カテゴリー「MM Kazuさんの教え」の20件の記事

2014年7月16日 (水)

悲しいできごと・考えたこと

Kazuさん編:「心の教育」からの転載

悲しいできごと・考えたこと
 本校、六年生のTAさんが、7月18日午後、入院していた札幌の病院で亡くなりました。TAさんは去年の運動会頃から体の調子が悪くなり、入院して治療を続けてきていました。その間には、お医者さんの努力はもとより、家族の方々の看病、多くの人や友達の励ましを受けて、TAさんは元気になることの努力を精一杯続けてきました。

 しかし、病魔はそれをおしきり、ついに帰らぬ人となりました。両親はもとより、ゆかりある人々の悲しみは、はかり知ることができません。心からご冥福をお祈りしたいと思います。

 私達は、口では簡単に「からだを大切に」「命を大切に」といいますが、真剣にそのことを考えたことがあるでしょうか。人間はお互いに勝手なところがあると思います。自分の身内や関係者が病気になったり、交通事故にあって初めてそのことの重大さに気づくのではないでしょうか。

25日から子供達の夏休みが始まります。休み中の生活のさせかたは、家族・親の考え方や指導によって異なってきます。次のことについて、順序に従って考えてほしいものです。

① 生命に関わる危険防止(交通事故・川遊び・魚釣りなど)
② 毎日、継続してやることを決め、実践させ、記録させる。(観察・体力づくり・学習など)
③ 1学期の学習の遅れの回復
④ 見聞を広め、経験をつませるための見学や旅行

25日間の夏休みを意義あるものにしたいものです。
               <S小学校長時代:54.7.23>

7.14の道新朝刊に“ひき逃げ 女性3人死亡”との見出しが一面トップに掲載されていた。現場は札幌市JR星駅駅から北へ2.5kmで、海水浴場「おたるドリームビーチ」と国道337号を結ぶ直線道路。

4人(高校時代の同級生)は海水浴を終えて帰宅するため徒歩で星置駅に向う途中だった。道路幅は5㍍で歩道がなかったという。加害者の男(31歳)は酒気帯び運転で、かつ携帯電話を操作していて前方を良く見ていなかったとは。ただただ絶句。

夏休み前後のこの時期は、思いもよらない事故に遭遇する危険性が大きい。大人も子どもも危機意識を持って過ごして欲しいと願っている。

 

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2014年6月17日 (火)

北海道の教育

Kazuさん編:「心の教育」からの転載

はじめに
 「教育」に関することは、最初は誇大に取り上げられて論議をよび、批判の対象になることが多い。しかし、そのことが具体的な施策として推進・解決しなければならない場面を迎えたり、さらに多くの予算を必要とするような局面になると、いつのまにか、そのことが霧散してしまったり、責任の転嫁がはじまって、問題の解決にはなっていないことが多い。教育に関係する者はまず、そのことをしっかり心しなければならないと思う。

1 教育は積上げが必要だ

 明治以降の北海道開拓には百年の歴史がある。学校教育もその開拓の歴史とともに進められてきているが、本州との比較のうえで、本道教育の「おくれ」が語られてきた。その成否は別として、教育現場の中には「中央の」「本州の」「学者の」新しさに魅かれて、次々と流行を追い、北海道としての特色ある積上げに欠けるところがあったように思う。このことは、北海道の後進性、道民の淡白さ、歴史の浅さなどが原因しているのではないかと思う。

 道民には、北方開拓の逞しさと、寒さとの闘いで培われた我慢強さの血が流れているはずである。北海道民としての誇りと粘りを持って、右往左往することなく「北海道教育」を積上げていくべきである。

2 教育にはビジョンが必要だ

 生産第一、経済優先の時代から、人間尊重の時代ーと移行しつつも、情報公害、価値の多様化が叫ばれ、3年ひと昔といわれている現状のなかで、特に問題にされなければならないことは、そこに生きている子供、未来の日本・北海道を背負う子供をどのように育てるか、北海道教育への具体的なビジョンや施策が明らかにされているか、ということである。

 残念ながら現在の行政担当者、教育界の指導層はその責任を完全に果たしているとはいえない。複雑に変化発展している現在こそ、英知を寄せ集め、遠い見通しを持ち、自信と勇気を持って積極的にそのビジョンを提示すべきである。そして、そのバジョンを全道民のものとして、地域や学校の実態によって具体化され、特色ある経営として実践されていくべきである。

3 教育にはカネを投入すべきだ

 20坪の教室に45名の子供を入れ、黒板とチョークで教師が汗を流す時代は終わった。一人一人の子供の適性を探り、それを伸長し、学ぶ力をつけてやるきめの細かい教育、次々に流されてくる情報を選択し、質の高い情報を提供してやる教育、これは教師の情熱だけで解決されない問題である。その解決にはカネが必要である。日本、そして北海道にはそれを解決する力はあると判断できる。ただ、そのことを現在解決しようと努力するか、その解決を先に延ばすかの違いである。そのよい例が、府県や市町村によってその施設・設備に差があることで明らかである。

 北海道の未来を共に考え、実践に移していく責任を、一人一人の道民が持ちたいものである。
                    <北海教育評論:48・6>

約40年前のKazuさんの提言である。今でも通用する説得力ある提言と思う。絶えず冷静・客観的に現状を見つめ、確かなビジョンを持ちその具体化・具現化に立ち向かってこられた大先輩のKazuさん。

過日、1年ぶりにお会いし83歳とは思えないほどの精神力で活動している姿を見て、私もこのような高齢者になりたいと思った。また、ご馳走になったコーヒーの味が格別に美味しかった。心の味覚で味わえた。

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2014年5月 1日 (木)

kazuさんの海外視察報告~日本を見つめる

kazuさんの海外視察報告の最後になります。

○ 1ヵ月の海外旅行から--日本を見つめる--

 アメリカの南部と東部、ヨーロッパ5ヵ国をそれぞれ2週間ずつかけ歩きの視察をしてきました。勿論、初めての海外旅行でしたから、見るもの、聞くもの総てが新しいものばかりでしたが、その中で、「素晴らしい」「美しい」「それ程でもなかった」など、様々な印象を受けて帰ってきました。私の受けたその感じは「日本に住んでいる日本人」としてのものであり、常に日本との比較のうえで感じとってきたものです。したがって、外国旅行をすると「日本」「日本人」の良さや欠陥が自然のうちに心のなかに浮きぼりにされ、日本を見直す結果となります。このことは、1カ月の海外旅行でえた最大の収穫であったと思います。

その中から、2~3の事柄について書いてみたいと思います。

(1) 教育にかかわって

 まず感じたことは、日本では、家庭・学校・社会教育の領域を明確にし、その中で一貫した生涯学習の方針と改善の具体策を明らかにしなければならないことです。即ち、日本の家庭教育の甘さ--過保護で自制心や勤労に対する真剣な態度育成の欠如--の克服。社会教育では、マイホーム主義、働きすぎや金儲けに目を奪われた無関心・無責任と設備不足などの問題があります。学校教育については、アメリカの場合は徹底した個人主義、個性の開発と伸長にウエイトがおかれ、授業形態も個別化されている点は良いとしても、グループとして、学級としての討議、高まりに欠けるところがあるように感じました。

 また、教師の仕事が細分化されていることは良いとしても、課題活動などはあまり無く、教師と生徒との心の触れ合うことが少なく、人間性を育てる面で物足りなさを感じました。しかし、日本のこれからの教育には金をかけるべきであり、長期的見通しにたった整備計画をもつべきだと痛感しました。日本にはそれだけの経済的基盤は十分にあると思いました。

(2) 国情など

 「二カ国語を使用できることは宝である」とのスローガンのもと、家庭ではスペイン語を話し、学校では英語を読み書きしているアメリカ南部の街の子供や、多くの人種で構成されて人種問題で悩み多いアメリカの国。同一民族・同一国語の日本とを比較すると、行政上はもちろんのこと、教育を推進していくうえで大きな差があり、日本の恵まれている国情を肌で感じとってきました。

 また、多民族で構成されているためか、政治が原因かは一旅行者には単純に判断できませんが、ニューヨークにおける治安の悪さ--夜の街はずれの歩行での生命の保障がないこと--や、紳士の国イギリスのロンドン空港における盗難--旅行カバンをポーターに預け、飛行機に積み込むまでに行なわれる荷抜き--などを考えると日本の治安の良さは比較にならないと思います。

 しかし、アメリカ・ヨーロッパの各国人と日本人とを比較してみると、日本人の無表情・無愛想はなんとかならないものだろうかと思います。第二次大戦の後の進駐軍に対して、なんでも「イエス」「微笑」をおくって問題を起こした女性のようであってはならないけれど、考えるべきことだと思います。即ち、現在のように世界の各国に進出・発展していっている日本としては、排他的ではなく、世界の誰とでも気軽に話し合える国際性を身につけなければ、世界の人々から相手にされない日本になってしまうのではないか思います。

(3) 最後に

 日本人は、勤勉であることは世界の人々が認めているところですが、それが正しく理解されるものでなければと思います。現実的に、「日本人は、働きすぎ」と受け取られています。世界の趨勢に逆らうことなく、これからは、生活を楽しむこと、ますます増大する余暇を利用する能力を身につける必要があります。

 また、アメリカ的・公式的に、金銭面だけで割切る人間関係・社会になったのでは、温かみのない、住みずらい社会になってしまいます。やはり、東洋的な人情の温かさは残しておきたいものです。

 最後に、自分の仕事や分担には全責任を持つ厳しさ(アメリカ)を身につけ、私達の行動や発言は、自分の住んでいる「日本の国を、より住み良い国にするための日本人としての発言である」との原則を忘れず、この日本を大切にしていきたいものです。

これでKazuさんの「海外視察報告」の紹介を終えます。それにしても、現在、中学生・高校生を対象とした海外研修旅行を実施している自治体があり、私が教育長をしていた町では今でも継続して実施している。

また、各中学校にAET(Assistant English Teacher:英語指導助手)を配置し外国人との交流する機会も多く用意されているのですが、自ら進んで話しかける児童・生徒が少ないのは困ったことだと思っています。加えて、海外研修旅行の希望者が激減しているのも気になることです。

国際社会に羽ばたく人間の育成も我が国に課せられた大きな課題であり、島国根性だけはオサラバさせたいと願っている昨今です。

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2014年4月30日 (水)

kazuさんの海外視察報告~教師の研修、教員の身分

前回は「教育の目的と学校制度」・「学習方法」についての報告を紹介しましたが、今回は「教師の研修」と「教員の身分など」について紹介します。

(3) 教師の研修
 「研修は教師個人の責任で・・・・・」というのが基本的な考えのようです。「教師は教師であるために必要な単位・資格・教養は持っている」との合理的な考え方で、教育委員会や学校などで一斉に研修や研究をすることはあまりなく、個人の責任で休暇中(2ケ月半)に大学の講座を受けている人がいるようです。

 また、受講者は一定単位を取得すると給与が上がる仕組みになっています。即ち、すべてに合理的なアメリカでは、研修(単位取得)は上位資格、高い給与への一つの手段のようです。

(4) 教員の身分など
 教員の採用は地区の教育委員会が行っていますが、ほとんどの州では1年ごとの契約制をとり、その間の勤務成績によって再契約がされているようです。しかし、3年間、特に問題なく勤務すると、永久雇用(定年)されるのが多くの州でとっている制度のようです。

 また、教員が自己の都合や傷病などで欠勤したときには、年間5日間は有給ですが、それを越えると無給となり、その分が代替教員の賃金として支払われるとのことです。したがって、民間保険会社と契約して万が一に備えている教員が多いとのことです。

 教員の社会的地位は地域によって異なっていますが、(都会では低く、地方では高い)全般的にはあまり高いとはいえないようです。ある地区の教育長は、この問いに対しての答えとして、「アメリカでは、できる人はそれをやり、できない人はそれを教える」と語りました。この言葉は、アメリカの教師の社会的地位を表しているといえるでしょう。

--ともあれ、「個人の尊厳」に重点がおかれ、学級や生徒相互の高め合いといった集団に係るものには欠けるものがあると強く感じました。--  (続く)

いよいよ後1回で紹介を終わります。 
 

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2014年4月29日 (火)

kazuさんの海外視察報告~アメリカの教育と教師

kazuさんの海外視察報告 ③

○ アメリカの教育と教師

アメリカの教育制度を公式に説明しても関心のもたれる内容にはならないので、2週間の視察の中で特質すべきことを拾い上げてみたいと思います。

(1) 教育の目的と学校制度

 アメリカらおける教育の目的は「すべての人に、各々の才能を伸ばす機会を与えること」に第一の目的をおき、すべての人の能力・適性・興味に合うように柔軟性に富んだ種別・組織が準備されています。したがって特定の段階やグループだけを目標としたものではなく、多種・多様な教育を提供することがアメリカの教育の重要な課題となっているようです。

南部のテキサス州の教育目標は、
 ① 個別指導による読書力・数計算力を高める。
 ② 地域・子供の進路要求に対する職業技能教育の重視。
 ③ 特殊事情による2カ国語(メキシコ系アメリカ人のためのスペイン語と英語)の充実。
など、一般的ではなく、具体的な目標を定めています。ともあれ、アメリカの教育は、「一人一人の子供の能力に合った教育を個別に行う」ことであって、そのことは差別でも選別でもなく、個人を一番大切にすることになることを見せられてきました。

 学校制度は、6・3・3制が多く、他は6・6・2・4の学校が同一市内に混合されてあり、新しい動きとしては6年生の心身の発達が顕著なため、小学校5年、中学校4年に区分するところがでてきたことです。

(2) 学習方法

 州や地区によって異なった学習方法をとっていると思われますが、私が視察した十数校の中学校・高校では、1校を除き他は全部能力別・グループ・個人学習でした。移動合図のベルで各教科教室に入ってきた生徒は思い思いに教科書・参考書・ワークブックを書棚から取り出したり、機器にテープやフイルムをセットしたりして、個人・グループで学習を始める。

 教師はグループを巡視して指導したり、質問や打ち合わせにくる生徒と話し合ったりしているのが1時間の授業風景でした。即ち、「学校は教えるところ」ではなく、「自分から学習しようとする者に対して、学習の仕方を教える」ところであることが明らかでした。
                                   (続く)

次回は「教師の研修」「教員の身分など」について紹介する予定です。

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2014年4月28日 (月)

kazuさんの海外視察報告~厳しい現実と人種問題

アメリカという国についての報告(前回の続きより)

△ 厳しい現実

 豊富な物に囲まれ、陽気で明るいアメリカ人にも厳しい現実がある。それは、自分の生命と財産は自分で守らなければならないことです。これは当然のことですが、アメリカでは真剣なことです。ニューヨークを筆頭に、都会の治安は悪く、夜の一人歩きの命の保障はないとのことです。警察はあまり真剣に捜査をしてくれないとのこと。従って、酒にってフラフラしている白人を見かけることはありません。また、自分を守るために届けるだけで拳銃を所持できる社会--如何に厳しい現実であるかを考えてください。

△ 人種問題--特に、黒人問題--

 人種問題はアメリカにとって、声を大きくして語れない大きな悩みではないかと思います。黒人運動指導者が「黒人よ、都会に集まれ」との指標を掲げての指導の結果、全米人口の中に占める黒人の割合は12%なのに、大都会では半数又はそれ以上が黒人とのことです。そのため、街の治安が悪くなり、街全体が荒れてきて、白人はkazuさんの海外視察報告 ③郊外へと逃げ出しているのが現実の姿のようです。

黒人問題に関連してニューヨークの地下鉄の落書の事を伝えたいと思います。地下鉄のホームに下りて驚いたことは、ホームの壁、電車の車体の内外やガラス窓、ありとあらゆるところに色とりどりのシュプレーペンキの吹きつけで落書をしてあることです。書く者は、16・7才ぐらいまでの黒人の少年達で、書いてあることは自分の氏名と住所の番地です。「俺たちは何時まで経っても下積みである。自分の存在を知らせるために名前わ書くのだ」というのが、落書の理由とのことです。考えさせられるとです。 (続く)

約40年経った現在、アメリカはどのように変ってきたのでしょうか。拳銃の所持問題一つを取り上げてもなかなか解決できない状況ですので、アメリカ社会の抱える問題は日本をはるかに越えて深刻な事態であると推察する私です。

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2014年4月26日 (土)

kazuさんの海外視察報告~アメリカという国 

オバマ大統領が訪日し日米関係に関する重要課題について首脳同士で緊密に話し合ったとの報道を聞きながら、こんなことを思い出した。

北海道の教育振興に指導的立場にいる代表的を海外に派遣し、見聞を広めて本道の教育に生かして欲しいとの願いから道教委が取組んだ事業がかつてあったこと。教育予算が潤沢にでた?良き時代の話である。

私の尊敬する人物の一人であるkazuさんも、当然派遣員の一人に選ばれた。その報告書が「心の教育」(Kazuさん編)に掲載されていたので、数回に分けて紹介したいと思う。

           □□ 海外視察報告 □□
はじめに
 1月29日から2月27日までの30日間、アメリカの教育事情(テキサス州・バージニア州)とヨーロッパ5カ国(フランス・西ドイツ・ベルギー・オランダ・イギリス)の一般事情について視察する機会に恵まれました。その視察内容について、教育事情に限定せず、私がこの目で見たり、肌で感じた「このことはぜひ」ちいうことについて、1.アメリカという国 2.アメリカの教育と教師 3.1カ月の海外旅行から--日本の国をみなおして--の3回にわたって報告します。

○ アメリカという国

 △ 広大な土地と豊富な物

 西海岸のロスから南部のエルパソ、サンアントニオ、東部のワシントン、ニューヨークへと飛行機めバスで旅行を続け、空から、車窓から眺めたアメリカは「広い」の一言につきます。また、街の周囲を走るフリーウエイ、州と州を結ぶハイ・ウエイ、そこを走っている自動車の大きさや数、水不足地域(エルパソ)開発のための投資や施設の大きさ、ホテルや食堂、学校などで見られる使い捨てや消費量の膨大なことを、この目で確かめ、言葉どおりにアメリカは「世界一」であることを知らされました。

 △ アメリカ人気質

 ホテルの従業員の仕事ぶり、商店などでの店員の働きぶり、学校での校長・職員・用務員の勤務などをみて、まず目につくことは、日本人のようにこせこせしないで、落ち着きと明るさがあり、他人の仕事や分野に関わりを持たず、自分の分担に責任を持って仕事をしていることです。しかし、だからと言って、他人に無関心ではなく、街頭でもエレベーターの乗り降りにしても「相手に迷惑をかけない」生活習慣が身についているのには感心させられました。

また、一般的アメリカ人気質として、「一定の貯えを持ち、社会的に認められる地位につき、(ここまでは日本人も同じ)社会のために奉仕できる生活をしたい。」ということを聞きました。ニューヨークにある国連本部のビルが建っている土地は、個人の寄付によるものだとのことです。

あるガイドから聞いた話によると、アメリカの男性が女性を大切にし、あらゆる機会に夫婦同伴で行動するのは、アメリカ開拓の歴史--西部開拓は家族同伴--がそうさせているとのことです。公式の場に、人前に、街の散歩連れ歩いて恥ずかしいような妻であれば、なぜ結婚したのか、自分の妻であれば誇りを持っていいのではないか、というのがアメリカ的な考え方とのことです。日本人であるあなたは・・・・・・・。   (続く)

この話は今から41年前の昭和48年のことである。当時の日本は一般家庭にやっとカラーテレビが入り、月賦で自家用車を買えるようになったが、電話はNTTに申し込んで半年経たなければ入らないという状況であった。

テレビではBS放送もなく、「兼高かおる世界の旅」が当時の日本人にあまり馴染みがなかった世界各地の風俗・文化・歴史などを紹介する番組が多くの視聴者に親しまれていた時代であったことを理解したうえで読んでいただきたいと思う。

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2014年4月16日 (水)

新入生父母への話 「今、子供に何が必要か」

Kazuさん編:「心の教育」からの転記

         今、子供に何が必要か

 私達が子供を語るとき、大人が基本に考えなければならないことは、現在の子供は、大人が教育してきたのであり、子供の現状は大人の責任であるということです。とたがって、大人・教師・親は何をしてきたのかを反省する必要があります。次に、子供を取り巻く現状について考えてみますと、失われたものが多いことに気づくのです。親と子の境界、夫婦の境界、大人と子供の境界、男女の境界、師弟の境界、学校と家庭の境界が失われてしまっています。

 その結果、欲求が肥大してきて、即ち、子供が中心になり、親の権威がなくなって、「子供を育てる責任」が不明確になってきています。その過程から、我慢ができない、ブレーキがない子供が育ってきている。

 こうした状況のなかで、学校(教師)で必要なことは、
 ・子供をその気にさせる人間性と指導力
 ・分かる授業をする
 ・汗を流す、汗が流れる体験をさせる教育活動をする

 家庭(親)では
 ・子供にとって、心の憩いの場となる温かい家庭をつくる
  (放任・過保護・無視を無くする)
 ・家庭の一員としての位置付けをするーーなくてはならない存在、頼りにする存在とする
 ・人間としての心を育てるーーきまりある生活
  (起床・就寝・外出の行先)(挨拶・返事ーー朝・夕・食事・来客)

 最後になりますが、学校への希望や要望はどしどし寄せて下さい。批判もどうぞ出して下さい。しかし、匿名は無責任ですね。又、子供の前での学校や教師批判は子供の教育上マイナスです。充分に考えて対応して下さい。

                 <KR中学校長時代:入学式後の校長の講話>

Kazuさんのこの考えに私は共感を覚えるのだが、道新(夕刊 4/14)に掲載されていた香山リカさん(札幌出身の精神科医)の講演内容の一部が気になった、彼女はストレス社会を生き抜く方法として「親や先生に言われてきたことの逆をしよう」と提案したという。

 まず、「自分を甘やかす」ことを勧め、「人生の負け組みと考えるのではなく、自分のいいところを見つける。いいところが見つからなければ、過去の栄光にすがってもいい」と話し、「切磋琢磨には意味がない」と解説したとある。

時代と共に価値観が変ってきたのではなく、生育歴・教育される過程で培われた考え方・態度・能力などがストレスに耐えかね、うつ病になったり自殺を考えるようになったのではないかと単純に考える私。

現在、私の身近なところに「適応障害」を患っている人が3人いる。改善方法を調べていたらこんなブログ「心のブレーキ解除セラピー」に出会った。聞くところによると、今、東京中心に人気上昇中の人物であるそうだ。

精神科医や心理セラピストの活躍する世の中になってしまったが、その原因は何なのか、解明することも重要であると思う。

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2014年4月 7日 (月)

校長になり 校長として 考えていること

Kazuさん編:「心の教育」からの転記

3月末、局長から辞令を交付され、○○小学校の校長に任命された。3ヵ月も経過した現在、学校・地域・旧同僚達から「校長」と呼ばれるけれども、どうも「校長」が身についていないようだし、心の底から校長になり切っていないようである。

その理由を考えてみると、私自身が○○小学校の校長として、その任務について行動化していないからだと思う。

一般的な校長の責任・任務・仕事は明確である。しかし、地域・学校規模・職員構成、その実態によって校長の仕事の具現化は異なってくるものと思う。方針の誤りはもとより、情勢判断の誤りがあれば、学校は混乱に陥り、機能を停止してしまうものと思う。

校長が替われば学校が変わるといわれる(良否は別)。それは当然である。私は、「かえる」のではなく、言葉通り「かわる」とおさえたい。「こんな子供を育てたい」「こんな子供になってほしい」それを達成するための方法など、抱負や希望は多くある。その意志の伝達・具現化は、職員会議であったり、担当者・学担との話合い、全校朝会での子供への(職員への伝達の場ともなる)訓話であったりする。

急カーブは転倒することもある。そんなことからも「変っていく」経営でありたいと思っている。

経営の責任者としての任務は大別して、教育環境を整えることと、内容を充実していくことの二面があると思うが、私は、両面が深い相関関係を持ちながら、螺旋的に発展していくように心すべきだと思う。

「新任校長は張り切る」といわれる。それは分かるとしても逆効果をもたらしたのでは大変である。教育は地味で一日一日、一つ一つの積上げがあって実を結ぶものである。功を焦るべきものではないと思う。しかし、経営のビジョン・研究実践の方向づけは明確でなければならない。その過程で如何に全職員に情熱を燃え上がらせるかが、校長の存在価値ではないかと考えるこの頃である。
<A地区校長会10周年記念会報 52.6>(52.4.新起用)

今年度、A地区では6人の新起用校長が誕生した。Kazuさんの教えを肝に銘じて経営に当たってほしいと願っている。

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2014年3月19日 (水)

今、求められている生き方

Kazuさん編:「心の教育」からの転記

       今、求められている生き方

現在、私達が生活している日本の国は「自由な社会」であり、「豊かな社会」ですが、「自由」と「豊かさ」に気がつかない人が多いのではないかと思います。また、私達は、平常の場合は空気の存在を忘れたり、いつでも満腹で食べられることを当然のこととして生活しています。しかし、口や鼻をふさがられたり、アフリカ難民関係の報道を見聞すると、改めて空気の存在や日本の食糧の豊かさに気づくものです。

このように、私達は、自分の経験や目に見えない状況だけで判断していることが多いと思います。特に、視野の狭い人は目先だけの状況で判断し、大切なことを見逃し、誤った行動や発言をしていることがあります。それでは、人間としての心豊かな生き方とはならず、自分本位・本能のおもむくままの生き方となり、多数の人達と力を合わせ、よりよい社会を築き上げていかなければならない現代社会の生き方に逆行してしまいます。

今、地球上には百数十の国があります。国それぞれには建国の経緯や歴史があり、政治形態や経済状況は異なっています。日本は第二次世界大戦後、民主国家として再建をはたして現在にいたっています。この日本の状況を総合してみると、数多い世界の国の中では非常に恵まれた国であり、そこで生活する国民(私達)は幸せだと思います。この「自由と豊かさ」を維持し発展させるためには大切なことがあります。

第一は、自由には責任があることです。責任の伴わない勝手・自己本位な行動は許されないのです。

第二には、人間は一人で生きられないものであり、他人との協力が必要だということです。エゴをぶっけるのではなく、相手の自由を尊重しながら協力していくことが大切です。

第三には、欲望を如何にコントロールするかです。人間の欲望は無限なものですから、本当の自由とは「やりたいことをする」のではなく、「やりたいことをやらない」自己抑制が大切だと思います。

「自由な社会」に生きる私達は、自分を大切にすると同じウェイトで他人を尊重する生き方を身につけることが求められています。
             <KR中学校長時代:生徒会誌 元年3月>

この考えは、私達ばかりでなく国をリードする立場の人や世界の政治を左右させる各国のリーダーにも求められる重要な資質であると思う。また、欲望の塊である私達人間にとっての永遠の課題でもあろう。

 

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