の半生の一部を紹介しよう。

腕白少年の高江が竹とんぼで遊んでいる最中に、誤って自分の飛ばした竹とんぼがもとで右目を失ってしまう。

さらに優しかった母との死別、困窮を極めた家庭のため進学を断念。不具者は人間にあらずとの社会の冷たい態度に触れ、“学歴のない人間で、しかも身体障害者はいくら努力しても何ら価値がないというのかsign02”と絶望感に苛まれる高江氏。

しかし、電気工事士になりたいという夢を抱き、猛勉強の末に国家試験に合格。その後2年間に亘って青春を謳歌していた。
ところが根釧原野の奥地で架線張替え工事中に高圧電流に感電し、九死に一生を得たが、両腕切断という絶望の淵に沈んでいった。(不運な彼に同情し哀れんだ私)。

また、そのような中にあって、幾度となく“生と死”を模索するといった日々を送っていたが、かつて赤平市の炭坑住宅の仲間たちの温かい心や看護婦の優しい心遣いにふれ、凍てつく心も融けだし、やがて口で字を書くことを体得していく。
彼の血の出るような努力に感銘を受け、さらに『空知タイムス』というローカル紙の新聞記者となったことに拍手を送った。

1_2 “しかし、障害者への周囲からの差別的な視線や障害者仲間達の就労自活の道が閉ざされている現状に義憤を抱き、「自分たちのことは自分たちで解決するより仕方がない」と思いに至り、障害者福祉に目覚め、一般企業に伍して、自立した収益性のある企業授産論を実践して規模を拡大してきた”(引用:本のはじめの言葉より)。

医者に「30年しか生きられないよsign01」と宣告されていたが、80歳まで生き、視察に訪れた三笠宮寛仁親王殿下に
「障害者の自立とは、これでなくてはいけない。私が20年間考え言い続けてきたことがここに実現されている。光生舎は日本一の施設です。企業としても業界一を目指してください」とのお言葉までいただくまでにいたった。

とに角、障害者が働くクリーニング工場を主体とした株式会社光生舎を含めたグループ全体では、利用者・従業員併せて1,400人、年商81億円に達する、道内はもとより日本一の障害者授産施設にまだ発展させたとのこと。

創業以来40年近くの間に、火災をはじめ何度も苦労や危機に直面し、その都度、最善を考えて怯まず突き進む姿や、障害者福祉の先駆者の生き方に多くの勇気と希望、そして感動をいただいた。

これも福祉関係に造詣の深い佐藤勝彦氏が、多くの資料や取材に基いて書いただけに障害者福祉の状況がよく伝わってきた。

なお、参考までに本の構成と著者の略歴等を紹介しておこう。

<本の構成>
第1章 生いたち 炭坑町での青春時代
第2章 両腕切断による絶望のどん底から希望へ
第3章 結婚と企業授産へ
第4章 社会福祉法人・光生舎の始動
第5章 ユートピア建設への挑戦と挫折
第6章 光生舎の再建と理念の継承

<著者略歴>
佐藤勝彦
1943年 北海道蘭越町生まれ。日本社会事業大学、北星学園大学大学院修士課程に学ぶ。 札幌市中央福祉事務所、身体障害者厚生援護施設指導課長、身体障害者療護施設施設長、北海道介護福祉学校校長、吉田学園北海道福祉大学専任教員。
現在、(社福)はるにれの里顧問、札幌大谷短期大学非常勤講師。

<申込み>
℡:011-898-2558  なお、ネットで単行本としても販売されている。

※ 追記: 我家から車で国道274号線を夕張方面に向かって6~7分行くと、国道に面してリハビリー・クリーナースという障害者授産施設があるが、まさかその建物が高江常男氏が設立した企業の一つとは全く知らなかった。恥ずかしい。

いま、妻の関心は両腕のない高江氏は、大小便や衣服の着脱、食事、汗や涙の処理、歯磨きなど日常生活の基本的な事柄はどのようにしているのか?である。早速、この本を読んでもらうことにした。

書評にもならないことを記したが、要はテレビて゜お笑いなどのつまらない番組をみている時間があれば、せめてこの本1冊ぐらいは読んで欲しいと願って拙文をUPしたわけである。

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2012年12月 9日 (日)

伝記本『高江常男』の出版を祝う アニメ映画にもなる

昨日、教育長時代に大変ご苦労をおかけした佐藤勝彦さんから一枚の葉書が届いた。伝記本『高江常男』を出版したとのこと。

1

社会福祉法人北海道光生舎の名は知っていたが、故高江常男と言う名前は聞いたこともなかった。

道新(11月30日の生活欄)にも掲載されていたが、少年時代の貧しさと右眼摘出に至る事故、17歳で両腕を失なうという不遇にも負けず、障害者雇用の場として、クリーニング業を創設し日本一の規模に育て上げた高江氏。

社会福祉に造詣の深い佐藤氏が、自叙伝や光生舎の資料、遺族への取材を基に執筆した。

B6判226㌻、2100円。問い合わせは大空社℡03・6454・3400

苦難に立ち向かいながら、障害者の自立に情熱を傾けた高江常男の伝記を是非読みたいと思っている。

なお、山田火砂子監督による「明日の希望 悲しみよありがとう~高江常男物語」というアニメ映画が10月以降、道内外で上映されているそうだ。

私はアニメ映画より佐藤氏が執筆した伝記本を是非読んでみたい。

読書感想を後日、ブログにUPする予定でいる。

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2012年12月 4日 (火)

感動を共有できる本 『ピーマンのあったかブログ★四季物語』 

11月9日付北海道新聞夕刊コラム「プラネタリウム」に掲載された記事に懐かしい知人の名が載っていた。本を出版したという。
早速、彼のブログ(ピーマンdeあったか ブログ)を開き、本を注文したいとコメントしたら、寄贈してくれた。同封されていた本のPR版を紹介しょう。

       本の出版             高松 雅弘

私の趣味の筆頭は、「ブログ」です。日記風ホームページとも言われ、双方向の情報交流スタイルのひとつとして、いまや各界各層の人たちに広がっています。
                        diamond
小学校と幼稚園に勤めていたころ、人と人をつなぐ情報交流の場として、ブログを開設していました。タイトルは「ピーマンdeあったかブログ」。野菜のピーマンにかこつけ、「空っぽの中身に心の栄養をいっぱい詰めて交流しましょう」と、保護者や地域の方はもちろん、ブログを愛好する人たちに、日々の活動の様子を文字と写真で発信していました。
                        heart
毎日更新していると、顔は見えなくても多くの人が私を取り巻いている錯覚に陥り、コメントのやり取りに新鮮な喜びを覚えたものです。とんがらしさん、いなぼちさんといったピーマンの仲間のようなユニークなペンネームも登場。「一緒に楽しんでるよ!」との声に励まされ、本音の声をもらうと返信にも力が入りました。時には教育やしつけについて意見交換をしたこともありました。
                        impact
現役引退を機に過去のコメントを振り返ると、強烈に「温かさ」を感じさせられました。「何とか本にしたい」との思いが沸き上がり、「ブログ&エッセー集」として自費出版を決意。自分に課したミッションととらえ、11月1日に発刊することができました。とても売れそうな本ではありませんが、表紙を飾る幼児のちぎり絵はホッとするような温かさが広がり、紙に刻まれた活字からは人の心のつながりがしみてきます。
                        good
本の完成は、わが子が自分の手を離れ、独り立ちして社会に旅立つような感じです。行く末を案じて本が書店に並ぶ姿をそっと見に行きました。こんな親の心境を味わえるのも、ブログのお陰かもしれません。趣味が高じて一冊の本にまで発展したワクワク感、幸せ感を、いまグツとかみ締めています。また、売り上げの一部を東日本大震災の復興と被災者の支援に寄付したいとのかねてからの希望も実現しそうです。宣伝となってしまい、おこがましいですが、機会があれば手にとって見ていただければ幸いです。

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            〔内 容〕
○あったかブログの四季:1~4章
○あったかブログはピーマンの目:5章
○幼稚園のおもしろエピソード:おまけの章Ⅰ
○ピーマンのエッセイ:おまけの章Ⅱ

※ この本は、苫小牧市日新町 B-top
  明野新町 メディアン の2書店で扱っているとのこと。(定価:1000円)

なお、郵送の場合は送料込みで1,300円。
申込み:E-maii:takamatu612@mx32.tiki.ne.jp  

℡ 0144-75-4266番

<著者略歴>
1947年 北海道砂川市に生まれる
1970年 北海道教育大学札幌分校卒業 伊達市、苫小牧市で小学校教諭
1989年 北海道教育委員会指導主事(根室・渡島・空知で勤務)
1999年 苫小牧市立清水小学校長
2003年 苫小牧市立明野小学校長
2006年 苫小牧市立苫小牧東小学校長
2008年 学校法人苫小牧マーガレット幼稚園園長
2012年 退職後、ボランティアG「ピーマン企画」設立

<役 職>
2000年から 札幌家庭裁判所家事調停委員
2012年から 苫小牧市立清水小学校評議員

<著 書>
2007年 ピーマン校長の泣き笑い(道新マイブック)
<エッセイストとして>
2010年から 北海道新聞夕刊コラム「プラネタリウム」に執筆中

この本はどのページから読んでも、著者のピーマンと多くの人たちとの温かな心の交流が伝ってきて、ほのぼのとした気持ちにさせてくれるユニークな本だ。

私はいま、第144回(H23年)直木賞受賞作の『月と蟹』(道尾秀介著)を読んでいるが、『ピーマンのあったかブログの四季物語』の方がバラエティに富んだ内容で面白い。(少し褒めすぎかな? 笑い)

回転寿司1回分の値段で買える本なので、子育て中の人は勿論、多くの人たちに読んで欲しい願っている。

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2011年4月28日 (木)

『101歳の少年』 プロスキーヤー三浦雄一郎の父

「わたしの人生には『冒険』はない。すべては積み重ねることで、必ず頂上にたどり着くことができる」と回顧している三浦敬三。

日本のスキー会の草分け的存在で、70歳を超えても現役でありつづけ、息子の三浦雄一郎氏や孫の三浦豪太氏とともに1981年にはキリマンジャロ山を、2003年にはアルプスのモンブラン氷河を親子3代で走破するなど、生涯スポーツとしてのスキーの普及に貢献した人物。

また、山岳写真家としても著名で、1961年には世界山岳写真ビエンナーレ展に入賞していた。

その彼の筆による標題の書物を(実業之日本社 定価1,400円+税)読んだ。好きなことを追い求め、夢中になって生きた101年が平易な文章で綴られている。中でも強く心に残るページがあったので紹介したい。

      わたしの人生に〝神仏〟なし

わたしの人生には、スキーの神様がいました。神様は、わたしにスキーという素晴しいものを授けてくれました。そして、来る日も来る日も夢中になって雪と格闘するエネルギーと、世界中の素晴しい雪山との出会いのチャンスを与えてくれました。

わたしはそのおかげで、今も情熱っをもって大好きなスキーに取組むことができる。それは、何ものにも替えがたい、スキーの神様からの貴重な贈り物です。そのことには、大変感謝しております。

しかしながら、何かに困った時、頼み込む神はありません。仏に帰依することもない。心のよりどころを神仏に頼ることは、101年の人生の中で一度もありませんでした。多分、これからもないでしょう。

苦しみも、悲しみも自分の心の中の出来事です。苦しみや悲しみを自分の中で消化するには時間がかかることもありますが、いつかは必ず違う喜びが巡ってきます。

毎日の暮らしの中でひとつずつできること、今日達成したことを数えていくことです。わたしは、そうやって101年の歳月を生きてきました。

なお、彼の座右の銘は「探求一筋」とのこと。

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